名護町の家屋人員

    去月廿二日以後は劇場并に遊技諸興行の免許地と認定されたる南

   区日本橋筋、三、四、五丁目即ち旧名護町は兼て記せし通り指令下

   附の当日より向ふ十八ヶ月間則ち明治廿二年一月廿二日までに順次

   不潔家屋を取り払ふことなるが今其調査に係る坪数、戸数、土蔵建

   家、貧富人員等の概数を聞くに三丁目字御蔵跡筋より以南五丁目ま

   でにて総坪数二万九千五百余歩、現在戸数は二千八百戸、土蔵五十

   九ヶ所、内清潔家屋百五十戸、明家三百戸、不潔家屋二千三百五十

   戸なり又人員の種類は地主兼家主二百三十余戸を除き現在住民旅人

   を合して五千九百余名内店頭居住営業者五百名又行商者即ち紙屑買、

   糠買、輪替屋、印肉の仕替、落紙摺附木売、磨砂売、下駄の古物買、

   鍋釜いかけ師、瓢箪山の辻うら売り、ゆでさや豆売等の類にて千二

   百名、居据り職工八百名、挟客悪漢無頼の徒千有余名、門芸者九百

   五十名余、旅人巡礼三百五十名、内外其他は例の「なんぞいたゞか

   してに偽巡礼托鉢、盲目、躄、雀や放し鳥放し亀にして其の数凡千

   百有余名なりとぞ因みに記す右取払ひの跡地へは劇場遊技諸興行免

   許地と書きたる標杭を建設する筈にて過日来今日よ明日よと云ひ居

   れど兎角立会者の都合に依り延引なり居りしが漸く一昨日三ヶ町委

   員数名が寄り合ひ先づ最初に三丁目の中央字御蔵跡町筋の角迄は不

   難に立てしかども同五丁目の名古橋際は容易に立つる能はざる由な

   るが今斯く延引する原因を尋ぬるに右は全く四五の両町内には悪漢

   無頼の居住する者多く是等の徒が其標杭の立ツを聞けば必ず窃に見

   張りを附け置き如何なる地主が立会するも又如何なる委員の面々な

   るや其面体と姓名住居を篤と調べ置き近日暗打にして今度我れ/\

   の追払ひとなるべき恨みを晴し呉れん抔と云ひその挙動は何となく

   穏かならざるを以て之を恐れて誰れ一人として其標杭を立てに行く

   者なき故なりと就ては南警察署にて現今同所住民等の内挙動の怪し

   き悪漢共を内々取調べ居らるゝ由

   

   著者:大阪日報
   表題:名護町の家屋人員
   時期:18870804/明治20年8月4日
   初出:大阪日報
   種別:長町取払/