寺島珠雄の詩紹介 人名簿ふうに―大阪のへんな飲み屋で


▲初出 「週刊アンポ」11号 1970年4月6日

▲「それで事は始まる」 合同出版 1972年4月27日

 詩のことは、素人ですから、よく判りませんが、全体として寺島珠雄は、散文的にキチンと句点(。)を入れる。ただし、読点(、)は入れない。一字空きはある。小野十三郎にもその傾向がある、と 思う。詩を書く人の中には、句読点を一切入れない人もいる。
 で、そういうことがあるにしても、この詩は、句点のオンパレード。個別を合わせて全体ということかな?
 すこし、おかしなこと。句点のない行は2行。
 「ベトナム 沖縄 安保 大学 釜ヶ崎―/書いてないものがこの店にはある。」マア、これはわかる。
 「犬二匹 猫二匹/竹島昌威知はハシゴの果てに居眠る。」
 私の記憶には、犬一匹しか思い浮かばないのだが、、店の入り口から見て右奥で寝ていたような気がする。
 ということは、
 書いてなくて 店にあるもの、居眠りする犬二匹 猫二匹/竹島昌威知
 書いてなくて 店にあるもの、ベトナム 沖縄 安保 大学 釜ヶ崎―
  これ読んで、竹島さんは苦笑いしたか???
 そもそも、「値段は一つも書いてない」のだし、「何ができるかも書いてない」のだから、ここに書かれた総てが、書かれてなくて、店にあるものなのだけど・・・。

 訳の分からぬ戯言は置いておいて、「週刊あんぽ」に掲載された体裁を紹介。

 週刊安保に掲載された詩は、どれもイラストや写真付き、小野十三郎の詩は、頁丸ごと黒塗りつぶしで、中央に白抜き枠の中に詩という緊張感のあるものでした。そのうち、暇ができたら、総てを紹介したいものだと思っています。蛮 寛和さんお手製の合冊が手元にある内に。
 寺島の詩で新聞に掲載されたものには、イラストが付いている。手元にある2点を紹介。


▲1971年4月11日 読売新聞・大阪 
 イラストは、残念ながら山王町一帯ではなく、センターと南海電車の高架と26号線東側にある電波塔。
 これを見て、1972〜3年頃、新開地商店街で見た光景を思い出した。

 商店街でボール遊びをしているこども。
 母親が通りかかり
 「おじちゃんと遊んでもらってるの」
 「おじちゃんじゃないでしょ」とこどもと遊ぶ人
 「そうね、おじちゃんのおばちゃん」。
 「こどもに変なこと教えるな」
 これは ネエサン 素の声でありました。

▲1992年2月14日 朝日新聞・大阪・夕刊

▲週刊アンポ5号 1970年1月12日