一、山谷・釜ヶ崎事件史年表ーその4)1966〜1967
(□印は東京・山谷事件関係を示す)
年・月・日 事件内容・対策・その他 参考
1966年(昭41) 1966年 早川労働大臣釜ケ崎視察。 1966年1月6日 早川労働大臣「釜ケ崎に総合福祉 施設作る」と発表。 1966年1月19日 第三二回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1966年1月25日 日本海員組合第四波スト。 1966年1月30日 西成署調査「簡易宿泊所二二五軒 西成署調査。 〜一二、八五五名」。 一二、八五五名中、 男一〇、七九五、 女一、四四六、子 供六一四。 日払アパート二七 五、旅館五五、バ ラック一五〇、共 同住宅五五軒。 1966年1月31日 日本海員組合スト解除。 1966年2月 あいりん保育園開所。 1966年2月16日 第三三回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1966年3月1日 大阪市立中央更生相談所開設。 1966年3月15日 大阪社会学研究会「西成地区にお 飲み屋一〇四、め ける労働者の生活調査」発表。 しや二八七、古物 ★第四次釜ケ崎集団暴力事件。 商三五二、質屋三 五、金属行商九九。 1966年3月15日18時30分 坂本酒店々員と労働者トラブルで 八○○名。 1966年3月15日20時0分 西成署「警備本部設置」。 1966年3月15日21時0分 西成署へ投石、酒店へ投石。 1966年3月15日21時30分 旧住吉街道を交通遮断。 1966年3月15日22時0分 私服警察官を「袋だたき」。 1966年3月15日23時0分 警察官の実力行使。 1966年3月15日0時0分 平穏。 1966年3月16日 第三四回大阪市社会医学研究会 「今宮診療所患者の調査」発表。 1966年3月17日 愛隣地区現地懇談会。 大阪市中央更生相 談所調査〜千名対 象中六九%が病気。 内肝臓障害四〇%、 開放性結核三〇%、 精神異常二〇%。 1966年3月28日 港湾労働法実施説明会。 1966年3月31日 労働センター「郡昇作職業紹介部 長」定年退職。 1966年4月1日 港湾労働法第二次施行。 阿倍野公共職業安定所西成労働出 張所を、港湾労働法施行に伴い 「大阪港労働公共職業安定所西成 出張所」と名称変更。 1966年4月5日 東萩青年団、公園に植樹。 1966年4月20日 第三五回大阪市社会医学研究会。 中馬大阪市長「郡 (於愛隣会館)。 昇作氏に感謝状」。 1966年4月22日 来阪中の天皇に「大阪府知事・市 長は共に釜ケ崎問題は改善された」 と報告。 □東京都民生局「城北貯蓄組合ス タート」。 1966年5月6日 あいりん学園に「ともしび文庫」 雑誌「裸」四八号。 開設。 1966年5月10日 国際市民奉仕団、釜ケ崎で活動。 釜ケ崎に初めて 「手洗い場」出来 る。 (西成署正面)。 1966年5月18日 第三六回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1966年5月19日 愛隣地区現地懇談会。 六日警察庁調査。 あいりん地区〜一 〇、一四八世帯、 四七、五一八名 (男三三、二一二、 女一四、三〇六名) 未登録人口約二万。 簡易宿泊所二五六 〜一二、八五五名。 山谷地区〜八、一 八○世帯、三五、 四八九名(男二二、 二九〇、女一三、 一九九)未登録人 口約一万。 簡易宿泊所一八九 〜一二、七〇〇名。 1966年5月20日 西成署「カワラ版」で少年非行・ 交通事故防止を宣伝。 1966年5月28日 ★第五次釜ケ崎集団暴力事件。 1966年5月28日21時30分 ニコニコ碁会所火事。 消防車おそいと一、〇〇○名。 1966年5月28日22時0分 大よし食堂に投石一、五〇〇名。 1966年5月28日22時20分 大一パチンコ店投石二、〇〇○名。 1966年5月28日22時30分 警察一個中隊、群集の中で孤立。 二、〇〇○名。 1966年5月28日22時40分 市内全署に非常召集。 1966年5月28日23時0分 釜ケ崎銀座に三、五〇〇名。 1966年5月28日23時5分 警察官「ピストルを強奪され一ケ 月の重傷」。 1966年5月29日0時0分 大一パチンコ店投石、放火。 1966年5月29日1時30分 飛田入口の派出所放火全焼。 1966年5月29日1時50分 タクシー放火。 1966年5月29日2時0分 実力行使。 早朝就労時平穏。 大阪地検「横幕刑事部長」視察。 大阪府公安委員会「緊急総会」大 阪府警々備部長「釜ケ崎の福祉対 策」で大阪府・市へ強い要請。 西成署「飛田本通商店街と防犯懇 談会」。 1966年5月29日19時0分 市バス・タクシーへ投石。 三角公園〜大阪市 五〇〇名。 立東萩町公園の略 称。 1966年5月29日19時30分 飛田本通商店街へ投石。 八○○名。 警察実力行使。 1966年5月29日20時0分 飛田商店街「自警団パトロール」。 ノミ行為〜私設投 一、五〇〇名。 票券売買。 大型警備車・投光器等実力行使及 大雨の為、平穏。 1966年5月29日21時30分 ----早朝就労スムーズ。 新聞紙飛ぶ程の売れ行き。 1966年5月30日 タクシー投石。 三〇〇名。 1966年5月30日21時30分 西成署警備本部「今夕は三、〇〇 ○名で厳戒体制」と発表。 1966年5月30日22時0分 大阪府・市「西成問題府・市連絡 会」開催。 大阪府庁「府労働部、市民生局、 府民生部、府警本部」対策会議。 西成署「萩之茶屋地区防犯協会」 と懇談会。 1966年5月30日18時30分 釜ケ崎銀座に八○○名。 1966年5月30日19時0分 大一パチンコ店投石、二、〇〇○ 名。 1966年5月30日19時30分 大阪府警三、〇〇○名の機動隊・ 大型装甲車で「強気の制圧」。 1966年5月30日20時0分 霞町交差点二、〇〇○名で電車に 投石。 1966年5月30日20時30分 南海電鉄阪堺線運休。 さらに投石、放火二、五〇〇名。 1966年5月30日21時30分 南海本線ガード下に三〇〇名。 1966年5月30日22時0分 府道上は四、○○○名の労働者で NHK・TV〜釜 いっぱい。 ケ崎対策で中馬大 阪市長・本田良寛・ 磯村英一教授対談。 1966年5月30日22時30分 ドヤ街への投石始まる。 1966年5月30日23時0分 ドヤ街で機動隊と市街戦に入る。 1966年5月30日23時40分 警備本部実力行使「無差別攻撃で、 水銀燈下に血が流れる」。 1966年5月31日0時0分 大阪府警本部長「峠は越したと」 記者会見。 1966年5月31日0時50分 釜ケ崎銀座平穏。 1966年5月31日6時0分 ----早朝就労時はトラブル無し。 西成署「日赤奉仕団・旅館業組合・ 飲食店業組合」と防犯懇談会。 大阪府警、ヤミ手配師組織「七宝 会」を一斉手入。 1966年5月31日19時0分 大一パチンコ店前八○○名。 1966年5月31日20時0分 プロボクシング「原田対ジョフレ 戦」で釜ケ崎銀座は労働者の姿無 し。 1966年5月31日23時0分 平穏。 第五次事件で、動員された警察官 一八、九二八名、被害総額約二千 万円。 1966年6月1日 大阪府・市「西成問題府・市連絡 大阪市〜公益質屋 会」。 の廃止を考える。 第三七回大阪市社会医学研究会 「釜ケ崎の飲酒実態調査」発表。 大阪府警「大阪府・市へ民生行政 に関し申し入れ」。 大阪府庁「事件後の処理対策打ち 合せ」。 1966年6月3日 大阪府労働部長視察。 1966年6月4日 西成問題府・市連絡会。 兵庫県警「広域暴力団山口組によ る企業暴力事件捜査本部」を開設。 1966年6月5日 大阪港の労働者相手のトバク「山 大阪市立大学釜ケ 口組系長谷組」手入。 崎研究会調査。 〜一、暮らしの中 での楽しみ。 なし二三%、ドヤ でボンヤリ一六、 七%、酒一〇%、 バクチ一○%、仕 事の心配の無い時 九二%。 二、困った時。 労働センター二八、 四%、特になし二 七、五%、親類一 二、五%、友人一 〇%。 1966年6月7日 大阪港荷役中、鉱石くずれて二名 死亡。 1966年6月10日 全港振大阪支部「手配師で希望者 は常傭化したい」と発表。 1966年6月14日 西成ライオンズ・クラブ「労働者 の皆さん」への立て看板。 1966年6月15日 大阪府公安委員会主催「府・市・ 府警本部」会議。 西成間題府.市連絡会。 大阪府労働部、民生部、市民生局、 府警防犯部協議の結果「釜ケ崎↓ あいりん地区と改名」を決定。 1966年6月16日 大版府警「あいりん地区治安対策 委員会」発足。 西成署「天王寺鉄道管理局」と会 議。 1966年6月21日 大阪港労働安全協会船内部会「七 大阪通船運輸KK 月一日より常傭労働者以外は雇わ 〜あいりん学園生 ぬ」と声明。 徒を、港めぐりに あいりん地区対策三者連絡協議会 招待。 発足。 ★第六次釜ケ崎集団暴力事件。 1966年6月21日19時30分 パチンコ店「第一ホール」で玉の 出が悪いと騒ぐ。 1966年6月21日20時0分 同店へ二、〇〇○名投石。 1966年6月21日21時0分 西成署に警備本部設置。 1966年6月21日21時15分 実力行使。 カメラマン裂傷。 1966年6月21日21時30分 一、五〇〇名乗用車に投石。 1966年6月21日22時30分 一、〇〇○名投石。 警官実力行使に入る。 1966年6月21日23時0分 三〇〇名、その後平穏。 NHKTV〜あい りん地区の総合対 策で橋本建設大臣・ 本田良寛・磯村英 一教受対談。 1966年6月22日 第五次釜ケ崎事件で「大阪地裁ス ピード判決」。 1966年6月22日18時10分 パチンコ店「松竹ホール」でトラ ブル。 五〇〇名。 1966年6月22日20時0分 実力行使。 一、〇〇○名で投石、市バス、乗 用車に投石。 1966年6月22日21時30分 ホテル「月光」へ集中投石。 1966年6月22日22時0分 警官の実力行使。 1966年6月23日0時0分 数個所で分散投石〜八○○名。 1966年6月23日0時40分 関西線へ投石。 1966年6月23日1時30分 平穏。 大阪府庁「港湾労働者就労正常化 協議会」発足。 大阪府山本労働部長、知事、市長 出席の「第十四回大阪府・大阪市 懇談会」にあいりん問題を提案。 一市民、被害車と共に補償要求を して「大阪市庁舎前に座り込む」 西成署、旅館業組合の代表に「サ ービス改善」を強く要望。 1966年6月23日19時0分 西成署前で一、〇〇○名投石。 1966年6月23日20時0分 一般民家へ投石。 警察一、五〇〇名で実力行使。 1966年6月23日23時0分 平穏。 以後三○日まで制服警官一、二○ ○名、私服二個中隊で厳重警戒体 制。 被害総額約一千万円。 1966年6月24日 大阪府知事・市長合同記者会見 大阪市立北市民館 「府・市合同のあいりん地区対策 七四五周年記念。 協義会」作る。 建国記念日が決定。 大阪市議会「民生保健委員会であ いりん問題を検討」。 1966年6月29日 東萩公園「労働者慰安の夕」(労 働センター主催)。 1966年6月30日 大阪市民生局、旅館業組合の代表 に「接遇は人間味をもって慎重に」 と要望。 1966年7月 港湾労働法説明会。 本田良寛著「にっ ぽん釜ケ崎診療所」 出版。 1966年7月1日 サンフランシスコ暴動。 碓井隆次著「どん シカゴ暴動。 ぞこのこども」出 港湾労働法全面施行。 版。 国鉄関西線、南海電鉄天王寺線、 同阪堺線に防護柵。 1966年7月5日 大阪港安定所アブレで一、〇〇○ 名騒ぐ。 1966年7月11日 大阪港湾荷役、労働者不足で「手 配師復活」の動き。 1966年7月11日18時30分 ★第七次釜ケ崎集団暴力事件。 1966年7月11日19時0分 雨の降りしきる中で求人者とトラ ブル。 一、〇〇○名。 1966年7月11日19時20分 投石。 手配師を三〇〇名でつるし上げ。 タクシー投石。 1966年7月11日20時0分 八○○名。 警察実力行使。 1966年7月11日22時0分 平穏。 1966年7月15日 「西成に残酷病院」大阪府衛生部 医務課が実態調査。 1966年7月18日 愛隣地区現地懇談会。 1966年8月17日 第三八回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1966年8月20日 ★第八次釜ケ崎集団暴力事件。 不良環境地区対策 早朝求人トラブルで八○○名投石。 懇談会発足。 夜も五〇〇名で投石騒ぎ、その後 釜ケ崎の「当り屋 平穏。 一家」検挙。 大阪市、あいりん対策で「山手労 働大臣」に要望書。 1966年8月26日 ★第九次釜ケ崎集団暴力事件。 1966年8月26日22時0分 腐ったスイカの件で八○○名投石。 1966年8月26日22時30分 警察は交通遮断で実力行使。 1966年8月26日23時30分 一応平穏。 1966年8月27日 □第九次山谷騒動。 交通事故処理で七、○○○名。 1966年8月28日 □山谷で三、〇〇○名。 1966年8月29日 □山谷で二、〇〇○名。 大阪府庁で「愛隣地区対策協議 会」。 1966年8月30日 □山谷で一、五〇〇名。 愛隣地区現地懇談会。 1966年9月1日 橋本建設大臣「五ケ年計画で不良 住宅を一掃」と発表。 1966年9月2日 鈴木厚生大臣「山谷・釜ケ崎地区 の医療を無料に」。 1966年9月10日 西成地区対策懇談会。 全国八五〇地区一 〇万世帯のスラム 街。 (田代国次郎氏調 査)。 1966年9月12日 愛隣地区対策協議会。 1966年9月21日 第三九回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1966年9月25日 建設省「不良住宅地区改善懇談 釜ケ崎「求人ブー 会」。 ム」続き土工〜一、 五〇〇円。 1966年9月26日 ★第十次釜ケ崎集団暴力事件。 1966・9・26・早・朝 四日続きの長雨で「仕事よこせ」 と二、〇〇○名。 1966年9月26日19時0分 釜ケ崎銀座へ一、五〇〇名。 1966年9月26日20時0分 府道上、労働者あふれる。 1966年9月26日20時30分 警察は交通遮断で実力行使。 1966年9月26日23時0分 平穏。 1966年9月28日 釜ケ崎「労働者慰安の夕」(労働 広域暴力団山口組 センター主催)。 -労働者の水増し 広域組織暴力団山口組、西成へ拠 で八百万円搾取。 点。 1966年9月29日 愛隣地区無縁物故者慰霊法要。 (西成愛隣会主催)。 1966年10月1日 西成署防犯相談コーナー増員。 1966年10月4日 神戸原口市長「港湾暴力一掃に努 力する」と発表。 1966年10月9日 大阪港運協会「労働者不足」で知 事・市長・近畿海運局長に陳情。 1966年10月11日 労働センター「港湾関係事業主懇 談会」。 1966年10月16日 ★第十一次釜ケ崎集団暴力事件。 1966年10月16日18時0分 通行中の車輌に投石、三〇〇名。 1966年10月16日19時0分 手配師を囲み暴行を加える。 1966年10月16日20時0分 エンコの乗用車を押し「押し賃よ こせ」で投石、放火全焼。 五〇〇名。 1966年10月16日23時0分 警察の実力行使で平穏。 1966年10月22日 車の荷くずれを手伝い「手伝い賃 よこせ」と五〇名。 1966年11月1日 日本六大港の全港湾労組翼下の日 雇労働者「年末一時金」を要求す る事を決議。 愛隣会館で山谷・釜ケ崎の有志で 「明るい街づくり」第一回話し合 い。 1966年11月10日 □山谷ひなぎく教室、城北福祉セ 本田良寛氏「大阪 ンターに移転し「城北学園」と改 文化賞」を受賞。 名。 1966年11月18日 山手労働大臣「あいりん地区にマ ンモス職安作る」と声明。 1966年11月19日 山手労働大臣「神戸港に港湾労働 福祉センター作る」と声明。 1966年11月22日 愛隣地区のパチンコ店で「包丁片 手の労働者暴れる」。 1966年11月28日 あいりん地区対策三者連絡協議会。 1966年11月29日 労働省、神戸港の日雇労働者に 「団交権ある」と正式回答。 釜ケ崎に防犯テレビ二台。 1966年11月30日 第四〇回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1966年12月1日 あいりん地区対策三者連絡協議会。 一二月西成署調査。 簡易宿泊所二六一、 和食スタンド一〇 四、スタンド一〇 四、洋食七、中華 七、寿し二七、喫 茶店五九、その他 九一。 暴力団八九団体。 1966年12月16日 西成区役所「年末対策協議会」。 1966年12月17日 総評全国一般厚生職員組合機関紙 「伝書鳩」第一号。 1966年12月20日 神戸港職安へ五〇〇名乱入。 1966年12月21日 第四一回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1966年12月22日 朝日・毎日・産経新聞社。 「労働センターへ四五万円」。 1966年12月26日 NHKより「労働センターへ五万 円」。 1966年12月27日 釜ケ崎労働者激減。 高田克子著「かあ 約三分の一が飯場で越年。 ちゃん行かないで」 出版。 1966年12月28日 労働センター「友の会二八二名〜 一四、五六、〇〇○円」求職登録 九、四〇〇名。 労災立替七百万円。 就労斡旋六四五、四二三名〜約七 七億円。 登録飯場五五九。 西成署「行旅病人二、三二七人」。 愛隣銀行貯金額「四四、四六五、 六六七円」。 1966年12月29日 〜一月三日「年末年始医療対策」。 1967年(昭42) 1967年 西成署「あいりん地区街頭トバク いざなぎ景気。 捜査本部」設置。 1967年1月4日 大阪府労働部「大阪港労働者をバ 三次防(四兆円)。 ス輸送」。 1967年1月12日 大阪府高田副知事視察。 1967年1月18日 第四二回大阪市社会医学研究会。 釜ケ崎出身という (於愛隣会館)。 歌手、三音英次 「釜ケ崎人情」で デビュー。 1967年1月24日 大阪府、港湾労働法で協議。 1967年2月3日 釜ケ崎労働者「幼児二名を誘拐」。 1967年2月9日 労働センター「大阪港日雇労働者 正常化指導員会議」。 1967年2月13日 釜ケ崎労働者相手にサイコロ・ト 「裸の会」五周年 バク「溝橋組手入れ」(五年問に 〜雑誌六十一号。 約一億円)。 1967年2月15日 第四十三回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1967年2月16日 釜ケ崎銀座朝火事。 1967年3月1日 大阪港湾労働者福祉センター開所。 三月西成署調査。 労働者一三、五五 五名。 1967年3月3日 第五次釜ケ崎集団暴力事件での 「ピストル強奪犯人」を逮捕。 1967年3月7日 愛隣地区現地懇談会。 1967年3月15日 第四四回大阪市社会医学研究会。 釜ケ崎の暴力団、 (於愛隣会館)。 誠会〜自動小銃、 ライフル、ピスト ルを押収される。 1967年3月17日 西成署「簡易宿泊所生活相談連絡 員懇談会」。 労働者輸送トラック横転。 1967年3月18日 早朝、労働條件でトラブル。 1967年3月22日 西成署「高校生アンコを補導」。 1967年3月23日 愛隣地区現地懇談会。 1967年3月30日 労働省庶務課長釜ケ崎を視察。 1967年4月 釜ケ崎労働者慰安の夕。 釜ケ時好景気で、 (防犯相談コーナー主催)。 土工一、五〇○円。 1967年4月5日 労働センター寄場に「洗濯場、手 洗場」設置。 1967年4月6日 □山谷住人、梶大介(北岡守俊) 「中国で文化大革命」を目撃。 (後に山谷解放委員会を組織)。 1967年4月19日 愛隣地区現地懇談会。 第四五回大阪市社会医学研究会。 1967年4月22日 釜ケ崎労働者慰安の夕。 (労働センター主催)。 1967年4月24日 大阪府労働部に、愛隣対策として 「職業対策課」を設置。 1967年4月26日 西成区役所「愛隣地区対策協議 西成署調査〜簡易 会」。 宿泊所二六一、ア パート一一七、旅 館三〇、共同住宅 五五、バラック一 五三。 1967年5月 釜ケ崎に「ダニ労働者横行」(カ ストロ・グループ、赤シャツ、通 天閣、北海のクマ等)。 1967年5月17日 第四六回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1967年5月22日 西成区内無人交番、投石、放火を 釜ケ崎出身という 受ける。 歌手「高石友也」 三角公園で歌う。 1967年6月2日 ★第十二次釜ケ崎集団暴力事件。 1967年6月2日21時7分 丸福食堂で七〇円の酒代でトラブ ル、八○○名。 1967年6月2日21時20分 丸福食堂閉店。 一、〇〇○名。 1967年6月2日21時30分 西成署、六ケ所を交通遮断。 1967年6月2日21時50分 丸福食堂へ投石。 釜ケ崎のデラック 一、五〇〇名。 ス・ホテル〜鉄筋 六階、冷房付、エ レベエーター付で 三五〇〜五〇〇円。 1967年6月2日22時0分 警備本部設置。 1967年6月2日22時30分 丸福食堂へ投石。 二、〇〇○名。 同食堂をメチャクチャに。 1967年6月2日23時30分 旧住吉街道、労働者で満員。 1967年6月3日0時0分 霞町交差点、通交不能、投石。 1967年6月3日1時30分 丸福食堂へ再び投石。 1967年6月3日2時30分 実力行使で一応平穏。 大阪府山本労働部長視察。 1967年6月3日17時30分 丸福食堂前へ八○○名。 1967年6月3日18時0分 丸福食堂へ投石、放火。 1967年6月3日20時0分 東入船町交差点二、〇〇○名。 1967年6月3日20時30分 阪堺線運休、警察官へ投石。 1967年6月3日21時10分 五〇名程のグループで投石、放火。 1967年6月3日21時40分 国鉄新今宮駅へ投石。 1967年6月3日22時0分 乗用車放火、二、〇〇○名。 1967年6月3日23時0分 霞町交差点一、〇〇○名。 1967年6月4日0時0分 一般民家へ投石、一、〇〇○名。 釜ケ時〜ドンブリ 一ぱいの焼酎、玉 子焼、、ノリ、漬 物、メシで合計一 三〇円。 1967年6月4日1時30分 パトカーへ投石集中。 1967年6月4日2時50分 平穏。 万国博工事目当て 東萩町青年団「自警団パトロー に建設業者数急増。 ル」。 「昭和四〇年〜六、 西成防犯協会、西成署へ「強力な 一〇三より四二年 実力行使」を申し入れる。 九月〜九、一八三 大阪府警本部「今回の暴動は暴力 業者」(何れも大 団が原因」と発表。 阪府下)。 1967年6月4日19時45分 丸福食堂前へ八○○名。 1967年6月4日20時0分 大寅食堂前へ一五○○名。 1967年6月4日20時20分 タクシーへ投石、放火。 1967年6月4日20時40分 霞町交差点一、五○○名。 1967年6月4日21時30分 一般民家へ投石、無差別暴動。 1967年6月4日22時0分 千成ホテルへ投石。 1967年6月4日23時50分 平穏。 1967年6月5日 「関」大阪市民生局長視察。 1967年6月5日20時0分 大阪府警、十個大隊四、○○○名 大谷民郎著「釜ケ で厳戒体制。 崎―天と地」出版。 大型警備車、投光器、装甲車動員。 1967年6月5日21時0分 労働センター周辺のドヤヘ無差別 投石、一、五〇〇名。 1967年6月5日22時0分 西成署正面二、五〇〇名投石。 1967年6月5日23時0分 乗用車に放火。 1967年6月6日3時0分 実力行使で一応平穏。 兵庫県警「広域暴 衆議院社会労働委員会「釜ケ崎事 力団山口組壊滅史」 件を検討」。 を出版。 大阪市民生局「被災者に見舞金」。 当夜警察官四、○○○名で厳戒体 制。 平穏。 1967年6月6日23時0分 警備本部解散。 延警官動員一七、二九三名。 1967年6月7日 愛隣地区対策三者連絡協議会。 1967年6月8日 大阪府山本労働部長視察。 1967年6月9日 労働省塩田企画課長視察。 九州大学教育学部池田教授視察。 1967年6月15日 愛隣地区現地懇談会。 1967年6月21日 第四七回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1967年6月24日 大阪地方職業安定審議会委員視察。 1967年6月27日 大阪市民生局に「あいりん地区担 当主幹」を置く。 1967年6月30日 大阪府労働部、労働センターと対 策を協議。 西成署「不良労働者七〇〇名をリ スト・アップ」。 南海電鉄阪堺・天王寺線に「投石 防止ネット」完成。 1967年7月 二ユーヨーク暴動。 1967年7月1日 万国博目指し「釜ケ崎労働者急増 元労働センター職 し一九、〇〇〇名」。 業紹介部長郡昇作 港湾労働法施行一周年。 氏に「総理大臣 賞」。 1967年7月20日 愛隣地区現地懇談会。 1967年7月25日 大阪府労働部、大阪駅前に「万国 博関係労働公共職業安定所」を開 設。 1967年8月7日 労働センター就労「求人バス一三 ○台、事業所九四六、早朝斡旋三、 三四〇名」。 1967年8月8日 愛隣会館五周年記念演芸会。 1967年8月15日 厚生省社会局生活課長視察。 1967年8月16日 第四八回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1967年8月17日 愛隣地区現地懇談会。 □第十次山谷騒動。 十九日迄続く。 1967年8月21日 大阪府庁「港湾労働者バス輸送で 懇談会」。 1967年9月2日 愛隣地区現地対策懇談会。 1967年9月5日 労働省訓練局訓練課長視察。 1967年9月8日 大阪港労働者輸送関係会議。 1967年9月12日 労働省職業安定局失業対策課長視 察。 西成署防犯コーナー主催「演芸 会」。 1967年9月14日 大阪市民生局「愛隣地区貧困独居 老人を慰問」。 1967年9月18日 □第十一次山谷騒動。 1967年9月20日 第四九回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1967年9月21日 もぐり簡易宿白所「火事で二六名 重軽傷」。 1967年9月22日 愛隣地区現地対策懇談会。 1967年10月2日 港湾労働者正常化指導員連絡会議。 1967年10月18日 第五〇回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1967年10月19日 愛隣地区現地対策懇談会。 1967年11月1日 愛隣地区現地懇談会「福祉基金」 制度発足。 大阪府警「柳川組特別取締本部」 開設。 1967年11月2日 中央職業安定審議会委員視察。 1967年11月9日 港湾労働調整中央委員視察。 1967年11月15日 第五一回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1967年11月16日 愛隣地区現地対策懇談会。 1967年11月27日 総合愛隣センター建設説明会。 1967年11月30日 愛隣会館「西成地区年末対策打ち 合せ会」。 1967年12月 西成署「年末対策連絡会」。 愛隣銀行貯金〜五 七、三五三、七〇 五円。 1967年12月18日 西成区役所「愛隣対策協議会」。 西成分会、大阪府簡易宿泊所環境 衛生同業組合理事長に「一律一〇 〇円の値下げを要求」。 1967年12月21日 愛隣地区現地対策懇談会。 1967年12月27日 朝日・毎日・NHK「労働センタ 刑事犯一、二四二、 ーへ四〇万円寄付」。 暴力団一、二二〇、 愛隣有線放送完成。 グレン隊七五〇名、 労働センター「労災立替金一、五 売春婦九五。 〇〇万円、年末友の会二七〇名〜 一、四一二、四〇〇円、年間斡旋 七〇一、〇九四名、求職登録者一 一、〇一七名」。 西成署調査「日雇労働者一一、五 八五名(女一、三四三)泥酔保護 三、三七五、行旅病人一、六六八、 変死人四九、精神異常七三名」。 1967年12月29日 〜一月三日「年末年始医療対策」。