寺島珠雄の詩の紹介
その(2) 情況資料−釜ヶ崎71・5−
今回の詩を紹介するにあたっては、余分かも知れない前置きをする。
詩を書く人にとっては、当たり前すぎることかも知れぬが、そうでない人もこの頁を見るかも知れないので。
この頁は、画像が多いので、開くのに、少し時間がかかるかも知れません。あらかじめ、お許しを願っておきます。
▲現代作詩講座 1 酒井書店・育英堂 1980年8月30日24版(初版発行年不明)116〜117頁)
「現代作詩講座 1」の第1部である「詩作の手がかり」の著者は、壺井繁治(観察と体験)、小野十三郎(知性と感性)、関根宏(理想と現実)、北川冬彦(詩の素材)であり、上に部分紹介したのは安藤一郎の「詩の形態」からである。
安藤一郎は書く。「ヨーロッパの言語は、根本的に表音的で、どのようになっても音韻を伴うので、たとえイメジを尊重するとしても、聴覚的なものを全く失うことがない。ところが、私たちの日本語は大体表意的で、漢字と平仮名(ときには片仮名)の合成によるとしても、漢字はかなり重要な役割を持つのである。−/−七五調の韻律と絶縁した詩は、それに代わるものとして、イメジの美を探るようになり、視覚的、絵画的なものに向かっていったのである。そういう試みは、早くも大正末期に伝統と単調にたいする烈しい反抗としてあらわれていた。」
▲ごらんの通りで、後藤謙太郎遺稿詩集の序として、中濱鐵が書いたものである。原版は、大正15年の発行であるが、ここに紹介したのは、戦後の複製復刻版である。ただし、原版の趣を尊重するためか、複製復刻の記載はない。
▲新興文学全集 10 平凡社 1929(昭和4)年1月30日刊。萩原恭次郎集より。第1部〜第3部は「『死刑宣告』の中から抜く。」との注釈あり。
このような作風は、ミニコミがたくさん発行された1970年前後にはよく見受けられた。その例を一つ紹介する。詩の出来ではなく、形式の例として。
▲「ヤジ馬」第9号1973年1月21日 発行:久保利明
さて、本題、寺島珠雄の「情況資料-釜ヶ崎71・5−」の紹介
▲初出:関西文学 1971年9月号 発行:関西文学の会
▲釜ヶ崎 旅の宿りの長い町 1978年4月15日 発行:プレイガイドジャーナル社
関西文学発表時との違いは、「夜色の制服」が上に出され、「溢れるまち」と強調されていること。「銃」が加わり、横に●が足されていること。その先に再び「溢れるまち」
警察の介入の強調といえる・・・か?
▲情況と感傷 1978年6月1日 発行:VAN書房
関西文学や旅の宿り・・・とは、明らかに違う。文字面でなく、配置が、である。この原因が、紙型によるものか、詩集に収めるのと雑誌等に発表するのとの違いなのか、紹介者には判らない。ただ、「詩の形態」からいえば、より洗練されたもののなっている、とは思う。
「夜色の制服」の下が逆L字になりセンターの説明文が包み込まれるようになったのも、バラバラ感を解消したし、頁下の横線を中程で上にあげ、機動隊の説明を下にさげたのも、他のパーツとの内容の違いに即して、なるほど、と思わせる。中国通信の部分の字下げも同様と。
標題についていえば、「情況資料 1」としたのは、初出だけである。「情況資料 2」としたものは、1の直後に発行された自由連合紙にある。その注に、1は関西文学に掲載される予定とある。ほかに、公園とする詩の末尾に−情況資料2−と付記したものがある。
詩の形態で云えば、釜ヶ崎通信・別冊に「切り貼り画帳(a)」、「切り貼り画帳(b)」が類似といえる。参考までに、紹介しておく。
(注:「切り貼り画帳(a)」は画像ファイルを横に並べただけなので、ネットで表示する場合、横幅が足りないと後先逆に、縦に表示されるかも知れない。お許しを)