内務省訓令第七号を読む(前号の続)

    乗合馬車取締規則標準は七章六十一条より成立つものにしてその

   章条中には随分指摘すべきことの多けれども第三章第十八条に云へ

   るが如く「馭者は満二十年以上馬丁は満十八年以上にして身体強壮

   なる者且馭者は馭術に熟達する者に限るべし」との制限を立てられ

   第二十条を以て馭者馬丁は地方毎に一定の服装を為し馭者は帽子、

   筒袖、ヅボン及靴を要し馬丁は帽子、笠、法被、股引を要する事と

   せられ第四章第卅一条には言語動作を以て行人に乗車を勧ること出

   来ざる様にせられたるが如きは行人の為め殊に田舎者に取ては余程

   の好都合なるべしと雖も馭者馬丁の地位より之を見る時は斯る事柄

   は皆な悉く究屈至極の太甚だしきものなるべければこの訓令は馭者

   馬丁の小言を来すことなきにあらざるべき歟第五章第四十三条を以

   て馬車に乗載すべからざるものを示し六種伝染病、疥癬、癩病等を

   患ふる者を始めとし乞食体の者まで乗合馬車に(人力車にも同様)

   乗載することを禁止せられたり六種伝染病の事は先づ暫く措き少し

   の疥癬、若くは癩病等を患ふる者及び乞食体を為したる遍路西国廻

   りの者共も一切乗車せられざることならんには随分不便利を覚ふる

   ことなるべければこの訓令は疥癬、癩病者及遍路西国廻りの非難を

   招くことなきにあらざるべき歟

   営業人力車取締規則標準は七章五十九条より成立つものにしてその

   章条中には人力車の取締の為め必要欠くべからざるものも尠からざ

   れども第十三条に「営業者(人力)は出願の際身元保証金として管

   轄庁に於て定むる金額を管轄庁へ納むべし但適宜公債証書駅逓局貯

   金預り帳、国立銀行預り券を以て納むることを得」とせられたるは

   営業者にして輓子を兼るもの即ち一輌の人力車を資本となして其日

   暮らしの生計を立る者に於ては之が為めに多少の困難を見ことなか

   るべし第二章第十九条には馭者馬丁と同じく車夫の資格を制限せら

   れ十八年以上にして身体強壮なる者及び土地の路程を略知する者に

   あらざれば車夫たることを得ず同章第二十一条にも馭者馬丁の如く

   地方毎に一定の服装を為さゞるを得ざることなし第三章の諸条に依

   れば頬冠り鉢巻は出来ず路上に彷徨し又は佇立することを得ず途中

   にて他車に乗せ替へ又は濫りに駐車するを許さず「旦那帰り車でお

   安う」等の語を発して乗車を勧むる事も成らず第六章第四十七、八、

   九条にては駐車場に在る人力車は到着順序を以て整列しその各車の

   間には幾何かの距離を取りて出車の便を計り出車の時には整列の順

   序若くは鬮取を以てし正当の理由あらざる以上は客の請求に対し出

   車を拒むことを得ざらしむるが如きは何れも皆な車夫に向て甚だし

   き煩雑を與ふるものにならざるはなし殊に車馬及歩行者に行逢ふ時

   は左に避よ軍隊并に砲車輜重車に対しては右に避けよ前車徐行し後

   車疾行せんとする時は後車より懸声を為し前車右に避譲したる時後

   車左を通行すべし橋上を過る時は徐行すべし街角を過ぐる時は右は

   大廻りを為し左に小廻りを為べしなどゝ指揮せらるゝに至ては(是

   迄仲間中の申合せにて斯かる慣例あるにせよ)車夫の身に取て随分

   面倒の事なるべければこの訓令は人力車夫の苦情を受ることなきに

   あらざるべき歟

   宿屋取締規則標準は四章三十二条より成立つものにしてその章条中

   には旅人宿、下宿屋及木賃宿の主人に対して何等かの迷惑を醸すも

   のなきに非ざるべしと雖もソハ兎も角も茲に尤も行届きたるは宿屋

   の下婢のお指図にして第二章第十九条に「便所は日々清潔に掃除を

   為べし」と命ぜられたり今若し儼然たる法律を以て斯る事柄を規定

   せられ宿屋の下婢たる者はお家の云付の有無に拘らず其便所は日々

   必ず清潔に掃除せざる可らざることとなし若も之を怠りたる時は法

   律上の罪科をも受ることなどあらんには不精を極め込だるお松どん

   お竹どんの為には何程かの責任を重せらるゝ訳合なればこの訓令は

   お松どんお竹どんの小言を蒙ることなきにあらざるべき歟

   以上開陳せし所のものは日報記者が心中の所存にあらずして只だち

   らし張札等を事とする所の広告者を始めとし便所の掃除を負担する

   所の宿屋の下婢等の如き小人婦女子の身分に代りて之を批評したる

   に過ぎざれば今回訓令第七号を以て発布せられたる街路乗合馬車営

   業人力車及び宿屋に関する四箇の取締規則標準は記者の決して非斥

   する所にあらざる也記者は元来新聞紙の営業に従事するものにして

   筆紙に制限を置かれざる以上は先づ何事にも無頓着の男なれば夫の

   訓令第七号は世小人の婦女子の為めに如何様の批評を受ることある

   も記者之れに同意を表して干渉とか何とか七面倒臭き文字を並立て

   之を非斥することなかるべし只だ之を非斥せざるのみならずこの訓

   令にして実際果してその功績を奏し市街の有様を美ならしめ往来の

   便利を得せしめられん事は記者の頻りに希望して措かざる所也然り

   と雖も各地方をして相成るべくこの訓令の指示する所を実施せしめ

   んには之が為め国庫金を出して大に地方警察費を補助せしめその警

   部巡査の数をば非常に増加して以て之を監督するに在らずんばこ

   《○》の《○》訓《○》令《○》第《○》七《○》号《○》即《○》

   ち三《○》取《○》締《○》規《○》則《○》二《○》十《○》四

   《○》章《○》二《○》百《○》零《○》八《○》条《○》は《○》

   遂《○》に《○》一《○》篇《○》の《○》空《○》文《○》た

   《○》る《○》に《○》至《○》ら《○》ん《○》こ《○》と《○》

   を《○》恐《○》る《○》ゝ《○》也《○》

   

   著者:大阪日報
   表題:内務省訓令第七号を読む(前号の続)
   時期:18860626/明治19年6月26日
   初出:大阪日報
   種別:論説/内務省訓令