釜ヶ崎総合年表−1980年代
1980(昭和55)年
- 1月1日 大阪自彊館「自彊の友」第5号に見る白雲寮
- 寮長・寮長代理・寮母長を含め職員数31名。入寮者約190名。
- 寮生約190名中、加算金、年金の受給者が124名(障害による受給者94名、その他は老齢)。
- 要介助の種類と人数=食事90名余、入浴50名余、買物15名余、通院月延べ40名余、その他服薬、洗濯、金銭管理、読み書き、整頓等の介助がある。
- 内職をしている人は約120名。また、心身の健康維持のため、午後のリハビリ訓練とは別に、午前中は、毎日リハビリ体操に40余名が参加している。
- 2月60号 「喜望」 発行:喜望の家
- 「厳寒に326人の青カン者」
- 2月27日 あいりん近況-6-越冬闘争
- 釜ケ崎解放会館前を午前9時と午後1時、7時の3回、できたての雑炊を積んだリヤカーが出発する。行き先は野宿者が待つ西成署裏の公園だ。おわん1杯の雑すいで、1日延べ百80人ほどが生命をつないでいる。
夜0時になると、今度は救急箱を抱えて大阪市社会医療センターの前に集まる。軒下にはふとんが用意してあり、毎晩百30人がもぐり込む。炊き出しと夜間自主パトロールは、年末から1日も欠かさず続いている。
今年で10回の越冬闘争は29日で終わる。合言葉に反して、1月からすでに20人が行き倒れて死んだ。(朝日新聞)
- 3月6日 衆議院予算委員会第二分科会議事録 3号
- 結核 あいりん
- 3月15日 大阪自彊館 「今宮福祉交流センター」開設
- 在寮者と地域の交流をはかり、同時に地域の社会福祉活動の場、地域ボランティアのサービス活動の拠点、老人クラブ、青少年指導員の諸会合等に利用するため、地域福祉関係者からなる運営委員会に運営を一任。(大阪自彊館だより・第11号)
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- 4月 春季闘争討論集会(市民館)、賃金闘争争議団結成
- 4月 「釜ヶ崎炊き出しの会」結成
- 4月22日 衆議院運輸委員会議事録 12号
- スラッジ不法投棄 釜ヶ崎 参考人
- 4月22日 大阪自彊館 今宮地域給食サービス開始。
- 地域への給食サービスとして、配食。 ボランティアとともに週2回(火・金)夕食を配食
- 4月23日 衆議院運輸委員会議事録 13号
- スラッジ不法投棄 釜ヶ崎
- 4月23日 参議院科学技術振興対策特別委員会議事録 5号
- 放射性廃棄物海洋投棄 釜ヶ崎
- 4月24日 参議院運輸委員会議事録 4号
- スラッジ不法投棄 あいりん
- 4月29日 大阪自彊館 あすなろ断酒会OBにより大阪市断酒会西成支部結成
- 5月63号 「喜望」 発行:喜望の家
- 「釜ヶ崎の結核問題・越冬委が総括集会・一通の電報」
- 5月 釜ヶ崎夜間学校開始
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- ▲模造紙に「釜ヶ崎夜間学校」の案内。場所は喜望の家。
- 9月5日 大阪自彊館 本館に物品交換所「プチ・ファイブ」開設
- 10月 簡宿定例理事会で、
- 不況対策セミナーで経営不振を乗り切ろうとする真剣な声がでるほど、宿泊者が減少した。(簡宿組合40年の歩み)
- 12月69号 「喜望」 発行:喜望の家
- 「協友会結成10周年集会・越冬支援活動はじまる」
- 12月24日 臨時宿泊所2カ所設置・29日から・あいりん地区
- 29日から1月0日朝まで、受け付けは29、30両日、ただし29日は病弱者、50歳以上の人、日雇労働被保険者手帳の所持者が対象。
- 12月26日 大阪自彊館 今津町に「さわやか荘分荘・杉山荘」開設
- (26日から手漉き和紙作業開始)「相互扶助。共同生活による自立。断酒の村建設。大自然に生かされた生活(自然循環農法)、日本の山林を守る作業。」(大阪自彊館だより・第11号・吉村靫生理事長年頭挨拶)
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- 12月26日 施設の門は狭く・ガード下など野宿百3人・福祉“値切られ”寒々
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あいりん地区(釜ケ崎1帯)で25日から地区の労組員やキリスト教のボランティアたちによる「越冬闘争」が始まった。
<1日3回>午前9時西成署のすぐ裏の萩中公園。「越冬実行委員会」のメンバーが、1時間も前から行列をつくっていた約60人の人たちに呼びかけた。「きょうから炊き出しが1日3回になります。知らない人に教えてあげて下さい。それに体の具合の悪い人は申し出て下さい。無料の『診療依頼券』を渡します。
<しわ寄せ>大阪社会医療センターには、この日だけで20人の患者が依頼券を持ってやってきた。
センターは正月3ガ日も休まない。去年は百903人が「依頼券」を持ってやってきて、それぞれ南港の宿泊所や市内の病院に入った。ところがことしは「正月三ガ日の受け付けを百人におさえてくれ」といってきた。「国の福祉見直し論が回り回って釜ケ崎の福祉にしわ寄せされているにちがいない」と本田院長はいう。
市はことし、両施設に1日千人を収容する、と発表した。去年1700人を受け入れたのに比べると、大幅な後退だが、担当者は「いろいろ財政の事情もあって…」と口をにごす。
<底冷え>夜7時。萩中公園の炊き出しを受ける行列は約120人にふくれあがった。越冬実行委のメンバーがテント張りにかかったが、公園を取り囲んでいた西成署員にはばまれた。5年前まで越冬闘争の拠点は公園に張られたテントだった。
午後0時。大阪社会医療センターのコンコースには泊まるところがない人のために50人分のふとんが敷かれ、そのほとんどが埋まった。実行委員会のメンバーらは夜間医療パトロールに出発した。
26日午前0時までに、地区内で野宿していた人は百3人を数えた。**
西成署の調べでは、去年の越冬闘争期間中、32人が地区内で病気などで死んだ。
うち18人は、寒風の吹きすさぶ公園や路上での孤独な死だった。労働者の高齢化が進み、結核患者があとを絶たない中で、ことしも同じような悲劇を繰り返さないという保証はない。(朝日新聞)
- 大阪社会医療センター 外来患者年齢構成
- 昭和55年は、3人に1人が50歳代(35.0%)となり、次いで40歳代(28.2%)であった。10年前と比較すると30歳未満は15.6%から1.7%と著しく減少し、30歳代も39.1%から13.7%と1/3に減少した。(創立40周年記念誌)
- あたたかい支援の手を冬の釜ヶ崎へ−1980年(B4版裏表1枚)
- キリスト教釜ヶ崎越冬委員会(カンパの呼びかけと年間活動報告)
- 釜ヶ崎越冬中間報告(B4版裏表1枚)
- キリスト教釜ヶ崎越冬委員会 (越冬日録抄79年10月6日〜80年1月23日)
- 大阪市越年対策
- 越年対策=55年12月29日〜56年1月10日(12泊13日)、2,141人収容(延べ16,491人)、収容施設(大阪自彊館405人・南港1,708)
1981(昭和56)年
3月2日 中国残留日本人孤児初来日。 残留孤児47人が正式来日24人の身元判明/釜ヶ崎地域合同労組結成
- 越冬支援中間報告(1980年11月〜1981年1月)(B4版裏表1枚)
- キリスト教釜ヶ崎越冬委員会 日録抄(1980年11月15日〜1981年1月18日)
- 2月70号「喜望」 発行:喜望の家
- 「青カン」労働者の告発
- 4月 大阪自彊館 和歌山・三青荘の運営委託受ける
- 大阪の民間社会福祉関係者の研修の場、憩いの家として、また、一般の人々も気軽に利用できた家として、昭和40年12月から運営され、(閉鎖までに)延べ約14万人の利用者があった。/昭和56年度から大阪自彊館に運営委託されたが、22年間の紆余曲折を経て、本年(昭和63年)3月でその幕を降ろすことになった。(自彊の友・第20号・昭和63年5月20日発行)
- 4月71号「喜望」 発行:喜望の家
- 「越冬を振り返って」
- 5月72号「喜望」 発行:喜望の家
- 「釜ヶ崎通信」
- 釜ヶ崎 1980年冬 第11回釜ヶ崎越冬闘争支援報告書(1980年11月15日〜1981年3月8日)
- 1981年7月15日発行:キリスト教釜ヶ崎越冬委員会「釜ヶ崎1980年冬」編集委員会。(第1PDF=日録・炊き出しグラフ等/第2PDF=結核患者アンケート・総括集会他)
- 8月 大阪自彊館 「自彊の友」に見る「リハビリ室」
- リハビリ室は現在、今宮寮、本館5階(担当者3名)それに愛隣寮(担当者1名9の三ヶ所にあります。/本館では、各寮の寮母、看護婦さんの応援を得て、午前中は今宮寮、午後は本館、午後4時から再び今宮寮の寝たきりの寮生に対しベッドサイトにおいて、リハビリ訓練を実施しています。/昨年一年間の統計では、全体で延26,202名もの寮生がリハビリ訓練を受けました。−/障害別に見ますと、やはり脳卒中の後遺症などによる片マヒが一番多く、次いで腰痛症、神経痛の順で、訓練は、患部へのホットパックとROM(関節可動域)運動が主となります。−/地域サービスの一環としまして、現在5名の外来の方が、リハビリ訓練に励んでいます。(自彊の友・No.11。昭和56年夏号)
- 8月12日 第10回夏祭り 前夜祭
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- 9月 大阪自彊館 今津町に「さわやか荘分荘・三谷荘」開設
- (農作業 田、畑各60アール)
- 自彊の友・第17号に見るさわやか荘。
- 「さわやか荘は、琵琶湖の北西部に位置する自然環境に大変恵まれた今津町に所在し、救護施設さわやか荘(定員50名)と生活訓練センター(定員72名)にわかれています。/生活訓練センターは今津浜生活訓練センター(定員30名)・三谷荘(定員30名)・杉山荘(定員6名)・途中谷荘(定員6名)の四ヶ所に分かれ、それぞれ特色のある生活訓練と共同生活の場となっています。
- 救護施設さわやか荘と今津生活訓練センターは琵琶湖畔の同じ敷地内に在り、常時約80名の寮生が健康の回復と自立を目標に生活しています。作業訓練は、農作業、キャップシール加工、そしてワイヤーハーネス(自動車電線)のグループ作業と造花組立、ピンチ組立等の内職作業があり、殆どの寮生が自分の体力や能力に合わせて作業に参加しています。
- 三谷荘はスキー場で有名な箱館山の山麓に所在し、農作業を中心に内職作業も二種類導入し、三つの作業グループに分かれて、それぞれ張りのある生活を展開しています。/中でも農作業班は田圃約六十アールの稲作と畑地約六十アールを年間作付計画に基づいて各種農作物の栽培に取り組んでいます。
- 杉山荘は今津と小浜を結ぶ国道303号線沿いの杉山地区に所在し、本年4月から本格的に和紙づくりを始めました。/寮生と職員の作業でカマドや給排水設備を作り、道具や機械を設置し立派な紙漉工房ができました。
- 途中谷荘は小浜と京都(大原)を結ぶ、通称「鯖街道」と呼ばれる国道367号線沿いに所在し、昭和59年8月から陶芸作業を中心にした生活訓練を続けています。−東洋蘭の鉢を主に製造しており、蘭栽培者の方達に出荷しています。/その他、湯呑みや十二支の土鈴等も作っており、今後の目標は有限会社を設立することと夢も大きくふくらませています。。
- 11月27日 創造広場通信
- 第2期 第3回−1981年11月27日(表−川柳を作ろう/裏−顔を描く)
- 11月 大阪自彊館 「愛隣寮」でアルコール症対策に取り組む
- 11月 大阪市緊急母子一時保護事業開始に伴い
- 更生相談所一時保護所に母子入所を廃止、男子のみとする
- 大阪府簡易宿所環境衛生同業組合創立20周年記念式典行われる
- (記念式典が)発議されたとき、これまでにない宿泊所の経営が深刻な不況の影響下にあるとき費用を投入することにおいて多少の懸念があった。−環衛法に基づく組合設立当時、地区の状況は複雑な社会問題として行政すら手の施しようのない混乱した環境の中にあった。宿泊所自体の存在が迷惑であると非難された時代であった。(簡宿組合20年の歩み)
- 1981年12月現在の宿泊所との状況
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- ▲「あいりん地区の実態 ☆昭和56年の防犯活動概況を中心として 大阪府警察本部防犯部 /西成警察署 昭和57年3月」に掲載
- あいりんクリーン推進協議会 発足
- 大阪市越年対策
- 越年対策=56年12月29日〜57年1月9日(11泊12日)、2,013人収容(延べ18,992人)、収容施設(大阪自彊館399人・南港1,544人、淀川寮30人)
1982(昭和57)年
- 第12回「日刊えっとう」合冊版(第1PDF/第2PDF)
- 1981.12.25〜1982.1.16 第12回釜ヶ崎越冬実
- 1月19日 「仕事よこせ」とデモ・あいりん労働者ら50人
- 年末から年始にかけて大阪南港などに設けられていた「臨時宿泊所」が撤去され、地区には再び労働者が戻ってきた。
しかし、西成労働福祉センターなどへの求人状況は「松の内」の15日を過ぎても低調。早朝の「現金就労」ひとつとっても去年の場合、17日に2千7百801人だったのが、ことしは千4百807人と半減している。(朝日新聞)
- 1月27日 創造広場通信
- 第2期 第10回−1982年1月27日(表−写真で物語る/裏−課題「冬」で川柳つくったよ)
- 1月20日 参議院決算委員会議事録 2号
- あいりん 防犯カメラ
- 1月25日 この人登場・釜ケ崎の越冬闘争に取り組むキリスト教牧師の重野信之さん(41)(朝日新聞)
- 2月1日 大阪自彊館だより 第12号 刊
- 理事長年頭挨拶「3.地域交流の促進 今宮福祉交流センターを拠点とした、配食サービス、老人クラブ活動のほか、館内でのリハビリ、入浴、陶芸等を行い、寮生と地域住民との交流を促進したい/4.あいりん対策 あいりんクリーン作戦に一つとして、地域清掃奉仕を続け、また、「ツケを年末に回さない」ための無宿者の常時収容を働きかける」(部分紹介)
- 2月2日 衆議院予算委員会議事録 3号
- 釜ヶ崎 山谷 労務者 教育現場
- 2月3日 創造広場通信
- 第2期 第11回−1982年2月3日(表−版画をつくる/裏−写真で物語をつくりました)
- 2月10日 創造広場通信
- 第2期 第12回−1982年2月10日(表−民話をよむ/裏−版画をつくりました)
- 3月 南海電鉄天王寺支線廃止問題。
- 南海電鉄と地元、天王寺−今池町間は今後10年間は運行することで合意
- 3月10日 創造広場通信
- 第16回−1982年3月10日(表−版画をつくる/裏−詩をつくろう)
- 4月25日 “越冬テント”撤去正当・大阪地裁判決・あいりん活動は評価
- 1年末から52年4月にかけて越冬活動をしていたメンバーが、テントなどを強制撤去した大阪市を相手取り「その後の運動に支障が出た」などとして損害賠償を求めていた訴訟の判決が24日、大阪地裁民事7部であった。
乾達彦裁判長は「日雇労働者の雇用・健康問題がとくに深刻な時期に、行政の施策の足りないところを補っている越冬活動の評価を惜しむべきではない」としながらも、「この活動で1般市民、児童が公園を利用しにくくなったり、夜間の騒ぎで付近の住民に安眠できないなどの迷惑をかけた」として市のテント撤去を正当と認め、訴えを棄却した。(朝日新聞)
- 4月26日 参議院決算委員会議事録 8号
- 山谷 あいりん 事情
- 5月 大阪市立馬淵生活館管理運営を椛蜊緕s民共済会に委託
- 5月5日 創造広場通信
- −1982年5月5日(表−創造広場に来てみませんか/裏−5月の開会予定一覧)
- 6月2日 創造広場通信
- 第28回−1982年6月2日(表−詩をつくろう/裏−絵のかきかた)
- 6月16日 創造広場通信
- 第30回−1982年6月16日(表−今日は川柳/先週は版画でした)
- 6月25日 大阪自彊館 創立70周年記念感謝会
- 6月27日 全国日雇労働組合協議会結成
- 6月30日 創造広場通信
- 第32回−1982年6月30日(表−思いっきり絵をかいて、スカっとしよう/裏−詩の朗読+歌謡曲
- 7月4日 創造広場通信
- 出張 創造広場−1982年7月4日(表−三角公園で/裏−絵について話をした)
- 7月28日 創造広場通信
- 第36回−1982年7月28日(表−釜ヶ崎大壁画/裏−川柳)
- 釜ヶ崎 1981年冬 第12回釜ヶ崎越冬闘争支援報告書(1981年11月24日〜1982年3月6日)
- 1982年8月1日発行:キリスト教釜ヶ崎越冬委員会「釜ヶ崎1981年冬」編集委員会(81−第1PDF/81−第2PDF)
- 8月4日 創造広場通信
- 第37回−1982年8月4日(表−詩・4コマ漫画/裏−夏祭りにむけ、こんな絵をかいています)
- 9月 あいりん職安、就労申告書廃止を通告。9月実施
- 9月1日 創造広場通信
- 第40回−1982年9月1日(表−詩をつくろう/裏−絵をかきました)
- 9月3日 大阪自彊館 昭和54年から取り組んでいた道路清掃作業グループに建設大臣から感謝状
- 9月8日 創造広場通信
- 第41回−1982年9月8日(表−版画をつくろう/裏−詩をつくりました)
- 9月15日 創造広場通信
- 1982年9月15日(表−川柳をつくろう/裏−版画をつくりました)
- 10月6日 創造広場通信
- 1982年10月6日(表−詩をつくろう/裏−歌をうたったよ)
- 10月13日 創造広場通信
- 1982年10月13日(表−版画をほろう/裏−生活の詩)
- 10月20日 創造広場通信
- 1982年10月20日(表−川柳をつくろう/版画・下絵かき)
- 11月 大阪自彊館 本館に鍼灸室開設
- 12月3日 大阪自彊館 「あいりん地区夜間巡回相談」開始
- 「ツケを年末に回さない」を合言葉に、週1〜2回、22時から地域巡回
- 12月31日 越冬実医療班を中心に、医師2名同行して自主診療パトロールを実施。
- 12月 手帳金融の報道
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- 手帳で金を貸し、手帳は預かる。アブレをもらうときには手帳が必要なので、金融屋から一時的に手帳を返してもらう。その時、金融屋の者がセンターまで同行し(つけ馬と称す)、アブレ受給後、手帳を再び預かる。いわば、担保物件の一時返却手数料と云うべきものが「ツケ馬料」
- 昭和57年頃の三角公園
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- 大阪市越年対策
- 越年対策=57年12月29日〜58年1月8日(10泊11日)、1,386人収容(延べ9,424人)、収容施設(大阪自彊館244人・南港1,133人)
1983(昭和58)年
- 第14回「日刊えっとう」合冊版(14-第1PDF/14-第2PDF/14-第3PDF/14-第4PDF)
- 1983〜1984 第14回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会(第4PDFファイルは、「野営地アンケート報告」と「えっとう・学生版・交流紙」=発行:関西学院大学釜ヶ崎自主講座越冬現闘団)
- 1月5日 底辺労働者に暗い新春・あいりん地区・3〜400人が野宿・臨時宿泊所も大あふれ
- あいりん地区(釜ケ崎1帯)に吹く不況風がいつになく厳しい。夜間パトロールでは、連日、例年を大きく上回る3ー4百人の野宿者が保護され、用意した布団が足りない有り様。
保護された野宿者は年末の29日朝までに計千百208人で、ほぼ前年並みだった。ところが労働者のあいりん地区への里帰りが本格化した同夜から急増、5日朝までに連日3ー4百人が保護され、80ー百60人も増えた。大阪自彊館も大阪市の委託による年末2回の保護活動以外に独自の夜間巡回を実施。
大阪市へは@保護活動への財政援助A野宿者の仮眠センターの早期実現B各種施設の増設ーなどを申しいれた。(朝日新聞夕刊)
- 1月9日 大阪自彊館 「白雲寮」3階で小火発生
- 大事に至らず。事故を機に「1・9防災の日」とする
- 2月横浜寿町野宿者殺傷事件明るみに
- 3月 市内青カン者調査
- 4月 釜ヶ崎会館設立運動
- 5月 南警察署による青カン者強制指紋採取現地聞き取り調査
大阪弁護士会人権擁護委員会への人権侵害救済申立書(申し立てpdfファイル)
- 5月 大阪自彊館 在寮者の交流紙「あゆみ」創刊
- 6月 釜ヶ崎差別と闘う連絡会(準)結成
- 「少年等を虐殺にかりたてる時代を撃つ!2・12 シンポジウム」がひらかれ、障害者、沖縄出身者、教育労働者、被差別部落大衆、釜ヶ崎労働者、在日朝鮮人、学生、市民、労働者など、約200人が参加し、横浜事件の根を断つための行政施策と「横浜事件糾弾を通して差別分断支配と闘う連絡会議(仮称)」が提起されました。
シンポジウムでの提起の具体化は、市教組南大阪支部市川氏、矢田教育共闘会議議長西岡氏、矢田解放塾の黒田氏、全金桜井鉄工支部、釜日労などで話が詰められ、1983年6月5日、「釜ヶ崎差別と闘う連絡会(準備会)」の発足となりました。
- 7月7〜9日 仕事よこせ府庁前ハンスト
- 7月11日 加藤登紀子夕闇コンサート(三角公園)
- 8月 「釜ヶ崎差別と闘う連絡会(準)」、日雇労働者生活実態調査
- 日雇労働者の生活実態を明らかにするために,労働・生活,意識など204項目にわたる調査を行った
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- 8月6日 新世界のメーンストリート・通天閣本通りのカラー舗装が完成、祝賀パレードが行われた。
- 10月1日 大阪自彊館 有限会社「第一きぼう社」設立
- 理念としては、大阪自彊館出資、利用者経営。「この会社の中で働くことによって、ある程度の収入が得られ、不足分だけの生活保護を受けることになり、利用者に一層の責任、努力、積極性、自主独立心の高揚が期待できる。(大阪自彊館だより・第13号・理事長年頭挨拶)」
- 在寮者二人が出資、取締役に。5名の在寮者(パート)と共に洗濯ばさみの加工、包装に取り組む。
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- 10月 大阪自彊館 「あいりん地区夜間巡回相談」に三菱財団から助成
- 12月1日〜昭和59年11月30日まで。毎週月・木曜日の夜10時から午前1時頃まで。
- 『生活保護は原則として本人の申請によるが、前記のような状況下のあいりん地区では要保護者の申請を待つだけでなく、こちらから呼びかけていく「呼びかけ保護」が必要と考えられる。また生活保護には必要即応の原則があるが、特に相談保護要否の決定機関の閉まっている夜間の野宿者に焦点をしぼり応急保護を行い、行路の病人、変死者をできるかぎりなくすることも重要である。「あいりん地区巡回相談事業」はいわば生活保護プリケアともいえるこうした活動の一環であり、これを通してあいりん地区がかかえる問題解決の資としたいというのが事業の趣旨である。』(「あいりん地区巡回相談事業実践報告」1985年9月1日・大阪自彊館刊・はじめに)
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- 巡回経路。
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- 12月11日 大阪自彊館 「あすなろ断酒会」10周年記念大会開催
- 12月26日 あいりん労働者・臨泊受け付け・厳しい“正月の風”・三ガ日は中止・野宿ふえる恐れ
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大阪市は過去8年間続けてきた正月三ガ日の申し込み受け付けを今シーズンから中止することを決めた。
「この3日間は本来、急病人のため特別に受け付けているのに、仮病を使って申し込む労働者が目立ち、市のサービスが悪用されている」というのが理由。
これに対し、同地区で労働者に手をさしのべている関係者は「福祉切り捨てのしわ寄せが1番弱い人たちのところにあらわれた典型。野宿者が増えるのは目にみえている」と反発、受け付け続行を求めている。
市は正月三ガ日、急病人のための受付窓口を自彊館内に設け、この期間に発病し、あいりん地区内にある大阪社会医療センター付属病院で診察を受けて重病と判断された患者はすぐ入院、軽症者は常設の診療施設のある自彊館へ入所させる手続きをとってきた。
この制度を始めた50年以来、最初の2、3年間は自彊館への入所者が20ー60人程度だったが、年々増え、今年正月の場合、357人の申し込みが殺到した。
- 大阪市越年対策
- 越年対策=58年12月29日〜59年1月9日(11泊12日)、891人収容(延べ6,671人)、収容施設(大阪自彊館231人・南港657人)
1984(昭和59)年
- 6月30日 厚生省、世界一長寿国宣言 平均年齢 男性74.2歳 女性79.78歳/アブレ手当 4,100円から6,200円に
- 1月4日 不況憎し・路上の正月・あいりん地区・野宿最悪の500人
- あいりん地区(釜ケ崎1帯)で、野宿を余儀なくされる底辺労働者が不況のあおりで急増、「史上最悪」といわれた昨年の1・5倍ー2倍近くにのぼっている。
「あいりん総合センター」の軒下の道路に布団を敷いて設けた仮眠所では、年末から連日3百人以上が野宿し、3日夜から4日朝にかけては5百人を突破する見込み。(朝日新聞)
- 1984年1月14日毎日新聞
- 戸籍のない子らの学校/生徒ゼロ、今春閉鎖/あいりん地区の新今宮小・中学校/23年で
- 1月15日 釜ヶ崎越冬闘争実行委員会(越冬実)、「アオカン労働者」(野宿労働者)の実態調査
- 「医療班」「釜ヶ崎差別と闘う連絡会(準)」などを中心に支援者の応援を得て、越冬闘争最終段階に「アオカン労働者」(野宿労働者)の実態調査を実施
- 1月90号「喜望」 発行:喜望の家
- 「越冬パトロール」
- 3月 新今宮小中学校閉校
- 3月12日 労働者減少だが日雇い労働市場としてはまだ機能している
- 「ここ数年、約1,00人程度の人たちが漸減しているというふうな数値があるわけでございますけれども、日雇い労働の構造的な需要減という結果であると考えられます関係で、地区の状況を見ますと、依然として日雇い労働市場としての機能をまだ果しつつあるのが事実でございます。(川上民生局福祉部保護課長)【
1984(昭和59)年3月定例会常任委員会(民生保健・通常予算)-03月12日】」
- 3月31日 大阪市立新今中学校 大阪市立新今小学校 「あいりんの教育 22年」 刊行
- (ファイル1・pdf2・pdf3・pdf4・pdf5)
- 3月 大阪自彊館 今津町に「さわやか荘分荘・途中谷荘」開設(陶芸作業)
- 4月 大阪社会医療センター 歯科診療所 開設
- 運営は西成区歯科医師会に委託
- 4月 日雇健康保険廃止反対署名活動・デモ、5月厚生省交渉
- (1952年4月,全日土建などにより組織された健康保険獲得期成同盟が〈国庫補助による健康保険をつくれ〉と制度確立運動にのりだした.その結果,日雇労働者健康保険制度が確立された.制度は適用事業所,失対事業,公共事業で雇用される日雇労働者を対象とし,給付費の国庫負担がはかられた.その後,’84年に廃止され,一部が健康保険法に統合された)
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- 4月12日 衆議院社会労働委員会議事録 7号
- 釜ヶ崎 日雇健保
- 4月27日 衆議院地方行政委員会議事録 13号
- 浮浪者 あいりん 新宿 横浜 襲撃
- 1984年4月12日朝日新聞
- 教師と子の“心の闘い”記録/足跡を将来の参考に/閉校の新今宮小中学校が「あいりんの教育22年刊行
- 6月 大阪自彊館 今津町に「白雲寮今津浜作業場」完成
- 日本自転車振興会から助成
- 7月6日 釜ヶ崎夜間学校ニュース 新今宮中・小学校の跡地を巡って/大人と子供のセンターとは
- “会館設立運動がいましばらく道遠いとしても、その運動の主旨はあらゆるチャンスを利用して、広く訴え、部分的なものであれ実現をはかっていかなければならないと思います。/そのチャンスとして新今宮中・小学校の跡地利用をめぐる動きがあります。/新今宮中・小学校は釜ヶ崎の不就学・未就学児童のためにつくられたのですが、生徒がいなくなり、今年三月に廃校となって、現在は今宮中・萩之茶屋小学校の分校という形になっています。しかし、マンモス校でもないのに分校をつくったのですから、充分に活用される見込みはありません。そこで、−わしら日雇いにも使わせろという要求を出そうという話があります。それについて考えてみましょう。
- 7月13日 釜ヶ崎夜間学校ニュース 釜ヶ崎差別と闘う連絡会(準)/市民館での世話人会に参加を!
- 先週の夜間学校は新今宮中・小学校を労働者や子供に解放させる要求について話をしました。その中では、安い食堂が必要だ、大人と子供がつきあうためのルールづくりをしなければならない、などがだされました。−/釜ヶ崎差別と闘う連絡会は−新今宮中・小学校の跡地問題については、結成当時から労働者と子供に解放させる運動に取り組むことを決めていましたが、今春、今中・萩小の分校化が正式決定されたのを受けて、いよいよ具体的な要求をまとめ、大阪市に提出する準備を進めています。/今日の世話人会では、要求の主旨書(なぜ大人と子供のセンターが釜に必要なのか)、要求事項(どのようなことに使わせろと要求するのか)、などを検討し、確定します。そして、どのように運動を進めていくかも話し合います。/世話人会には、学校の先生や部落解放を闘う人たち、釜で活動するキリスト者などが結集しています。もちろん、釜日労・争議団や夜間学校のメンバーも参加しています−)
- 8月 釜ヶ崎夏祭り
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- 8月 健康保険法の日雇特例被保険者となる。
- 初診料100円のみから、医療費1割負担となる。
- 10月 大阪自彊館 有限会社「第二きぼう社」設立
- 10月5日 釜ヶ崎夜間学校ニュース 今日は夜間学校休みます/仲間同士、そして大人と子./連帯の場創設会議の為
- 『新今宮小・中学校跡地利用についての署名運動懇談会−すでにご承知のとおり、8月24日、9月10日と2回にわたって関係各位と懇談をしてきました。つきましては、総評西成地協幹事会(10月4日)の決定をまって、署名運動についての最終的な意志統一を行いたいと思います。ぜひご出席下さるようご案内いたします。/市教組南大阪支部岡林治』『私たちの要求/(A)子どものために 1.学童保育・子ども会の活動の場 2.短期間の子どもの保護・宿泊施設、教育相談室 3.近隣の学校の教職員・子どもの活動の場 (B)地域住民・労働者のために Aの要求実現と関連して、その延長線上に必要な社会教育の場』/字面を読んだだけでは、子ども中心の話で大人はあんまり関係無いように見えますが、釜日労や夜間学校、キリスト教協友会など釜ヶ崎で活動を続けている諸団体は、大人中心、子供中心、といったものでなく、大人と子供が共に使い、共に生きる場として“跡地”利用を考えており、今後、共に運動を続けていく総評系の諸団体に強く訴えています。/子どもたちを子どもたちだけの遊び場に囲い込むことでは、釜ヶ崎の子どもがかかえる問題は解決しない。釜ヶ崎の多くの大人、労働者のかかえる問題の解決と関連づけ、労働者の自律・共生と結びつかなくてはならない。)
- 10月11日 雇用促進事業団 大阪西成簡易宿泊所 「南山寮」の運営委託解除
- 31日に有償で建物譲渡を受ける
- 10月12日 釜ヶ崎夜間学校ニュース 新今宮小中学校の発展的利用/もっとも必要とする者/それが主人公たるべし
- 先週の金曜日(10月5日)は、新今宮小・中学校の跡地利用についての署名運動懇談会が西成区役所で開かれ、−/参加者は、総評西成地協1名、市教組南大阪支部4名、全港湾建設支部西成分会2名、釜日労・争議団1名、釜ヶ崎差別と闘う連絡会1名、子どもの里2名、協友会2名、夜間学校3名、母の会(仮称)2名・・・/この日、主に話し合われたのは、要求を実現するための署名運動について・・。/どういう経過かよくわからないが、総評グループの中で署名運動をしたり、要求を大阪市に提出するのには責任者をはっきりさせた方がいいということになって、その責任者には市教組南大阪支部がなるということが決められたようだ。/その結果、署名運動の呼びかけ人は市教組南大阪支部がなり、他は賛同人という形にしたいがどうか、という提案がなされた。(西成分会はこれに賛成した。)/釜日労、夜間学校、差別と闘う連絡会は、呼びかけ人と賛同人という別け方、とりわけ、今後、新今宮小・中の“跡地”が“解放”された後に、もっぱら主人公として使う子供達や労働者が、運動の“賛同人”として位置付けられることに強く反対しました。/そして、実行委員会をこしらえて署名運動を進めることを提案しました。/結局、この日は話がまとまらず、持ちこしとなりました。/新今宮小・中学校の“跡地”は、大人と子供が共に使い、共に生きる形で使えるように運動を進める、という原則は確認されています。/しかし、使い方の細かなことや、使用主体(使うもの)の集団形成(組織としてのまとまり)が、いまのところあやふやなものであることは否定できません。/総評傘下の労組からすれば、頼りなくて話にならん、悪いようにせんからまかしとけ、といいたくなるところでしょう。/その善意(?)はよくわかるにしても、釜ヶ崎も一つの集団としてのまとまりをつくりえるし、運動を進めていくことができる。(今の不充分さは将来にわたっての不可能を意味しない。)/釜の中に子供の、大人の、会館を作り、運営する主人公は、やはり釜ヶ崎の労働者である。自覚しよう。)
- 10月19日 釜ヶ崎夜間学校ニュース 釜ヶ崎センターをめざして/現地実行委員会創設/我々にできることをやるために
- これまでの経過は前回のビラでも報告したが、簡単に言えば、要求をまとめ、署名運動を展開するにあたって、その呼びかけ責任者を誰にするかで意見がわかれると同時に、現場(釜ヶ崎で“跡地”利用をおこなおうとする者)での取り組みのおくれと集団形成の必要なことも浮かびあがってきた。/そこで、夜間学校だけでなく、他の団体・諸個人と共に、新今宮小中学校の“跡地”を“解放”させるための釜ヶ崎現地レベルでの連絡会、あるいは実行委員会をこしらえようということになり、そのための初会合が今日というわけだ。/みんなに関係がないどころか、おおあり名古屋なので参加を!)
- 10月30日 新今宮小・中学校の跡地利用についての意志統一集会
- (南大阪発第29号・市教組南大阪支部長岡林治)=9月10日、10月5日と2回にわたり、関係地元諸団体と協議を重ねてまいりましたが、時期も切迫してまいりましたので、以下の通り、最終的な意志統一をはかりたいと存じます。ぜひご参加下さい。<とき・ところ>10月30日(火)午後6時 西成区役所3F <協議事項>@要求署名運動について(用紙の意志統一) A釜ヶ崎の子どものために(仮称)学習会の開催について−以上
- 11月15日 「部落解放の教育」「釜ヶ崎」の教育問題特集 大阪市同和教育研究協議会
- 11月18日 南海電鉄天王寺支線、今池町−天下茶屋間廃止。天王寺−今池町間の運行となる。
- 12月 「日雇労働者就労証明(申立)書」の導入始まる(健康保険)
- 12月21日 大阪自彊館 「南山寮」の建物を利用し、救護施設「甲子寮」開設
- 12月29日 臨泊受付。約700名が面接半数却下。集中期=三角公園野営路線開始
- 12月30日 臨泊受付1,320名に対し半数受け入れでガラガラ臨泊。人パト開始
- 大阪市越年対策
- 越年対策=59年12月29日〜60年1月7日(9泊10日)、931人収容(延べ6,346人)、収容施設(大阪自彊館167人・南港752人)
- 大阪自彊館夜間巡回12月は月15回に増やし、越年対策に組み入れ。12月実施分は市費。
1985(昭和60)年
- 銀座通り歩道工事
- 1月 大阪自彊館 救護施設「甲子寮」(定員110名)を精神障害回復途上者専門施設としてスタート
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- 「甲子寮は、主に精神障害寛解者を対象とした白雲第3グループに始まり、昨年12月21日に一つの寮として独立しました。基本方針として 1)精神障害という言葉にとらわれすぎないで、『自彊不息』の精神を忘れず、深い関わりの中から積極的な働きかけを行う。 2)再燃防止のため、日常の細かな観察、精神科医の指導による生活指導と服薬管理の継続 3)職員の専門性の確立。
- 今後の課題として、アパート等を利用しての自活訓練、OB会の結成等を考えています。
- 『自主・自立』を第一目標とし、無為・自閉から脱却のため、日常生活、館内外作業訓練、グループ活動、スポーツ等を通じて、個々のニーズにあった援助・指導を行い、活力のある、明るい施設を目指したいと思います。」(大阪自彊館だより・第15号・甲子寮長吉村和生)
- 収容定員889名から740名に。更生施設 自彊寮 定員240名/救護施設 白雲寮 定員240名/救護施設 愛隣寮 定員100名/救護施設 甲子寮 110名/身体障害者療護施設 今宮寮 定員50名/生活訓練センター さわやか荘/無料職業紹介所/館内診療所
- 1月95号「喜望」 発行:喜望の家
- 「釜ヶ崎のために祈りを・越冬中間報告」
- 1月 子どもと大人の共生を求めて(署名協力依頼)(1985年1月・仮称・釜ヶ崎生活センターを創る会
- 1月4日 大阪自彊館の歌 制定(吉村靫生 作詞)
- 2月26日 新世界連合会が、「霞町車庫跡地」の再開発促進を大阪市に陳情
- 「霞町車庫跡地」は、大正3年市電車庫として使用開始、昭和37年から一部が市バス操車場となったが、残りは、昭和42年1月の市電車庫廃止以来空き地になっている。(朝日新聞)
- 4月17日 大阪自彊館創立70周年
- 八尾隣保館創立50周年共同記念事業として「弓は折れず(初版)」を出版
- 神本組寮新築工事に反対運動
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- ▲なにをするかわからん人が増えるのは不安と。
- 5月10日 釜ヶ崎夜間学校ニュース 釜ヶ崎生活センター署名のゆくえ/大阪市の担当する課に主旨説明(4月26日)
- “新今宮小・中学校”を、釜ヶ崎の子供と大人のために“解放”せよ、という要求実現のための署名運動が行われていることは、すでに多くの仲間が知っていることと思う。/署名は、センターで3千人、釜ヶ崎キリスト教協友会が全国から1万人、市教組南大阪支部が3千人、解同矢田支部(注1:当時のまま表記。ちょっと略しすぎで「部落解放同盟矢田支部」とすべきところ。いくら字数の節約とは言え、ちょっとひどいと26年後の引用にあたり、反省)が1千人と、合計1万7千人集まっている。/よせられた署名を有効に生かすために、先日、釜ヶ崎差別と闘う連絡会議、釜ヶ崎キリスト教協友会、解同矢田支部(注1参照)など、代表6名が大阪市を訪れ、正式交渉前の主旨説明をおこなった。/あらたな情報として、“新今宮小・中学校”は、これまで、今中。萩小の分校という形をとっていたが、本年3月末日に完全廃校となり、管理権は教育委員会から経理局に移っており、今後、どの様に利用するかについて大阪市の中で話し合われている、ということがわかった。/また、市教組南大阪支部から伝えられた話によると、大阪総評においても、正式にこの運動に取り組むことを、会議で検討することになったそうだ。/なんにせよ、話がにぎやかになることはいいことだが、結局、あの場所を使う主体は、釜ヶ崎の子供と大人なのだから、釜の人間がボヤボヤしているわけにはいかないと思う。
- 6月6日 参議院社会労働委員会議事録 25号
- 派遣労働 あいりん
- 6月7日 釜ヶ崎差別と闘う連絡会(準)ニュース・号外(:1980年の発行年は誤り・釜ヶ崎差別と闘う連絡会(準))
- 7月 釜ヶ崎生活センターニュース(1985年7月1号〜1986年5月4号・釜ヶ崎生活センターを創る会
- 地区内簡宿を含め全戸配布の努力がなされた)
- 7月1日 大阪自彊館 今津浜生活訓練センター「さわやか荘」を救護施設に種別変更
- 7月1日 大阪自彊館 寮生交流紙「あゆみ」 戦争体験特集
- ●昭和14年と20年の2回招集。中国で戦闘中戦友が戦友を誤射、戦死も●駆逐艦乗船。後続の駆逐艦が轟沈されたことも。終戦までに敵の潜水艦8隻撃沈●小学校6年で空襲体験。燃えていない垣根にしきりと水をかけて大人に怒鳴られた●学徒動員で松山の工場に、空襲の時、防空壕の入り口に人が殺到、近くへの爆弾落下がおさまってよく見ると、防空壕の中には誰も入れていなかった。●敗戦直後、南満州の陸軍病院に入院中、数百名の八路軍が侵入、トイレで息を殺して・・・●敗戦から8ヶ月、北朝鮮圏内から38度線目指して30数名で逃避行
- 7月6日 本田良寛氏センター葬
- 。釜ヶ崎の労働者も参列。
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- ▲別の日に三角公園で「しのぶ会」が開かれた。
- 8月 大阪自彊館 有限会社「第三きぼう社」設立
- 12月 「出会いの家」オープン
- 萩之茶屋2丁目の木造2階建て元簡易宿所(2畳の個室10室、集会室、家族用部屋計20人)
- 12月25日 新今宮小・中学校の跡地/生活センターに/労働者や子ども向け「考える会」運動(朝日新聞)
- 12月26日 元気で正月迎えよう・労組員ら越冬パトロール・あいりん地区
- あいりん地区(釜ケ崎)で、25日夜、「越冬パトロール」が始まった。
「1人の死者も出すな」と寒さの中を路上で寝る人たちに布団を提供したり、夜間パトロールをして医療を受けられるように世話をする運動。
今年が16回目で来年1月10日まで続けられる。午後6時半から同区萩之茶屋3丁目の通称「三角公園」でボランティアや地区に住む労働者ら約2百人が集会を開いた。(朝日新聞)
- 大阪市越年対策
- 越年対策=60年12月29日〜61年1月7日(9泊10日)、954人収容(延べ8,699人、巡回相談分1,794人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29現在195人・南港750人、(大阪自彊館夜間巡回12月は月15回に増やし、越年対策に組み入れ。12月実施分は市費。)
1986(昭和61)年
- 4月1日 男女雇用機会均等法 施行/ドヤ証明による新規手帳交付を廃止(あいりん職安)住民票の提出を求める
- 1月 市内人パト・京都人パト・越冬まつり
- 1月 釜ヶ崎差別と闘う連絡会、日本解放社会学会、釜ヶ崎現地調査
- 1月 大阪自彊館 リハビリ室統合
- 今宮寮・愛隣寮・本館5階の3ヶ所に分散していたリハビリ室を本館3階に集中、電気治療室も同じ場所に移動。
- 第16回「日刊えっとう」合冊版(16―第1PDF/16-第2PDF/16-第3PDF)
- 1985.12.25〜1986.1.10 第16回越冬闘争実行委員会(途中まで「左」が表面、「右」が裏面。第2PDF途中から「えっとう・学生版=釜ヶ崎越冬闘争学生実行委」。第3PDFは、山岡強一氏射殺弾劾声明と関連新聞記事)
- 2月25日 衆議院社会労働委員会議事録 3号
- 山谷地区 釜ヶ崎 山岡
- 3月 大阪自彊館 「今宮寮」に初の女性利用者4名が入寮
- 3月 大阪自彊館 今津町角川地区に作業訓練農地43,613u(13,216坪)を購入
- 4月 大阪府が「大阪中国帰国孤児定着促進センター」を開設(住之江区安立)
- 12月1日から大阪自彊館が生活指導部を受託。5家族22人を受け入れ4ヶ月の研修を行う。
- 自彊館で中国帰国者の緊急一時住宅提供を始めて4年あまり、−受け入れ家族数23家族、延べ人員81名にもなりました。(自彊の友・第16号・1986年4月1日発行)。
- 4月3日 朝日新聞 あいりん地区の簡宿が高層化と発表
- また関西新空港の着工が決定したことで、これを当て込んだ外部からの建設会社直営の簡宿も多数建築された。(簡宿組合40年の歩み)
- 8月18・19日の両日、『釜ヶ崎子ども実態調査』がおこなわれた
- 8月29日 釜ヶ崎夜間学校ニュース 新今宮小中学校跡地利用を!/子ども実態調査は何だったのか・・・
- 釜ヶ崎夏祭りが盛大に行われた次の週に、“子ども実態調査”が実施された。/テレビや新聞で報道されたし、調査にでくわした仲間、見た仲間も多いと思うので、18・19日に何を目的として、どのようにおこなわれたか、しっている仲間も多いことと思う。−/かってはセンターでも署名を集め、たくさんの仲間に協力してもらったし、地区内で各戸ビラ入れもおこなった。/大阪市とも交渉しているが、第1回目の文書回答は、“今後とも研究を続けたい”というもので、あまり、先の見通しのはっきりしないものであった。/跡地は、萩之茶屋小学校の改築工事の間、萩之茶屋小学校として使われていたが、9月からは、再び、ほとんど遊休施設化することもあり、我々の要求の主旨を補強し、より具体化して、再々度大阪市と交渉するために、実態調査は計画され、実施された。)
- 12月15日 釜ヶ崎生活センターを求めて−釜ヶ崎子ども実態調査報告書
- 目次:子どもと大人の生きる場で/A.生活/B.地域・子ども・大人/C.遊びと子どもたち/D.子どもたちの希望/『子ども調査補充用アンケート』/私たちの提言/参考付録:参加申込書
- 12月16日 いのくら要求項目別交渉(新今宮小学校)
- <ところ>市役所 第2共通会議室(地下1階)/次第=開会、勤労市民課長挨拶(市側出席者紹介)、団体側代表者挨拶(団体側出席者自己紹介)、要求項目について順次回答、質疑応答・意見等、閉会/新今宮小・中学校跡地利用(市側出席者=教育委員会総務部連絡主幹降矢陽治、民生局総務部庶務課長代理西畑匡裕、市民生活局市民部勤労市民課長宇井靖夫)
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- 12月 医療班、南区・北区の福祉事務所と交渉
- =南区ー入院3名・自彊館2名・単泊5名。北区ー入院8名、自彊館2名、法外援護(交通費など3名)
- 12月26日 布団用意し「越冬闘争」あいりん地区で始まる
- 25日夜から1月12日まで。25日午後9時すぎ、労働者らによるパトロールが始まった。(朝日新聞夕刊)
- 大阪市越年対策
- 越年対策=61年12月29日〜62年1月7日(9泊10日)、949人収容(延べ8,877人、巡回相談分1,948人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29現在187人・南港750人)、
1987(昭和62)年
- 4月日本寄せ場学会設立/4月1日 国鉄 分割民営化によりJRスタート
- 関西新空港起工式が2月22日に行われると共に、その玄関口である天王寺に博覧会が開催された。大阪市はこれに伴い、8月1日に天王寺公園から路上生活者を閉め出し、有料化を図った。(簡宿組合40年の歩み)
- 1月4日 無届けデモ・10人逮捕・釜日労委員長ら
- 釜日労の組合員ら約3百人が3日午後9時から0時ごろにかけて、大阪・キタの地下街や阪急東通商店街などで約6百メートルにわたって無届けデモをした。仕事がなくて路上で寝ている日雇い労働者の対策の充実などを訴えた。
- 3月3日 関西新空港工事等への期待で労働者増える傾向
- 「関西新空港建設工事あるいはまた関連工事への期待から、日雇い労働者の数が確かにふえてまいっております。」
- 「あいりん公共職業安定所の調べでございますが、20歳代が2.2%、30歳代が19.4%、40歳代が40.3%、50歳以上が38.1%ということになっておりまして、地区全体として高齢化現象が見られるようになった」(宇田民生局福祉部保護課長)【
1987(昭和6)年2・3月定例会常任委員会(民生保健・通常予算)-03月03日】」
- 4月 大阪自彊館 食事をバイキング方式からカフェテリア方式に変更
- 5月8日 釜ヶ崎医療連絡会議による医療・生活相談開始
- 6月15日 仕事よこせ対府庁デモ、要求書名2,400、19日より府庁前ハンスト
- 6月30日 市内野宿急増
- 木曜夜まわりの会が確認しただけで941名。推計で2,000人以上がアオカンしているとみられた。
- 7月21日 毎日新聞
- 新今宮小・中跡 「西成子ども教室」に 「考える会」の訴え実る
- 11月15日 センター開設以来最高の求人数(1日5,400人)を記録
- 梅雨時の落ち込みから一点好況、めまぐるしく変化
- 12月19日付 夕刊フジ 天王寺公園の住人たち(最終回)
- 60年の国勢調査によると、大阪市内の「住居不定者」は北、南、東、浪速、天王寺など中心部十区で、55年の570人から1,175人と、5年で倍以上になっている。全市的に野宿者が増えている勘定で、梅田やナンバの地下街でもその姿をよく見かけるようになった。
- 大阪市越年対策
- 越年対策=62年12月29日〜63年1月7日(9泊10日)、757人収容(延べ6,791人、巡回相談分1,646人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29現在144人・南港610人)、
1988(昭和63)年
- 第18回「日刊えっとう」(18-第1PDF/18-第2PDF/18-第3PDF)
- 1987.12.25〜1988.1.19 第18回越冬闘争実行委員会(第3PDFは、情宣班報告・炊事班報告)
- 5月 大阪自彊館 「さわやか荘」にスプリンクラー設備を設置
- 2月27日 「あいりん」救護施設建設 和泉市が反発 毎日新聞夕刊
- 大阪市が高齢や病気、けがなどで働けなくなった「あいりん地区」(同市西成区)の労働者や野宿者のための救護施設を大阪府和泉市に建設しようとしたところ、「環境が乱れる」と和泉市が猛反発。−同(大阪)市は天王寺博覧会(62年8月−11月)開催前に会場になった天王寺公園周辺をさくで囲み、200人−百人の野宿労働者を締め出し、その受け入れ先として、定員2百人、鉄筋5階建ての施設(約7億円)を計画。62年度事業として進め、今年3月には完成させる予定だった。
- −あいりん地区は、68年開港予定の関西国際空港や65年の国際花と緑の博覧会工事などで求人数が増え、日雇労働被保険者手帳所持者数は約2万4千人と5年前より約9千人も急増。これに伴い、野宿したり、病気で働けなくなる労働者も増え、大阪市が同市内、吹田市などに建てた14カ所の更生・救護施設は平均して定員の25%オーバー(2月1日現在)。あいりん地区近くの救護施設「白雲寮」(定員240人)には定員の220%、531人が入所している。
- 3月15日 労働者の増加に見合った保護施設拡充の論議
- 【昭和63年3月定例会常任委員会(民生保健・通常予算)-03月15日−号】
- ◎物部民生局福祉部保護課長 病弱な方々、そういった方が援護を求めてこられて入所させる施設といたしまして、この保護施設があるわけでございますが、今年の2月現在でございますが、救護施設が9施設ございます。約
1,200人ほどが入所しております。また、更生施設でございますが、更生施設等は6施設ございます。約770名が入所いたしております。
- ◆天野一委員 花の博覧会、関西新国際空港、学術研究都市など、大型プロジェクトがめじろ押しであるわけでございますが、そういう点では労働者の方も相当多く集まってくるんじゃないかと、思っております。まだまだ保護施設の対象者も増えるのではないかと思っておりますけれども、どんどん施設を整備していかなければならないと思うわけであります。今後はどのように計画をされておられるのか、お尋ねしたいと思います。
- ◎物部民生局福祉部保護課長 こういった施設の整備は、私どもとしましては大変重要な課題であると、このように存じております。したがいまして、 63年度におきましては、これらの施設の整備費として5億200万円をお願いしているところでございます。地元の皆さま方のご理解とご協力を得ながら、私どもとしましてはこういった施設整備に鋭意今後とも努力をしてまいりたい。このように存じております。
- ◆天野一委員従来からこのような援護を要する人々に対しましては、いろいろと措置をしていただいておるわけですが、市内の各所に野宿者の姿が目につくわけでございます。市内の野宿者の調査結果、先ほど各区にわたっておるということでございますが、私どもの住吉区でも南海の高架下等、いろいろな苦情もきております。
- この野宿者と申しますのは、やはりそういう点では大阪26区全域にわたっており、
265万市民すべてが迷惑がかかっておると申しても、過言ではないと思っております。−先ほどちょっとお聞きしましても、的確な答えが得られなかったという点も見ましても、野宿者の生活実態が不明でございます。また、どんな対策が効果的であるか、全然わかっておらないのが現状であるわけです。今後とも学識経験者等に委託をするなりいたしまして、調査されるかどうか、何らかの対策を講じていただきまして、抜本的に大阪の明るい町づくりのために取り組んでいただきたく、思うわけでございます。
- 5月12日 「あいりん地区」は活気、活気 読売新聞
- 財団法人西成労働福祉センターはこのほど、62年度の業務実績をまとめたが、関西新空港関連事業などによる建設業界の活況で、年間求人件数は前年度より31%も増え、過去最高を記録した。これに伴い、引き続き多数の日雇い労働者が流入、簡易宿泊所の新改築が進んでいる。一方では、労働者の高齢化や野宿者の増加、地元住民の転出などの問題も目立っており、行政サイドでも地区の急激な変化に見合った施策が求められそうだ。
- 同センターのあっせんによる62年度の求人紹介件数は、日雇いが延べ約118万人で前年度比31%増。−3月は−1日平均4,878人、最も多かった3月5日は6,341人に達し、いずれも過去最高を更新した。平均賃金も、普通の作業で一日500円程度アップし、1万円前後になった。
- これを映して、他地区から失業者が流入、西成署がこのほど発表した「あいりん白書」では、地区内宿泊者だけで約千人増えて1万9千人に、期間雇用で各地に出ている人を含めると2万3千人以上の労働者が同地区を拠点に生活していると推定している。
- これを目当てにした簡易宿泊所の新築がこの1年間に13軒、改築が6軒もあり、さらに24軒が新築・改装中。設備も冷暖房、内湯付きなどビジネスホテルなみが増え、半数が一泊千円台と高くなった。飲食店も60軒増えた。
- しかし労働者の平均年令は雇用保険手帳を持つ人で48.2歳とさらにたかくなり、路上や簡易宿泊所での病死、自殺など変死の取扱件数は172件。野宿者も165人前後に増えている。
- 一方で、簡易宿泊所や飲食店の経営者ら地元住民が地区外に引っ越すケースが増えており、西成署の調査では、1万800人が引っ越しており女性や子供の少ない“単身労働者の町”の色合いが一段と濃くなっている。
- 5月26日 「釜ヶ崎被爆者の会」15周年 読売新聞
- 西成区愛隣地区で暮らす被爆者たちの組織「釜ヶ崎原爆被爆者の会」(中村順会長、41人)は、25日西成市民館(同区萩之茶屋2)で結成15周年記念集会を開催。「国の援護を勝ち取り、原爆の恐ろしさを語り継ごう」と、改めて誓い合った。(注:被爆者援護法の制定は1994(平成6)年)
- 6月19日 アジアン・フレンズ発足
- 7月 南津守住民運動の釜ヶ崎差別と闘う共闘会議結成
- 7月27日 新今宮小中学校跡施設利用問題話し合い
- 市役所第5共通会議室)=次第:開会/団体側挨拶/検討状況について説明/意見交換/閉会:市側出席者=教育委員会事務局総務部連絡主幹降矢陽治・施設課主査上田武司、社会教育部企画主幹萩野兼司・社会教育課長代理内藤彌・社会教育課主査鷺島勝・社会教育課主査伊藤公男、指導部初等教育課管理係長岡部昌義、民生局福祉部保護課長物部圭郎・保護課長代理三島浩一・保護課施設係長山田敏幸・高齢化社会対策室高齢者福祉課長代理滝口和夫・高齢者福祉課第1福祉係長安本修生、市民局市民部振興課長代理大戸新治・振興課主査黒石修・勤労市民課長冨永行俊・勤労市民課主査津山尚古・勤労市民課主査相奈良照夫/担当=社会教育部企画主幹(子ども教室−650u、地域の小中学校対象。遊びと学習の場)、社会教育課(図書室−90u、1階北。地域住民を対象)、保護課(高齢病弱者施設、建て増しして1500u)、高齢者福祉課(老人いこいの家・集会所)、振興課(萩之茶屋連合振興会の集会の場)
- 8月22日 南津守問題で西成区と2回目の交渉。区、差別助長と認める
- 9月25日 南津守住民運動の釜ヶ崎差別を許さない9.25報告集会(梅南・橘集会所)
- 12月 大阪自彊館全施設にスプリンクラー設備を設置
- 12月 日本寄せ場学会の野宿者調査まとまる
- 大阪市越年対策
- 越年対策=63年12月29日〜64年1月7日(9泊10日)、732人収容(延べ6,990人、巡回相談分1,900人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29現在156人・南港568人)、
1989(昭和64/平成元年)年
- 1月7日 昭和天皇 逝去/1月8日 「平成」に改元/4月1日 一般消費税スタート(税率3%)/11月9日 ベルリンの壁 崩壊/「萩之茶屋社会福祉協議会」発足
- 1月7日 天皇逝去。8時45分に現場が中止となり、1,500円で返された労働者もいる。
- 1月9日 天皇制反対へ 千人パレード/大阪・西成の労働者ら 朝日新聞
- 大阪市西成区のあいりん地区(釜ヶ崎一帯)に住む日雇い労働者や総評系労組員、在日韓国・朝鮮、中国人らでつくる「天皇制の強化を許さない西成区民の会」主催の「天皇はいらん西成パレード」が8日午後2時から、あいりん地区の公園から難波までの約4キロで行われた。完全武装した機動隊や私服警官約200人と時折衝突したが、賛同する市民も加わって参加者は約千人(主催者発表)にふくれあがった。
- 1月14日 国機関・月2回の土曜閉庁の初日 あいりん職安は通常業務 朝日新聞・夕刊
- 早田清一・あいりん公共職安次長は「一日平均4,500人にアブレ手当(失業手当)を出しています。土曜日には日雇い仕事が減るので、手当の支給はむしろ多く忙しい。閉庁などとてもとても」
- 2月 大阪自彊館 本館にコンピュータ室完成 (事務処理の集中管理)
- 2月1日 釜ヶ崎労働者の平均年齢49歳と府発表
- 2月13日 府労働部による就労実態調査
- 2月24日 昭和天皇の大喪の礼の当日。一般的には休日
- あいりん職安公共職業安定所長名の周知ビラ「労働者の皆さんへ 2月24日の取扱いについて/2月24日(金)のアブレ手当の支払い業務は平常通り行います。なお、午後からの業務(更新等)は行いません。/平成元年2月
- 3月 現金求人8,319人と最高求人記録を更新
- 4月 宝塚市の配水管工事で、韓国人労働者2名死亡
- 4月25日 大阪自彊館「自彊の友」第22号刊 平成元年におもう
- 「−自彊館が、新しい時代の平成元年から取り組む事業は二つある。/一つは、在宅福祉への協力を拡大することであり、二つめは、あいりん地区に建設される三徳寮によるあいりん対策の充実である。
- まず在宅福祉は、従来の配食サービスのほかに、本年三月から始められた今宮小学校の学童保育への協力がある。
- 第二の三徳寮によるあいりん対策では、現地で間近に対象者に接することにより、今まで以上に積極的な活動が要請されている。(1)夜間巡回相談、(2)臨時宿泊事業をあいりん相談室、社会医療センター、労働福祉センターなどと連絡を密にして実施する。
- 甲子寮は、社会復帰のためのプログラムとして、三年目を迎えたOB会、館外作業訓練、宿泊訓練など、一応の充実を見ているが、本年は、長期在寮者対策を重点として、健康体操、ホームルーム、散歩会などへの参加の促進を図るほか、予算化されている、救護施設通所事業の次年度開始を目標としている。」(甲子寮寮長吉村和生)
- 11月 天王寺公園有料化の報道。釜ヶ崎諸団体、市長に反対申し入れ
- 11月 大阪自彊館 今津町にある「さわやか荘分荘・杉山荘」を閉鎖
- 12月 医療班による日中パトロール
- 住之江区、出屋敷、京橋等でもアオカンの仲間がおり、少年に襲われたりしていることが確認される。
- 12月 「出会いの家」拡張オープン
- 旧出会いの家隣の家と天下茶屋1丁目の元簡易宿所を加えて拡張オープン。新しい建物はともに木造3階建て、萩之茶屋の建物は各階が5〜60人泊まれる大部屋で約180人、天下茶屋は個室もあって約70人。(12月27日、毎日新聞朝刊、朝日新聞夕刊)
- 大阪市越年対策
- 越年対策=平成1年12月29日〜2年1月7日(9泊10日)、762人収容(延べ6,718人、巡回相談分1,220人を含む)、収容施設(大阪自彊館12/29現在126人・南港616人)、