背景に社会全体の無知(1986115日 朝日新聞「手紙」欄

大阪の四天王寺境内で野宿を余儀なくされていた労働者らをエアガンで襲撃した少年たちは、「面白半分にやった」と言っているそうだ。

面白半分にやったものであれば、しかりつけられた時点でひるみ、逃げ出すのではあるまいか。いや、野宿を余儀なくされている人々、しかも寝入っている人を撃つということが「面白半分」という動機でできることなのだろうか。

一面しか言い得ていないと思うが、私の体験から言わせてもらえれば、社会的無知と差別であると思う。

835月に大阪府警南署が、管内で野宿している人たちに対し、指紋押なつを強要し、上半身の写真をとっていることを知り、大阪弁護士会に、日雇い労働者への人権侵害であると訴えたことが、新聞で報じられた時のこと。一人の女性から次のような電話があった。

「あなたたちは何を考えているのですか。今の繁栄する日本の中で、大の大人が、自分の力で、寝る所も確保できず、食べることもできないなんて、本人がよほどグウタラで、なまけ者だからでしょう。そんな人たちに人権があるなんて、どうして騒ぐんですか」

野宿を余儀なくされている人と話をしたことがあるか、なぜ野宿をしているかを知ろうとしたことがありますか、と聞き返したところ、「野宿者に知り合いもいないし、知りたいとも思わない」という答えだったので「じゃ、なぜ、グウタラでなまけ者だとわかるんですか」と重ねて聞くと、黙り込んでしまった。

この女性と同じように少年たちも、社会的無知の状態で、野宿を余儀なくされている人々をべっ視、差別していたからこそ襲撃したのだと思う。

大阪市教育委員会は、「社会的弱者に対する暴力は教育の原点にかかわる問題」として、市立校の全校に人権教育を徹底するよう指示したと報じられたが、果たしてどれほどの教職員が、野宿を余儀なくされている日雇い労働者について、釜ケ崎(行政のいうあいりん地区一帯)について知っていることだろうか。市教委によれば、当面、各学校ではホームルームの時間に、襲撃事件についての新聞記事をもとにして討論することになるそうだが、教師自体に深い理解を伴わない人権教育は、差別意識をより激化されることにつながると考えるのは杷憂(きゆう)に過ぎるだろうか。

大阪市 松繁逸夫(日雇い鉄筋工36)

襲撃も汚職も同根(19861015日 朝日新聞「はい社会部です」欄)
 こんどの野宿労働者襲撃事件は、あいりん地区で起きている汚職事件と根っこは同じと思う。大阪市の福祉行政予算がだんだん削られ、良心的な職員でも上司から「金を使うな」と言われるとやる気をなくす。ケースワーカー同士で「あいつは労働者寄り」と思われないよう監視し合い、職場の空気が荒れる。そこから汚職も自殺も出てくる。一方、福祉が切り詰められると野宿せざるを得ない人が増えてくる。少年たちは勝手に「追っ払ってもいい」と思って、あんな事件を起こす。大阪市は福祉を切るな、と大きい声で言いたい。大阪市西成区 日雇い鉄筋工 松繁逸夫(36)