経過報告ー1997〜98年冬・越冬対策を巡って
 

 大阪・釜ヶ崎における仕事量の増減を見る一つのバロメーターとなっている西成労働福祉センターの現金求人数を、「バブル経済」崩壊後最も求人数の落ち込んだ1993年と「阪神淡路大震災」の影響の著しかった1995年、そして昨年の三年間を選んで、4月から11月までの8ヶ月の月平均を比較すると、93年70,632人、95年100,983人、97年63,664人となる。

 97年の仕事の落ち込みは激しかったわけであるが、行政側は何の対応策も示さず、6月に釜ヶ崎反失業連絡会の諸要求の中で「センター夜間開放(大阪府の場所提供・大阪市の乾パン、毛布の支給・反失連の管理運営)」と・「高齢者清掃事業」の一時的小規模の増員に応じたにとどまった。

 秋も終わり冬になろうというのに仕事量は増えず、野宿を余儀なくされる労働者が増え続ける現実から、釜ヶ崎では「越冬闘争」を前倒しすることにし、11月17日、釜ヶ崎反失業連絡会と第28回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会が連名で、大阪府・市に「緊急越年対策要求」を提出した。要求項目は以下の通り。
 

『緊急越年対策要求

・越年対策の臨時宿泊所開設を前倒し(12月1日から)開所すると共に、期間延長(1月31日まで)されたい。

・ 早急に、ドヤ券・食券の発行を開始されたい

・早急に、ドヤでの居宅保護を認められたい

・ 緊急就労対策として東京"山谷"並みの「特出し」を実施されたい

・以上のいずれもが実施できない場合、臨時宿泊所の開設期間をのぞく12月1日から1月31日の間、センター1階を夜間解放されたい。

 

1. 就労対策を確立されたい。

・ 公共工事への日雇労働者雇用を、一定割合で義務づけられたい。

・ 各区に「リサイクルセンター」を設置し、釜ヶ崎労働者の就労場所とすること。各区に生ゴミ以外の一時集積所を設け、資源ごとの分別を徹底し、再利用を計ることは人類の義務に応える道である。釜ヶ崎労働者は分別作業を担うことで人類の未来に貢献する。とりあえず、各区百人として2,400人、交代要員を入れて3,000人の就労が可能となる。経費は産業界に負担を求める大義名分もある。・ 高齢者清掃事業枠を300名まで増員されたい。とりわけ大阪府は通年化を含め、増員に真剣に取り組まれたい。

 

2. 釜ヶ崎地区あるいは周辺に低家賃住宅を建設されたい。

 11月の最終の週には大阪府庁前大阪城公園にテントを張り、野営しながら大阪府・市と交渉を続けたが、大阪府は当初、「屋根くらいは考える」と期待を持たせが、結局、「なにもできない」と回答したし、大阪市は「例年の臨泊の定員増以外は無理」と回答した。

 ほとんど無回答に近い回答内容に対し、要求活動はさらに続けられることとなり、センター3階西成労働福祉センター内と前のフロアーに400人から500人の労働者が座り込み、西成労働福祉センターを窓口として交渉を行った。

 交渉の三日目に、思わぬ事が明らかにされた。「交渉初日に、労働部から、交渉をうち切り、退去勧告を出して、警察を導入してでも事態を正常化しろ、とのファックスが届いていましたが、現場を預かる責任者として人道上できないと、首を覚悟で拒否しました。業務に支障のない範囲で、業務時間に限り交渉に応じるのが精一杯です。」

 行政が何もしないと回答し続け、交渉すらしない姿勢を示したのに業を煮やした労働者たちの声を背景に、センター管理室に「完全にセンターの出入り口を閉め切らないよう」要請。センター3階フロアーでの泊まり込みに入った。

 12月5日夜から7日夜の間は「もち代」支給を円滑に進めるために泊まり込みを中止し、8日から再び泊まり込みを開始したが、センター管理室は、8日まで、午後6時少し前に、アナウンスで「1階のシャッターは総て閉まっておりますが、労働福祉センター横通用口は開いておりますので、そちらをご利用ください。」と流していたが、12月9日には、一転、午後7時には総ての入り口を閉めると通告。午後6時35分から三度にわたり場内アナウンスで退去を勧告した。「業務に支障があるので7時までに全員出てください」と。

 放送を聞き今日こそ機動隊による強制排除かとの緊張が高まる中、他に選択肢もないので、おにぎりを配り、毛布を配って寝る体制に入りました。この段階で強制もとどまる要請も誰からもなされず、センターから出たい労働者は自由に退出。それでも、「どこへいけばいいんや。警察が来るなら来たらええやないか」と寝る体制で警察の登場を待った労働者は300名を越えた。

 結局、警察を導入しての強制排除は行われず、泊まり込みは続けられ、11日には540名を越え、それまで使用していた3階フロアー南半分では寝る場所がなくなったので、センター管理室に真ん中のシャッター開けるように要請、全フロアーで寝ることとなった。

 大阪府がすでにセンターで寝ていつ状況を追認し、正式にセンター夜間開放が認められ、一階フローアに移ったのは12月20日からである。

 12月18日に大阪府労働部が西成労働福祉センターを通して発表コメントは、『あいりん労働福祉センターの夜間開放については、これまで、センター本来の設置目的である就労斡旋の昨日が損なわれることや、施設の管理運営上からも支障が生じるおそれがあること、また、地域住民に多大な迷惑をかけることなどから、要望に応じることは困難と回答して参りました。しかしながら、あいりん労働福祉センターの現状は、これ以上放置しておくことが許されない状況となっております。また、地域関係者や多くの府民から早期解決を求める意見が寄せられており、さらに、地域住民も一定の理解を示されるに至ったことなどから、夜間開放に向け、代表者と協議を行いたいと存じます。つきましては、明日、午後1時に代表者の方が、府労働部までおこしください。』というものだった。

 大阪市はそれに伴い、乾パンと毛布1,000枚の支給、臨時宿泊所の期間延長(1月16日朝まで、定員1,700人)を発表した。

 臨時宿泊所入所受付日の労働者の行動は、労働者の急迫した状況を如実に表すものであった。

 臨時宿泊所の受付日の前日である28日午後11時半頃のセンター1階で寝ている労働者の数は700名ジャストだったが、29日午前2時半頃から労働者は起き出して市更相に移動を開始。3時半には完全に起床・片づけの体制となっていた。29日午前3時40分過ぎ、この時刻ですでに発行された整理券は740枚。午前11時過ぎで整理券は2,200枚、2,150番以降は翌日の面談となった。受付自体がパンク状態になったのである。臨時宿泊所に入れたのは、29日が1,800名、30日が400名で、約2,400名と伝えられ、当初発表されていた1,700名を大幅に越えた。その結果、「臨泊効果」で、30日夜に三角公園のテントと医療センター軒下で寝た労働者は100名足らずとなった。

 しかし、31日夜に三角公園で行われた炊き出し(年越しそば)には800名を越える労働者が列を作ったし、すっかり野宿層として定着している人たちは臨時宿泊所に行かず野宿を続けていた。

また、新年1月5日からは臨時宿泊所から出される労働者が増え、10日には半数以上の労働者が臨時宿泊所から出てくることが予想された。そこで、「臨時宿泊所の開所期間中は、センターの夜間開放を中断する」というのが取り決めだったが、1月5日の要求書で、臨時宿泊所の単泊施設としての利用と野宿労働者の増加に連動してのセンター夜間開放再開を申し入れることになった。

 大阪府・市は、「約束は守ってもらいたい」の答えに終始。反失連としては、あえて約束を破りたいわけではなかったが、臨泊期間が16日までと発表されていてもその日まで留まれるのは半数足らずで、野宿を余儀なくされる労働者が増加してくる現実を考え、「自主管理」に踏み切った。12日午後7時には、大阪府労働部からセンター3階フロアーで退去要請を受けたが、その時、センター3階フロアーで仮眠をとろうと集まった労働者は370人を越えていた。その労働者を目の前にして、交渉が再開され、結局、多数の労働者が現にそこで寝ている現実は大きく、大阪府労働部の配慮によって、その夜9時から1階フロアーに移動して、「自主管理」による夜間利用が「認知」されることになった。

 夜間利用は、1月31日までとなっていたが、仕事は増える見込みはなく、また、野宿を余儀なくされる労働者が減少する条件もないことから、1月26日以下の要求が大阪府市に対して提出される。

『 大阪府・市の共同負担で、早急に、ドヤ券・食券の発行を開始されたい。・大阪市は早急に、ドヤでの居宅保護を認められたい。・ 緊急就労対策として東京"山谷"並みの「特出し」を実施されたい。・以上のいずれもが実施できない場合、路上に放置するよりいささかましな対応として、そして、早急に夜間開放に代わる対策を打ち出すことを前提に、センター1階の夜間開放を継続されたい。その場合、センター一階で使用して有効な暖房施設を準備するとともに、センターを夜間利用する労働者に対してセンター内食堂で使用可能な「食券」を発行されたい。

1. 府市協力して就労対策を確立されたい。

・各区に「リサイクルセンター」を設置し、釜ヶ崎労働者の就労場所とすること

各区に生ゴミ以外の一時集積所を設け、資源ごとの分別を徹底し、再利用を計ることは人類の義務に応える道である。釜ヶ崎労働者は分別作業を担うことで人類の未来に貢献する。とりあえず、各区百人として2,400人、交代要員を入れて3,000人の就労が可能となる。経費は産業界に負担を求める大義名分もある。・高齢者清掃事業枠を300名まで増員されたい。とりわけ大阪府は通年化を含め、増員に真剣に取り組まれたい。

2. 釜ヶ崎地区あるいは周辺に低家賃住宅を建設されたい。』

 釜ヶ崎の昨年は、「アブレ対策」が「センター夜間利用」に集中しまったが、今年はそのような緊急対策・「センター夜間利用」を越えた対策を実現することが獲得目標となっている。(釜ヶ崎資料センター 松繁逸夫)