釜ヶ崎総合年表−1880年代


1880(明治13)年

3月 府から郡区役所へ、西区花渕国光、東区池田蜀才等棄児愛育社開設許可の旨達




1881(明治14)年




1882(明治15)年

9月30日 太政官布告第49号「行旅死亡人取扱規則」
(埋葬その他の費用負担、死亡人不詳の場合の告示方法、死亡人所持の金銭の処置方法等を定める)



1883(明治16)年

10月1日 郡区役所戸長役場へ 拘留収監状等を執行すべきもの 幼児を携帯せば 家元又は親族なき若くは仮令これありとも赤貧にて引取人なきときは明治7年12月8日「恤救規則」に依り救助すべきにつき事情詳記伺ひ出づべき旨達



1884(明治17)年



1885(明治18)年



1886(明治19)年

3月 内務省訓令「恤救規則心得第8条一家数人救助のこと」
(恤救誓願は一家数人の救助にわたる場合も内務省に伺いをたてずに府県に委任することとなる。同時に、区町村救助方法や親戚隣保相救の情誼の欠如を叱責、精密調査によって官救を減らすことを指示
戸籍制度に除籍簿(家族全員が他府県に転居したり戸主の交代があったりして新たに戸籍を編製した時に、元の戸籍用紙を綴る帳簿)」と「身分事項欄(登録の事由・年月日を記入)」が付け加えられた。




1887(明治20)年

難波紡績設立
「監獄則」改正=傭人分課例(教誨師、改過遷善の道を講説して囚徒を教誨す」




1888(明治21)年

4月17日 市制町村制施行
近世大坂三郷の領域を市域とする大阪市が成立。しかし、東京・京都・大阪の三大都市には市制特例が施行され、専任の市長・助役、市庁舎と付属吏員はおかれなかった。市会(議決機関)、市参事会(執行機関)は設置されたが、府知事の直轄とされていた。(1898年9月20日大阪市の市制特例廃止)/翌年(明治22年)10月大阪市役所 西区江之子島大阪府庁内に開庁。
6月 慈恵会が組織され貧民救療を目的として大阪慈恵病院設立
3月31日 大阪府訓令=育児養育補充費は地方費救育費より支給
その支給方法は国費養育米代金下渡手続きに依る/区長郡区長戸長に於いて育児を養子女に遣わすはさんとする時はその養家の適否を調査せしめ、国費養育米代の外養育補充費(区部は一人一ヶ年8円30銭の割合を以て支給。郡部は同4円20銭)を給与せず
大日本監獄協会発会
=監獄改良、不良少年の感化、出獄人保護や貧民救済を目的とする

大阪名護町貧民窟視察記 鈴木梅四郎 1888(明治21)年「時事新報」連載 1918(大正7)年實生活社出版部刊


1889(明治22)年

「大日本帝国憲法」公布
町村の配置併合に合わせ、曾根崎警察署難波分署設置(所轄地域=粉浜村、勝間村、西濱村、難波村、木津村、今宮村)
10月 大阪府「貧民施療規則」
10月 大阪市告示15号「大阪市棄児養育規則」(国費以外の補助費を規定)
棄児の養育を私設慈善団体等へ委託する場合、国庫から下附の米代金の外、市の補助費として満13歳まで1人1日10銭以内の金額を給与することとした。
11月 大阪府「窮民救助規則
(恤救規則に適合しない者で飢餓迫る者に対して一日12銭以内を支給)
大阪聖ヨハネ教婦人会、貧兒収容の「貧院」開設(後に大阪救兒院、大阪聖約翰学園と改称)