一、山谷・釜ヶ崎事件史年表。ーその2)1962〜1963
(□印は東京・山谷事件関係を示す)
年・月・日 事件内容・対策・その他 参考
1962年(昭37) 1962年 あいりん学園くわ入れ式。 石炭産業不況。 1962年1月25日 「裸の会」初会合。 1962年1月30日 あいりん学園パイプ校舎完成。 二次防スタート。 1962年1月31日 「裸の会」結成式。 大阪市民生局釜ケ 崎対策費三億七千 万円。 1962年2月1日 あいりん学園五四名で開校。 1962年2月9日 釜ケ崎対策協議会の結成。 1962年2月10日 裸の会、第一回懇談会。 1962年2月15日 西成署員、山谷地区を視察。 1962年3月 雑誌「裸」創刊号 (B五、謄写刷、 二九頁)。 1962年3月9日 泥酔者保護について、西成署・西 成分室・今宮診療所で協議。 1962年3月15日 全日自労釜ケ崎分会解散。 1962年3月22日 西成署、外勤署員を中心に「暴動 事案防止」を検討。 1962年3月30日 西成分室就労斡旋数延、一四、一 三五件〜一六五、七二五名。 1962年4月 釜ケ崎銀座「完全舗装・水銀灯一 三九基」。 □「山谷文化を育てる会」発足。 1962年4月30日 西成署は「群集に対する訓練」を 強化。 1962年5月1日 大阪府労働部内に「西成労働福祉 釜ケ崎〜おにぎり センター設立準備事務局」設置。 十円、ぞーすい二 三角公園に移動テレビカメラ車。 十円、巻ずし四十 円、土工九二六円。 1962年5月8日 萩之茶屋・山王地区「環境浄化対 策協議会」発足。 1962年5月14日 釜ケ崎「映画の夕」(防犯相談コ 東京市内木賃宿 ーナー主催)。 明治二十八年七五 軒 明治三十一年 一四五軒 釜ケ崎 ドヤ。 明治三年〜一六軒、 大正四年〜四〇軒、 大正一五年四九軒、 昭和五年〜五六軒、 昭和一五年〜六八 軒。 ・山谷ドヤ賃〜昭 和七年で一泊十銭。 ・釜ケ崎ドヤ賃〜 昭和八年で一泊八 銭。 1962年5月18日 釜ケ崎「映画のタ」(防犯相談コ ーナー主催)。 1962年5月20日 私立「東萩託児園」開園。 1962年5月24日 釜ケ崎「音楽の夕」(防犯相談コ ーナー主催)。 1962年6月 □山谷に「パレス・ハウス」完成。 (マンモスドヤ一泊一五〇円)。 西成分室の期限切れをめぐり、地 元に反対運動起こる。 1962年6月3日 □東京都民生局「山谷の子供を東 京スタジアムに招待」。 1962年6月26日 □山谷玉姫公園「巡回無料相談所」 開設。 1962年6月29日 釜ケ崎「音楽の夕」(防犯相談コ ーナー主催)。 1962年6月30日 釜ケ崎「労働者野球大会」(防犯 相談コーナー主催)。 1962年7月 釜ケ崎のはやし歌「一に鳶職、二 に土方、三・四がなくて五が仲仕」 港湾仕事は最低だという事。 「大阪市西成区青少年協議会」発 足。 1962年7月1日 □山谷福祉センター開設。 1962年7月10日 あいりん学園生徒八六名。 釜ケ崎で「手配師刺される」。 1962年7月11日 □東京都社会福祉審議会答申案。 1962年7月15日 釜ケ崎「万才と映画の夕」二、三 釜ケ崎の暴力売春 〇〇名。 〜九団体二五○。 暴力団〜四四団体 八○○。 1962年7月19日 釜ケ崎「音楽の夕」(防犯相談コ ーナー主催)。 労働者満載のダンプ横転「一五名 重傷」。 1962年7月20日 東淀川区で「タコ部屋」摘発。 1962年7月23日 大阪府知事室で「西成労働福祉セ ンター設立発起人会」。 1962年7月24日 釜ケ崎「映画の夕」(防犯相談コ ーナー主催)。 国会議員二名釜ケ崎視察。 1962年7月25日 □山谷玉姫公園「音楽会の夕」六、 〇〇○名。 1962年7月26日 □東京都社会福祉審議会答申案。 雑誌「裸」五号。 1962年7月31日 釜ケ崎「万才と映画の夕」(防犯 相談コーナー主催)。 暴力手配師山田組々員、全員有罪 判決。 「西成労働福祉センター設置の反 対運働が活発になる」。 1962年8月 西成署(昨年九月〜本年八月)ま ※事犯〜犯をおか で麻薬事犯※二一〇件、売春事犯 したもの又はそれ 一、一七四件、行旅病人八八六名。 に近い行為をした もの。 事案の項参照。 1962年8月8日 大阪市立「愛隣会館」開設。 釜ケ崎「万才の夕」(防犯相談コ ーナー主催)。 玉姫公園「音楽の夕」。 1962年8月15日 □玉姫公園「納涼映画の夕」。 釜ケ崎「万才のタ」(防犯相談コ ーナー主催)。 1962年8月20日 □玉姫公園「子供のつどい」。 1962年8月24日 □玉姫公園「夏休み子供会」。 1962年8月27日 □玉姫公園「納涼映画の夕」。 1962年9月 米国メレディス事件で暴動。 西成署発表〜売春 婦四〇〇名。 1962年9月5日 □玉姫公園「合唱と映画」。 1962年9月7日 釜ケ崎「映画と音楽の夕」(防犯 相談コーナー主催)。 1962年9月20日 □玉姫公園「敬老の夕」。 釜ケ崎東萩公園「テレビ塔・ステ ージ」完成。 1962年9月21日 労働省「西成労働福祉センターの 無料職業紹介」を認可。 1962年10月1日 財団法人西成労働福祉センター発 足。 初代専務理事に松尾純雄氏就任 (以下労働センターと略す)。 愛隣会館内に「愛隣貯蓄組合」開 設。 初日に三〇〇名。 1962年11月1日 労働センター「年末友の会」スタ ート。 西成区で「防犯民警協力隊」発足。 1962年11月3日 西成署、求人業者に「人夫のトラ ック輸送」を厳禁。 1962年11月8日 愛憐会館に「ベビー.センター」 開設。 1962年11月23日 □第六次山谷騒動。 あさひ食堂でのトラブル。 二、〇〇○名。 山谷吉影館「地下足袋供養」。 1962年11月24日 □あさひ食堂へ投石。 一、〇〇○名。 1962年11月25日 □山谷一、〇〇○名、交番へも投 石。 釜ケ崎「山谷騒動」の影響は見ら れないが、厳戒体制。 1962年11月29日 自民党「治安対策特別委員会麻薬 対策小委員会」委員三名、釜ケ崎 視察。 1962年11月30日 愛隣貯蓄組合「貯金総額二五五万 円」に。 1962年12月 西成署、簡易宿泊所止宿労働者よ り「生活相談連絡員一一六名」決 定。 労働センター「転職促進訓練生」 二二名を決定。 大阪市立愛隣寮・馬淵生活館が開 設。 1962年12月5日 大阪の篤志家「あいりん学園へ二 百万円」寄付。 1962年12月10日 □山谷「子供クリスマスの夕」。 1962年12月13日 □東京地検刑事都「山谷騒動関係 者三〇名を集団起訴」。 1962年12月16日 西成青少年浄化協議会「古着三千 西成署が三七年度 点を釜ケ崎住人に」。 中に設置した「防 犯燈」四一六。 その他合計七〇一 個。 1962年12月17日 大阪救世軍、都島に「無料宿泊所」 開設。 労働センター「雇傭主懇談会」 (三九業者五〇名)。 1962年12月19日 西成署「当り屋五名逮捕」。 大阪市民生局「あいりん学園クリ スマス・パーティ」。 1962年12月24日 西成青少年浄化協議会「モチつき 大会」。 1962年12月28日 大阪市民生局「ドヤ住いの老人に 年忘れ老人慰安会」。 1962年12月31日 〜一月三日まで「青カン(野宿) 西成署、釜ケ崎の 労働者」を梅田厚生館・なにわ寮・ 暴力団検挙一七七 自彊館へ。 件。 延べ三六三名。 労働センター「年末友の会」一二 二名〜七〇、〇六〇円。 労働センター年間「二八、三九六 件〜三二五、五六一名」就労斡旋。 全国の建設費総額「四兆二千億 円」。 ・道路建設費額「二千五百億円」。
1963年(昭38) 1963年 釜ケ崎「売血四〇〇CC〜一、〇 ベトナム戦争。 〇○円」。 1963年1月1日 本田良寛「済生会今宮診療所々長」 ケネディ大統領暗 に就任。 殺。 1963年1月1日〜3日 □山谷労働センター「山谷労働者 大阪市民生局釜ケ に正月雑煮を」。 崎対策費一億円。 1963年1月5日 釜ケ崎労働者〜相馬六郎「ガリ版 新聞(釜ケ崎)」創刊。 篠田自治大臣兼国家公安委員長 「釜ケ崎を視察」。 1963年1月20日 大阪市民生局「愛隣寮内に遊戯セ 雑誌「裸」十一号。 ンター・あいりん庫」を設置。 1963年1月23日 大阪府田中副知事、西成労働福祉 センターの件で「地元各種団体と 懇談会。 1963年2月 釜ケ崎日払いアパートの火事で 「カギッ子二人焼死」。 1963年2月10日 釜ケ崎で「大阪中華麺販売員医療 互助会」(済生会今宮診療所と診 療協約し発足す)。 1963年2月24日 □山谷「地下足袋祭」に裸の金よ り松原忍外二名参加。 1963年3月 大阪社会学研究会「簡易宿泊所利 用者調査」。 1963年3月10日 釜ケ崎の劇団「くるま座十周年記 念公演」。 1963年3月11日 第一回大阪市社会医学研究会。 警察庁調査〜全国 (於愛隣会館)。 暴力団五、二一六 団体〜一八四、〇 九一名。 1963年3月20日 大阪市立「みなと宿泊所」完成。 (鉄筋三階建、二四〇人収容、一 泊六〇円)。 1963年3月21日 裸の会発足一周年「記念文化祭」。 1963年3月23日 「裸の会」詩人、刺殺さる。 1963年4月 キング師拠点闘争に入る。 1963年4月10日 愛隣会館で、日雇同志の「地下足 袋とエプロン姿で結婚式」。 (相馬六郎氏)。 1963年5月 全国港湾労働組合建設支部西成分 会「機関紙-大阪城」創刊。 (以下西成分会と略す)。 1963年5月4日 □山谷スコップ祭り。 1963年5月12日 ★第二次釜ケ崎集団暴力事件。 1963年5月12日18時30分 長雨と日曜日で「アブレ労働者」 八○○名投石、暴行。 1963年5月12日20時0分 西成分室員と話し合い。 1963年5月12日20時30分 西成分室員の説得が実る。 1963年5月12日22時0分 平穏。 1963年5月13日 労働センター「設置反対住民」と 懇談会。 環境対策懇談会。 1963年5月15日 財団法人西成労働福祉センター新 庁舎完成「落成式」。 1963年5月17日 ★第三次釜ケ崎集団暴力事件。 1963年5月17日17時50分 夜勤求人のトラブルで五〇〇名。 パトカー三台出動。 1963年5月17日18時20分 西成署前三〇〇名騒ぐ。 1963年5月17日19時0分 三〇名程のグループが八集団発生、 走りつつ投石。 1963年5月17日22時0分 西成署、交通遮断して実力行使。 1963年5月17日22時30分 八○○名が乗用車一八台へ投石。 1963年5月17日23時0分 浪速区ジャンジャン横丁へも進出。 警察官二、〇〇○名。 1963年5月18日 午前○時四〇分頃、平穏。 1963年5月18日20時0分 五〇〇名投石。 交通遮断。 1963年5月18日21時0分 湯浅大阪府警本部長視察。 釜ケ崎ドヤ〜平均 一二〇円、一日食 費四〇〇円。 1963年5月18日22時0分 二〇〇名程が散発的に投石。 1963年5月18日23時0分 七〇名に減少、平穏。 1963年5月19日 夕方より警察官八○○名で警戒。 山谷ドヤ〜平均一 八○円、一日食費 四八○円。 1963年5月19日21時0分 酔っぱらい労働者が乗用車に投石。 1963年5月19日23時0分 厳戒体制を解く。 以後「七月二六日まで」警備体制。 1963年5月23日 西成署・大阪府・労働センター 「梅雨対策で協議」。 1963年5月27日 みなと宿泊所「釜ケ崎ムードが無 いと」不人気。 1963年5月30日 第二回大阪市社会医学研究会。 (於西成区役所)。 1963年6月 労働センター「新庁舎で業務を始 める」。 1963年6月6日 環境対策懇談会。 1963年7月 釜ケ崎名物「当り屋」激減。 1963年7月10日 □東京都社会福祉審議会「東京都 西成署、釜ケ崎の における不良環境地区に対する福 暴力団検挙三八八 祉対策に関する答申」。 件。 1963年7月18日 旧大阪府労働部西成分室を撤去。 1963年8月 □山谷地区に血液銀行のバス。 1963年8月8日 第三回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1963年8月17日 労働センター「港湾関係雇傭主・ 連絡員懇談会」。 1963年8月21日 朝日新聞「飯場」シリーズを連載。 1963年8月27日 労働センター「建設関係雇傭主・ 大阪府下土木建設 連絡員懇談会」。 業界〜事故死一九 八名。 労災補償費二億円。 1963年8月30日 愛隣銀行貯金「一千万円を突破」。 1963年9月 西成署防犯コーナー「巡回文庫・ 一口広報」に人気集中。 (新聞社の協力で週おくれ週刊紙 を配布〜年間二万五千冊)。 1963年9月7日 労働センター「運輸・製造関係雇 傭主・連絡員懇談会」。 1963年9月19日 第四回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1963年10月1日 大阪府労働部「日雇労働者転職促 全国の建設費総額 進訓練事業」閉鎖寸前。 「四兆八千億円」。 (四〇名定員に五名)。 1963年10月10日 労働センター「常傭化仕度貸付金 労働センター三八 貸与(一万円)・常傭化援助金支 年度中に四九一、 給(五千円)」の制度を発表。 九五九名を就労斡 旋。 1963年10月14日 労働センター「飯場連絡員懇談 会」。 1963年10月17日 第五回大阪市社会医学研究会。 (於愛隣会館)。 1963年10月30日 西成署「ユスリ常習犯不良労働者 四名」検挙。 1963年11月 労働センター「年末友の会」・西 成に大阪市立「老人福祉センター」 開設。 1963年11月18日 愛隣地区年末対策協議会。 1963年11月21日 第六回大阪市社会医学研究会。 (於労働センタ ー)。 大丸デパートより 「中古服を労働セ ンターへ寄贈」。 1963年11月25日 釜ケ崎に、ヤミ手配師組織「近畿 大阪市民生局釜ケ 労生協会」誕生。 崎対策費八、五〇 〇万円。 1963年12月 大丸デパートより「中古服を労働 センターへ寄贈」。 1963年12月18日 愛隣地区年末対策協議会。 1963年12月19日 第七回大阪市社会医学研究会。 (於労働センター)。 1963年12月29日 一月三日今宮診療所々長が、防犯 コーナーに出張して「年末年始医 療対策」を始める。 1963年12月30日 労働センター「年末友の会〜二九 一名六三万円」。 1963年12月31日 年末アブレで一、〇〇〇名騒ぎ投 石・放火。 警察官二、〇〇〇名で警戒。 〜一月三日まで厳戒体制。