現地報告

釜ヶ崎と社会科学徒の反省

―超イデオロ的、複眼のヒューマニズムの提唱―

             中村 祥一

 手元にコピーしかなく、掲載雑誌・発表年不詳 多分、1961年「都市問題研究」

★釜ヶ崎事件おこる

 釜ヶ崎に象徴される貧困と浮浪、頽廃と無惨はないほうがよい。しかし、釜ヶ崎事件はあったほうがよかった。それは一名の死者と何百かの傷者をふくむ荒々しい破壊と打擲であったが、所得倍増、レジャー・ブームなる作為のナンセンスを炎々と照出しただけではなく、反体制の陣営が理論的にも実践的にも、自己における既成のものを根本的に問い返す有難い機縁になるとも考えられるからである。
 事件によって“どん底の街”はよみがえり、釜ヶ崎は初めて真剣に対決さるべき課題となった。環境浄化とか暴力排除といったローカルな施策の対象が、自由民主党のレゾン・デートルに迫る施政のイッシューとなった。「大阪野郎」の街、「太陽の墓場」、ニシナリのカマガサキは好奇と娯楽のマスコミから懸命に蔽われ糊塗さるべき政治的恥部となった。
 交通事故の取扱いをめぐって、八月一日夜半に始まった交番焼打ち、自動車放火、本署襲撃等の騒ぎは、二日、三日と大きく燃え拡がり、ついに六千の警棒の嵐の前に圧服される事件となった。植木法相は思想的背景の糾明を語り、大阪府公安委員会は異例の告示を発表し、地検はこれまた異例の捜査本部を置き、「騒乱罪適用」を検討し、「政治の届かぬ証拠」という首相の記者団への回答は、関係各省初の連絡協議会にまで発展した。
 市も府も警察も、地方も中央も資料を集め、会議を開き、視察し検討し対策が練られ、諮問され、なにがしかの特別予算と具体策が打ち出された。いわく、街灯三十の新設、第二愛隣館の建設、手配師一掃のための大阪府労働部西成分室の設置等々。
 体制と権力の側は事件が呼ぴ醒した釜ヶ崎の悲惨と不正への世間の眼を鋭く感知したかのごとく、よろめきながらもその布石を堅めつつある。二重構造のがんじがらめを突き破り、反体制の運動と組織をおし拡げ、深めんと志向するものは、何をなすべきであるか。

★釜ヶ崎における人間!

 山谷事件の二ヶ月ほど後、「少年補導」なる雑誌に載った<てい談>で、西成の前署長I氏は、「西成では山谷のような大騒ぎは起こらない、起こさないという自信がおありなんですね」と問われ、「そうです。あの事件が起こってからも別に変った対策は立ててない・・・」と答えている。事件の発生―発展の形態については、こんなところにも原因があることもちろんであるが、重要なのは、釜ヶ崎そのものの存在である。
 そこに釜ヶ崎があるゆえに、釜ヶ崎事件は起こったのであり、遺棄され、浮浪する沈澱が生けるものであったがゆえに爆発した。それは、一切の健康正常な活力発散のルートを閉塞されて、臭熟の鶏舎への仮寓を強制されたがゆえに路上に溢れたのであり、組織し羅針するなにものも有力でなかったがゆえに、方向感覚を歪ませ、暴走、猪突したのである。
 釜ヶ崎事件からわれわれは、<事件>を学ぶことができる。爆発の可能性を現実性に転化する触発の意味を考えることができる。事件発生の地点、時間、そしてあの不快指数84の重みを量ることもできる。だが、やはり、われわれは釜ヶ崎のことを考える。ウェーバー流に、<もしあの爺さんが事故にたおれ、警官の取り扱いに不当な部分がなかったら>と問い、それへの客観的可能性判断がNOと出ても、すなわち、事件が釜ヶ崎の存在のみによって起こったのではないにしても、われわれにとってなによりも重要なのは釜ヶ崎における人間なのであって、事件ではない。点火がなければ一九六一年八月一日に燃えなかったかもしれぬ。しかし、燃えるべくしてそこにあったもの、そして現に今も在る釜ヶ崎がわれわれを呼ぶ。

★複雑きわまりない現状

 釜ヶ崎は山谷にもまして複雑である。トタン屋根と古材木、ベニヤとアンペラのバラック仮小屋が迷路と袋小路をっくるかとみれば、アスファルト舗装された五間幅の産業道路をはさんでドヤ・アパートが甍をならべる。保健所公認のものから、いわゆるモグリをも含めて二百軒にも及ぶとみられるドヤもまたべッドハウス一式ではない。追い込みの大部屋もあれば、かいこ棚式二段ベッド、一泊二百円もする小ぎれいな宿(ヤド)もある。売春、暴力、麻薬、、立ちん坊に私設競輪(ノミヤ)、ヨセヤに手配師、夜泣きそは屋台の群落から露店商の点在、本山のごとき全国指名手配も韜晦すれば、乾してあるオムツや水道栓もパクられる。
 長町(名護町)の昔から今日に至るまで、「日本之下層祉会」、「日本の底辺」は「日本残酷物語」を「貧天地飢寒窟」に展開、持続し、幾多の日本の良心を汚辱と悲惨に涙させ慷慨させたが、他方、武田麟太郎、菊田一夫、大島渚、黒岩重吾の作家をも魅きつけ、まき込み、多くはその異様特異な風俗によってネタと名声を与え、自らはしばしばなにものをも得ず、時としては腐臭を放ちながら、忘れられ憶い出され、来るを拒まず、去るを追わずドロドロと生きてきた。
 複雑とはなにか。釜ヶ崎において複雑なるものは、諸要素の風俗的多彩、並存をのみ意味するのではない。人間の群棲において複雑なるものが常にそうであるごとく、釜ヶ崎にあるものもまた、つながり纏絡する欲望と欲望、利害と利害、感性とロゴスのからみつきである。失業と貧困、家族解体と遺棄、失意と不信に打ちのめされ、希望もなく絶望の力も喪い、死なぬから生きている体の存在が、十数軒のドヤ、数十軒のバラック、何万坪かの土地、総檜づくりの食堂の所有等、その多角経営による寄生的収奪と握手する。未就学、不就学、長欠児、少年非行の対策を協議するPTAの役員は、花売り、くじ売り、貰い人の親子が宿るドヤの主人であり(自分の子供は地区外有名校などにも通わせながら)、地区の浄化と防犯を協議し事件への善処をネジ込む善良なる人々の持つアパートは、しばしば売春と麻薬にアジトを提供する。貧しく落魄し、困惑脱法するものへの、富めるもの成りあがったもの抜け目なきものからの寄生―収奪のみではない。否定し清掃さるべきものへの依存、寄生し吸血するものとの共棲が腐れ縁をつくる。
 列車長屋と呼ばれるバラック密集地域に、市有地不法占拠を理由に、いま立退き問題が起こっている。ここに錯綜する利害、欲望は複雑である。立退きが立退き料を意味するバラックの所有者たちと、立退きが生活の喪失を意味する店子の利害対立がある。しかし、所有し権利金と家賃を収取するボス連中が、漂着の人に職を与え、安く食わせ、まして誰も手をさしのべなかった流浪の父子を住まわせ蘇生させ、暴走する若者に秩序を与え、役人相手の面倒を省いてくれるのであるとすれば、市が建てるという鉄筋住宅にも喜んで移転できぬ筋合いがある。
 ボス、世話役、会長といわれる人々は、しばしば信念と善意の人である。十人近くの屑拾いを住まわせ、故買には資金を、盆・暮には心づけとピクニックを考えるヨセヤの経営者は、<まじめに働きたい人は誰でもきて下さい>という張り紙のなかに、人助けを本気で信じようとする。偽善とはいえぬ素朴さが、見えすいた合理化でない人格的処世訓への渾然化を固めている。
 <日稼ぎ>の自由労働者がドヤに住み、ドヤの主人が経営する食堂でめしを食い、バラックの住民、屑拾い、ラーメンの売人(バイニン)が親方の家根の下で生活する共棲とともに、警察は盗品、指名手配の捜査を質屋、古物商、立ちん坊に、暴力排除、環境浄化を、ドヤの主人の防犯委員に依存せざるを得ない。
 暴力手配師Y組のピンハネ搾取というワメキ声で尻を叩かれ、必死の努力で捕えて話を聞けば、ピンハネの巨魁は背後に操る巨大資本であったとわかり、自嘲の胆汁をのみくだすお巡りさん、臨月のお腹を当にして売春する哀れな女、結核の夫と五人の栄養失調の未就学児を抱えたジカ引を尋問するとき、旧飛田遊廓に根を張り、強固な城塞に拠って正業投資のネオンの蔭にうごめくものを連想するお巡りさんは、また、業者の協力、自粛を当にしなければならぬ。
 だが、釜ヶ崎のややこしさは行政と権力だけの問題ではない。革新系市会議員も思案するように、ドヤの住人のほとんどは選挙権を持たず、持つものもまた投票を忘れる。地域におけるただ一つの反体制組織、全日自労西成分会は、事件を契機に、総評と連繋し、山谷・釜ヶ崎問題と強力に取組もうとしており、すでに、立ちん坊―自由労働者層にも組織の芽を作ろうと試みつつあるとはいえ、自らは約五千の登録者の一割を組織しえているにすぎず、その多くは女性である。九月四日の読売は、社会党大阪府連がD副委員長を中心に“市民の声を聞く会”を釜ヶ崎で催したと報じてはいる。しかし、西成子供を守る会の会長でもあるD氏は、土地の暴力団R組と名をつらねてストリップ劇場に寄贈せざるを得ないむつかしさに絡まれている。共産党もまた、ここでは死んでいる。地区を統括するK委員会を訪ねたが、なんの手がかりもなかった。朝日のS記者によれば、事件の炎焼中、一切の党員は家に足どめされたという。アカハタ、同日曜版のカンパニアもみられない、戦後数年、西成署から五十米ほどのビルに、地区委員会のがっしりしたビュローがあったのだが。しかし、むつかしさは反体制の側における焦点喪失につきるのではない。
 通称職安横丁に、ドヤの管理人で子供会の面倒をみているW大学出身の青年がいた。彼は自民党員だという。一文の得にもならんといって兄に叱られながら、たちまち失くなる野球道具を自分で買ってやったり、ウス汚い子供達といっしょにハイキングに行ったりしている。また、大阪府知事佐藤義詮氏の後援会、佐藤会申込所の札をかかげる地区居住五十年にもなる煙草屋さんがある。会って話を聞けば、実に好々爺である。米騒動の際、また飛田附近にあったマッチ工揚のストに際し、暴力団があるいは抜刀して、権力擁護に先頭きったなど(暴力自警団の歴史は古い)、興味ある話を聞けた。飛田商店街にも根を張るドヤ一族への批判も聞けた。ここでもまた、体制的なるものは地域の奥ふかく、庶民の毛細血管のすみずみまで滲み通っている。

★複眼のヒューマニズム

 人はいうかもしれない。複雑なるものは何もない、それは、がめつさと無法の執念、零落と沈澱の無望、要するに巨大独占資本の外面如菩薩真実悪鬼の足下にもがく、失業メトロポリスの巨大スラムにほかならぬ、資本の法則が人々の身うちを灼くのをやめるまで浜の真砂は尽きぬであろうと。
 しかし、マクロを写すミクロが二重構造の底辺部分〈影の地帯〉において、ふたたび重層をつくり、寄生・収奪のみならず、共棲・依存の四通し八達する網の目を生理と心理の紛糾として繰りひろげるとき、体制へと直截に収斂する視点とともに、ここ、太陽の輝く墓場に蠕動するものへの微細な拡散が必要であろう。三分の一の壁はプッシュ・バトン・システムによって、呪文とともに自開するのではない。面壁理論によって壮大華麗に自得される逃避・誤魔化しにもよらない打壊しの運動は、壁が単色でなく、そのシックイ、そのセメント、その鉄材の質の多元なからみきのきめこまかい理解と、削り掘り打診し、発破をしかける自在な土建作業のたゆみない組織化を要求するであろう。政党はその自ビイキとやくざめいた縄張り争いをやめ(事件を煽動したものがあるとすれば民社党だ、と社会党市会議員は最近、地元でブッて歩いた)、労働組合はプロレタリアートという観点を拡げ、タメニスル宣伝、敵は本能寺式の発想をすべての人が忘れ去らねばならぬ。
 そこに、打ちひしがれ、流れつき、ねぐらを失い、バクダンに酔い倒れ、誰にも顧みられず、誰をも関心しない、それでいて温いもの、ヒトなつかしきものをまさぐり、権威を白眼しながら、毎日を打算する「人類に近き一種の猿猴」(横山源之助)「あらゆる階級のこうしたくず、ごみ、かす」(ブリュメール十八日)もまた人の子として生きるがゆえに、彼らをそれ自身のゆえに愛し、彼みずからの力で立直り、「市場の蝿」が笑いさざめきつつとび交うものになる端的な視点が、新しい組織論とともに求められるであろう。それは新しい地域づくりであろう。手がかりはあるか。大阪府・市が特別予算十億を政府に要求し、駸駸としてぬけめなきPRの旗幟とともに体制の配備を原色の街にヴェールし進めるとき、神も仏もたじたじとなる(救霊会館、仏現寺があり、一部に創価学会の進出、時として救世軍の布教もみるが)この組織の極北と、反体制陣営はいかに対決しうるか。
 全日自労西成分会は動きつつある。しかし、〈西成ではのぞみなし〉(失対労働者意見調査より)とつぶやく組合員をかかえ、残存するボス支配(特失―特別失業対策―における)と、なお多数を占める女性組合員の苦しさをどう乗切るか。ドヤ街の中心にあるH小学校の市教組分会はどうか。事件に際し彼らの要求した最初のことは、警備員増加であり、事件にまき込まれた中学教師をどう処置するかをまず大教組は問題とした。PTA会長はドヤの経営者である。西成区内、ほど遠からぬ処に位置する部落解放同盟との連繋はどうか。狭量なる部落中心主義が釜ヶ崎住民の移転を阻んだときく。
 とはいえ、希望は絶無とはいえない。ドヤとバラックを何十軒ももつ地区のボスは、共産党員であるともいわれ、民社党支部結成式にも出掛けた。盆踊りには、呉越同舟、社会党N国会議員寄贈の提灯が、手配師、自民党のそれと膚をならべる。鋭い利害感覚が、狭隘なイデオロの対立をふきとばすたくましさでここに脈打っている。
 結論などない。ともあれ、われわれは釜ヶ崎のごとき生存とも死亡ともつかぬモスラと取組むとき、さし当っては超イデオロ的、複眼のヒューマニストでなければならない。彼はマルクスでも丹下左膳でもあってはならぬ。問題を体制―反体制のプロクステス・ベッドで料理する青二才であってもならぬ。雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ・・・東ニ病人アレバ・・・の宮沢賢治流のコマメさで労をいとわず、人々の悩みの細部をさすりほぐす練れた人物でなければならぬ。心と身体の、また集団関係の病を治療しうる技術をも修得していることが望ましい。
 社会科学ぬきの社会工学などおよそナンセンスである。大阪府労働部西成分室の努力が、社会福祉事業協会なるものによる。パチンコ景品の現金替え的な弥縫策、悪の合理化に堕さなければ幸いである(土建労働の下請の下請、ギジ手配師的な〇〇組の兄チャンが連絡員の腕章をもつのを私はみた)。しかし、上からの施策は常に具体的である。たとえそれが糊塗であっても、なんとか形をつけてくるとき、われわれは文句をいい批評しインネンをゴネくるだけではなにひとつなしえない。毒を薬に、敵を味方に反面教員化し、外部矛盾を内部化しゆく非実体的、媒介的、・転轍自在的ダイナミズムとともに、機能的代替物(RKマートン)への配慮が求められるゆえんである。

★社会科学は行なうために予見する

 釜ヶ崎事件の二日目頃、西成警察附近のドヤに飛火があり、母親が子供をつれ保護を求めてきたにたいし警察がニベもなく追い返したのを、その揚にいた記者達が抗議するという一幕があったという。私は“暴徒”とか“暴動”とか“煽動”とかいったいささか当を失した用語で事件を報道せざるをえぬ記者たちの追いつめられた抵抗の表情を、この一事にまざまざとみる思いがした。
 安保闘争以後、いっせいに拘禁衣とサルグツワをはめられ、息ぐるしい潜水を余儀なくされている心あるマスコミ・マンたちに久方ぶりの浮上を許容した事件の潜在機能を私は喜ぶ。しかし、恵まれぬ人に愛の手を式の、構造音痴的、体制不盛症的なルポルタージュの限界をそれが越えていないもどかしさをも感じないわけにはいかぬ。
 とはいえ、彼らを衝く前に、また彼らとともに、釜ヶ崎の研究・調査にここ数年を費やしてきた私たち、研究者の姿勢もまた問われなければならない。
 資本主義の矛盾を語り、失業・貧困の必至を論じて、その現実態をその具体相において実見しない机上のマルクス原理論の研究よりは、たとえしばしといえども、路地から路地を、ドヤからドヤを尋ね、腐臭を実感しながら現地を彷徨(さまよ)う経験がすぐれていると私は思う。軽井沢喧騒なりとして、不便を徳とする戸隠あたりへ避難する高級レジャー族や、白麻の背広を一着におよんで、異例の告示を涼しげに読みあげる公安委員長や、警察の屋上から署長の説明をきき、表通り(若きエングルスが裏とのギャップを鋭く指摘したあの表通り)を、金魚のフンよろしき小姓連中を従え視察される選良諸氏(共産党であれ社会党であれ)より、七人家族が交替でねるガラクタと腐臭にみちた四畳半、棺桶をおけば見舞いの校長先生も坐れぬ二畳の非人間的家畜小屋で、住民の喜び、悲しみを聞取りすることのほうが何倍もすぐれてはいる。
 しかし、釜ヶ崎事件を二日目以後、傍観しつつ私の実感したものは、行政への科学の非参与性、実践へ無縁なところで資料を整理し分類報告し、客観性を自慰する科学のインポテンツであった。役に立つことへの志向が危険な陥穽を含んでいることを私は知っている。今、ここにおいて有用なものは必ずしも彼方や来来を創りはしない。また、研究を現実に生かす態勢を阻み、そのことを自明と諦念してかかる日本の学問の伝統的非実践性、その弱気を生んだものが何であるかについても、ある程度知っている。とはいえ、社会学は行なうために予見し、予見するためにみる、という視点を失うことはできぬ。
 ことに、釜ヶ崎のごとき、貧困と流浪の悲惨、錯綜する利害のからみつきはそのことを要求し、たんなるidle curiosity、冷酷なる見る眼そのものといった姿勢を全然うけつけぬであろう。私たちは調査表を配布する際、純学問的と無党派を宣言し、回収に際し何がしかのお礼をする。また、住民の声を、かすかなつぶやきにも似たそれであっても、行政に告げんと試みる。こみ入った利害の林のなかに分けいる調査は、まことに一個のたくみである。それは一筋縄ではいかぬ人情の機微と欲望の波動をときほぐす勘考を要求する。対象者の複雑とともに、スポンサーの秩序なき秩序をもくぐりぬけなければならぬ。モヤモヤしたものの間をヌエ的ヤヌス的晦渋さで進まねばならぬ。しかし、なお私はバラックの住民たちの、しばしば酔いにまかせてやっと口走りうる、あの単刀直入的批判の声を忘れることはできない。
 <お前ら、調査や研究やいうてなにぬかしてけつかんね!お前らに、ワイラの本当のことがわかってたまるけェ。ワイラはワイラの甲斐性で勝手に生きてるんや。ほっといてんか。ケッタくそ悪い。見世モンとちがうねんで。調査やなんやいうて、今までイジリ倒して、ええことしてくれたことあれへんやないか。あんたら、夏休みやいうのにご苦労はんなことでんなあ。ご苦労ついでに一ペンここで住んでみはったらドナイダア)
註〕大阪社会学研究会は、文部省、大阪市の補助をえて昭和三十四年以降、釜ヶ崎の実態調査を行なってきた。本年は隣接浪速区のバラック仮設住宅の調査を進めつつある。釜ヶ崎の調査・研究資料については、「都市問題研究」第13巻第5号、「ソシオロジ」第27号(近刊)を参照ありたし。
なお写真は、桝井啓智氏のご厚意に甘え拝借した。(筆者・大阪社会学研究会員)

以下参考までに紹介

「都市問題研究」第135号は大阪市立中央図書館に製本雑誌(都市問題研究 13112号 都市問題研究会∥1961.1-12)として所蔵されている。釜ケ崎の実態----特集・スラム問題  135 1961-05 p.7391
釜ケ崎の実態---- 特集・都市圏開発大阪社会学研究会掲載誌都市問題研究 136 1961-06 p.104122

都市問題研究には以下のものも掲載されている。

◎社会福祉の地域的開発--釜ケ崎対策を中心として-- 特集・社会保障柴田善守掲載誌都市問題研究 1311 1961-11 p.5467
◎スラムについて--特集・スラム問題 網谷順一掲載誌都市問題研究 135 1961-05 p.333
◎不良住宅地区改良について--その実態と対策-- 特集・スラム問題大橋薫掲載誌都市問題研究 135 1961-05 p.4759
◎スラム対策の一考察--同和地区との関連において-- 特集・スラム問題翁久次郎掲載誌都市問題研究 135 1961-05 p.3446

大阪市立中央図書館には、その頃のものとして以下のものがある。

タイトル「大阪市環境改善地区実態調査:西成区簡易宿泊所利用実態」 著者名大阪社会学研究会/編  出版者:大阪社会学研究会  出版年 1963 
タイトル「実態調査資料集:大阪市浪速区恵美地区 その1 著者名大阪市社会学研究会/[]  出版者 [大阪]:大阪市社会学研究会  出版年 [1961]  注記昭和36824日現在
タイトル「釜ケ崎の実態」著者名大阪府警察本部防犯部/[]  出版者 [大阪]:大阪府警察本部防犯部  出版年 1961 
タイトル「大阪市釜ケ崎対策・施設 」著者名大阪市民生局/[]  出版者 [大阪]:大阪市民生局  出版年 1962  注記謄写版 添付:リーフレット1枚(「明るい釜ヶ崎を建設するために」)
タイトル「[大阪市衛生局,大阪市西成保健所]分室のあゆみ 1963 」著者名 大阪市衛生局/[ほか]共編  出版者 [大阪]:大阪市衛生局  出版年 1963.12  形態など図版共96p 図版1枚;25cm  注記折込み4枚 釜ヶ崎を主に対象としたもの

「ソシオロジ」は大阪市立中央図書館には所蔵されていないようで、国立国会図書館での検索で以下の情報を知ることができた。

『ソシオロジ』第27

タイトル 釜崎実態調査報告 : 特集  著者 ソシオロジ編集委員会 編集  出版地[京都] 出版社 社会学研究会 出版年 1961 
タイトル 釜崎実態調査報告  著者 大橋薫他  出版年 1961-10  掲載誌名 ソシオロジ / ソシオロジ編集委員会   掲載巻 8  掲載号 3 
それとは別に
タイトル 仮小屋密集地区のスラム化の研究
  著者 大橋薫  出版年 1960-04  掲載誌名 ソシオロジ / ソシオロジ編集委員会   掲載巻 7  掲載号 1  
がある。