寺島珠雄の詩の紹介
その(1) 歌のある情景
『労務者渡世』第2号は「うた」特集であった。で、寺島さんと釜ヶ崎の歌の傾向について話をした記憶がある。
釜ヶ崎は、10年遅れ、20年遅れで、三橋美智也の世界。そういや、コッペパンって、合いの手入れる歌ありましたね。そうそう、あったな。
そんなわけで、『労務者渡世』第2号に、「歌のある情景」が登場した、と、私は思っている。
▲1975年1月8日 労務者渡世第2号
三橋美智也の「おさらば東京」の発表は1957(昭和32)年、ラジオ東京「人気東京6っの歌」50周連続1位を記録したと、ウィキペディアの「三橋三智也」の項に書かれている。全国的に流行ったようだ。
私当時、広島県呉市在、寺島は山谷、年も大きく違う二人が、この歌の「コッペパン」の共通体験を持っていたことになる。その嬉しさが、寺島の詩といえば、先ずこれ、ということになるわけだ。
ちなみに、最近、地域のカラオケ同好会の世話係りをしている。そして、時に歌う。「おさらば東京」を歌った時に、91歳の、昔、釜ヶ崎で居酒屋などをやり、現在は喫茶店を営んでいる女性が、実にいい間で「コッペパン」とお約束の合いの手を入れてくれた。だから、「コッペパン」の共通体験は、何も私と寺島の間だけとは限らない。でも、というわけだが・・・。
「歌のある情景」は、寺島も、お気に入りであったと思う。理由は、方々に登場するから。
釜ヶ崎通信・別冊 1969年8月5日 初出誌 1959年「群芽」
労務者渡世2号 1975年1月8日 初出誌の記載はないが、(1959年)と末尾にある。
釜ヶ崎 旅の宿りのながいまち 1978年4月15日 初出誌 「群芽」59年?月?号(手書き回覧誌)
情況と感傷 1978年6月1日 初出誌 ?「群芽」?号
寺島珠雄詩集 石野編 1985年6月1日 初出誌 「群芽」1959年
「群芽」は、今ではもう誰も見る事が出来ないようだ。見られる範囲では、「釜ヶ崎通信・別冊」掲載が最も古いということになる。
▲釜ヶ崎通信・別冊 1969年8月5日
お気づきのように、渡世掲載のものより、長くなっている。そして、これが、その後の基本形なのだが、ではなぜ、寺島は、短いものを掲載したのか。掲載頁の都合で縮めたということはありえない。詩の後、同じ頁に埋め草的な付記を2つも入れるスペースがあったのだから。これは想像だが、渡世掲載のものが、元々の「群芽」に掲載した原型、あるいはそれに近いものではなかろうか。
「渡世」という場が、詩の完成云々よりも、昔の気分に近いものを掲載する気にさせたのではなかろうかと思う。
標題は、これだけが「風景」となっている。とすると、これが原題か? 中身は渡世版が原型、標題はこれが原型???
▲釜ヶ崎 旅の宿りのながいまち 1978年4月15日(初出一覧末尾に=ここにある12編についてはこれを定稿とする=と)
▲情況と感傷 1978年6月1日
「釜ヶ崎 旅の宿りのながいまち」と「情況と感傷」。同じ年に刊行された2冊の編集作業が、どう重なり、どうずれて行われたか分からない。ただ、定稿と定めた書の2ヶ月足らず後に発行された書で、すでに、変更が加えられている。
カギ括弧が取られている。行空き個所が増えている。重要なのは、「−あばよ コッペパン」の後に続く2行の簡略化だ。「音階」が「音」に変えられたように、「そうだよなぁ、くどいよね」ということか。
「釜ヶ崎 旅の宿りのながいまち」の定稿宣言にに関わらず、私としては、これがお勧め。ただし、先頭行の一字空きがなくなったのは、どうしたわけか?
▲ 寺島珠雄詩集 石野編 1985年6月1日
私が知る限り、最後の発表ということになる。空き行の挿入位置の変更。そして、「三松酒場」が「夜明かし酒場」に。
先に、渡世掲載分が元々の原型では、と、書いた。それには、「酒場」としかなく、店名はなかった。具体性を持つ店名を「「夜明かし酒場」としたのは、原点回帰とも見えるし、読む者が入りやすいかとも・・。
やっぱり、最終発表のものが、定稿か????。
作品・歌のある情景
東京山谷。朝ひる夕の三食を売る食堂と深夜酒場を併営するMの調理場で働らいたのが一九五五年ということは、店のおかみ42歳、娘18歳の間に私の30歳が入りウシ年が並んだので覚えている。実際に客がもっとも好んだのは同じ三橋美智也の「哀愁列車」で、歌の題がアダ名になった客もいた。現に酒場だけ営業している店に行っておかみに会うと必らずその話になる。往年の店員は男女十数人だった。
作品にとりこんだ歌を耳覚えで唱えるが音階で表記できない私はジャズメンのUにそこを教えてもらった。
三橋美智也の「おさらば東京」の発表は1957(昭和32)年と先に紹介した。ということは、その年まで居た、ということになる。あるいは、一度やめて戻ったか。
ただ、寺島は、『作品の「初出控」にある年次は字義通りに初出年次であって、主題や情景とそれとがすべてただちにつながるわけではない。これはすでに「作品○○」と例示してきた年と初出との関係でもそうだった。しばしば私は回想をより合せて書いている。従ってここから先でおこなう作品への註では、初出年次にこだわらず、思い出せる限り内容に従って順序を整えてみる』と、あらかじめ書いているので、こだわるのは無駄というものだが。ちなみに、哀愁列車は1956年6月発表のようで、やはり1年合わない。