世に慈善的事業多しといへども岡山孤児院の如く秩序的発達を為し
たるものは稀なるべし同院は本部を岡山市門田屋敷に、支部を日向
国児湯郡茶臼原に設け本支共に基督教の礎上に立ち天下無告の孤児
(或は貧児)を収容し其父母に代りて之を養育するを以て目的とす
同院は去明治二十年始めて設置せられたるものにて創立者を石井十
次氏と呼び今尚ほ院に長として孜々従事せり氏初めは岡山医学校の
学生にして傍ら慈善事業に染手し居たるが人は志を二に専らにする
事能はざるを悟り一朝悉く医書を焼燬して一身を慈善的事業に投ぜ
り当時人は此挙を目して狂と呼び愚と謗りしも氏は敢て世間の毀誉
褒貶に関知せざるものゝ如く一意勇往邁進奮て艱難と戦へり明治二
十八年偶々優勢なる虎軍の岡山市を襲ひ遂に孤児院に侵入したる時
の如き氏の最も辛苦を嘗めたるの時にして幾多の孤児の病魔に捕獲
せらるるのみか氏が最愛の妻は分娩後不治の病症に罹りて鬼籍に上
り氏亦た虎症の為め避病院に送られ院は交通遮断に逢ふて食を輸ば
るゝものなく多くの孤児は飢を叫べり翻て氏の状態を見るに気息奄
奄旦夕を計るべからずも一念曾て孤児の上より去らず其癒て帰るや
直に院に入て又孤児の為に周旋奔走せりと、今日同院が其基礎を磐
石の上の置くに至りたるもの豈偶然ならんや
同院は敷地二千坪、建物十三棟を有し毎棟を各々執る処の事業を異
にせり今所見の概要を陳べんに活版部は普通世間の活版所と毫も異
なるなきまでに発達し職工の手腕の巧妙なるは摺上げたる書籍雑誌
等を見て知らるべし理髪部亦普通理髪店の仕組にて大道に添て設け
られお客の求めに応じて斬髪髭剃等を為し傍ら孤児の理髪を為し居
れり食堂は女子部に一ヶ所、男子部に二ヶ所あり一大卓子を囲んで
食事を為さしむる制なるが其食量は児童の食ふがままに一任せり尤
も最初は食量を制限しありしが身体の発育に害あるのみか精神上に
も聊か面白からざる傾きを生じたるを以て断然之を改めたりといふ
(未完)
著者:大阪毎日新聞
表題:岡山孤児院概見
時期:18980501/明治31年5月1日
初出:大阪毎日新聞
種別:社会事業