あいりんの教育
1962−1984 22年。
ここで生まれたこども
ここで育つこども
ここで学ぶこども
ここで立ちすくむこどもへ
●釜ヶ崎(あいりん地区)全景写真
あいりん教育の灯は次代に 大阪市立新今宮小中学校 内井 道夫
草創のころ 初代あいりん学園校長 港 一敏
悩みもしたが生きがいを感じた2年間 元あいりん小中学校校長 宗田 徳義
あいりん学園の閉鎖に思う 大阪市立苅田北小学校長 宇治丸 要
貧しいけれど燃えていた 元あいりん学園 教頭 伊東 正一
あいりん地区(37年) 通天閣を望む
上町台地に立てばここは谷底に見えるだろう
ここ。外の人はちょっとていねいに「あいりん地区」と呼ぶ
内の人は「釜ヶ崎」と言う
外の人が「釜ヶ崎」と呼べば、内の人は視線を外して肩先に一瞬の怒気を漂わせる
屈折した優しさと自負心
無縁仏になって果てたいと言いきる極北の精神
@西成警察署 A愛隣寮 B愛隣会館 Cあいりん学園跡地
三角公園(37年) あいりん地区の南端、東萩町公園が正式名称
パイプ校舎全景(37年) あいりん学園は37年2月1日、ここに誕生した。
開校式 中尾教育長あいさつ 校庭での音楽の授業