貧民の段々増加することは已に毎度記載する所なるが北消防頭取小
林佐兵衛は自分に各村を巡回して其実地を目撃し吾力にて一々之を
救助せんとするも到底及ぶ所にあらざれば切て極貧の小供なりとも
救育せんとの考案を起し夫より北野村々外れの地面を借受け家屋を
設置し町村の戸長に依頼して六年以上三年以下の極貧の小供を撰出
し戸長の証印あるものに限り男女を問はず当分百名を集め女子には
相当の手職を教へ男子は十年以上の者に六七年の小供一人を連させ
市中へ出かけて附木塵紙青物なんどを売歩かせ且つ木札に価を記し
て成だけ廉価に商ひ其利錢の幾分を貯金に預け十四年の年限来りし
時右貯金を資本にして夫々の商業に就かしむるの方法となし夜分は
読書算術習字を教へ雨天には手職を習はせ間に撃剣をも教へて身体
を壮健にし他日徴兵に出るときの助とし女は夜分に裁縫を教へ是等
の費金は最初佐兵衛独力にて弁ずる積りの処之を聞付け堂島米商其
外有志者より米金又は種々の物品を寄贈する人ありて万事都合能く
手順の運びけるより近日其筋へ出願する筈なりとの事なり
著者:朝日新聞
表題:貧民救助法
時期:18850520/明治18年5月20日
初出:朝日新聞
種別:社会事業