一、山谷・釜ヶ崎事件史年表ーその6)1970〜1971
(□印は東京・山谷事件関係を示す)
年・月・日 事件内容・対策・その他 参考
1970年(昭45) 1970年 愛隣地区現地対策懇談会。 七〇年安保。 1970年2月18日 第七〇回大阪市社会医学研究会。 GNP七二兆円。 (於愛隣会館)。 1970年2月19日 愛隣地区現地対策懇談会。 万国博覧会開催。 1970年3月15日 〜九月十五日万国博覧会。 三島由紀夫事件。 (十一・二五)。 1970年3月18日 第七一回大阪市社会医学研究会。 大阪府警本部調査 (於愛隣会館)。 による府下暴力団。 酒梅組系一五六、 山口組系一二二、 直島義友会系一四 ○、本多会系一〇 五、。 松田組系六六、柳 川組糸五三、池田 組系四八、久次米 組系三四、淡熊会 系三四、砂子川系 三二、大野組系一 三、倭奈良組系三 一、土井態系二二、 山清会系二〇、互 久楽会系一八、南 一家系二二、今西 組糸一一、寅林会 系六、松浦組系五 の九四七団体。 1970年3月31日 大阪港湾労働公共職業安定所西成 出張所廃止。 1970年4月1日 あいりん労働公共職業安定所発足。 1970年4月13日 あいりん労働公共職業安定所「青 空労働市場実態調査」立案。 1970年4月15日 同安定所、青空労働市場第一回調 査。 1970年4月16日 第七二回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1970年4月30日 同安定所、青空労働市場第二回調 査。 1970年5月1日 第一回釜ケ崎メーデー。 1970年5月20日 第七三回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1970年5月21日 愛隣地区現地対策懇談会。 1970年6月2日 労働センター八又新職業紹介部長 就任。 1970年6月17日 第七四回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1970年6月18日 愛隣地区現地対策懇談会。 1970年7月1日 財団法人大阪社会医療センター発 足。 1970年7月15日 第一回大阪社会医療センター研究 会。 (於医療センター)。 1970年7月16日 愛隣地区現地対策懇談会。 1970年8月19日 第二回大阪社会医療センター研究 会。 (於医療センター)。 1970年8月20日 愛隣地区現地対策懇談会。 1970年8月21日 大阪市立馬淵生活館体育祭。 1970年9月1日 財団法人大阪社会医療センター診 本田良寛著「釜ケ 療開始。 崎からの報告」 (共著―集団医学 の発足)出版。 1970年9月10日 愛隣地区現地対策懇談会。 1970年9月16日 あいりん公共職業安定所「雇傭主・ 求人者の指導」。 1970年9月18日 労働センター「飯場事業主懇談 会」。 1970年9月28日 あいりん公共職業安定所「港湾労 働者紹介説明会」。 1970年9月30日 愛隣総合センター完成。 1970年10月1日 愛隣総合センター開設。 (労働省・大阪府・大阪市・雇傭 促進事業団〜二十二億円)。 1970年10月15日 愛隣地区現地対策懇談会。 早朝の労働センター、求人トラブ ルで少し騒ぐ。 1970年10月17日 釜ケ崎の手配師「新世界の料亭で 結団式」。 1970年10月19日 愛隣地区無縁仏慰霊祭。 (西成愛隣会主催)。 1970年10月20日 東京都民生局山谷対策室次長視察。 山谷・簡易宿泊所 〜二一五軒。 1970年10月21日 第四回大阪社会医療センター研究 会。 (於医療センター)。 1970年10月26日 西成分会は大阪府へ「暴力手配師 追放」を要望。 1970年11月 ドル・ショックで求人激減。 1970年11月18日 第五回大阪社会医療センター研究 会。 (於医療センター)。 1970年11月19日 愛隣地区現地対策懇談会。 1970年11月20日 あいりん公共職業安定所「日雇労 働者に失業保険適用」。 1970年12月1日 労働センター求職登録一四、〇二 八名で打ち切り。 「あいりん労働公共職業安定所へ 移管する」。 1970年12月2日 西成区内接客業者八団体「街を明 るくする会」結成。 1970年12月17日 愛隣地区現地対策懇談会。 1970年12月29日 〜一月三日「年末年始医療対策」 釜ケ崎祈り友の会 (大阪社会医療センターで)。 機関紙「隣人」創 刊。 1970年12月30日 求人減による焦燥感。 (この時点より釜ケ崎に政治色が 入る)。 一部労働者、労働センター詰所に 放火。 労働センター「年末友の会中止、 年間斡旋六四二、六〇八名」。 愛隣銀行貯金額一二六、九三七、 九六六円。 西成署調査「刑事犯一、三七三件、 暴力団検挙二三-件、行旅病人八 九五、変死人九〇」。 同調査「西成区全人口一九四、七 九四名、内釜ケ崎四四、○○○名、 内日雇労働者一、八〇○名」。 暴力団三〇団体、グレン隊一、七 〇〇名。 1971年(昭46) 1971年 愛隣地区現地対策懇談会。 成田事件。 1971年1月20日 第七回大阪社会医療センター研究 ドル・ショック。 会。 円切り上げ。 (於医療センター)。 泥酔者大阪社会医療センターのガ ラスを破壊。 1971年1月21日 大阪府議会決算委員会で、労働部 沖縄返還協定調印。 「あいりん地区総合施策大綱」の フルシチョフ死亡。 検討を約束。 1971年1月25日 東京都城北福祉センター所長視察。 天皇外遊。 1971年2月9日 西成署・西成職安・大阪府・労働 後半期より不況。 センター懇談。 1971年2月10日 南大阪解放戦線の機関紙「南大阪 の旗」創刊。 1971年2月17日 第八回大阪社会医療センター研究 大阪府警防犯部調 会。 査。 (於医療センター)。 簡易宿泊所二二〇、 労働センター「求人連絡員指導会 日払アパート四六、 議」。 一般アパート二八 六、バラック二五。 簡易宿泊所二二〇 軒中八一軒は鉄筋、 高層。 二二〇軒中小間式 二〇六、ベッド式 一、小間式、ベッ ド併用九、大部屋 四。 1971年2月20日 愛隣地区現地対策懇談会。 1971年3月9日 西成分会「大阪府労働部」と団交。 1971年3月17日 第九回大阪社会医療センター研究 会。 (於医療センター)。 1971年3月20日 愛隣地区現地対策懇談会。 1971年3月25日 裸の会代表「松原忍氏」西成署を 定年退職。 1971年4月1日 労働センター松浦新厚生部長就任。 1971年4月7日 西成地区職員事務連絡会(一九施 設)発足。 1971年4月10日 大阪社会医療センター正面ガラス 破損。 1971年4月14日 愛隣地区現地対策懇談会。 1971年4月21日 第十回大阪社会医療センター研究 大阪城「二六三 会。 号」。 (於医療センター)。 1971年4月25日 釜ケ崎の文芸サークル「裸の会」 解散。 雑誌「裸」第一一〇号で終刊。 1971年5月1日 第二回釜ケ崎メーデー。 1971年5月15日 西成地区職員事務連絡会。 1971年5月19日 第十一回大阪社会医療センター研 大阪城「三〇〇 究会。 号」。 (於医療センター)。 1971年5月20日 愛隣地区現地対策懇談会。 1971年5月25日 ★第十三次釜ケ崎集団暴力事件。 1971年5月25日17時30分 夜勤求人のトラブルで五〇〇名、 求人車輌へ投石。 1971年5月25日18時30分 二六名の労働者、環状線・地下鉄 無賃乗車で求人会社へ。 1971年5月25日19時0分 団交の末、アブレ賃二、一〇〇円 づつもらう。 1971年5月25日20時0分 帰りも無賃乗車、駅員に乱暴。 1971年5月25日21時0分 警備本部設置。 1971年5月25日22時0分 西成署へ投石、二、〇〇○名。 1971年5月25日22時30分 市バス・乗用車へ投石集中。 1971年5月25日23時0分 私服警官、袋だたき。 警察官一、〇〇○名で実力行使。 1971年5月26日0時0分 小グループで投石。 十年前のスローガ ン「人間扱いしろ」 より「権利闘争」 にと発展。 1971年5月26日3時0分 平穏。 西成警察署調査。 早朝就労は平穏。 「簡易宿泊所料金」 西成分会機関紙「大阪城」は正義 一〇〇円―一四 の戦いとアピール。 一五〇円―二七 大阪府警本部「一部過激派の計画 二〇〇円―六七 的犯行」と発表。 二五〇円―八六 三〇〇円―七二 三五〇円―四三 四〇〇円―一一 四五〇円―三、五 〇〇円―九。 1971年5月26日19時30分 西成署、パチンコ店、ドヤヘ無差 別投石。 一、五〇〇名。 1971年5月26日20時0分 南海電鉄天王寺線運休。 投石で乗客十五名軽傷。 二、〇〇○名。 1971年5月26日20時30分 大一パチンコ店へ投石、タクシー 放火。 二、五〇〇名。 1971年5月26日20時40分 西成署、全地区を交通遮断。 警察官三、〇〇○名。 1971年5月26日21時30分 阪堺線のマクラ木に放火、二、〇 〇○名。 1971年5月26日22時0分 乗用車五台全焼。 1971年5月26日23時0分 三角公園付近の民家へ無差別投石 二、〇〇○名。 1971年5月26日23時30分 警官二名暴行され重体。 1971年5月27日0時0分 西成署へ投石、一、〇〇○名。 1971年5月27日0時50分 七〇〇名に減少。 1971年5月27日1時30分 二〇〇名その後平穏。 早朝「大阪城」は、「逮捕されて も弁護士が行くまでは黙拒を通せ」 とアジる。 西成署長「人員不足で配備が出来 ない、完全鎮圧には八、〇〇○名 必要」と発表。 大阪府警本部「ML派の元早大生 をリーダーと」断定。 1971年5月27日19時0分 七ケ所に蝟集、投石。 1971年5月27日19時30分 萩之茶屋商店街へ投石、二、〇〇 ○名。 1971年5月27日20時0分 警察官三、〇〇○名で実力行使。 1971年5月27日20時30分 激しい雨で分散投石、一、五〇〇 名。 1971年5月27日21時50分 鉄パイプ、赤ヘル押収。 1971年5月27日22時0分 タクシーに投石放火。 1971年5月27日23時40分 再び激しい雨で平穏。 1971年5月28日 西成区青少年協議会・西成を愛す る住民の会「騒動やめて」のビラ 二○○枚はる。 大阪「沖縄返還協定調印阻止デモ」 四、○○○名。 1971年5月28日18時30分 西成署へ投石、乗用車放火。 1971年5月28日19時0分 西成署正面二、〇〇○名。 1971年5月28日19時30分 天王寺線上二、五〇〇名。 1971年5月28日20時20分 一般民家へ放火。 乗用車放火全焼。 1971年5月28日20時40分 西成署、全地区交通遮断で実力行 使。 1971年5月28日21時30分 ガソリン・スタンド付近に放火、 投石。 1971年5月28日22時0分 釜ケ崎初の「火炎ビン」タクシー へ三発。 三、〇〇○名。 1971年5月28日22時50分 投石中の「ML派二名逮捕」。 1971年5月28日23時0分 西成署へ投石一、五〇〇名。 1971年5月28日23時50分 ポリバケツに石をつめて売る老人 を逮捕。 1971年5月29日0時0分 警察官三、〇〇○名で実力行使。 1971年5月29日1時50分 平穏。 1971年5月29日19時30分 外務省へ「反日共系ブント派過激 学生五名乱入」。 大阪社会医療センター正面カラス 破損。 1971年5月29日18時30分 釜ケ崎銀座へ二、五〇〇名。 1971年5月29日19時0分 西成署へ集中投石。 1971年5月29日19時30分 ゲリラ戦術で警官後手にまわる。 1971年5月29日20時15分 投石で警察官五名重軽傷。 1971年5月29日21時0分 警察官三、〇〇○名で実力行使。 1971年5月29日22時30分 阪堺線に投石、運休。 1971年5月30日0時0分 釜ケ崎銀座に三〇〇名。 1971年5月30日1時40分 平穏。 1971年5月30日19時0分 旧住吉街道、西成署、府道上に各 々五〇〇名。 1971年5月30日20時0分 西成署へ投石集中、二、五〇〇名。 1971年5月30日21時0分 警察官二、五〇〇名で実力行使。 1971年5月30日22時0分 大衆ホテル「新大阪」へ投石、一、 五〇〇名。 1971年5月30日23時0分 平穏。 1971年6月2日 西成市民館で「釜ケ崎解放不当弾 圧抗議集会」。 1971年6月3日 大阪地裁刑事第二部で、被告と傍 聴人の抗議で「起訴状の労務者を 労働者」に改める。 1971年6月5日 西成地区職員事務連絡会。 1971年6月9日 労働センター井庭専務理事退職。 大阪城「三〇五 愛隣総合センターに「総合相談室 号」。 の開設」を決定。 1971年6月13日 ★第十四次釜ケ崎集団暴力事件。 1971年6月13日20時0分 「日の本旅館」管理人と労働者ト ラブル。 八○○名。 1971年6月13日20時30分 管理人を「傷害現行犯」で逮捕。 1971年6月13日21時0分 「日の本旅館」へ投石、一、五〇 〇名。 1971年6月13日21時20分 警備本部設置。 実力行使。 1971年6月13日23時0分 平穏。 1971年6月14日 夜勤アブレで労働センター職員と こぜり合い。 1971年6月14日18時0分 「日の本旅館」前へ二、〇〇○名。 1971年6月14日19時0分 西成署へ投石、一、五〇〇名。 1971年6月14日19時30分 第一パチンコ店へ投石、一、〇〇 ○名。 1971年6月14日20時0分 実力行使。 以後小グループ(十二ケ所)で攻 撃。 1971年6月14日21時50分 西成署全面交通遮断で厳戒体制。 1971年6月14日22時0分 実力行使、後平穏。 反戦グループに指揮され、無差別 攻撃、完全に暴徒化した集団。 1971年6月15日 雨のため蝟集事案(※)なし。 ※事案〜犯に至ら ぬまでも放置すれ ば犯に至る危険を 含む。 1971年6月16日 ホテル従業員、労働者と口論し、 屋上より植木鉢を投げつける。 1971年6月20日0時 一分、五〇〇名投石。 1971年6月20日40時 釜分ケ崎銀座へ二、〇〇〇名。 1971年6月21日0時 西分成署へ一、〇〇○名投石。 1971年6月21日30時 実分力行使。 国鉄新今宮駅へ投石、乗用車に放 火。 1971年6月22日0時 阪分堺線へ投石、運休。 1971年6月23日40時 平分穏。 1971年6月17日 沖縄返還協定調印日で東京は学生 デモ隊が大荒れ。 西成区簡易宿泊所組合、飲食店組 合、防犯協会連名で西成署へ「警 備体制を強化し、完全鎮圧」を要 請。 1971年6月17日17時30分 パチンコ店でトラブル八○○名。 1971年6月17日19時0分 釜ケ崎銀座一、〇〇〇名。 1971年6月17日20時0分 西成署へ投石。 1971年6月17日21時0分 実力行使。 1971年6月17日23時0分 平穏。 1971年6月18日 愛隣地区現地対策懇談会。 1971年6月30日 労働センター専務理事に、誉田氏 就任。 1971年7月2日 大阪府庁に一時金支給を要求した 釜ケ崎「暁光会・ 西成分会員(一二〇名)、帰り無 愛徳姉妹会・フラ 賃乗車する。 ンシスコ会・ルー テル教会、いこい の家」の協友会経 営、いまみや食堂 開店。 1971年7月10日 西成地区職員事務連絡会。 1971年7月15日 愛隣地区現地対策懇談会。 1971年7月20日 早朝手配師ミスで、三〇〇名団交 一〇時間、アブレ賃二五万円支給 さす。 1971年7月21日 第一三回大阪社会医療センター研 究会。 (於医療センター)。 大阪府警、集団アブレ賃強要事件 を「暴力行為、恐喝容疑」で捜査 に入る。 1971年7月23日 大阪府警「西成分会事務所」を捜 索、幹部三名逮捕。 1971年8月1日 □山谷自立労働組合機関紙「らん るの旗」で釜ケ崎事件を支持。 1971年8月10日 西成地区職員事務連絡会。 1971年8月19日 愛隣地区現地対策懇談会。 1971年9月1日 西成地区職員事務連絡会。 釜ケ崎の就労形態。 Aグループ職安登 録労働者三、五〇 〇名。 Bグルーブ労働セ ンター経由七、○ ○○名。 Cグループ前二機 関と無関係の直行 労働者七、五〇〇 名で、合計一八、 〇〇○名。 1971年9月10日 愛隣地区現地対策懇談会。 1971年9月11日 ★第十五次釜ケ崎集団暴力事件。 夜勤手配のミスで、一三五名がア ブレ賃受け取る。 1971年9月11日17時30分 アブレ賃に外れた労働者、釜ケ崎 銀座で八つ当り。 1971年9月11日19時0分 果物店員と労働者口論一、〇〇○ 名。 1971年9月11日20時0分 果物店前へ二、○○○名。 1971年9月11日20時20分 西成署に警備本部設置。 1971年9月11日21時0分 果物店へ投石、放火全焼。 一、五〇〇名。 1971年9月11日22時0分 釜ケ崎銀座で放火二、〇〇○名。 1971年9月11日22時30分 警察官一、〇〇○名で実力行使。 1971年9月11日23時30分 平穏。 1971年9月12日 前夜の果物店跡に八○○名。 1971年9月12日20時0分 果物店付近に投石。 1971年9月12日21時0分 ホテル街へ投石。 一、〇〇〇名。 実力行使。 1971年9月12日23時0分 平穏。 1971年9月13日 釜ケ崎銀座に蝟集したが、警備厳 重の為、騒動に発展せず。 1971年9月16日 第一五回大阪社会医療センター研 究会。 (於医療センター)。 1971年9月17日 大阪府警「西成分会」を再捜索、 六名逮捕。 1971年10月4日 大阪地検、西成分会の三幹部を 「恐喝で起訴」。 1971年10月10日 愛隣地区現地対策懇談会。 1971年10月17日 西成地区職員事務連絡会。 西成署防犯相談コ ーナーー相談受理 数七、八四八人。 変死人〜七五人。 行旅病人〜六九五 人。 泥酔保護〜二、八 三五人。 年間蝟集事案〜一 三○。 1971年10月20日 第一六回大阪社会医療センター研 究会。 (於医療センター)。 労働センター「労災立替」がピン チ。 1971年11月 労働センター年末友の会中止を決 定。 1971年11月10日 愛隣地区現地対策懇談会。 1971年11月17日 西成地区職員事務連絡会。 第一七回大阪社会医療センター研 究会。 1971年11月24日 「大一パチンコ店」へ放火。 1971年11月25日 労働センター「紹介部長なぐられ る」。 1971年12月 労働センター「労災立替金七千万 職安アブレ貧〜七 円」に。 六〇円。 愛隣銀行貯金一億四千万円になる。 1971年12月29日 〜一月三日「年末年始医療対策」。