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「行き倒れて病死か・西成で中年の男性」

4日午後1140分ごろ、花園北1丁目の道路工事現場の作業員用たまり場付近で、中年の男性が死んでいるのを、釜ケ崎キリスト教越冬委員会のパトロール隊がみつけ、西成署に届けた。

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「あいりん地区・労働者に臨時宿泊所を開設・あすから市」

南港臨時宿泊所に8百人、自彊館臨時宿泊所に2百人の計千人分。期間は29日から10日まで。
受け付けの
29日は病弱者、40歳以上の雇用保険手帳の所持者、50歳以上で手帳のない人が対象、30日はこれ以外の人。

80227

「あいりん近況-6-越冬闘争」

釜ケ崎解放会館前を午前9時と午後1時、7時の3回、できたての雑炊を積んだリヤカーが出発する。行き先は野宿者が待つ西成署裏の公園だ。おわん1杯の雑すいで、1日延べ百80人ほどが生命をつないでいる。
0時になると、今度は救急箱を抱えて大阪市社会医療センターの前に集まる。軒下にはふとんが用意してあり、毎晩百30人がもぐり込む。炊き出しと夜間自主パトロールは、年末から1日も欠かさず続いている。
今年で
10回の越冬闘争は29日で終わる。合言葉に反して、1月からすでに20人が行き倒れて死んだ。

801224

「臨時宿泊所2カ所設置・29日から・あいりん地区」

29日から10日朝まで、受け付けは2930両日、ただし29日は病弱者、50歳以上の人、日雇労働被保険者手帳の所持者が対象。

801226

「施設の門は狭く・ガード下など野宿百3人・福祉“値切られ”寒々」

あいりん地区(釜ケ崎1帯)で25日から地区の労組員やキリスト教のボランティアたちによる「越冬闘争」が始まった。

13回>午前9時西成署のすぐ裏の萩中公園。「越冬実行委員会」のメンバーが、1時間も前から行列をつくっていた約60人の人たちに呼びかけた。「きょうから炊き出しが13回になります。知らない人に教えてあげて下さい。それに体の具合の悪い人は申し出て下さい。無料の『診療依頼券』を渡します。

<しわ寄せ>大阪社会医療センターには、この日だけで20人の患者が依頼券を持ってやってきた。
センターは正月
3ガ日も休まない。去年は百903人が「依頼券」を持ってやってきて、それぞれ南港の宿泊所や市内の病院に入った。ところがことしは「正月ガ日の受け付けを百人におさえてくれ」といってきた。「国の福祉見直し論が回り回って釜ケ崎の福祉にしわ寄せされているにちがいない」と本田院長はいう。

市はことし、両施設に1日千人を収容する、と発表した。去年1700人を受け入れたのに比べると、大幅な後退だが、担当者は「いろいろ財政の事情もあって…」と口をにごす。

<底冷え>夜7時。萩中公園の炊き出しを受ける行列は約120人にふくれあがった。越冬実行委のメンバーがテント張りにかかったが、公園を取り囲んでいた西成署員にはばまれた。5年前まで越冬闘争の拠点は公園に張られたテントだった。
午後
0時。大阪社会医療センターのコンコースには泊まるところがない人のために50人分のふとんが敷かれ、そのほとんどが埋まった。実行委員会のメンバーらは夜間医療パトロールに出発した。

26日午前0時までに、地区内で野宿していた人は百3人を数えた。

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西成署の調べでは、去年の越冬闘争期間中、32人が地区内で病気などで死んだ。
うち
18人は、寒風の吹きすさぶ公園や路上での孤独な死だった。労働者の高齢化が進み、結核患者があとを絶たない中で、ことしも同じような悲劇を繰り返さないという保証はない。

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「「仕事よこせ」とデモ・あいりん労働者ら50人」

年末から年始にかけて大阪南港などに設けられていた「臨時宿泊所」が撤去され、地区には再び労働者が戻ってきた。
しかし、西成労働福祉センターなどへの求人状況は「松の内」の
15日を過ぎても低調。早朝の「現金就労」ひとつとっても去年の場合、17日に27801人だったのが、ことしは千4807人と半減している。

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「この人登場・釜ケ崎の越冬闘争に取り組むキリスト教牧師の重野信之さん(41)」

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「“越冬テント”撤去正当・大阪地裁判決・あいりん活動は評価」

51年末から524月にかけて越冬活動をしていたメンバーが、テントなどを強制撤去した大阪市を相手取り「その後の運動に支障が出た」などとして損害賠償を求めていた訴訟の判決が24日、大阪地裁民事7部であった。
乾達彦裁判長は「日雇労働者の雇用・健康問題がとくに深刻な時期に、行政の施策の足りないところを補っている越冬活動の評価を惜しむべきではない」としながらも、「この活動で
1般市民、児童が公園を利用しにくくなったり、夜間の騒ぎで付近の住民に安眠できないなどの迷惑をかけた」として市のテント撤去を正当と認め、訴えを棄却した。

8315日夕刊

「底辺労働者に暗い新春・あいりん地区・3400人が野宿・臨時宿泊所も大あふれ」

あいりん地区(釜ケ崎1帯)に吹く不況風がいつになく厳しい。夜間パトロールでは、連日、例年を大きく上回る34百人の野宿者が保護され、用意した布団が足りない有り様。
保護された野宿者は年末の
29日朝までに計千百208人で、ほぼ前年並みだった。ところが労働者のあいりん地区への里帰りが本格化した同夜から急増、5日朝までに連日34百人が保護され、80ー百60人も増えた。大阪自彊館も大阪市の委託による年末2回の保護活動以外に独自の夜間巡回を実施。
大阪市へは@保護活動への財政援助A野宿者の仮眠センターの早期実現B各種施設の増設ーなどを申しいれた。

831226

「あいりん労働者・臨泊受け付け・厳しい“正月の風”・三ガ日は中止・野宿ふえる恐れ」

大阪市は過去8年間続けてきた正月三ガ日の申し込み受け付けを今シーズンから中止することを決めた。
「この3日間は本来、急病人のため特別に受け付けているのに、仮病を使って申し込む労働者が目立ち、市のサービスが悪用されている」というのが理由。
これに対し、同地区で労働者に手をさしのべている関係者は「福祉切り捨てのしわ寄せが
1番弱い人たちのところにあらわれた典型。野宿者が増えるのは目にみえている」と反発、受け付け続行を求めている。

市は正月三ガ日、急病人のための受付窓口を自彊館内に設け、この期間に発病し、あいりん地区内にある大阪社会医療センター付属病院で診察を受けて重病と判断された患者はすぐ入院、軽症者は常設の診療施設のある自彊館へ入所させる手続きをとってきた。
この制度を始めた
50年以来、最初の23年間は自彊館への入所者が2060人程度だったが、年々増え、今年正月の場合、357人の申し込みが殺到した。

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「不況憎し・路上の正月・あいりん地区・野宿最悪の500人」

あいりん地区(釜ケ崎1帯)で、野宿を余儀なくされる底辺労働者が不況のあおりで急増、「史上最悪」といわれた昨年の15倍ー2倍近くにのぼっている。
「あいりん総合センター」の軒下の道路に布団を敷いて設けた仮眠所では、年末から連日
3百人以上が野宿し、3日夜から4日朝にかけては5百人を突破する見込み。

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「元気で正月迎えよう・労組員ら越冬パトロール・あいりん地区」

あいりん地区(釜ケ崎)で、25日夜、「越冬パトロール」が始まった。
1人の死者も出すな」と寒さの中を路上で寝る人たちに布団を提供したり、夜間パトロールをして医療を受けられるように世話をする運動。
今年が
16回目で来年110日まで続けられる。午後6時半から同区萩之茶屋3丁目の通称「角公園」でボランティアや地区に住む労働者ら約2百人が集会を開いた。

861226日夕刊

「布団用意し「越冬闘争」あいりん地区で始まる」

25日夜から112日まで。25日午後9時すぎ、労働者らによるパトロールが始まった。

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「無届けデモ・10人逮捕・釜日労委員長ら」

釜日労の組合員ら約3百人が3日午後9時から0時ごろにかけて、大阪・キタの地下街や阪急東通商店街などで約6百メートルにわたって無届けデモをした。仕事がなくて路上で寝ている日雇い労働者の対策の充実などを訴えた。

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