釜ヶ崎反失業連絡会年表    年表は反失連共同代表(当時)本田神父の記録による


 (参考)1990年12月21日 釜ケ崎労働者の怒りを背景としての申し入れ

1993                                                

9月 反失連(釜ヶ崎就労・生活保障制度実現を目指す連絡会)結成 (参考-基本枠組み

毎週水曜日を行政闘争の日と決める。結成準備会 8

10月 要求書  府市へ提出(9月27日府市要求書)

 大阪府議会に、請願51号「釜ヶ崎(あいりん地区)労働対策に関する件」提出

回答状況

府=失対事業めいたことは、やるつもりはない。府下の常用労働者も危機に瀕しており、バランス上釜ヶ崎の労働者を優遇(?)するわけにはいかない。

市=野宿問題の根本には、労働問題がある。高齢者、病弱者の民生、福祉対策の一環として何らかの就労事業を行なう用意がある。府労働部の仕切りがありしだい、実行に移す。


1994

225日~32日 府庁前 野営闘争

府議会開会中、府市の話し合いを要求。

回答状況

府=退職年齢を超えた高齢者については、労働部の枠外だ。国が、何か対策を講じると言うのなら、府としても考えてもいいが・・・・

市=府が、釜ヶ崎高齢者就労ブランを立て府下の全市町村に協力依頼をするなら、市も協力する。

613日 要求書 府市へ提出

要求内容 ②1500人の高齢者のための軽作業を

④センターの夜間開放を

⑤地区内に無料宿泊所(シェルター)を

釜ヶ崎総合対策として

③高齢者就労対策事業の制度的確立を

⑦低家賃高齢者住宅の建設を

⑧ドヤでの居宅保護の認可を

620日~25日府庁前 野営闘争(6日間)

府庁玄関座り込み。労働部前で協議集会。最寄りの駅、街頭で情宣、カンパ活動。事務所までデモ。日中は、釜からの日帰り仲間も加わって400名。

府労働部特対室主幹 「野宿対策は、民生問題だ。大阪市へいけ。」と暴言。交渉決裂。以後、センター窓口で責任問題を追及する旨、言い渡して、25日(土)野営撤収。

627日~831日(65日間)センター窓口泊り込み交渉

府労働部が、「西成労働福祉センターを労働部の現地出先機関と位置づけており、センターを通じて求人確保を、行なっている。」と言明したので窓口交渉を要求する。3点にしぼって、要求。

要求内容①労働部主幹による暴言について代表がセンターにきて労働者の前で釈明せよ。

②高齢労働者の就労面での緊急対策を実施せよ。

③就労対策が、具体化するまでセンターを夜間開放せよ。

627日~831センター夜間開放はじまる

627日(月) 夕方6時ごろ、交渉続行中にセンターのシャッターが閉まりだす。

1階寄り場にいた労働者たちが管理室職員たちに抗議行動。シャッターは、一部、降りた状態で、ストップ。労働者が、自発的にセンター1階寄り場に集まってくる。急遽ゴザ300枚ほど集めてきて配り、二交代で夜警を組んで、センター開放第一夜。

センター開設以来初めての出来事。この夜を共にすごした仲間は、380名。

28日(火)29日(水)30日(木)

西成労働福祉センターも反矢連の要求に連携するスタンスをとり、対府交渉。

71日 団交 府労働部特対室主幹と市民生局保護課長がいっしょに団交の席につく。初めてのこと。

成果 ①暴言の事実を認めて撤回、謝罪。

②野宿問題が、労働行政の就労対策の立ち遅れに、根本原因があることを認める。

③従来の相対方式では、高齢者が、アブレる問題点を確認。府、市協力のもとで「別途の就労対策」を実施することを約束。

④センターを夜間開放する。

831日センター自主撤退 

釜ヶ崎高齢者対策の予算案を、府が議会に提出することを確認して、センターから自主撤退。

9月  府 定例議会

府 高齢者就労事業に2500万円を決議

市 同程度出す

118日 高齢者特別清掃事業はじまる

府 センター内清掃(30名)

市 地域内清掃  (20名)

単価5,700円。輪番登録者総数、940名。但し、4ヶ月という期限つき。


1995

117日 阪神大震災 

21日 対府交渉

府 震災復旧工事が始まって、センターに異常なほど仕事がでている。景気は上向きだ。高齢者も神戸の仕事に吸収されるだろう。

高齢者特別清掃事業(特掃)については、認定がとれるほど仕事をだすつもりはない。労働者の生活保障までみるつもりはない。

特掃は、2月末で打ち切りをほのめかす。

217日 陳情書 市議会へ  

217日 請願 府議会へ 

震災がらみの求人増は、一時的なもの。しかも劣悪な作業環境で労災事故が続出。50才位上の高齢者は吸収されにくい。

227日 高齢者特別清掃事業 終了。センター窓口座り込み交渉

高齢者特別清掃事業2月いっぱいで打ち切りに抗議、「41日再開にむけ、最善の努力をする。」

33日 「春闘」宣言集会 

36日 不当令状逮捕3名 

8ヶ月前、94627日。センター夜間開放第一夜の出来事が「威力業務妨害」という理由。

426日 申し入れ書 府知事へ  話合いの場を設けよ。

523日  高齢者特別清掃事業 再開 たった10名枠

719日 強制撤去西成公園  70軒のテント強制撤去

8162328日 西成公園集会 

「西成公園の野宿者排除を許さない会」結成。建設局に談判。

918日 要求書 市へ 「特掃事業拡大」要求

920日 要求書 府へ 「特掃事業拡大」要求

920日 市建設局 市環境事業局へ 「高齢者のための仕事」要求

1018日 藤本彰男さん(63)溺死させられる

えびす橋から道噸堀川に投げ込まれた。

1025日 府市交渉 「高齢者特別清掃事業。来年度も継続」確認

1116日 要求書、抗議文 府へ

日雇い高齢野宿者層厳しい現実にフタをして、緊急避難施設を用意するなどの有効な対策を行なうことなく、APECを理由に排除をおこない、人権と生活を圧迫し、その結果、藤本彰男さんを死に至らしめたことに強く抗議します。

124日 要望書 府へ

釜ヶ崎越年対策について 「…国の政策を下請けするのではなく釜ヶ崎を通して国の政策を作れ。大阪が無策であれば、全国の下層高齢労働者が犠牲になる…」

1219日 36日、不当令状逮捕された3名 保釈


1996

14日 要望書 府へ 高齢者就労対策、通年化を求める。

122日 要求書 府労働部へ 高齢者特別清掃事業「20人枠」通年化を求める。

41日 高齢者特別清掃事業 

環境事業局、建設局5人枠づつ計10人枠 市「20人枠」が通年化

68日 梅雨期集中闘争決起集会

610日 要求書 府市へ 

①高齢者就労枠を拡大せよ。

②「ホ一ムレスシェルター」を設置せよ。

③単身者用低家賃労働者住宅を地区内隣接地に建てよ

⑥日雇労働者の就労保障制度を確立せよ。

612日 要求書 西成労働櫨祉センターへ

①高齢者特別清掃事業の拡大、通年化に責任をもってあたれ。

③梅雨期、緊急就労対策として「特出し」を起こし、紹介窓口責任をとれ。

⑤阪神被災地復旧、復興工事にともなう労働諸問題解決のための特別相談窓口を設置せよ。

617日~22日(6日間) 府庁前 野営闘争

624日~628(5日間)  労働福祉センター前座り込み闘争

府労働部、特対室主幹らが、団交に望む。

628日 府労働部主幹ら、3名がセンターに登上。「高齢者特別清掃事業、府分担分を817日まで延長する。」と約束。


1997年

225日 対府交渉 府が国にだしたという要望書の中身を開示せよ。

  225日 対市交渉

 33日 6日 17日 24日 春闘討論会

414日 要求書 府へ 釜ヶ崎高齢者対策事業に関する要求

 519日 要求書 府へ アブレ、野宿の増大に伴う緊急要求

 526日~531日(6日間) 府庁前 野営闘争  府市への600人デモ、400人泊り込み

 530日 府市 回答 

回答 府 ①高齢者特別精掃事業拡大として300万円増やして2500万円獲得した。
②センター開放については、緊急避難、一時的なものとして、実施に向けて話をつめる。
9月議会に向けて努力をする。
  市 ①高齢者特別清掃事業、日曜、祭日明けに限り6名増やす。
②「ケアセンター」10ベッド増やす。

 62日 交渉 西成労働福祉センター センター開放のために…

63日 3者の話し合い 労働福祉センター会議室で府、市、反失連3

市 カンパン支給が決まる(初めてのこと)

65日 カンパン搬入 3,200

66日~7月末まで センター夜間開放

初日764名。カンパンは4日目からlO00食を超え、以後130015OO食。

8日より、センター夜警責任者体制を組む。

 610日 要求書 市更相へ

・門前払いの窓口対応に抗議
2ヶ月のセンター夜間開放にともなう胃袋対策要求
・高齢者の為の就労、生活対策要求

 613日 市更相 回答

 623日 要求書 市へ

・食、シャワー開放、緊急対策の制度化 ・就労開拓を求めて

627日 市 回答 市回答ゼロ

72日 高齢者特別清掃事業

フェスティバルゲート通年3名枠確定

 722日~81日 市更相闘争 再開

カンパンは、16日間延長する。
「特掃」生活道路81日~3010名枠増やす。

 918日 要求書 府市へ

緊急対策(パン券、ドヤ券)、就労対策、低家賃住宅 議会対策

 929日 府市 回答

 1117日 要求書 府市へ

・越年対策

・就労対策、パン券、ドヤ券、特だし(仕事を出すこと)「特掃」300人枠に、公共事業に日雇いの義務付け、低家賃住宅

 1125日~28日(4日間) 府庁前 野営闘争 480(泊り込み200)

1125日 府市 回答 この日、橋野さん(隊長)死去

1125日 府市最終 回答 交渉決裂

「センター開放は住民の反対で、認められない。」との回答。交渉決裂を宣言。
センターで決着をつける旨、言い渡して引き上げる。

121日~1218(18日間)  センター座り込み闘争

3日からは、センター3階に泊り込み断行。400名。
府は、労働福祉センターに対して「退去命令をだせ。」という業務命令をだしていた。センターはこれを拒否してくれた。
機動隊のかまぼこ車21台、と放水車が、遠巻きに待機。

 122日 不当逮捕 1

センターへの呼び込み情宣中、西成署前で逮捕される。
 

 1267日 泊り込み一時中止 年末一時金カンパ活動で

 129日 

夜、「退去勧告」スピーカーで10分おきに…。
翌朝、機動隊かまぼこ車の大半は引き上げていった。

 1216日 市立更生相談所

センターから市更相に押しかけ、(胃袋問題の解決を求めて。)センターの泊まりこみ700人に上る。「本庁で対応する」と回答するのみ。

 1217日 市庁

市庁に押しかける。「府がセンターからの退去勧告を出している人たちと交渉するわけにはいかない。」という態度。

1218日 府労働部から 

「夜間開放にむけて協議したい。」というコメントがセンター窓口を通じて入る。

 1219日 協議 府市と

協議結果①センター夜間利用を認める
期間 1220日~131日 但し臨時宿泊所開設期間を除く
②夜間利用は反失連の自主管理とする。カンパンは支給する。
③臨時宿泊所は、1700名規模。10日間延長して、1229日~116日とする。

 1220日~1230日 公認 センター夜間開放 寝場所を1階に。

 122930日 南港臨時宿泊所受付

初日、1802名。2日目、422名。合計2224名。

 1230日 センター明け渡し

この夜、地区内および周辺で野宿を強いられた人の数は807名。(野宿者ネットワーク調べ)
三角公園にアルジェリアテント設営。医療センター前「ふとん敷き」再開。

1998

15日 デモ行進 市へ

17日から再開 センター3階座り込み闘争

112日~131日 センター夜間開放

三角公園テントをたたむ。夜 730分から、初日398名泊まり。

府 「黙認する。」と意思表示。

112  抗議申し入れ 市へ 臨泊問題について。センターから勝利号で市庁へ

116日 南港臨時宿泊所 閉鎖 最後まで留まっていた人 770

124日 三角公園炊き出し(2400食)4升炊飯 28釜 ぞうすい 160食 そば 200食 カンパン 3

126日 西成公園問題4者懇談会 公園代表、野宿者ネットワーク、地元代表、行政

128日  市回答

130日  府回答 センター夜間開放2月末まで延長を認める。

223日 調査 西成公園 行政による聞き取り調査

26日・13日・20日 西成公園問題4者懇談会

212日 工事説明会 西成公園

223日 要求書 府市へ センター夜間開放終了後の対策について

32日  府市回答 「汗をかいて努力します。」

33日  西成公園 現地説明会  

37日  西成公園 全体集会  

313日 西成公園 テント移転先の整地作業 野宿者ネットワークが監視活動

422日 「特掃」登録締め切り、登録者総数1339名。

51日 メーデー 585名参加

59日 4区集中野宿者調査 3,422名 野宿者ネットワーク

514日 要求書 西成区長へ 緊迫する「あいりん地区」対策の申し入れ

519日 要求書 府と市へ  定着した不況に見合う対策を

 

517日 西成公園 生活保護学習会 

525日 回答  府  ゼロ

527日 回答  市  ゼロ

530日 抗議闘争突入集会 三角公園

5月末ごろ    赤痢発生 617日までに17名確認、19日、34名の報道。

61日~9日(10日間) 府庁前 野営闘争

6258日 交渉 府

府内調整難航中、センター開放2ヶ月で500万円

69日よりセンター夜間開放を行う

協議事項の確認(別紙)

638日 交渉  市

府、市協調してやりましょう

センター夜間開放時、毛布とミネラルウオーターをだす

69日~  センター夜間開放

カンパン1280食  ミネラルウオーター1200缶

618日 赤痢 33名 地域懇談会で確認

620日 赤痢 36名

715日 要求書 府市へ 赤痢と野宿状況の曼延をくい止める対策

722日 府市回答 

729日 交渉 府と市 「センター開放後の対策」を求めて

 

83日~7日(5日間) 市庁前 野営闘争 連日朝昼 対市交渉

回答 ①9月末まで「特掃」11名枠増

②臨時ケアセンター利用枠を拡大する

1回45人の23日、817日から9月末まで

③センター開放時のカンパンと水の支給は、8月末まで延長

④次年度より特掃事業を地区内に限定せず、拡大を想定して予算編成する

812日~15日(4日間) 釜ヶ崎夏祭り スローガン「光を求めて」

817日 臨時ケアセンター 利用開始

 

824日 仮釈放 藤井さん 1997122日からほぼ10ヶ月の不当拘留

921日 要求書 府と市へ

①南海線跡地(三角公園東側)を借り受け臨泊なみのプレハブを建て、臨時ケアセンターとして運用せよ

1000人規模の衣食住対策を

③越年対策を前倒し、拡大せよ

930日 市回答 ゼロ

101日 府回答 ゼロ

105日~17日(13日間) 市庁前 野営闘争  630名参加

1016日 市からの交渉要請 回答 市庁前撤収が条件となる

①特掃の清掃範囲を拡大して10名枠増 1026日~3月末まで

②臨時ケアセンター利用を延長 1026日~11月末まで

③カンパンの支給(1日1000食) 11月1日~11月末まで

④三徳寮うらの空き地900㎡を貸与する 111日~1228日まで

1017日 死去 荒木徳治さん

野営闘争に参加していた、荒木徳治さんは、市庁舎東入口のひさしの下で、早朝亡くなっていた。

1031日~114日(5日間) 三徳テント建てこみ

並べてアルジェリアテントの建て込み、合わせて310名分の自前シェルター

 

115日~1228日 運営開始 三徳テント

 

1112日 要求書  府へ

123日 要求書  府と市へ 越年 越年後の対策について 

1210日 府市回答

府 ①特掃1月20人枠 210人枠

②次年度国の日雇い労働者の補助助成金11億円

③夜間開放は、2月末まで

市 ①平常時援護体制をつくる 

②臨時宿泊所は3000人規模に拡大する、

③国への要望を強めていく

1221日~ センター夜間開放

初めて銀マットを使用 960枚(547,029円)

センター内隅に毛布置き場をつくる(府と覚書をかわす)

センター 900名  三徳テント 310

122930日 臨時宿泊所受付 

1230日 三徳テント利用開始

市との約束では土地貸与期限は1228日まで


1999

15日 府と市へ抗議 要求書 臨時宿泊所終了以降の対策について

17日~228日 センター夜間開放2ヶ月間)

センターでの泊まりが、800名を超えて明らかにセンターだけでは、不十分であることが判明

18日~自主管理再開 三徳テント

センター800名 三徳テント320名 市は、三徳テント仮設トイレの汲み取り料支払い拒否

1228日以降は、不法占拠。」という理由

21日 判決 即時釈放 藤井さん 検察側が控訴

21日 要求書 府と市へ

・野宿を余儀なくされている労働者への通年的対策について

・南海線跡地にシェルターを作れ

210日 府回答  府分担分を通年化する。

218日 市回答

①ケアセンター枠170床増

②地域外軽作業10人枠でスタート

150人規模の救護施設を市域外に建設

228日 センター夜間開放 最終日

反失連会議 翌日からの寝場所について話し合い。

市長の目の前で寝場所の確保を訴えることに決める。

31日~30日 市庁前 野営闘争

400名から500名規模。30日間のうち対市交渉は15

 

329日 市 交渉結果

報告書あり。センター夜間開放について合意文書を交わす

330日~ センター夜間開放

415日 赤痢  三徳テントから患者出る、テント内消毒

42029日 国への要望書 再検討 

51日 メーデー  1000名参加

5813日 反失連会議  反失連運動路線を確認する

釜ヶ崎発 国への要望書(案)について

勝ち取る会   脱退の意向を文書で表明。限定的不参加もあり、という説明で文書撤回

連合大阪、共同で法案提出を考えている

寿日雇い労働組合、笹島日雇い労働組合、山谷争議団へ説明に行く

勝ち取る会 法案提出に賛同できない。

医療連 法案提出の署名集めには協力できない

521日 要求書 府と市へ  野宿者対策強化を…。

526日 ホームレス問題連絡会議 「国によるとりまとめ」発表

62日 要望書 国へ提出

厚生省社会援護局長 ホームレス問題連絡会議責任者に手渡す 「国によるとりまとめ(526日)」が釜ヶ崎の実情に合わない旨、訴える

611日 反失連会議 NPO釜ヶ崎立ち上げについて提案と討議

615日 市長 定例記者会見 「野宿者対策本部」立ち上げ発表

619日 第1回わいがや会

釜ヶ崎及び周辺地元の町会長,商店会長と行政の地域懇談会

623日 NPO釜ヶ崎設立総会 

628日 521日の府市回答

・国の対策を待つ

・8月1日よりセンター改修工事が始まるのでセンター夜間開放は7月31日まで

7月5日 始動「特掃」地域外 地域外軽作業始動「除草」(10人枠)

7月19日 賛同署名 国へ

厚生省社会援護局長に手渡す

国への要望書の賛同署名は5000名を超える

81日~ 継続 センター夜間開放

ほかに寝場所がない。731日までの期限を越えて自主管理継続

812日~15日(4日間) 釜ヶ崎夏祭り スローガン「負けへんで 釜ヶ崎」

825日 反失連会議 市 センターにかわる寝場所提案  

反失連会議の場に民生局保護課長代理がきて提案

「センターに代わる寝場所として、南職安分室敷地に大テントを建てる 反失連が自主管理してくれ」

・仕事を増やすこと 夜警スタッフの仮眠所

・ユニットシャワーの設置を条件に出す

95日 延期  自主管理南テント

南職安分室敷地内に建てられた南テントは、初日 大雨のため雨漏り 利用延期

919日 開始 自主管理南テント

南テント250名 北テント(三徳テント)と合わせて500名

914日 府市より「国の就労対策がらみ」での釜ヶ崎対策の提示あり

府 センター機能回復事業20人 始める

市 道路清掃30人、増員

地域外軽作業(公園 保育所 バス停清)60人枠で始める

917   要求書  府と市へ 

寝場所対策の拡大と雇用創出基金の実施見通しについて

922日  府市回答

929日 NPO釜ヶ崎 認証おりる

NPO釜ヶ崎(釜ヶ崎支援機構)登記完了

105日 センター労組と懇談会

高齢者特掃事業におけるNPO釜ヶ崎体制について

1020日~23日(4日間) 特掃事務所の建て増し作業

高齢者特掃事業拡大に伴う必要不可欠なことだが、市は認めず

111日 NPO釜ヶ崎はじまる

高齢者特別清掃事業は110人増

府市合わせて154人枠

1129  要求書  府と市へ 野宿生活者対策の遅滞につき要望

①国の雇用創出基金による対策の充実拡大

②1000名以上の寝場所対策

③自立支援センターの開設

1213日 死亡 1名 朝、北テント宿泊の労働者1名死亡を発見

1217日 釜ヶ崎越冬支援連帯集会 野宿の固定化を打ち破れ


2000

125日 反失連会議

「市は600人規模のプレハブシェルターを三角公園前の南海線跡地に建てる。4月から3年間。」という報告あり。

28日 寒波襲来 緊急夜回り。3名凍死。

221日 冬木さん死亡

夜半、あさひ町公園で野宿していた冬木さん仲間同士のけんかの仲裁に入って後、撲殺される。

222日 反失連会議 三角公園シェルターの概要報告

41日開所予定。夕方630分~翌朝5時まで

②宿泊棟3棟、管理棟1棟2階建て

③シャワー20、トイレ20。

227日 冬木さん追悼集会

317日 深田さん行方不明

徳島県の飯場から組合事務所に連絡が入る。すぐに、調査団を現地へ送る。

321日 「特掃」輪番登録受付開始 425日まで。

327日 大阪城公園炊き出し始まる 勝ち取る会

41日 三角公園シェルター開所 正式名称 あいりん臨時夜間緊急避難所

425日 「特掃」輪番登録受付終了 登録者総数 2815

51日 メーデー

524日 NPO釜ヶ崎総会

64日 梅雨期闘争決起集会 三角公園

65   要求書  府へ 府庁まで、デモ行進。250名。

67   要求書  市へ 勝利号、ピストンで。300名。

内容 ①高齢者の就労枠の拡大

②シェルターの拡充、改善

③医療体制の充実

④市内の野宿者対策を、自立支援センターの出口就労の見直しを

⑤生活ケアセンターを拡大

⑥高齢者集住地域としての釜ヶ崎対策を

⑦市更相の抜本的改善を

69日 太田房江知事野宿者差別発言

612日~72日 府庁前 野営闘争(20日間)

対府交渉 5回  対市交渉 2

628日 府 交渉 知事審議室と。

「知事は、野宿問題は、就労問題と認識している。」という主旨を確認。

629日 府 交渉 NPO理事団審議室と交渉。約束をする。

・府は9月より、高齢者特別清掃事業を30人枠増やす

・知事はできるだけ早く釜ヶ崎に勉強にいく。

727日 市野宿者問題対策に関する懇談会

行政による長居公園シェルター構想を検討

2段ベッドはプライバシーの点で不適

・鋼板塀は野宿者差別をあおるもと

・公園内野宿当事者の意見を聞いた上で図を描く

・「食」の一定支給は必要

・シェルターを作らずともテントゾーンを指定し、シャワー、トイレ、炊事施設、作業場、ゴミの定期搬出など公共部分を設置し、そこから順次、自立支援センターに移行する、方式もあるはず。

825日 釜ヶ崎視察  太田房江府知事,朝730分から10時まで

825日 行路死 センター前で 中田ひろしさん 

中田さんは、数年間にわたって、センター前で「ふとん敷き」を担当していた。

913日 要望書 協友会が、長居シェルターに関して

914日 要求書 反失連が、長居シェルターに関して

926日 現地説明会 長居シェルター

市「排除を目的としない対策を打つ」

930日 磯村市長差別発言 

「数千人の野宿者が、周辺住民に恐怖を与えている」

103日 請願提出 府議会 請願43号 9項目

105日 現地説明会 長居シェルター 市「強制撤去はしない」と明言

1016日 現地説明会 長居シェルター

市が、テントの労働者の意見をきく「面接調査」を、ただちにおこなう

1020日 府議会 傍聴 請願43号は、第9項のみ採択

1031日 白鷺公園

野宿者が、襲撃少年をナイフで刺傷。磯村発言以降若者による、野宿者襲撃が増加傾向。

118日 現地説明会 長居シェルター シェルターは、個室にする。

1225日 第31回越冬闘争突入集会 三角公園

1229日 長居避難所開所

NPO釜ヶ崎から警備スタッフ7

南港臨時宿泊所受付と同時スタート