釜ヶ崎総合年表−1930年代
1930(昭和5)年
- 9月10日米価大暴落(豊作飢饉)/生糸大暴落で農村恐慌深刻化
- 1月 大阪市 地下鉄工事着工
- 2月11日 大阪自彊館 恩賜財団慶福会助成金を受ける
- 9月8日 大阪府方面委員詮衡委員会規定 制定
- 9月 大阪自彊館 恩賜財団助成金を基に、甲館・乙館宿泊室を増改築、講堂その他の改修着工
- 10月1日 国勢調査に付帯して全国で失業調査実施。
- 大阪市内失業者は3万190人で6大都市中最多。(東京市2万2,000人、横浜市12,000人、神戸市9,000人、名古屋市8,000人、京都市4,000人)(民生事業40年史)
- 11月30日 大阪自彊館 増改築工事竣成
- 甲館建坪 1階118坪57,2階50坪42/ 乙館建坪 1階112坪、2階63坪
- 12月27日 ルンペン1,500名の社会奉仕
- 「昨夜の中に千五百名の浮浪者がはうきを肩に足並そろへて道路は奇麗でせう」
- 1930(昭和5)年の暮れ。東京朝日新聞12月27日付夕刊の社会面トップを、ほうきをかついで歩く人々の写真が飾った。
- 東京の道路が「深川区浜園町のテント村」や「東京市各宿泊所」に住む「ルンペン千五百名の社会奉仕」で清掃された。
- 彼らは「金五十銭のお駄賃と十銭の公衆食堂の食券をもらつた」。
- このころ、東京の理髪料が50銭、カレーライスが10銭だった。米国株大暴落から1年余り。不況は世界中に波及した。日本でも失業が急増。ルンペンの話題が紙面にしばしば登場した。(検証報道
-14、2009年4月16日朝日新聞夕刊)
- 昭和5年度 大阪市第5〜9回失業応急土木事業、第1次・第2次高速鉄道建設事業
- 労働者実際使用延べ人員420,792人(内要救済登録労働者259,694人)、1日平均実際使用人員1,153人(内要救済登録労働者711人)/(社会部報告175号・大阪市設社会事業要覧)
1931(昭和6)年
- 3月6日大日本婦人連合会が発足/9月18日満州事変勃発
- 4月17日 全日本方面委員聯盟結成
- 全国方面委員代表者が東京に会合、救護法実施感謝会を開催。救護法促進運動を記念するため期成同盟の代わりに全国方面委員の大同聯盟を結成することを決議。
- 5月29日 大阪自彊館 創立20周年記念式挙行
- 20周年記念写真帖−財団法人 大阪自彊館 刊
- 8月11日 救護法施行規則(内務省令20号)公布
- 10月 大阪自彊館 成人教育講座に修辞講習会を開設
- 11月 大阪城公園 天守閣 竣工する
- 11月 入営者職業保障法
- 常時30人以上の従業員を使用する者は、除隊または招集解除後3ヶ月以内に、入営前と同等以上の労務及び給与で雇傭せねばならない
- 12月16日 大阪府 府社会事業統制委員会規定 設ける
- 大阪府下の公私社会事業の施設計画に関し、知事の諮問に応じ意見を具陳するとともに「前項に関し知事に建議し且つ社会事業の施設を考究する事を得」。これは、後に制定される社会事業法(昭和13年)にいう地方社会事業委員会と同等のもの。(民生事業40年史)
- 12月22日 大阪府 方面委員規定 改正
- 翌7年1月1日から実施。救護法実施に備えたもの。
- 昭和6年中職業紹介成績(労働紹介のみ)
- 求人数 求職数 紹介数 就職数 就職数÷求職数=%
- 築港職業紹介所(港区南海岸通) 205,138 217,632 205,138 205,138 94.3%
- 京橋職業紹介所(東区京橋前之町) 703,429 869,464 703,241 703,241 80.9%
- 今宮職業紹介所(西成区東入船町) 319,649 393,586 319,649 319,649 81.2%
- 千鳥橋職業紹介所(此花区四貫島元宮町) 252,692 376,578 252,692 252,692 67.1%
- 「公民教育資料/大阪府市に於ける社会事業概観」大阪市生年訓練所共同研究会港区支部 昭和7年11月1日発行 より(注:千鳥橋は昭和5年12月に開所)
- 昭和6年度 大阪市第6〜11回失業応急土木事業
- 第1次・第2次高速鉄道建設事業、都計下水処理事業、都計第3期下水処理事業、葬儀所設置及整理事業
労働者実際使用延べ人員698,124人(内要救済登録労働者387,953人)、1日平均実際使用人員1,913人(内要救済登録労働者1,063人)/(社会部報告175号・大阪市設社会事業要覧)
1932(昭和7)年
- 1月 救護法 実施
- 棄児養育米給与方、三子出産の貧困者へ養育料給与方、棄児養育米被下は自今満十三年を限りとし及年齢定方、及び恤救規則、の諸法令廃止。
- 救護法の趣旨(「日本の救貧制度」日本社会事業大学救貧制度研究会編244頁)
- (一)救護の実体は貧困のため生活することのできない、(1)六五才以上の老衰者、(2)一三才以下の幼者、(3)妊産婦、(4)不具癈疾、疾病、傷痍、其の他精神又は身体の障碍によって業務を行うに故障あるもの、(5)幼児哺育の母。
- (二)救護の機関としては救護を受ける者の居住地の市町村長、その居住地のない時又は明白でない時は、その現住地の市町村がこれに当り、その補助機関としては名誉職の委員を置く(これには従来任意的救済機関として発達してきた方面委員を当てる。すなわち、救護法の委員と方面委員とは二にして一の存在である)。
- (三)救護法は原則として扶養義務者が扶養できない場合に限る。
- (四)性行が著しく不良または怠惰な者には救護を行わず、開始した救護の取消も可能である。
- (五)救護の方法は被救護者の居宅において行うことを原則とし、居宅救護が不可能な場合、または不適当な場合は養老院、孤児院、病院その他本法による救護を目的とする施設に収容し、あるいは私人の家庭その他に委託して行う。この場合救護施設の設置主体は制限しないが、認可を必要とする。
- (六)救護の種類は、(1)生活扶助、(2)医療、(3)助産、(4)生業扶助の四種があるが、この他に埋葬費の支給を認めている。
- (七)救護に要する費用は被救護者が同一市町村に一年以上引続き居住している場合は原則として居住地の市町村の負担とし、その他の場合はその居住地又は現在地の道府県の負担とする。なお、国庫は市町村、道府県の負担した費用に対しては二分の一以内を、道府県は市町村の負担した費用に対して四分の一を補助し、公立救護施設の費用、私立救護施設の設備費に対しても同様の補助を行う。
年度 |
救護人員 |
救護費(円) |
国庫並びに
府県補助額 |
居宅 |
収容 |
計 |
市費 |
府費 |
計 |
昭和7年 |
5,567 |
5,659 |
11,226 |
399,281 |
14,000 |
413,281 |
299,461 |
8年 |
5,955 |
5,196 |
11,151 |
520,280 |
16,693 |
536,973 |
390,210 |
9年 |
6,885 |
3,775 |
10,660 |
647,978 |
23,540 |
671,518 |
447,105 |
10年 |
6,502 |
4,502 |
11,004 |
709,008 |
27,126 |
736,134 |
- |
11年 |
6,780 |
4,657 |
11,437 |
715,046 |
26,928 |
741,974 |
- |
▼ ▲ 大阪市救護法実施状況(民生事業40年史)
|
生業扶助 |
医 療 |
助 産 |
居宅 |
収容 |
居宅 |
収容 |
居宅 |
収容 |
昭和7年 |
人員 |
5,261 |
3,121 |
256 |
2,538 |
47 |
- |
金額 |
211,649 |
141,834 |
1,446 |
54,390 |
384 |
- |
8年 |
人員 |
5,576 |
2,938 |
346 |
- |
33 |
- |
金額 |
308,441 |
157,917 |
2,451 |
- |
248 |
- |
9年 |
人員 |
6,855 |
3,775 |
272 |
2,913 |
16 |
- |
金額 |
369,392 |
208,957 |
2,290 |
90,751 |
128 |
- |
10年 |
人員 |
6,406 |
4,502 |
240 |
3,559 |
10 |
1 |
金額 |
345,524 |
264,592 |
2,019 |
117,345 |
80 |
4 |
11年 |
人員 |
6,681 |
4,657 |
200 |
3,478 |
11 |
- |
金額 |
325,480 |
291,476 |
1,997 |
122,930 |
88 |
- |
▲救護種類別。なお、昭和11年生業扶助収容人数が原表では「14,657」となっているが、
前年との比較及び一人当たり金額から「4,657」の誤植と判断し、訂正してある。
- 1月28日 第1次上海事変勃発
- 3月 財団法人 大阪職業紹介所20周年報(自明治45年至昭和6年) 大阪職業紹介所刊
- 部分紹介−矢濱徳三郎「職業紹介事業」(北野職業紹介所第一年報巻頭論文の再掲)を含む
- 4月 大阪市 大正・旭の2区を増設。
- 6月 内務・大蔵両次官通牒。公共団体施行の失業救済事業は総て失業応急事業と称することとなり、起債事業は失業応急事業とは称せられないこととなった。
- 8月 「大阪市社会施設分布図」(大阪市社会部編)
-
-
事業一覧により、釜ヶ崎関連の施設を紹介します。四恩学園が見えず、今宮職業紹介所や今宮簡易宿泊所の表示位置が少しずれているなどがありますが目安にはなります。◎今宮保護所−西成区東田町 昭和4年2月 定員120名無料 霞町◎今宮簡易宿泊所−西成区東田町 昭和7年1月 定員300名一泊一銭(大阪救護協会経営) 霞町◎今宮住宅−西成区東入船町 昭和4年2月 貸付住宅 77戸 使用料 月5円−12.6円 霞町◎今宮職業紹介所−西成区東入船町 大正8年7月 労働紹介 霞町◎萩之茶屋職業紹介所−西成区花園町 大正14年3月 目下休止中 南海萩之茶屋◎今宮質舗−西成区花園町 大正14年9月 貸付金額は質物評価の10分の7以下、貸付利子月一分二厘5毛 貸付限度額一口10円以下一世帯金50円以下、但し生業資金としては一口50円以下、一世帯金300円以下、 南海萩之茶屋◎今宮共同宿泊所−浪速区宮津町 大正8年6月 定員380名 一泊15銭 大国町◎今宮食堂−今宮共同宿泊所内 大正8年6月 朝10銭 昼夕13銭(労働共済会経営)◎今宮人事相談所−今宮共同宿泊所内 大正8年7月 法律・社交・家事・身上相談◎今宮乳児院−浪速区宮津町 大正13年4月 受託保育・乳児診療(有料・無料)◎市民病院−住吉区旭町1丁目 大正14年5月 全科診療 入院(有料180名、無料270名)、外来(有料200名、無料200名) 阿部野橋
共同宿泊所 |
名称 |
所在地 |
創立年月 |
事業概要 |
|
今宮共同宿泊所 |
浪速区宮津町 |
大正8.6 |
定員380名 一泊15銭 |
|
西野田共同宿泊所 |
此花区江成町 |
大正8.7 |
定員315名 一泊12銭 |
|
鶴町共同宿泊所 |
港区鶴町1丁目 |
大正8.7 |
定員258名 一泊12銭 |
|
長柄共同宿泊所 |
東淀川区長柄中通1丁目 |
大正15.2 |
定員440名 一泊15銭 |
|
九条共同宿泊所 |
港区九条南通1丁目 |
大正15.4 |
定員418名 一泊15銭 |
|
今宮保護所 |
西成区東田町 |
昭和4.2 |
定員120名 無料 |
|
鶴橋共同宿泊所 |
東成区猪飼野町 |
創設中 |
|
|
今宮簡易宿泊所 |
西成区東田町 |
昭和7.1 |
定員300名 一泊1銭 |
|
海員ホーム |
港区二条通3丁目 |
昭和4.4 |
家族室・2人部屋・4人部屋 |
|
共同宿舎 |
北区北扇町 |
大正11.12 |
単身吏員教員 |
|
堀川青年宿舎 |
北区北扇町 |
大正13.7 |
自力勉学生 |
「大阪市社会施設分布図」につけられた、大阪市社会事業一覧の中から共同宿泊所を抜き出したものです。今宮保護所と今宮簡易宿泊所が同じ町名であることが分かります。保護所の直ぐ北にありました。従って、地図の表示位置が不正確と・・・。下は、職業紹介所の一覧です。
職業紹介所 |
名称 |
所在地 |
創立年月 |
事業概要 |
中央職業紹介所 |
西区阿波堀通1丁目 |
大正8.8 |
職業紹介 |
男子・婦人・少年・給料生活者・健康相談 |
九条職業紹介所 |
港区九条南通1丁目 |
大正8.2 |
職業紹介 |
男女 |
西野田職業紹介所 |
此花区玉川町4丁目 |
大正8.7 |
職業紹介 |
男女 |
天六職業紹介所 |
北区天神橋筋6丁目 |
大正8.9 |
職業紹介 |
男子・婦人・少年 |
梅田職業紹介所 |
北区西梅田町 |
大正9.10 |
職業紹介 |
男女 |
玉造職業紹介所 |
東区中道黒門町 |
大正11.4 |
職業紹介 |
男 |
小橋婦人職業紹介所 |
東区小橋西之町 |
大正15.12 |
職業紹介 |
女 |
築港職業紹介所 |
港区南海岸通 |
大正9.9 |
職業紹介
労働紹介 |
男女 |
京橋職業紹介所 |
東区京橋前之町 |
大正8.12 |
労働紹介 |
|
今宮職業紹介所 |
西成区東入船町 |
大正8.7 |
労働紹介 |
|
千鳥橋職業紹介所 |
此花区四貫島元宮町 |
昭和5.12 |
労働紹介 |
|
萩之茶屋職業紹介所 |
西成区花園町 |
大正14.3 |
目下休止中 |
|
右の外東淀川区國次町341番地及び東成区片江町297番地の2ヵ所に職業紹介所(労働紹介)を創設中である。 |
- 8月18日 大阪自彊館 理事長 酒井 猪太郎 死去
- 11月29日 大阪自彊館 杉本 又三郎 理事長就任
- 昭和7年度 大阪市第8〜14回失業応急土木事業
- 第1次・第2次高速鉄道建設事業、都計下水処理事業、都計第3期下水処理事業、葬儀所設置及整理事業
労働者実際使用延べ人員1,281,174人、1日平均実際使用人員3,510人/(社会部報告175号・大阪市設社会事業要覧)
- 12月末現在 労働紹介所登録者数
- 京橋職業紹介所=3,116(内地人1,390、朝鮮人1,726)/築港職業紹介所=943(内地人710、朝鮮人233)/今宮職業紹介所=1,964(内地人1,027、朝鮮人937)/ 千鳥橋職業紹介所=1,186(内地人589、朝鮮人597)
- 昭和7年度求人・紹介状況
- 京橋職業紹介所=求人数547,387、集合数654,081 紹介数542,779
一般 求人205,730 紹介205,730
失業救済 求人341,657 紹介337,049
築港職業紹介所=求人数185,526、集合数229,735 紹介数185,526
一般 求人137,274 紹介137,274
失業救済 求人48,252 紹介48,252
今宮職業紹介所=求人数342,021、集合数431,232 紹介数341,739
一般 求人84,575 紹介84,575
失業救済 求人257,446 紹介257,164
千鳥橋職業紹介所=求人数189,119、集合数269,360 紹介数189,119
一般 求人49,226 紹介49,226
失業救済 求人139,893 紹介139,893
- 失業応急事業賃金・就労時間
- 1人単価=1円30銭(熟練工は2円〜2円50銭)定歩制(1人5分まで)
労働時間=4月1日〜11月末日 始業午前7時半 終業午後4時半
12月1日〜3月末日 始業午前8時 終業午後4時半
紹介方法=循環紹介制(日紹介、週紹介併用)
- 失業労働者食糧補給事業
- 三井家より政府への寄付金(創業300年記念、失業労働者救済のため、300万円)の一部の配当を受け、昭和7年6月20日より食糧補給事業を実施
受給者の資格条件
大阪市に3ヶ月以上在住する労働者で、(イ)労働紹介を取り扱う職業紹介所長が登録労働者の中で要救済者であることを証明したもの。又は(ロ)方面常務委員、市民館長、職業紹介所長、公益宿泊所長が失業による要救済者であることをしたもの。
終業しなかった日に限り、5日間に2日を限度として、独身者に対しては1日一人金10銭に相当する食券。家族あるものに対しては1日一人白米350瓦の割合で家族数に応じて算出した数量表示の白米券を交付。食券は7ヶ所の市設食堂及び5ヶ所の私設食堂を指定、白米券は各公設市場で引き替え。
昭和8年4月1日現在 補給登録世帯 食券1,740世帯(1,740人)、米券3,467世帯(15,022人)
(社会部報告175号・大阪市設社会事業要覧)
- 8月末現在 大阪市要保護世帯調査
- 57方面要保護世帯(カード登録世帯)12,064世帯(46,540人内男23,236人女23,304人、世帯主12,064人、家族34,476人、一世帯平均人員は3.9人。世帯主の80.2%が男、女世帯主は少ない)
(第1種カード登録世帯=3,393世帯、第2種カード登録世帯=8,671世帯。
方面別順位 1)今宮第2方面1,114世帯(5,047人) 2)今宮第1方面1,107世帯(3,884人) 3)長柄方面791世帯(2,304人) 4)春日出方面611世帯(2,551人) 5)本庄方面534世帯(2,520人) 6)恵美方面402世帯1,393人
救済を受ける世帯主=12,064人中3,969人(32.9%)
私的団体による救済=2,018人(50.8%)
救護法による救済=784人(19.8%)
方面救護=566人(14.3%)
軍事救護法の救済=46人(1.2%)
親族救護=20人(0.5%)
救護種別=医療救護2,150人(54.1%)、経済救護1,819人
家族の被救護者=34,476人中5,122人(14.9%)
私的団体による救済=3,119人(60.9%)
救護法による救済=1,255人(24.5%)
公共団体=593人(11.6%)
親族救護=6人
救護種別=医療救護3,216人(62.8%)、経済救護1,906人
(社会部報告173号大阪市社会部労働課)
- 昭和7年度 勤労学校の状況
- 貧困のため就学し得ず、又子守其の他就職の事情により小学校を中途退学し、若しは長期欠席をなす児童に対して義務教育を施す一面児童の卒業後の独立を訓育する為の職業教育を科する目的を以て施設したのが市立勤労学校三校である。(「公民教育資料/大阪府市に於ける社会事業概観」大阪市生年訓練所共同研究会港区支部 昭和7年11月1日発行 より)
校名 |
所在地 |
勤労学校としての創立 |
事業概要 |
最寄り駅 |
大阪市立有隣勤労学校 |
浪速区栄町4丁目 |
昭和2年4月 |
貧兒教育・授業料全免 定員450 |
西浜町 |
大阪市立豊崎勤労学校 |
東淀川区長柄中通 |
大正14年4月 |
貧兒教育・授業料全免 定員300 |
国分寺町 |
大阪市立徳風勤労学校 |
浪速区広田町 |
昭和2年6月 |
貧兒教育・授業料全免 定員300 |
戎神社前 |
校名 |
定員 |
|
在籍数 |
男 |
女 |
計 |
大阪市立有隣勤労学校 |
420 |
昼 |
204 |
159 |
363 |
夜 |
125 |
37 |
162 |
大阪市立豊崎勤労学校 |
300 |
昼 |
129 |
14 |
143 |
夜 |
139 |
0 |
139 |
大阪市立徳風勤労学校 |
300 |
昼 |
124 |
126 |
250 |
夜 |
72 |
25 |
97 |
- 地域内施設状況
- (「公民教育資料/大阪府市に於ける社会事業概観」大阪市生年訓練所共同研究会港区支部 昭和7年11月1日発行 より)
施設名 |
所在地 |
創立年月 |
代表 |
概要 |
最寄り駅 |
大阪自彊館保育部 |
西成区今船町5 |
大正15年6月 |
財団法人・酒井猪太郎 |
幼児保育・同館の附属事業として経営
保育料/在館者1円、外来者2円 |
霞町 |
今宮診療所 |
西成区海道通104 |
昭和2年6月 |
個人経営・中村文太郎 |
市内某篤志家の個人出資により経営
官公署、方面委員発行の無料診療所を要す |
南海今池 |
四恩学園 |
西成区東入船町13 |
大正9年2月 |
大阪四恩報答会
長谷川順孝 |
保育・人事、法律相談、消費組合、
日曜学校、診療 |
南海萩之茶屋 |
大阪自彊館 |
西成区今船町 |
明治45年2月 |
財団法人・酒井猪太郎 |
職業紹介、宿泊、診療、簡易食堂、人事相談
成人教育、保育 宿泊室33,ベッド62 |
霞町 |
1933(昭和8)年
- 4月1日 児童虐待防止法 公布
- 1月18日 日本、国際連盟脱退を通告
- 1月18日 大阪自彊館 本館で失業者救済授産事業開始
- (大阪府から委嘱)生業部で洗束子、刷毛、月桃マット織などの製造加工
- 2月 城東線高架電車運転(天王寺−大阪間)
- 3月の『中央公論』 武田麟太郎の小説「釜ヶ崎」の初出
- 釜ヶ崎−武田燐太郎 現代日本文学大系 70/「中央公論」(1933年3月−昭和8年3月)
- 『 カツテ、幾人カノ外来者ガ、案内者ナクシテ、コノ密集地域ノ奥深ク迷ヒ込ミ、ソノママ行先不明トナリシ事ノアリシト聞ク――このやうに、ある大阪地誌に下手な文章で結論されてゐる釜ヶ崎は「ガード下」の通称があるやうに、恵美須町市電車庫の南、関西線のガードを起点としてゐるのであるが、さすがその表通は、紀州街道に沿つてゐて皮肉にも住吉堺あたりの物持が自動車で往き来するので、幅広く整理され、今はアスファルトさへ敷かれてゐる。それでも矢張り他の町通と区別されるのは五十何軒もある木賃宿が、その間に煮込屋、安酒場、めし屋、古道具屋、紹介屋なぞを織込んで、陰欝に立列んでゐるのと、一帯に強烈な臭気が――人間の臓物が腐敗して行く臭気が流れてゐることであらう。』(「釜ヶ崎」の書き出し部分)/『小説「釜ヶ崎」の末尾に「大阪市不良住宅地区沿革」の一部が紹介されています。孫引きになりますが、武田麟太郎を信用してここでも紹介します。
- 『――現在の釜ヶ崎密集地域も明治三十五年頃までは、僅かに紀州街道に沿うて、旅人相手の八軒長屋が存在したるに過ぎない。
- その後、東区の野田某氏が始めて、労働者向きの低廉なる住宅を建設して、労働者を収容したるが、尚当時に於ても依然として、百軒足らずの一寒村に過ぎなかつた。
- 以後、大阪市の発展に伴ひて、下寺町広田町方面に巣食つてゐた細民は次第に追ひ出されて南下し、安住の地を求め、期せずして、集団したるが、現在の釜ヶ崎にして、そこに純長町細民部落を形式するに到り、下級労働者、無頼《ぶらい》の徒、無職者は激増し、街道筋に存在する木賃宿は各地より集まる各種の行商人遊芸人等の巣窟となり、附近一帯の住民の生活に甚だしい悪影響を与へつつある。
- 児童の大半は就学せず、すでに就学せるものも、三四年の課程を終へれば登校せず、金銭を賭して遊ぶ子供を所々に見受ける。 下水の施設なく不潔なること言語を絶するものがある。表側に於ては左程にも思はれぬとも、裏側に於ては、甚だしいものがある。上水の施設もないところ多く、井戸水を使用してゐる。』
- 3月 西成託児所開所(西成区櫻通2丁目)(社会部報告175号・大阪市設社会事業要覧)
- 5月 大阪救護協会 西成アパート 建設
- 9年7月救護会解散にともない大阪市が引き継ぐ。西成厚生寮となる。(民生事業40年史)
- 5月 地下鉄開通(梅田-心斎橋間)
- 5月10日 大阪社会事業協会が社会事業クラブとなる
- 大正4年大阪府庁内に大阪救済同盟会、11年8月に大阪社会事業協会。中之島3丁目朝日ビル3階に移転。改称した。(民生事業40年史)
- 11月 「聖心セッツルメント」を開設(愛徳姉妹会)
- 西成区東萩町30番地に、木造2階建洋館風の建物とこれに隣接する木造平屋を借り受けて「聖心セッツルメント」を開設(愛徳姉妹会)洋館風の2階建ては、方面委員の紹介を受けたものを対象とする診療所(内科・外科・小児科)として使用され、週3日、午後のみ開いていた。隣接する木造平屋の建物では、子ども会が運営されていた。
-
聖心会院長マザーマイヤが、裕福な聖心学院の学生や父兄達と、貧しい人々との間に愛の関係を結びたいと望み、釜ヶ崎での事業開始を願って、フランスから愛徳姉妹会を招いたのが端緒だといわれています。
番地は、現在の萩之茶屋南公園(通称三角公園)の西付近にあたります。前ページ写真の右側にわずかに消防署の火の見櫓らしきものが見えています。洋館風の階建ては、方面委員の紹介を受けたものを対象とする診療所(内科・外科・小児科)として使用され、週
1日、午後のみ開いていました。隣接する木造平屋の建物では、子ども会が運営されていたといいます。
- 今宮保護所互助会
- 本保護所に於いては、宿泊人の教化慰安のため時々講演会及び慰安会を催している。それは主として篤志家の寄付によるものであるが、尚ほ宿泊人をして自立自活の精神を涵養し其の生活を改善せしむる目的をもって昭和8年互助会を組織し各種の福利施設を行っている。その主なる事業としては食堂、浴場の共同経営、応急医療薬品の供給、その他修養娯楽事業などを挙げ得る。現在会員は100名、会費は1日2銭である。
今宮保護所宿泊者職業調べ |
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仲仕 |
人夫 |
雑役 |
大工 |
左官 |
石工 |
土工 |
職工 |
売子 |
按摩 |
下駄直し |
屑買 |
屑拾 |
乞食 |
其他 |
計 |
昭和6年 |
908 |
724 |
505 |
35 |
14 |
13 |
429 |
446 |
324 |
2 |
15 |
90 |
2,716 |
2,520 |
913 |
9,654 |
(女再掲) |
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17 |
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54 |
53 |
124 |
昭和7年 |
243 |
858 |
287 |
84 |
24 |
5 |
251 |
469 |
146 |
3 |
16 |
24 |
1,583 |
682 |
784 |
5,459 |
(女再掲) |
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4 |
23 |
41 |
68 |
今宮保護所宿泊延人員 |
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男 |
女 |
計 |
1日平均 |
昭和6年 |
102,372 |
1,430 |
103,802 |
284 |
昭和7年 |
68,928 |
1,186 |
70,114 |
192 |
(社会部報告175号・大阪市設社会事業要覧・昭和8年6月。注:「事業要覧」には鶴橋保護所が昭和8年6月に開所の記載があるが、「事業要覧」が同年6月発行であることから、数字は総て今宮保護所だけのものと思われる。)
1934(昭和9)年
- 9月21日室戸台風( 死者・行方不明者3,036人/家屋全壊43,000戸)/12月29日 日本、ワシントン条約の破棄を通告
- 3月 廃兵院法を改正、傷兵院法とする。
- 神奈川県に傷兵院を設け、まったく生業能力を失い、しかも恒産のない者、日常看護を要する重傷者を収容保護。
- 3月28日 大阪自彊館 泉尾公益質屋開設(大正区泉尾北村町)
- 5月10日 大阪自彊館 公益質屋事業開始
- *元金1円につき1銭2厘5毛で重利は取らない (営利質屋の利息は元金1円につき4銭、5円以下は3銭、10円以下は2銭5厘)
*利息の計算は2ヵ月に跨っても16日未満ならば半月分(営利質屋は数え月分)
*貸付金額は1口10円、1世帯50円まで(生業資金は300円まで)
*流質期限は原則4ヵ月、流質決定後も処分前に元金・利息を払えば受戻し可能。処分後残余金は戻入
- 7月 西成厚生寮 設置
- 大阪救護会の解散により大阪市が引き継いだもの。救護法による被救護者中の単身者または少数家族で、その支給される救護費だけでは生計維持困難なものを収容して少額の費用で居住せしめるとともに、職業補導その他適切な保護指導を与える施設。敷地195坪、木造2階建て、8畳2室、6畳23室計25室、使用料は1ヶ月1世帯4円ないし2円であった。(民生事業40年史)
- 7月 市立今宮保護所分館館設置
- (大阪救護会の経営した今宮簡易宿泊所が本市に寄附され、今宮保護所分館としたので総収容定員490名におよんだ。)
各種救護実績 |
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各種救護実績 |
救護法によるもの |
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窮民救助規則によるもの |
行旅 死亡人 |
行旅 病人 |
準行旅 病人 |
計 |
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居宅 |
収容 |
計 |
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大正14年 |
- |
- |
- |
972 |
301 |
1,137 |
225 |
2,635 |
大正15年 |
- |
- |
- |
1,274 |
280 |
1,161 |
203 |
2,918 |
昭和2年 |
- |
- |
- |
1,626 |
342 |
961 |
181 |
3,110 |
昭和3年 |
- |
- |
- |
1,550 |
366 |
918 |
131 |
2,965 |
昭和4年 |
- |
- |
- |
2,003 |
386 |
925 |
148 |
3,462 |
昭和5年 |
- |
- |
- |
2,659 |
392 |
1,082 |
146 |
4,279 |
昭和6年 |
1,371 |
1,154 |
2,525 |
2,822 |
402 |
992 |
151 |
6,892 |
昭和7年 |
5,567 |
5,659 |
11,226 |
- |
466 |
1,042 |
225 |
12,959 |
昭和8年 |
5,955 |
5,196 |
11,151 |
- |
429 |
969 |
210 |
12,759 |
昭和9年 |
7,138 |
6,992 |
14,130 |
- |
428 |
656 |
106 |
15,320 |
昭和10年 |
7,413 |
4,336 |
11,749 |
- |
398 |
992 |
245 |
13,384 |
注:「準行旅病人」は行旅病人の同伴者で自活能力なきもの。(「大阪市制-昭和11年 編集発行:大阪市役所」より ) |
1935(昭和10)年
2月4日 大阪市天王寺職業紹介所 竣工(『業務概況阿倍野−昭和38年版』阿倍野公共職業安定所)
- 8月 大阪市 生業貸付金制度 拡充
- 室戸台風義捐金処分未済額219,000円を基金に繰り入れ、基金総額230,180円をもって貸付対象を全市民に拡張。(民生事業40年史)
- 12月 全国方面同情週間 始まる
- 全日本方面委員連盟の提唱によって、毎年12月10日から1週間を「全国方面同情週間」として、「方面事業を一般に普及せしめるとともに、方面事業遂行に必要な資金を募集し、もって隣保相扶共存共栄の実をあげるものとす」を目的とする義捐金品の募集活動が始まる。
- 昭和10年頃の関西線
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1936(昭和11)年
2月26日 2・26事件
- 国 方面委員令公布(12年1月15日から実施)
- 昭和6年救護法制定にともない、同法4条に規定する市町村の救護事務を補助するための委員を方面委員に依嘱する行政方針がとられ、方面委員は法的根拠を与えられた。しかし、方面委員制度は各府県、各都市で任意に発達したため、その機構、指導精神、運用方法がまちまちであったので、これを統一する必要から。同時に「方面委員詮衝委員会及び方面事業委員会の内務省令も
- 職業紹介法 改正
- この法律は1921(大正10)年4月9日公布、7月1日実施されたもの。昭和13年には全部改正されている。
- 4月 大阪市立各職業紹介所および労働紹介所規定の改正
- 日傭労働紹介を取り扱う紹介所は、労働紹介所と改称される。
- 11月 聖心セツルメント 海道町36番地に移転
-
- 海道町36番地(今の萩之茶屋中公園―通称炊き出し公園−北西角あたり)
- 12月 今宮労働紹介所移転
- 大正8年7月開設今宮職業紹介所(労働)=西成区東入舟町を西成区旭南通に移転改築。西成労働紹介所と改称。今宮労働紹介所の登録員数を引き継ぐ(東入船町・廃止)(「大阪市設社会事業要覧」大阪市社会部報告216号・1937年2月)
1937(昭和12)年
- 2月 財団法人大原社会問題研究所 東京移転
- 一部の図書を除き、土地建物蔵書を府が買収。4月1日から大阪府社会事業会館となる。後、大阪府厚生会館と改称。昭和20年3月13日戦災。書庫収蔵図書以外は全部焼失。6月29日から大阪府立図書館の分館となる。
- 3月31日 母子保護法制定
- 救護法にも幼児哺育の母に対する保護規定はあるが、満1才以下の子の居宅救助を行うに当たり、哺育上必要と認められた場合に限られていた。それを改善、「13歳以下の子を擁する母貧困のため生活する能わず、またはその子を養育する能わざるとき」とした。原則として母の居宅で行われる居宅保護であるが、施設保護もあった。施設収容施設=博愛社母の会、大阪汎愛扶植会母の寮、光徳善隣館母子寮等。公設=大正市民館附設母子寮、市立住吉母子寮、勲の家阿倍野寮、勲の家城北寮寮等(民生事業40年史)
- 5月 御堂筋竣工、難波堺間16号国道完成
- 7月 軍事扶助法制定
- 軍事救護法の対象であった、傷病兵および遺家族の範囲を拡張して、名称も改めたもの。扶助事務の補助機関は6大都市に於いて区長。
- 7月 大阪市 中央職業紹介所に臨時軍需労務紹介部を置く
- 陸海軍作業庁、陸海軍管理工場、その他民間軍需工場の要員充足のための職業及び労働紹介は一般に優先して取り扱う、軍需工場要員の供給を円滑にするため一般求職者中、軍需労務に適当と認められるものに対しては、これを勧奨することとした。(民生事業40年史)
7月1日 職業紹介法改正施行により職業紹介所・労働紹介所、国営に移管(厚生省)
大阪市天王寺職業紹介所→改称→大阪職業紹介所天王寺出張所(『業務概況阿倍野−昭和38年版』阿倍野公共職業安定所)
- 7月7日盧溝橋事件/8月13日第2次上海事変
- 10月1日 今宮市民館 事業開始(出征軍人の遺家族援護事業としての授産事業)
- 授産場で、ミシン裁縫・編物手芸実施。各市民館で授産事業開始。日華事変による出征軍人遺族の生活を保護するためのもの。昭和14年には、4ヶ所の授産所(中央・玉造・田辺・海老江)を開設。一般少額所得者にも利用させた。(民生事業40年史)西成区旭南通5丁目/昭和20年6月15日罹災全焼
- 10月 大阪自彊館 本館の授産部門廃止
- 11月 大阪府学務部社会課から職業課独立
- 職業安定事務を分離した。
失業者の減少=昭和4年9月以降の大阪市の失業者推計は、5〜6年頃には各月約3万人前後、10年には月平均3万2,000人であった。しかし、12年7月、日華事変の勃発以来軍需産業部門の飛躍的発展によって失業者は著しく減少した。(民生事業40年史)
1938(昭和13)年
- 4月1日国家総動員法公布/7月7日 日華事変1周年= 1戸1品献納、1菜主義、 不買デーなど実施
- 1月11日 厚生省 新設
- 戦争の進展にともない人的資源の培養、生活安定のためにする総合的国策遂行の必要にせまられたので、国民体力の向上および国民福利の増進に関する行政を総合統一。(民生事業40年史)
- 4月 国 職業紹介法 全部改正 7月1日実施
- 従来の大阪市立各職業紹介所および労働紹介所は国に移管された。この法律は1921(大正10)年4月9日公布、7月1日実施。昭和11年に改正されていたもの。
- 4月1日 国民健康保険法 公布 7月1日 施行
- 市町村の区域を単位とする国民健康保険組合が経営主体であり、組合の設立は任意であった。(民生事業概要・昭和36年度版)
- 4月1日 国 社会事業法制定 7月1日から実施 私的社会事業の統制・監督のため
- 第1条 本法は左に掲ぐる社会事業にこれを適用す。−1.養老院、救護所其の他生活扶助を為す事業。2.育児院、託児所其の他児童保護を為す事業。3.施療所、産院其の他施薬、救療又は助産事業を為す事業。4.授産場、宿泊所其の他経済保護事業を為す事業。5.其の他勅令を以て指定する事業。6.全各号の掲ぐる事業に関する指導、連絡または助成を為す事業。/第9条-要旨−道府県は命令の定むるところによる地方社会事業に関する重要事項を調査審議せしむるため、地方社会事業委員会を設置する事ができる。(民生事業40年史)
- 4月 大阪自彊館 軍人遺家族保護のため、ミシン作業講習を実施
- 4月 大阪自彊館 授産事業再開(大阪府、愛国婦人会大阪支部の委託)
- 5月 大阪市 軍事援護課を新設
- 7月 「本市に於ける不良住宅地図」 大阪市社会部・社会部報告236号 刊
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第300地区(西成区東田町)は、最上部に地下鉄工事場と記入されていること、左へこんだ部分に「○派」とあることから、現太子1丁目と思われます。
・概要によれば、戸数90戸(平屋建26戸、中2階43戸、バラック21戸)。95世帯331名。主要職業は、露店・行商・屑物商・鉄工・機械工・金属工とあります。・鳥谷黒焼工場が大きな面積を占めています。
第301地区(西成区海道町)は、左下に今宮警察署が見えていますから、現在の銀座通り東側、西成警察より北の部分ということになります。・銀座通り沿いの◎店舗兼住宅は、戦後の道路拡張で立ち退きの対象となったと考えられます。・概要によれば、戸数31戸(平屋建31戸)。47世帯160名。主要職業は、屑拾い・人夫・手伝い・露店・行商とあります。
第302地区(西成区西入船町)は、北が下になっていますから、野村工作所の下に関西線があることになります。上方に今宮第三尋常小学校、左側表の下に四恩学園とありますから、現在のセンター南部分や萩之茶屋第2住宅が建っている場所ということになります。◎は、店舗兼住宅、宿は、旅館。宿は9ヵ所確認できます。○に囲まれた工は、工場兼住宅、左下空き地の右上に3ヵ所確認できます。概要によれば、戸数53戸(平屋建38戸、中2階5戸、二階建て6戸、バラック4戸)。82世帯231名。主要職業は、人夫・手伝い・屑拾い・鉄工・機械工・金属工とあります。
- 10月25日 市立各市民館に銃後生業斡旋所を併設
- 経済統制ならびに物資動員によるいわゆる犠牲産業部門の離業者や収入減で困って居る家内小工業者、帰還軍人で生業資本借入を必要とする者等を対象に、生業相談・内職斡旋・生業資金相談を行った。(民生事業40年史)
- 11月 恩賜財団軍人援護会 設立
- 民間における各種軍事援護事業の中核団体として。大阪支部は、大阪府在満支将兵後援会および軍人後援会大阪支会を統合して12月に発足。
1939(昭和14)年
- 9月1日第2次世界大戦勃発・独軍がポーランド侵攻/12月1日 白米禁止令実施
- 4月 中央授産所 開設
- 天王寺区東上町に総合授産施設として。当所、出征軍人の遺家族援護事業としての授産事業であったが、傷痍軍人をも対象とするようになる。(民生事業40年史)
- 6月 大阪市 軍人遺家族援護組合を改組、小学校通学区域を単位とする銃後奉公会を組織
- 自己資金によって各種の援護事業を行うほか政府、府市、恩賜財団軍人援護会等の援護を地元の各遺家族、傷病軍人、帰還軍人等に対し、斡旋、伝達の役割を果たした。