長町雑談

   府下日本橋筋長町と云へる町は従来有名なる貧区にして其風俗人情

   実に驚くべんき者ありこれを肉食錦衣の人に聞かしめば其屹驚如何

   ならんが弊社々員亦貧人多し然るにこれを長町人民に比すれば陶朱

   原憲啻ならざるを見る其貧なる知る可きなり頃日長町の一貧書生某

   より左の一篇を投せらる披て之を見るに頗る其実況を尽すものゝ如

   し依て余白を割いて以て世の富豪家(貧乏記者も亦富豪の内に入る)

   の一見に供す

   長町は南区日本橋筋四丁目五丁目の旧称にして該町の戸数凡二千二

   百八十一戸あり此内表住居の者二百六十九戸裏住居二千〇十二戸な

   り人口凡六千九百人毎日戸籍の出入が二三十戸に下らず○該町の人

   民の家業は旧辻役者二○力師落語家軒付三味線非人乞食の類なりし

   が去明治五年戸籍編制の時悉皆廃せられ夫々原籍を取調べられしよ

   り職業一洗して今は他人の車を借りて車夫の働をなす者ありこれを

   (マクル)と名く川中の拾ひ者を以て家業となし竹の先に鍵を付け

   洗濯衣類の流失物を探りあるき中に悪幣ある奴は浜側掛造の家屋の

   裏手のある金盥を窃取る者あり是を(ガタロ)と名く又(イツモ)

   と名づけて男女の差別なく竹の先に釘を付け往来にある紙屑を拾ひ

   廻り甚敷は屎尿所の拭た紙(何をだろお推もじ)を拾ひ揚て時々査

   公の五厄介になる者あり又此紙屑拾に一種の悪幣ありて(アカシ)

   と唱へ婦人と男子と申合せ油断させる為に先づ婦人を先導として市

   中の裏家借家を潜行させ長家の者に見咎めらるゝ時は有りもせぬ姓

   名を尋ね人の見ぬ間に合鍵にて留主宅へ忍び入り盗だ者は男が来て

   ドツコイシヨと持運ぶこと誠に神速なり又小童が人の袂の物を拐取

   る(ボツヲヘ)と名け碇泊船へ挺り銅をめくり船中の人が居ぬ時は

   手に当り放題に盗み取るを(ウキス)と号す烟管を抜取るを(バク

   クツミ)と云ひ剃刀で携物を取るを(サシ)と称し懐中物を取るを

   (ガイ)又(モサヒキ)と云ふ右の両種は時計抔を取る者にて風体

   も相応に立派なり(弊社の内にも時計を失ひし者があるがいづれサ

   シかモサヒキの内にやられたのでござらう)と余はなほ追々に記載

   すべし

   

   陶朱……越の大夫、范蠡の異称。富豪。官を退いて陶の地に住み、

   朱公と称したので陶朱という。

   原憲……孔子の門人。字は子思。魯の人。性、狷介で清貧に甘んじ

   た。

   著者:大坂日報
   表題:長町雑談
   時期:18790628/明治12年6月28日
   初出:大坂日報
   種別:長町事情/隠語