2.市民−追うもの

メシにたかるハエのように・・・・

 

取り締まりや野宿者の実態を把握するための聞き取りが行われるのと平行して、なんとかせねばの思いを、具体的なものにしていく話し合いも積み重ねられていた。

具体的な行動模索の動きについては、部落解放同盟大阪府連合会矢田支部にある矢田解放塾の塾長であり、横浜・寿における“野宿労働者襲撃事件”とその後の大阪における野宿者の被害状況調査を契機に結成された“釜ヶ崎差別と闘う連絡会”の世話人でもあるNさんから受けた、「京都府連合会ともよく話し合って対策を練るべきだ」というアドバイスと、部落解放同盟京都府連合会K書記長への紹介が大きな弾みとなった。

1月26日には、部落解放同盟京都府連合会をはじめ、東九条地域生活と人権を守る会、日雇労働者の人権を守るキリスト者の会、釜ヶ崎日雇労働組合、釜ヶ崎差別と闘う連絡会の5団体を中心として、“日雇労働者の人権と労働を考える会(準)”が発足した。

会の発足は1月16日と26日に開かれた2度にわたる会議の結果であるが、会議では、聞き取り調査で明らかになった取り締まりの状況や野宿者個々人の事情と共に、二つの出来事が報告され、ともかく、今後取り締まりをやらせないことを第一の目標におくこととなった。

注目を集めた二つの出来事のうち一つは、鉄道公安職員の暴行事件だった。

1月5日、京都駅中央コンコースから団体待合室周辺を聞き取り範囲に受け持ったグループが、一人の野宿者を、二人の鉄道公安員が引きずるようにして連れて行きながら、蹴飛ばしているのに出くわした。やめるように声を掛けたところ、「こいつらは、こうでもしないと判らないんだ」と、そのような暴行が日常的であることを思わせる返答であったという。

もう一つの出来事は、鉄道公安員が野宿者に対して、なぜ簡単に暴力をふるうかについて、彼らの野宿者に対する意識のありようを示すものだった。

1月23日、駅に巣くう手配師(飯場求人係)や時間待ちをしている人、暖をとって休んでいる野宿者などのいる待合室で聞き取りをしているところへ、3人の鉄道公安員が現れ、野宿者に対して、一人一人に声を掛け始めた。

待合室の閉まる時間でもないのに、なぜ追い立てるのかと問いただすと、「待合室は出迎え、あるいは時間待ちなどの旅行目的以外の使用は認められない。だから、あの人達には出て行ってもらっている。」と説明した後、さも、ものわかり良さそうに、「あの人達も行くところがないから、しょうがなくまた戻ってくるんでしょうが、メシにたかるハエを追い払うようなものでね・・・。私らも職務ですから、言わざるを得ないです。と付け加えた。

野宿者が行くところがないことについては、個人として少しは同情するところがあるが、鉄道公安員の職務として追い立てざるを得ない。そして、職務は換金労働であるゆえに、なるべく煩わしくなく勤めたいが、野宿者の存在は、換金労働を煩わしいものにする。「行くところがないのだろう」という一般的な同情は、何回も追い払ううちに、「なぜ、自分の力で何とかしないのか」という苛立ちに変わり、「メシにたかるハエのように」戻ってきて、無意味で苦痛な労働の反復を生み出す原因としての野宿者は、鉄道公安員にとって、故意に自分の生活、感情を乱そうとする加害者のように思えてくる。そして、野宿者に対して怒りがわくようになり、暴行もやむを得ないものと感じられるようになる。

鉄道公安員の暴行の事実と、ものわかりの良さそうな言葉を結びつけ、鉄道公安員達の心の動きを、そのようなものとしてとらえることは穿ちすぎであろうか。

しかし、このように考える時、野宿者取り締まりの本質が、野宿者への蔑視を基に行われているものであり、表面上もっともらしい理由を持つ追い立てが、その実、人を差別し、排除・隔離から暴行・抹殺へと展開されていくことになる許し難いものであることが、はっきりとする。

部落解放同盟京都府連合会のK書記長は事実経過を聞き、「野宿者が行くところがないことを知りながら、福祉・労働面での対策を行政と共に考えることなく、刑事罰を科すという脅しを使って即物的に追い立てる京都駅の姿勢は、野宿者を人間としてみないもので、まず、この点が追求されなければならない。その上で、福祉・労働面での対策を要求していくべきだろう。」とまとめ、運動の方向を示された。それは出席者一同の一致するところでもあったので、国鉄京都駅、鉄道公安室、京都府警七条署への抗議行動の日が設定され、部落解放同盟京都府連合会のMさんが窓口となって会見の申し入れが行われることが決められた。


ご都合主義的な法の適用
 

取り締まる側に直接、抗議の意志を明らかにする行動と共に、間接的ながら取り締まりに歯止めを掛けるために、弁護士会の人権擁護委員会に対して、人権侵害事件として申し立てることも検討された。

しかし、申し立てについて、京都のK法律事務所のS弁護士を交えて検討を進めるうちに、全員がある思い違いをしていることが明らかになり、時間を掛けて研究した上で書類を整え、申し立てをすることになった。

全員がおかしていた思い違いとは、逮捕されるにあたって適用された軽犯罪法の条項についてのことで、第1条4号の『生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たないもので諸方をうろついたもの』が摘要条項だろうと思いこんでいたが、S弁護士七条署の防犯課長に確認したところでは、実はそうではなく、32号の『入ることを禁じた場所または他人の田畑に正当な理由がなくて入った者』であったこと、また、鉄道営業法第37条『停車場其の他鉄道地内に立ち入りたる者は10円以下の科料に処す』も援用されていることが判明した。

軽犯罪法第1条4号であれば、過去の適用事例として、83年9月19日に、京都の円山公園の北にある天台宗青蓮院の無人の念仏堂軒下に、暗黙の了解のもとに住み着いていた愛知県生まれの韓国籍の女性(52歳)が、付近の野犬8匹にエサをやめるようにという保健所の警告を聞かないことから、野犬から引き離す目的で京都府警松原署に『動物の飼育管理に関する京都条例』違反でなく、軽犯罪法の適用によって逮捕されたというものがある。

これについては、民族差別的要素も絡んでいると感じたものだが、それとは別に、立命館大学法学部I教授が朝日新聞で『軽犯罪法という軽い犯罪については、逮捕の必要性をより厳格に考えるべきであり、今度のケースは逮捕権の乱用だ。逮捕とは邪魔者を追い払う手段ではない。』と述べられているのを代表として、“別件”逮捕に対して逮捕権の乱用だという批判が高まり、大阪のN弁護士が間に入ったり、同胞が身元引受人として名乗りを上げるなどのことがあって、結局、起訴されることなく釈放されている。

そういった前例の経緯を踏まえ、当時の論理立てをそのまま使ってすぐさま人権擁護委員会に申し立てをするつもりであったが、なじみのない32号と鉄道営業法の適用ということで、全員の中にとまどいが生じ、過去の判例などを研究した上でなければ、申し立てができない、との方向に傾いたのであった。

しかし、適用条項が何であろうと、野宿者に刑事罰を科せることに、何か隠された意図があるだろうこと、そして、野宿者への差別が底にあることは、確実だと思われる。

例えば、職業安定法第32条1項には『何人も(略)労働者供給事業を行い、又はその労働者供給事業を行うものから供給される労働者を使用してはならない』とされているが、釜ヶ崎の“センター”では、“相対方式”(雇うものと雇われるものがセンターに集まって、めいめい勝手に話し合い、就労する)という名の下に、“人夫出し”(労働者供給業者)が野放しにされており、労働者の中には、働いた賃金の中から手配師に渡す手配料を差し引かれたことがあるものもいる。

では、法文は死文化しているのかというとそうではなく、広域暴力団山口系と一和会系の抗争が続いている関西では、暴力団取り締まりの一つの手段として職安法の規定が使われており、姫路や尼崎を中心として暴力団員が経営する飯場が幾つか手入れを受けているし、「じゃぱゆきさん」達をキャバレーなどで働かせていたモグリの芸能プロダクションが摘発を受けている。

かと思えば、通訳やプログラマーなど各種サービス部門を中心に、成長産業として人材派遣事業なるものが大々的に経営されているが、これらも職安法違反であることが明らかであるにもかかわらず、受け入れ企業の人件費節約になる利点が重視され、取り締まるどころか、“人材派遣事業法”がつくられ、合法化してしまおうという動きもある。

このように、傷害や窃盗のようには加害・被害の関係が密接で明確でない“犯罪”については、それが取り締まられたり、黙認されたり、あるいは合法化されたりするにあたって、事実としての犯罪性以外の社会的要因が大きく作用している、といえる。―加害・被害が密接で明確なような事件においても、“狭山事件”などのように、加害者の特定にあたって社会的要因が大きく作用している例もあるが−

京都駅の野宿者に対する軽犯罪法の適用は、被害・加害が密接で明らかではない“犯罪”への適用である。無用の客として駅構内に立ち入っていることが“犯罪”といえるかどうかが問われると共に、なぜ、現実に法が適用されたのか、それはどのような社会的意味を持つのかも、考えられなければならない。


キップを持つ客が優先・・・京都駅
 

部落解放同盟京都府連合会のMさんの働きかけが功を奏して、門前払いをくうことなく、取り締まる側の言い分を聞き、“日雇労働者の労働と人権を考える会”の抗議の意思を直接に伝えることができたのは2月20日のことであった。

この日集まったのは、京都の人々を中心にして23〜4人であったが、京都の野宿者の問題が単に京都だけの問題に留まるものではなく、釜ヶ崎にも関わり深いものであることを反映して、釜ヶ崎キリスト教協友会のS司祭(旅路の里)やK牧師(関西キリスト教都市産業問題協議会釜ヶ崎委員会)なども参加されていた。

京都駅八条口にある待合室に集合して、簡単に抗議の主旨を全員で確認した後、勢い込んで、さあ、駅長室に行こうとなったが、誰も積極的に歩き出そうとしない。顔を見渡すと、何となく落ち着かない様子が見えた。ようするに、誰も駅長室の場所を知らなかったのだ。

それまで京都駅の中を、何度も野宿者の聞き取りで歩き回っているにもかかわらず、誰も知らないというのは以外であったが、案内所で聞いて着いてみると、誰も気が付かなくても不思議ではない、奥まったところにあった。

ドアを開けると、駅構内各所に据え付けてあるテレビカメラを使って、居ながらにして構内の様子がわかる3台のモニターテレビが置かれている事務所があり、その奥に広い応接室があった。

話はその応接室で行われることになったが、全員が入るのに充分な広さがあったので、代表者だけの話し合いという形でなく、全員が参加できる形で始められた。

京都駅からは、内勤助役のNさんとSさんが、強は駅長と主席助役の都合がつかなかったので、当直2名の助役が応対させていただく、ということで出てこられた。

2人の助役がいわれたことをまとめると、次のようになる。

「京都駅は国際都市の玄関であるので、助役が一日3〜4回駅構内を見回っているが、そのとき、キップを持っているお客さんから、待合室に一日中いるらしい人達がいる、私たちが利用しにくい、という苦情を聞くことがある。

それで、ゴールデンウィークやお盆、秋の行楽シーズン、暮れなどのお客さんが増える時期に、公安室に対して、そういうお客さんの声があるので、キップなく長く逗留している人達を何とかしてほしいとお願いしている。何とかしてほしいとお願いしているのであって、取り締まりを要請しているということではない。駅としては、同じ鉄道職員であることは確かだが、機構上、公安室に細かいことをいえる立場にない。

下京区の福祉事務所には口頭で、京都駅に身寄りのない人達がいるので、どうにかしていただけないでしょうかとお願いしている。七条署については、駅としては連絡網はないし、取り締まりなどを直接頼んだ覚えはない。」

京都駅と野宿者の取り締まりとは直接のつながりはなく、駅を利用する人の苦情を鉄道公安室に伝えているだけである、というのが言い分のようであった。

鉄道公安室にどうにかしてくれと頼むということは、公安室の性格を考えれば、誰が考えても取り締まりを要請しているのと同じではないか、と問い質しても、あくまでもお願いしているだけであって、細かいことを指示できる立場にないと繰り返すだけであった。

しかし、京都駅が−正しく表現すれば、京都駅の管理・運営にあたる駅長や助役が−、国鉄を利用している客の快適さを損なうものとして野宿者をとらえていることは明らかであり、しかも、その排除を取締機関である鉄道公安室にゆだねることで、自らの手を汚すことなく、駅にとっては間接的で安易な方法を持って目的を達しようとしていることは動かしようがない。

野宿者の事情を知っていて、福祉事務所へ声を掛けているというなら、もっとその方向での努力を積み重ねて問題の解決を図るべきではないのか、という当然の追求には、「福祉的なことについては認識が薄かった。これから努力していきたい。」と答えられた。

取り締まりをやめ、福祉・労働行政と協力して問題の解決を図ることを要求する文章を手渡し、話し合いを終わって、再び細長い通路を駅構内に戻ったところで、釜日労のYさんが、特徴のある苦虫をかみつぶしたような表情で、「あれ、何者や」と聞いてきた。顎で示された方向を見ると、7〜8メートル離れた丸柱の陰に、メガネを掛けた背の高い男が立って、こちらを見ていた。ピンとくるものがあったので「何者いうて、あれは私服警官やろ」と答えると、Yさんは大きな声で「知り合いと違うんか、あいつ、話してた隣の部屋に入って、話を聞いていたがな。」

それを聞いたやはり釜日労のヒゲのHさんが、足早にその男に近づいていった。少し遅れていくと、その男が立ち去っていくのが見えたが、「あんた、何者やと聞いたら、警察やと答えた。ここで何してるねんと更に聞くと、照れくさそうに笑うて向こうへ行きよった。」ということだった。

京都駅は警察と直接の連絡網がないといいながら、私服警官を隣室に招き入れ、話の傍聴を許していたのだ。野宿者の人権に無関心な京都駅は、野宿者に対して当然の配慮を払うように要求する行動を、治安上の問題として見ていることを示す出来事だと思う。

後日、京都駅の主席助役Tさんから、部落解放同盟京都連合会のMさんに連絡があり、中央保護所や七条職安、京都市民生局保護課、下京福祉事務所に、“申し入れ書”の写しを持っていき、駅長名で抗議の主旨を伝えた、ということであるが、どう考えても、表面を取り繕っただけとしか受け取れない気がする。


企業利益防衛隊としての公安室
 

私服警官の出現は、京都駅の表面上の柔らかい対応の欺瞞性を暴くものだ、とやや興奮しながら、京都駅と鉄道公安室は別という助役の言葉を事実で示すかのように、京都駅から少しばかり離れた形で建っている鉄道公安室の建物に着いたのは、約束した時間よりも30分遅れてからだった。

ここでも、人数が多すぎるという声が出たが、2階にあるという会談場所にともかく全員が上がっていくと、講堂のような所に長い机が並べてあった。充分に広いじゃないか、ということで、やはり、全員が参加する形で話し合いを始めた。

応対に出てこられたのは、S公安室長とN副室長の二人。主として話をされたのはS公安室長であるが、その話をまとめると次のようになる。

「駅からの要請の他に、お客の中から、公安員が巡回中に要請されることもある。旅行の目的でない方が待合室に入られることは、鉄道営業法などで禁止されているので、常時滞留され、宿の代わりにされる方は取り締まらざるを得ない。公安職員であると共に国鉄職員であるから、お客様のサービスを考えなければならない。

取り締まりは、国鉄の業務の一環として、月に2〜3回程度やっている。一日30万人の旅客があるが、巡回中に絶えず顔を見る、深夜にも顔を見る、といった常習性を重く見て取り締まりにあたっている。

国鉄の企業の秩序の中で仕事をしているのであって、福祉などは行政が対応することだろうと思う。我々としては、旅行目的以外の方が滞留されることは好ましくないから、立ち退いてもらうということだ。」

ここでは、国鉄分割・民営化などが取りざたされている時節を反映してか、利潤追求集団としての国鉄の立場が、より鮮明に打ち出されているように思える。企業としての国鉄に利益をもたらすお客様のためなら、金にならぬ野宿者など追い立てるのが当たり前、とはっきり述べられている。

ただ、野宿者を“ハエ”扱いする鉄道公安員の言動や暴行事件について、事実をあげて問い質されると、さすがに返答に窮して、短い間をおかれた後「そんなことはあってはならないと考えている。人権についてはやかましく言っており、暴行をふるったという話は今まで聞いたことがない。あるとも思えない。」と、はき出すように答えられた。何度、事実を示して追求しても、認めようとしないし、そういう事実があったかどうかを調べて見るとも、自分からは言い出されることはなかった。

管理職は企業の利益追求のために、客に媚びを売って、野宿者の追い立てを唯一の対策と考え、部下は、より労少なくして月給にありつこうとして、野宿者に過酷に対処することで、取り締まりを即効性のあるものにしようとする。金銭を軸として考える限り、野宿者に正義はない。ただ、抹殺されるのみ・・・か。

京都駅、公安室の話を聞いた後、そんなことを思い、また“寿・野宿労働者襲撃事件”直後に、寿町を含んでいる横浜市中区に住む女子高校生が、毎日新聞でした指摘を思い出した。

『横浜で浮浪者を殺した少年達は、いま世論のフクロだたきにあっていますが、あの子たちを一方的に責める大人たちもずるいと思います。駅の人が浮浪者にバケツの水をぶっかけて追い散らしたり、警官が野良犬でもしかるようにどなったりしているのをたびたび見ました。大人が悪いお手本を見せながら、今になって理性のよわい少年たちを血祭りにあげているみたい。』(83年2月20日)

横浜・寿の野宿労働者襲撃事件は、ショッキングな、あってはならないこととして世の注目を集めたはずであるのに、未だに、すくなくとも一女子高校生から事件の原因として指摘されたことと同じことが繰り返されている。まるで、“あってはならないこと”というのは、教育・家庭問題としての少年の“非行”のことであって、野宿者が殺されたことなどはどうでも良いことであるかのようだ。

暗い気持ちを抱きつつ、七条署へと続く地下街を、『「浮浪者」という名によって侵されている労働者の人権/

“イジメ”でなく、福祉行政による対応を求める』と見出しの付けられたビラを配りながら歩いたが、受け取ってもらえた人は数えるほどだった。


治安維持優先−七条署
 

 七条署の受付までは全員で入ったが、代表者だけとしか会わないと言われ、やむなく6名を選び、後の人達は京都駅に戻ってビラの配布を続けることにした。

 後日、配布された部落解放同盟京都府連合会のMさんや釜ヶ崎キリスト教協友会のK牧師の報告によると、七条署ではM防犯課長が対応され、その話は次のようにまとめられる。

 『七条署へ公安室より文書で要請があり、それを検討して取り締まりを実施した。

七条署は指紋・写真・誓約書はとっていない。それは鉄道公安室がやったことだ。

防犯が最優先であるが、福祉へ相談に行きなさいと指導もしている。2〜3回言っても聞かなければ、取り締まらなければならない。

福祉については、2〜3百円の金を渡すだけで済む問題ではないと、官公所(署)長会議で言っている。

法的には、軽犯罪法1条32号、鉄道営業法37条を適用しており、問題はない。』

国鉄と違って、客に対するサービスなどを考えなくても良い警察は、法律上の形式さえ整ってさえいれば、何をしようととやかく言われることはない、と考えているらしい。かえって、福祉行政に対しては、苦言を呈していると誇っている様子さえうかがえる。

しかし、前述したように、軽犯罪法のような、被害・加害が密接で明確でない法律の実際の適用にあたっては、ある種の判断が法律上の違法性とは別に存在しているものと考えられる。

例えば、大阪において、83年9月30日夜に、大阪市民生局(管理職のみ)、府警本部、曾根崎署などのほか、国鉄、阪神電車、阪神百貨店などの各施設の管理者が参加して“住所不定者実態調査”なるものが実施されたが、これは、“大阪築城4百年まつり”の行事に皇太子が出席することが正式に決まった9月20日に、民生局ではなく、大阪市長室が異例の呼び掛けを行って計画が立てられたもので、梅田・ミナミ・大阪城周辺からの“浮浪者一層”を目的としたものだった。この時も、立ち退きに応じない場合には、軽犯罪法の適用、というオドシが準備されていた。

京都について言えば、84年10月8日に皇太子が伝統工芸博のために京都に来ているが、聞き取り中で、その一週間ほど前に取り締まりが行われたことが判明している。

野宿者に対する軽犯罪法適用の隠された意図として、皇族や外国からの来賓の目から“汚いもの”を隠そうとする、あるいは、何をしでかすか判らぬ不逞の輩として隔離しようとする意図がある、と考えるのは妄想に過ぎるだろうか。

野宿者を追い立てる側の人達に、直接あって話を聞いて判ったことは、建前としての法律論であり、不備のない制度の運営であった。追い立てる側の人達には、痛みはない。

それどころか、善意・理解をすら示そうとする。

代表6名が七条署で話をしている間、京都駅でビラを配っている時のことである。3人の鉄道公安員が現れ、同時にS助役がニコニコ顔で現れた。

京都駅で野宿を余儀なくされている人達と同じ年代、50歳前後と思われるS助役は、「さっきの話とこれとは話が別ですから、ビラを配るのはすぐやめていただけますか。」と丁寧に言われた。

その後で、何を思ったのか、「いや実は、私の親戚が配管工事をやってましてね、釜ヶ崎の人もよく使っているんですよ。それで、私も遊びに行った時に、釜ヶ崎の人と一緒に酒を飲んでよく話をしたりするんです。ですから、決して悪いようには考えていないつもりなんですがねぇ。」と続けられた。

メガネの奥の目も、口の回りのシワも、本当に釜ヶ崎の労働者に親しみを感じていることを証明するかのような笑顔であった。駅長室で、官僚的な答えを繰り返された人と同一人物であるとは、とても思えなかった。その顔を眺め、返す言葉が全く出なかった。笑顔に向かい合っているにもかかわらず、親しみをでなく、恐怖に近い感情を抱いた。

あらためて見渡せば、周囲には善良そうな人々が、お土産の紙袋を手に、あるいは町内会の旗を先頭に行儀良く、楽しみを求めて右往左往している。


地域住民として−追う
 

京都府部落解放センターにおいて3月9日に開かれた“京都駅における日雇労働者差別治安弾圧実態報告会”の中で、関西キリスト教都市産業問題協議会のK牧師は、釜ヶ崎差別と闘う連絡会を代表して、野宿者に対する“迫害”としか言いようのない様々の事象の背後にあるものを、“横浜浮浪者襲撃事件から2年”というテレビの報道番組の中で地下街の商店主が語った言葉−『ウロウロしている彼らは、人間の格好をしてるけど、人間ではない。中学生が彼らを処分してくれたとき、拍手大喝采のラブコールがおきた。もう一度あんな事件がおきてくれないかと話す人もいる。ニホンカモシカの話がありますね、カモシカは林業をやっている人にとっては木を食べて困る。生命尊重派は生命を守れというが、現実に人が困る問題だ。それと同じ問題だ。』−を紹介された後、ここまでくると警察だけが治安弾圧しているのではなく、市民がやれやれと後押ししている構造が明らかに見てとれる、と指摘された。

地下街商店主の言葉が、一個人の特別なものに留まるものでなく、自らが証言しているように、その背後に多くの人々が控えているのだと言うことは、84年3月に、山谷の職安のそばで焚き火をしていた野宿労働者が、迷惑を感じる周辺の住民によって殴り殺されているという事実が証明する。

また、ここまで極端な言葉を使わなくとも、似たような心情の持ち主が、意外なところにも居て驚かされる。

釜ヶ崎キリスト教協友会は、第15回越冬闘争実行委員会の医療センター軒下での布団敷きやパトロールなどの活動が終わった後も、独自の深夜パトロールを2月下旬まで続けた後、3月17日に“84.越冬総括集会”を三角公園の側にある“ふるさとの家”2階で開いた。

カトリック、プロテスタントを問わず、またキリスト者でないものも交えて、越冬に参加した体験を語り、今後の活動を考える、真剣な態度に満ちたものであった。しかし、4月から今宮中学校のケースワーカーになるというMさんの話を聞いて、一つ間違うと寿の商店主の語るところと同じものになることに気付き、驚かされた。

20歳をそう幾つも超えていないだろうと思われるMさんは、釜ヶ崎の近く、浪速区に20年近く住んでいる立場から話された。

「同級生のほとんどは余所に転居していき、今も新世界から出たいという人が回りに多い、近所の人達がいう、野宿者の行為が迷惑という声は、実感があると思う。

子どもの頃、センターの一階にローラースケートをしに来たことがあるが、はっきり言って、あまり愉快な思い出はない。自分達は“アンコ”と呼んでいた。

越冬のパトロールに参加して、野宿者に毛布を渡したが、毛布を渡すということは、そこに居着くということになる。近所の人は、居着かれると迷惑だろうな、と思った。」

Mさんに言いたいことは山ほどあった。

労働者を“アンコ”とさげすむ心を持つ−持たされた、というべきかも知れぬが−子どもが、日中のセンター、仕事に就くことができないで気落ちしているか、夜勤の仕事を待つているセンター一階のコンクリートの上で、ローラースケートのガラガラという騒音をまき散らかして、どのような愉快な目に会えるというのだろうか。小さいときはいざ知らず、今もその体験をそのままに、省みることなく語るとは・・・。

Mさんは、野宿者がいるから新世界から人が離れる、と思っているらしい。人が出て行くから街がさびれるのか、街がさびれるから人が出て行くのか。いずれにしても、新世界に住む人々は、新世界がさびれた理由を、釜ヶ崎の日雇労働者・野宿者のせいにしている。そのことは、例えば“大阪をあんじょうするための集まり・大阪都市環境会議”がこしらえた“大阪盛り場図鑑”という本の中にある、盛り場の歴史を紹介している箇所に端的に示されている。

『新世界の人々も昔の斬新で華やかだった盛り場復活の夢を、ひたすらこの塔に託していた。労務者の溜まり場だった“あいりん地区”が隣接していたとはいえ、もし36年と42年の2度にわたる騒動がなかったら、あるいは夢は順調だったかも知れない。(略)

通天閣=新世界=あいりん騒動=コワいところ、のイメージはいやおうなく定着していく。ちょうど“万博景気”をあてこんだ炭坑離職者をはじめとする全国の労務者が“あいりん地区”に集中しだした時期でもあった。散歩がてらに行ける新世界に彼らの姿がよく見かけられるようになったのは、事実であろう。』

しかし、それに続けて『おまけにTVによる“映画離れ”は、ファミリーレジャーの場としての復活を更に困難なものとしていた。』と書かれている。

『公楽座と日劇だけが焼けのこった新世界も、映画が娯楽の王者であった間は、やはり連日どこも超満員の盛況だった。』のであるから、新世界の衰退の主な原因は、『おまけに・・・』と付け足しに書かれた“映画離れ”なのではないか。そのような“時代の流れ”に対してどうすることもできなかったウップン、報われなかった努力の憂さを、労働者と暴動にぶつけているのにすぎないのではないか。

新世界の衰退と釜ヶ崎の労働者が関係あるとしても、それは労働者のせいではなく、新世界の人々が持っているような労働者に対する蔑視・差別感を、世の多くの人達も持っていて、差別感から労働者を忌避しようとして新世界から足が遠のいたという、労働者自身には責任のとりようがないことではあるまいか。

新世界に住む人々は、新世界の繁栄のために、差別を被る労働者を、新世界から遠く隔離したい、抹殺したいとでもいうのだろうか。

野宿者に対する近所の人達の迷惑感というのは、一定程度安定した生活を送りながら、目前にいる困窮した野宿者に対して、何もしないで放置していることで感じる“うしろめたさ”、さらに、“うしろめたさ”を根拠とした“復讐”されるのではないかという漠とした恐怖感に他ならないのではないか。多くの野宿者は、好んで野宿をしているわけでもないし、積極的に“安定した生活”を送っている人に迷惑を掛けてやろうと考えているわけでもないのに・・・。

Mさんに言いたいことは沢山あったが、自分の体験と越冬に参加した体験との間で、真剣に悩んだ上での発言であるように思われたし、これから“センター”のすぐ西にある今宮中学校のケースワーカーとして、子どもを通して釜ヶ崎の問題に取り組もうとされていることを考え、「野宿者に居着かれて迷惑だと考える人達には、野宿にいたる原因をよく理解してもらい、野宿をなくすために共に行政に働きかけるよう呼びかけることが大切だと、今の話を聞いて考えました。」と、言うに留めた。