兼て噂ありし救貧協力社の設立方法を聞くに社主奥野太助、社長鵜
野金兵衞、補助藤岡伊八外に取締七名募集掛二名探訪掛四名施恵掛
三名出納掛二名精算掛二名等夫々発起人中より人選し方法趣意書を
も略定せし由にて投寄ありされば則ち剛削を加て左に其美挙を公示
す
夫レ仁ノ道ハ人間行為ノ最モ美徳トスル所ナリ故ニ和漢西洋ニ論ナ
ク此道ヲ重セサルモノハアラス是レ文明諸国ノ如キ救貧院ノ設立ア
ル所以ナリ然レト仁ニ過ツルハ却て人ヲ怠惰ニ導キ不仁ニ陥ルノ恐
レアリ仁ヲ成スノ方法豈ニ謹マサル可ケンヤ依テ今回各員協議ノ上
有志者ヲ募リ窮民ヲ救助スルノ方法ヲ設ケ名ケテ協力社ト云ヒ更ラ
ニ仮社則ヲ定ムル┐左ノ如シ
第一項 有志叢一名ニ一ケ月金三錢ヅゝヲ募集シ此ヲ以テ施恵ニ充
ツ但シ諸入費ハ発起人中ヨリ出金致スヘキ事
第二項 諸新聞紙上ニ見聞スル所ノ鰥寡孤独ノ貧困者ニ施恵スルヲ
旨トス
第三項 貧困ノ人物タリトモ品行不正ナル者及ヒ一家族強壮勞役ニ
堪ユルモノニシテ怠惰ナル者ニハ施恵セサルヘシ
第四項 施恵ノ金額ハ当分ノ内金一円ヨリ多カラス五十銭ヨリ少カ
ラサル員数ヲ以テスル┐トス但シ米穀其他衣類等ノ品ヲ以テスルモ
妨ナシ
第五項 当分ノ内ハ施恵スル場所ヲ府下四大区及ヒ接近ノ郡村ニ限
ル
第六項 新聞紙ニ掲示スルトコロト雖モ尚ホ事実誤謬ナキヲ免カレ
サルニ依テ実地探訪ハ怠ルヘカラス尤モ新聞紙ハ府下ノ三種(乃チ
大阪日報同新報同新聞)ヲ限リトス
第七項 施恵金高并ニ品類員数ハ其時々新聞紙ニテ広告スヘシ
第八項 金銭出入明細書ハ毎半年度各社員ヘ通達スヘシ
第九項 社員中救貧ノ事件ニ関シ彼是私意ヲ挟ミ苦情等ヲ鳴ラシ退
カント欲スル者ハ早々退社スヘシ但シ入社ヲ望次第尤モ身元ハ取調
フルヲ要ス
第十項 金員預リ人ヨリ社長及ヒ施恵係ニ沙汰ナク募集金ヲ施恵ス
ルトキハ実情ニ出ルモノト雖モ必ス散金十倍ノ科金ヲ取立ツルヘシ
第十一項 金預リ人募集金ヲ擅用スルトキハ金額ノ三十倍ヲ科償セ
シムル者トス
発起人 友井米吉 奥野太助 小野定次郎 大原市蔵 野口要助
黒田藤助 黒田宇兵衞 黒田常七 安井孫助 藤岡伊八 近藤楢三
郎 三村善平 清水太助 安達宗七 鈴木松平衞 宮川以登 鵜野
金平衞 山田平兵衞 児玉順助
著者:大坂日報
表題:兼て噂ありし……
時期:18781208/明治11年12月8日
初出:大坂日報
種別:社会事業