釜ヶ崎反失業連絡会年表 年表は反失連共同代表(当時)本田神父の記録による
(参考)1990年12月21日 釜ケ崎労働者の怒りを背景としての申し入れ
1993年
9月 反失連(釜ヶ崎就労・生活保障制度実現を目指す連絡会)結成 (参考-基本枠組み)
毎週水曜日を行政闘争の日と決める。結成準備会 8回
10月 要求書 府市へ提出(9月27日府市要求書)
大阪府議会に、請願51号「釜ヶ崎(あいりん地区)労働対策に関する件」提出
回答状況
府=失対事業めいたことは、やるつもりはない。府下の常用労働者も危機に瀕しており、バランス上釜ヶ崎の労働者を優遇(?)するわけにはいかない。
市=野宿問題の根本には、労働問題がある。高齢者、病弱者の民生、福祉対策の一環として何らかの就労事業を行なう用意がある。府労働部の仕切りがありしだい、実行に移す。
1994年
2月25日~3月2日 府庁前 野営闘争
府議会開会中、府市の話し合いを要求。
回答状況
府=退職年齢を超えた高齢者については、労働部の枠外だ。国が、何か対策を講じると言うのなら、府としても考えてもいいが・・・・
市=府が、釜ヶ崎高齢者就労ブランを立て府下の全市町村に協力依頼をするなら、市も協力する。
6月13日 要求書 府市へ提出
要求内容 ②1日500人の高齢者のための軽作業を
④センターの夜間開放を
⑤地区内に無料宿泊所(シェルター)を
釜ヶ崎総合対策として
③高齢者就労対策事業の制度的確立を
⑦低家賃高齢者住宅の建設を
⑧ドヤでの居宅保護の認可を
6月20日~25日府庁前 野営闘争(6日間)
府庁玄関座り込み。労働部前で協議集会。最寄りの駅、街頭で情宣、カンパ活動。事務所までデモ。日中は、釜からの日帰り仲間も加わって400名。
府労働部特対室主幹 「野宿対策は、民生問題だ。大阪市へいけ。」と暴言。交渉決裂。以後、センター窓口で責任問題を追及する旨、言い渡して、25日(土)野営撤収。
6月27日~8月31日(65日間)センター窓口泊り込み交渉
府労働部が、「西成労働福祉センターを労働部の現地出先機関と位置づけており、センターを通じて求人確保を、行なっている。」と言明したので窓口交渉を要求する。3点にしぼって、要求。
要求内容①労働部主幹による暴言について代表がセンターにきて労働者の前で釈明せよ。
②高齢労働者の就労面での緊急対策を実施せよ。
③就労対策が、具体化するまでセンターを夜間開放せよ。
6月27日~8月31日センター夜間開放はじまる
6月27日(月) 夕方6時ごろ、交渉続行中にセンターのシャッターが閉まりだす。
1階寄り場にいた労働者たちが管理室職員たちに抗議行動。シャッターは、一部、降りた状態で、ストップ。労働者が、自発的にセンター1階寄り場に集まってくる。急遽ゴザ300枚ほど集めてきて配り、二交代で夜警を組んで、センター開放第一夜。
センター開設以来初めての出来事。この夜を共にすごした仲間は、380名。
28日(火)29日(水)30日(木)
西成労働福祉センターも反矢連の要求に連携するスタンスをとり、対府交渉。
7月1日 団交 府労働部特対室主幹と市民生局保護課長がいっしょに団交の席につく。初めてのこと。
成果 ①暴言の事実を認めて撤回、謝罪。
②野宿問題が、労働行政の就労対策の立ち遅れに、根本原因があることを認める。
③従来の相対方式では、高齢者が、アブレる問題点を確認。府、市協力のもとで「別途の就労対策」を実施することを約束。
④センターを夜間開放する。
8月31日センター自主撤退
釜ヶ崎高齢者対策の予算案を、府が議会に提出することを確認して、センターから自主撤退。
9月 府 定例議会
府 高齢者就労事業に2500万円を決議
市 同程度出す
11月8日 高齢者特別清掃事業はじまる
府 センター内清掃(30名)
市 地域内清掃 (20名)
単価5,700円。輪番登録者総数、940名。但し、4ヶ月という期限つき。
1995年
1月17日 阪神大震災
2月1日 対府交渉
府 震災復旧工事が始まって、センターに異常なほど仕事がでている。景気は上向きだ。高齢者も神戸の仕事に吸収されるだろう。
高齢者特別清掃事業(特掃)については、認定がとれるほど仕事をだすつもりはない。労働者の生活保障までみるつもりはない。
特掃は、2月末で打ち切りをほのめかす。
2月17日 陳情書 市議会へ
2月17日 請願 府議会へ
震災がらみの求人増は、一時的なもの。しかも劣悪な作業環境で労災事故が続出。50才位上の高齢者は吸収されにくい。
2月27日 高齢者特別清掃事業 終了。センター窓口座り込み交渉。
高齢者特別清掃事業2月いっぱいで打ち切りに抗議、「4月1日再開にむけ、最善の努力をする。」
3月3日 「春闘」宣言集会
3月6日 不当令状逮捕3名
8ヶ月前、94年6月27日。センター夜間開放第一夜の出来事が「威力業務妨害」という理由。
4月26日 申し入れ書 府知事へ 話合いの場を設けよ。
5月23日 高齢者特別清掃事業 再開 たった10名枠
7月19日 強制撤去西成公園 70軒のテント強制撤去
8月16日23日28日 西成公園集会
「西成公園の野宿者排除を許さない会」結成。建設局に談判。
9月18日 要求書 市へ 「特掃事業拡大」要求
9月20日 要求書 府へ 「特掃事業拡大」要求
9月20日 市建設局 市環境事業局へ 「高齢者のための仕事」要求
10月18日 藤本彰男さん(63才)溺死させられる
えびす橋から道噸堀川に投げ込まれた。
10月25日 府市交渉 「高齢者特別清掃事業。来年度も継続」確認
11月16日 要求書、抗議文 府へ
日雇い高齢野宿者層厳しい現実にフタをして、緊急避難施設を用意するなどの有効な対策を行なうことなく、APECを理由に排除をおこない、人権と生活を圧迫し、その結果、藤本彰男さんを死に至らしめたことに強く抗議します。
12月4日 要望書 府へ
釜ヶ崎越年対策について 「…国の政策を下請けするのではなく釜ヶ崎を通して国の政策を作れ。大阪が無策であれば、全国の下層高齢労働者が犠牲になる…」
12月19日 3月6日、不当令状逮捕された3名 保釈
1996年
1月4日 要望書 府へ 高齢者就労対策、通年化を求める。
1月22日 要求書 府労働部へ 高齢者特別清掃事業「20人枠」通年化を求める。
4月1日 高齢者特別清掃事業
環境事業局、建設局5人枠づつ計10人枠 市「20人枠」が通年化
6月8日 梅雨期集中闘争決起集会
6月10日 要求書 府市へ
①高齢者就労枠を拡大せよ。
②「ホ一ムレスシェルター」を設置せよ。
③単身者用低家賃労働者住宅を地区内隣接地に建てよ
⑥日雇労働者の就労保障制度を確立せよ。
6月12日 要求書 西成労働櫨祉センターへ
①高齢者特別清掃事業の拡大、通年化に責任をもってあたれ。
③梅雨期、緊急就労対策として「特出し」を起こし、紹介窓口責任をとれ。
⑤阪神被災地復旧、復興工事にともなう労働諸問題解決のための特別相談窓口を設置せよ。
6月17日~22日(6日間) 府庁前 野営闘争
6月24日~6月28日(5日間) 労働福祉センター前座り込み闘争
府労働部、特対室主幹らが、団交に望む。
6月28日 府労働部主幹ら、3名がセンターに登上。「高齢者特別清掃事業、府分担分を8月17日まで延長する。」と約束。
1997年
2月25日 対府交渉 府が国にだしたという要望書の中身を開示せよ。
2月25日 対市交渉
3月3日 6日 17日 24日 春闘討論会
4月14日 要求書 府へ 釜ヶ崎高齢者対策事業に関する要求
5月19日 要求書 府へ アブレ、野宿の増大に伴う緊急要求
5月26日~5月31日(6日間) 府庁前 野営闘争 府市への600人デモ、400人泊り込み
5月30日 府市 回答
回答 府 ①高齢者特別精掃事業拡大として300万円増やして2500万円獲得した。
②センター開放については、緊急避難、一時的なものとして、実施に向けて話をつめる。
③9月議会に向けて努力をする。
市 ①高齢者特別清掃事業、日曜、祭日明けに限り6名増やす。
②「ケアセンター」10ベッド増やす。
6月2日 交渉 西成労働福祉センター センター開放のために…
6月3日 3者の話し合い 労働福祉センター会議室で府、市、反失連3者
市 カンパン支給が決まる(初めてのこと)
6月5日 カンパン搬入 3,200食
6月6日~7月末まで センター夜間開放
初日764名。カンパンは4日目からlO00食を超え、以後1300~15OO食。
8日より、センター夜警責任者体制を組む。
6月10日 要求書 市更相へ
・門前払いの窓口対応に抗議
・2ヶ月のセンター夜間開放にともなう胃袋対策要求
・高齢者の為の就労、生活対策要求
6月13日 市更相 回答
6月23日 要求書 市へ
・食、シャワー開放、緊急対策の制度化 ・就労開拓を求めて
6月27日 市 回答 市回答ゼロ
7月2日 高齢者特別清掃事業
フェスティバルゲート通年3名枠確定
7月22日~8月1日 市更相闘争 再開
カンパンは、16日間延長する。
「特掃」生活道路8月1日~30日10名枠増やす。
9月18日 要求書 府市へ
緊急対策(パン券、ドヤ券)、就労対策、低家賃住宅 議会対策
9月29日 府市 回答
11月17日 要求書 府市へ
・越年対策
・就労対策、パン券、ドヤ券、特だし(仕事を出すこと)「特掃」300人枠に、公共事業に日雇いの義務付け、低家賃住宅
11月25日~28日(4日間) 府庁前 野営闘争 480名(泊り込み200名)
11月25日 府市 回答 この日、橋野さん(隊長)死去
11月25日 府市最終 回答 交渉決裂
「センター開放は住民の反対で、認められない。」との回答。交渉決裂を宣言。
センターで決着をつける旨、言い渡して引き上げる。
12月1日~12月18日(18日間) センター座り込み闘争
3日からは、センター3階に泊り込み断行。400名。
府は、労働福祉センターに対して「退去命令をだせ。」という業務命令をだしていた。センターはこれを拒否してくれた。
機動隊のかまぼこ車21台、と放水車が、遠巻きに待機。
12月2日 不当逮捕 1名
センターへの呼び込み情宣中、西成署前で逮捕される。
12月6日7日 泊り込み一時中止 年末一時金カンパ活動で
12月9日
夜、「退去勧告」スピーカーで10分おきに…。
翌朝、機動隊かまぼこ車の大半は引き上げていった。
12月16日 市立更生相談所
センターから市更相に押しかけ、(胃袋問題の解決を求めて。)センターの泊まりこみ700人に上る。「本庁で対応する」と回答するのみ。
12月17日 市庁
市庁に押しかける。「府がセンターからの退去勧告を出している人たちと交渉するわけにはいかない。」という態度。
12月18日 府労働部から
「夜間開放にむけて協議したい。」というコメントがセンター窓口を通じて入る。
12月19日 協議 府市と
協議結果①センター夜間利用を認める。
期間 12月20日~1月31日 但し臨時宿泊所開設期間を除く
②夜間利用は反失連の自主管理とする。カンパンは支給する。
③臨時宿泊所は、1700名規模。10日間延長して、12月29日~1月16日とする。
12月20日~12月30日 公認 センター夜間開放 寝場所を1階に。
12月29日30日 南港臨時宿泊所受付
初日、1802名。2日目、422名。合計2224名。
12月30日 センター明け渡し
この夜、地区内および周辺で野宿を強いられた人の数は807名。(野宿者ネットワーク調べ)
三角公園にアルジェリアテント設営。医療センター前「ふとん敷き」再開。
1998年
1月5日 デモ行進 市へ
1月7日から再開 センター3階座り込み闘争
1月12日~1月31日 センター夜間開放
三角公園テントをたたむ。夜 7時30分から、初日398名泊まり。
府 「黙認する。」と意思表示。
1月12日 抗議申し入れ 市へ 臨泊問題について。センターから勝利号で市庁へ
1月16日 南港臨時宿泊所 閉鎖 最後まで留まっていた人 770名
1月24日 三角公園炊き出し(2400食)4升炊飯 28釜 ぞうすい 160食 そば 200食 カンパン 3缶
1月26日 西成公園問題4者懇談会 公園代表、野宿者ネットワーク、地元代表、行政
1月28日 市回答
1月30日 府回答 センター夜間開放2月末まで延長を認める。
2月2日3日 調査 西成公園 行政による聞き取り調査
2月6日・13日・20日 西成公園問題4者懇談会
2月12日 工事説明会 西成公園
2月23日 要求書 府市へ センター夜間開放終了後の対策について
3月2日 府市回答 「汗をかいて努力します。」
3月3日 西成公園 現地説明会
3月7日 西成公園 全体集会
3月13日 西成公園 テント移転先の整地作業 野宿者ネットワークが監視活動
4月22日 「特掃」登録締め切り、登録者総数1339名。
5月1日 メーデー 585名参加
5月9日 4区集中野宿者調査 3,422名 野宿者ネットワーク
5月14日 要求書 西成区長へ 緊迫する「あいりん地区」対策の申し入れ
5月19日 要求書 府と市へ 定着した不況に見合う対策を
5月17日 西成公園 生活保護学習会
5月25日 回答 府 ゼロ
5月27日 回答 市 ゼロ
5月30日 抗議闘争突入集会 三角公園
5月末ごろ 赤痢発生 6月17日までに17名確認、19日、34名の報道。
6月1日~9日(10日間) 府庁前 野営闘争
6月2日5日8日 交渉 府
府内調整難航中、センター開放2ヶ月で500万円
6月9日よりセンター夜間開放を行う
協議事項の確認(別紙)
6月3日8日 交渉 市
府、市協調してやりましょう
センター夜間開放時、毛布とミネラルウオーターをだす
6月9日~ センター夜間開放
カンパン1280食 ミネラルウオーター1200缶
6月18日 赤痢 33名 地域懇談会で確認
6月20日 赤痢 36名
7月15日 要求書 府市へ 赤痢と野宿状況の曼延をくい止める対策
7月22日 府市回答
7月29日 交渉 府と市 「センター開放後の対策」を求めて
8月3日~7日(5日間) 市庁前 野営闘争 連日朝昼 対市交渉
回答 ①9月末まで「特掃」11名枠増
②臨時ケアセンター利用枠を拡大する
1回45人の2泊3日、8月17日から9月末まで
③センター開放時のカンパンと水の支給は、8月末まで延長
④次年度より特掃事業を地区内に限定せず、拡大を想定して予算編成する
8月12日~15日(4日間) 釜ヶ崎夏祭り スローガン「光を求めて」
8月17日 臨時ケアセンター 利用開始
8月24日 仮釈放 藤井さん 1997年12月2日からほぼ10ヶ月の不当拘留
9月21日 要求書 府と市へ
①南海線跡地(三角公園東側)を借り受け臨泊なみのプレハブを建て、臨時ケアセンターとして運用せよ
②1000人規模の衣食住対策を
③越年対策を前倒し、拡大せよ
9月30日 市回答 ゼロ
10月1日 府回答 ゼロ
10月5日~17日(13日間) 市庁前 野営闘争 630名参加
10月16日 市からの交渉要請 回答 市庁前撤収が条件となる
①特掃の清掃範囲を拡大して10名枠増 10月26日~3月末まで
②臨時ケアセンター利用を延長 10月26日~11月末まで
③カンパンの支給(1日1000食) 11月1日~11月末まで
④三徳寮うらの空き地900㎡を貸与する 11月1日~12月28日まで
10月17日 死去 荒木徳治さん
野営闘争に参加していた、荒木徳治さんは、市庁舎東入口のひさしの下で、早朝亡くなっていた。
10月31日~11月4日(5日間) 三徳テント建てこみ
並べてアルジェリアテントの建て込み、合わせて310名分の自前シェルター
11月5日~12月28日 運営開始 三徳テント
11月12日 要求書 府へ
12月3日 要求書 府と市へ 越年 越年後の対策について
12月10日 府市回答
府 ①特掃1月20人枠 2月10人枠
②次年度国の日雇い労働者の補助助成金11億円
③夜間開放は、2月末まで
市 ①平常時援護体制をつくる
②臨時宿泊所は3000人規模に拡大する、
③国への要望を強めていく
12月21日~ センター夜間開放
初めて銀マットを使用 960枚(547,029円)
センター内隅に毛布置き場をつくる(府と覚書をかわす)
センター 900名 三徳テント 310名
12月29日30日 臨時宿泊所受付
12月30日 三徳テント利用開始
市との約束では土地貸与期限は12月28日まで
1999年
1月5日 府と市へ抗議 要求書 臨時宿泊所終了以降の対策について
1月7日~2月28日 センター夜間開放(2ヶ月間)
センターでの泊まりが、800名を超えて明らかにセンターだけでは、不十分であることが判明
1月8日~自主管理再開 三徳テント
センター800名 三徳テント320名 市は、三徳テント仮設トイレの汲み取り料支払い拒否
「12月28日以降は、不法占拠。」という理由
2月1日 判決 即時釈放 藤井さん 検察側が控訴
2月1日 要求書 府と市へ
・野宿を余儀なくされている労働者への通年的対策について
・南海線跡地にシェルターを作れ
2月10日 府回答 府分担分を通年化する。
2月18日 市回答
①ケアセンター枠170床増
②地域外軽作業10人枠でスタート
③150人規模の救護施設を市域外に建設
2月28日 センター夜間開放 最終日
反失連会議 翌日からの寝場所について話し合い。
市長の目の前で寝場所の確保を訴えることに決める。
3月1日~30日 市庁前 野営闘争
400名から500名規模。30日間のうち対市交渉は15回
3月29日 市 交渉結果
報告書あり。センター夜間開放について合意文書を交わす
3月30日~ センター夜間開放
4月15日 赤痢 三徳テントから患者出る、テント内消毒
4月20日29日 国への要望書 再検討
5月1日 メーデー 1000名参加
5月8日13日 反失連会議 反失連運動路線を確認する
釜ヶ崎発 国への要望書(案)について
勝ち取る会 脱退の意向を文書で表明。限定的不参加もあり、という説明で文書撤回
連合大阪、共同で法案提出を考えている
寿日雇い労働組合、笹島日雇い労働組合、山谷争議団へ説明に行く
勝ち取る会 法案提出に賛同できない。
医療連 法案提出の署名集めには協力できない
5月21日 要求書 府と市へ 野宿者対策強化を…。
5月26日 ホームレス問題連絡会議 「国によるとりまとめ」発表
6月2日 要望書 国へ提出
厚生省社会援護局長 ホームレス問題連絡会議責任者に手渡す 「国によるとりまとめ(5月26日)」が釜ヶ崎の実情に合わない旨、訴える
6月11日 反失連会議 NPO釜ヶ崎立ち上げについて提案と討議
6月15日 市長 定例記者会見 「野宿者対策本部」立ち上げ発表
6月19日 第1回わいがや会
釜ヶ崎及び周辺地元の町会長,商店会長と行政の地域懇談会
6月23日 NPO釜ヶ崎設立総会
6月28日 5月21日の府市回答
・国の対策を待つ
・8月1日よりセンター改修工事が始まるのでセンター夜間開放は7月31日まで
7月5日 始動「特掃」地域外 地域外軽作業始動「除草」(10人枠)
7月19日 賛同署名 国へ
厚生省社会援護局長に手渡す
国への要望書の賛同署名は5000名を超える
8月1日~ 継続 センター夜間開放
ほかに寝場所がない。7月31日までの期限を越えて自主管理継続
8月12日~15日(4日間) 釜ヶ崎夏祭り スローガン「負けへんで 釜ヶ崎」
8月25日 反失連会議 市 センターにかわる寝場所提案
反失連会議の場に民生局保護課長代理がきて提案
「センターに代わる寝場所として、南職安分室敷地に大テントを建てる 反失連が自主管理してくれ」
・仕事を増やすこと 夜警スタッフの仮眠所
・ユニットシャワーの設置を条件に出す
9月5日 延期 自主管理南テント
南職安分室敷地内に建てられた南テントは、初日 大雨のため雨漏り 利用延期
9月19日 開始 自主管理南テント
南テント250名 北テント(三徳テント)と合わせて500名
9月14日 府市より「国の就労対策がらみ」での釜ヶ崎対策の提示あり
府 センター機能回復事業20人 始める
市 道路清掃30人、増員
地域外軽作業(公園 保育所 バス停清)60人枠で始める
9月17日 要求書 府と市へ
寝場所対策の拡大と雇用創出基金の実施見通しについて
9月22日 府市回答
9月29日 NPO釜ヶ崎 認証おりる
NPO釜ヶ崎(釜ヶ崎支援機構)登記完了
10月5日 センター労組と懇談会
高齢者特掃事業におけるNPO釜ヶ崎体制について
10月20日~23日(4日間) 特掃事務所の建て増し作業
高齢者特掃事業拡大に伴う必要不可欠なことだが、市は認めず
11月1日 NPO釜ヶ崎はじまる
高齢者特別清掃事業は110人増
府市合わせて154人枠
11月29日 要求書 府と市へ 野宿生活者対策の遅滞につき要望
①国の雇用創出基金による対策の充実拡大
②1000名以上の寝場所対策
③自立支援センターの開設
12月13日 死亡 1名 朝、北テント宿泊の労働者1名死亡を発見
12月17日 釜ヶ崎越冬支援連帯集会 野宿の固定化を打ち破れ
2000年
1月25日 反失連会議
「市は600人規模のプレハブシェルターを三角公園前の南海線跡地に建てる。4月から3年間。」という報告あり。
2月8日 寒波襲来 緊急夜回り。3名凍死。
2月21日 冬木さん死亡
夜半、あさひ町公園で野宿していた冬木さん仲間同士のけんかの仲裁に入って後、撲殺される。
2月22日 反失連会議 三角公園シェルターの概要報告
①4月1日開所予定。夕方6時30分~翌朝5時まで
②宿泊棟3棟、管理棟1棟2階建て
③シャワー20、トイレ20。
2月27日 冬木さん追悼集会
3月17日 深田さん行方不明
徳島県の飯場から組合事務所に連絡が入る。すぐに、調査団を現地へ送る。
3月21日 「特掃」輪番登録受付開始 4月25日まで。
3月27日 大阪城公園炊き出し始まる 勝ち取る会
4月1日 三角公園シェルター開所 正式名称 あいりん臨時夜間緊急避難所
4月25日 「特掃」輪番登録受付終了 登録者総数 2815名
5月1日 メーデー
5月24日 NPO釜ヶ崎総会
6月4日 梅雨期闘争決起集会 三角公園
6月5日 要求書 府へ 府庁まで、デモ行進。250名。
6月7日 要求書 市へ 勝利号、ピストンで。300名。
内容 ①高齢者の就労枠の拡大
②シェルターの拡充、改善
③医療体制の充実
④市内の野宿者対策を、自立支援センターの出口就労の見直しを
⑤生活ケアセンターを拡大
⑥高齢者集住地域としての釜ヶ崎対策を
⑦市更相の抜本的改善を
6月9日 太田房江知事野宿者差別発言
6月12日~7月2日 府庁前 野営闘争(20日間)
対府交渉 5回 対市交渉 2回
6月28日 府 交渉 知事審議室と。
「知事は、野宿問題は、就労問題と認識している。」という主旨を確認。
6月29日 府 交渉 NPO理事団審議室と交渉。約束をする。
・府は9月より、高齢者特別清掃事業を30人枠増やす
・知事はできるだけ早く釜ヶ崎に勉強にいく。
7月27日 市野宿者問題対策に関する懇談会
行政による長居公園シェルター構想を検討
・2段ベッドはプライバシーの点で不適
・鋼板塀は野宿者差別をあおるもと
・公園内野宿当事者の意見を聞いた上で図を描く
・「食」の一定支給は必要
・シェルターを作らずともテントゾーンを指定し、シャワー、トイレ、炊事施設、作業場、ゴミの定期搬出など公共部分を設置し、そこから順次、自立支援センターに移行する、方式もあるはず。
8月25日 釜ヶ崎視察 太田房江府知事,朝7時30分から10時まで
8月25日 行路死 センター前で 中田ひろしさん
中田さんは、数年間にわたって、センター前で「ふとん敷き」を担当していた。
9月13日 要望書 協友会が、長居シェルターに関して
9月14日 要求書 反失連が、長居シェルターに関して
9月26日 現地説明会 長居シェルター
市「排除を目的としない対策を打つ」
9月30日 磯村市長差別発言
「数千人の野宿者が、周辺住民に恐怖を与えている」
10月3日 請願提出 府議会 請願43号 9項目
10月5日 現地説明会 長居シェルター 市「強制撤去はしない」と明言
10月16日 現地説明会 長居シェルター
市が、テントの労働者の意見をきく「面接調査」を、ただちにおこなう
10月20日 府議会 傍聴 請願43号は、第9項のみ採択
10月31日 白鷺公園
野宿者が、襲撃少年をナイフで刺傷。磯村発言以降若者による、野宿者襲撃が増加傾向。
11月8日 現地説明会 長居シェルター シェルターは、個室にする。
12月25日 第31回越冬闘争突入集会 三角公園
12月29日 長居避難所開所
NPO釜ヶ崎から警備スタッフ7名
南港臨時宿泊所受付と同時スタート