日報記者論説の種に究し筆を耳間に挟み頤を{1}へて考一考す
るの折柄乍ら聞く門前に「右ェー避けよ、左ェー廻れ、前車ァー駐
まれ、後車ァー進め」と宛も調練の号令を掛けて来るものあり記者
即ち鎮台兵若くは憲兵の行軍ならんと思ひ何心なく窓を開て之を見
れべ何ぞ図らん箇は是れ二三の人力車夫が我大坂日報を手にして過
日来その紙上に登録したる所の内務省訓令第七号を誦讀する也内務
省訓令第七号は我大坂日報及其他の新聞紙を展閲せる者の業已に承
知せらるゝが如く乗合馬車人力車宿屋の営業及街路の取締規則標準
を示されたるものにして彼れ人力車夫が調練の号令の如き声を発す
る所のものは右取締規則標準中街路に関する第四章(街路の通行)
と営業人力車に関する第三章(輓子就業制限)の条項をば片言交り
にて誦讀するものに外ならざる也されば日報記者は彼れ人力車夫の
言を聞て覚えず大笑を発し笑ひ畢るの後復び右訓令第七号を把りて
其首より尾に至るまで仔細に之を吟味すれば堂々たる内務大臣伯爵
山縣有朋君のこの一篇の訓令は単に人力車夫の進退を号令するが如
きに止まらずして其の影響する所又た鮮少にあらざるを知るなり記
者請ふ試みにその重なるものを開陳せん
街路取締規則標準は四章五十六条より成立つものにしてその章条中
街路の取締上是非必要のものもあり又或は格別の効用もあらざるべ
きかと思惟せしむるものある中に第二章第十六条に「制札指道標便
所及墻壁等を毀棄汚損し又は楽書貼紙を為すべからず」とあり若し
夫れこの条を実行せられたらんに「この処樂書無用、貼紙御免」等
の禁制を掲ぐるの勞も省けることなれば多くの人々中には之を喜ぶ
ものあるべしと雖も去るからには淋病の妙薬、大師の開帳等の広告
をば一寸其所らへ貼り出す訳に行かざれば堂々たる内務大臣伯爵山
縣有朋君のこの訓令は世の広告者の為めに多少の小言を招くことな
かるべき歟第三章第廿五条に「街路の積雪は午前八時迄に掃除すべ
し但し午前八時後日《にち》没迄の降雪は降歇後直ちに掃除すべし」
とあり又た第二十七条に炎天及風日には時々街路に浄水を洒ぐべし
但し冬季は風日と雖も午前九時前午後三時後は水を洒ぐべからず」
とあり是れは市中店々の番頭が丁稚小僧等に命ずべき事柄をばその
筋よりお指図せらるゝものにして往来人の為めに至極結構の次第な
れども既にその筋のお指図とある以上は店の私事とは違ふて儼然た
る国の掟なるを以て其掃除水撒の役に当る丁稚小僧等に取ては随分
究屈の事なるべければ堂々たる内務大臣伯爵山縣有朋君のこの訓令
は店々の丁稚小僧の為めに幾何かの非難を蒙ることあらざるなき歟
同章第三十三条に「街路に臨みたる屋根、物干、又は窓、手摺等に
襤褸其他見苦敷若くは危険なる物品を置くべからず」とあり斯る行
儀を改めさせて戸々家々の体裁を造り以て内幕の事情の如何に拘ら
ず立派に見掛を装ふたらんにはその亭主たる者の外聞は宜しかるべ
しと雖もお神さんには湯巻又は褓襁等の干場に苦しむことなしとも
云べからざれば堂々たる内務大臣伯爵山縣有朋君のこの訓令は貧家
のお神さんの為めに何程かの苦情を受ることなかるべき歟第四章第
三十六条に「車は小児車を除くの外其種類の如何を問はず跡押のみ
にて運転すべからず」とありこの条を厳重に行ふて跡押のみの諸車
を禁止せしめたらんには往来の人にその車を突掛けるが如き不都合
はなかるべしと雖も種類の如何なるを問はず小児車の外一切之を禁
止せらるゝ時は焼芋屋油屋等の行商は是迄の習慣を改めざるを得ざ
ることにて聊か為めに不便利を感ずることなかるべければ堂々たる
内務大臣伯爵山縣有朋君のこの訓令は焼芋屋油屋等の為めに何等か
の泣言を受くることなかるべき歟同章第五十四条に「街路に於て紙
鳶を揚げ又は独楽、羽根、手毬等を弄し若くは其他の遊戯を為すべ
からず」とあり我国の習慣として正月五節句などに右等の遊戯を為
は児女の最上の樂みにして平生父母の云付を聴き兄長の命令に服し
て勉強するものは全く此楽みあるが故なり然るに今ま之を禁止せら
れて街路に遊戯すること能はずんば夫の児女たる者は非常の困難を
感ずることなるべければ堂々たる内務大臣伯爵山縣有朋君のこの訓
令は世の坊稚若くはお嬢さんの為めに充分の不平を来すことなきに
あらざるべき歟(以下次号)
{1}……木+老+日
著者:大阪日報
表題:内務省訓令第七号を読む
時期:18860625/明治19年6月25日
初出:大阪日報
種別:内務省訓令/論説