岡山孤児院概見(承前)

   前記日向国児湯郡茶|臼原に送るべき孤児は後来農業に依て身を立

   てんとする青年と並に十一二歳以下の|幼児とにして前者は其志願

   に任せて之に移し後者は体育の点より此処に送るものにして其志願

   と志願にあらざるとは問ふ処にあらず同院が頗る苦心の結果此設計

   を為したるものゝ由にて彼の父|母に離れ然らざるも貧家に生れて

   居常摂生を欠き十分の発育を遂げざる|繊弱の士女を拉して之を人

   家|稠密空気汚穢の場所に置かんは其措置宜しきを得たるものにあ

   らざると同時に其反対に於て新たなる光線と新たなる空気とに依て

   満たされたる原野に|嬉戯せしむる事の如何に身体の発育に益ある

   かを考量したればなり同院の実験に依るに収容の当時は色|蒼ざめ

   肉落ち行末覚束なき|幼児も一たび彼地に送り天然に接近せしむる

   ときは殆んど別人の如く|肥え太る由、而して此等|幼児が彼地に於

   ける生活は是れと取立てゝ云ふべきほどの稼業あるにあらず気が向

   けば|耕作地の草むしり厭けば広原の間に戯れて其日を送るものな

   りとぞ

   尚ほ|萩原製米所の事に付て補記せんに元来此処に精米所を設けた

   るは一は孤児院に要する飯米を日向にて買入れ之を精げて岡山に|

   輸送する時は彼是れ米価の差異あるに依り一年間七百円内外を利す

   るに依ると一は高鍋地方の賃|搗を為して是れよりも幾干かの利益

   を収むる事を得べければなりとぞ、而して此精米部に属する一隻の

   和船(八十石積)あり第一孤児院|丸と云ひ常に日向と岡山との間

   を|航|海し同院に必要なる|薪|炭米|麦等の|輸送を為し居れり因に

   記す目下孤児の数は本院に居るもの百六十名計り日向支部に在もの

   百名余なりといふ(完)

   著者:大阪毎日新聞
   表題:岡山孤児院概見(承前)
   時期:18980506/明治31年5月6日
   初出:大阪毎日新聞
   種別:社会事業