論説 旧名護町人家の移転(承前)

   今若し名護町の人家を他に移転し新に一廓を設け之が取締法を厳に

   し茲に来住するものゝ名籍を分明ならしむる

   時は大坂に在るの盗倫掏摸等凡そ罪を犯す者をして潜伏する場所な

   からしむると謂にあらずと雖も然ども此等の輩《

   はい》が今日迄逮捕を逃れ其身を潜匿するに屈強なる処を失ひたる

   を以て自から足

   を大坂区内に留むるもの少かるべきは素より若し此等の輩にして他

   に潜伏する処なく或《ある

   ひ》は氏名を変じ又或は実を隠蔽して其廓内に来ることあるも已に

   一廓を為して其取締厳なる以上は警察上大に便利なるべきを以て到

   底大坂の公安を維持するには其効鮮少《

   せう》にあらざるなり且大坂は関西第一の都会なるを以て東北は駿

   遠加越より西南は九州四国より其地に在て住居し得ざるの悪

   漢は皆大坂を目的として茲に来集するは数百年来の実験に係る所な

   るが今若し名護町に人家を移転し此等悪漢の潜伏場を失はしむるに

   於ては自から来坂の志念を絶ち随て大坂の悪漢を減少するに

   至るべくして良く強て大坂に来ることあるも已に潜伏するの場所な

   きに於ては長らく大坂に居ること能はず去て他に行ざるを得ざるに

   至るべし是れ余輩が名護町人家移転を以て大坂

   の公安を維持に利益ありという所以の大畧なり又衛生に関する事柄

   は当局者に自ら其人ありて一《いつ

   》般衛生の処置を為すは勿論のことなれども元来衛生は各自の摂生

   より生ずるにあらざれば其効を奏する太だ難

   く而して各自摂生の途は種々あれども衣食住の宜しきを得るに在る

   は今更喋々を須ひずして世人の能く知る所《

   ところ》なり然るに名護町住民の如きは前陳の如く概ね日に三銭乃

   至五六銭の銭を得て僅に其日の生計を

   為すにあらざれば門戸に立て食を乞ふものなれば其飲食は精を選ぶ

   に暇あらず其住居は陋を厭ふに暇あらず衣服の如きは寒

   暑の別なく昼夜の差なく僅に一枚を以て身に纏ふのみの状態なるを

   以て一朝虎列拉病、腸窒扶斯病の如き伝染質を帯たる疾病にして其

   萌芽を発《

   はつ》するときは忽ち櫛比して伝染し其猖獗の勢を逞うすることは

   他の比にあらず当局者が必至撲滅に尽力するも元来不潔汚穢を以《

   もつ》て成立たる陋巷なるに又無智蒙昧の窮民なれば衛生上の説諭

   に感ずるものなきのみならず却て之《これ*》れを五月蝿ことに思

   ひ四隣皆病んで死に垂《な

   んな》んとするも敢て意とせざるが如きほどにて其弊たる獨り名護

   町に止まらず遂に大坂全体の病根を醸生するに至るの恐

   れあるは智者を待て知るべきにあらざるなり然るに若し名護町住民

   にして他所に転じ新に建築したる家屋に住居し其取《と

   り》締方法の宜しきを得るに於ては素より不潔汚醜のあるべき筈な

   く衣食の如きは或は清潔を得る能はざるも取締《しまり

   》法に因て多少之れに注意することあれば自から病根を醸生するの

   端緒を絶ち其影響する所遂に大坂全《

   ぜん》体の衛生上に利益を及ぼすべし現に数年来の実験けんに拠れ

   ば虎列拉病の如きは多くは下等社会に

   蔓延し因て斃るゝものも亦下等社会に多く虎列拉病は殆ど下等社会

   の病の如くなれば為に其害《がい

   》を受くることも亦下等社会に限るものならんには猶ほ幾分か堪べ

   き所あるも疾病の如きは決して其流行の範囲を限《かぎ

   》るものにあらず其発生する所は下等社会よりするも其及ぼす所は

   貴賎の別なく貧富の差なく大坂府民の全体《た

   い》に至るべくして爲に年々の生命財産に損害を生ずること殆ど筆

   紙に尽し難く若し今日にして此病根を絶にあらざれば大坂の商業は

   年《ねん

   》々に衰退し大坂の富豪は歳々に減縮し遂に復た見る影もなきに至

   るべし而して名護町の貧民は{}其病根の一なり英国倫《ロン

   》敦の如き一千百五十一年衛生上労働社会のために寄宿舎設置条例

   并に普通寄宿舎条例を発し労働者にして

   府内に住居するに堪ふべき資力なきものゝ為に郊外に寄宿舎を設置

   し之に住居せしむべし云々の条例あり是れ倫敦の労働社会に就《

   つい》て定めたるものにて彼名護町住民の如きに適用すべきにあら

   ざれども衛生上都会の地より下等人民を他に出すの一点に就ては世

   間其例《

   れい》に乏しからざることを證するに足るべし左れば今回名護町人

   家の移転より生ずる利益中最大なるものは衛生上に在て其他は之に

   亜ぐと謂ふも

   不可なからん是れ余輩が名護町人家の移転は衛生上に利益ありと云

   ふ所以の大畧なり又前已に云るが如く名護町は諸国より

   来集せる無頼悪漢の巣窟なるを以て生業を営まず賭博を以て生計を

   為すもの多くは亦此に在りと言り然るに若し今回名護町

   の人家を他所に移転し別に一廓を作て以て其取締を為すに於ては右

   の如き博徒の巣窟は遂に其跡を減ずべきなり博徒にして集合

   する所なからん乎随て賭博を為すものを減ずべし是れ余輩が名護町

   人家の移転を以て風俗を釐正するに足ると云ふ所以の大畧なり其最

   《

   さい》後に臨み余輩の言はんと欲する所のものは名護町人家の移転

   は大坂区内の体面を善すること是なり元来大坂市中の如きは道《だ

   う

   》路狭隘にして家屋矮陋其体面の汚醜なるは三府中第一とする所な

   り此の如き市街を以て日本国第二の都会商業の中

   心なりと誇称するは洵に世間見ずの卑見より出るものなれば早晩市

   区の改正を決行せざるべからざることは余輩大坂人民の疾に唱道す

   る所《と

   ころ》なるが此等の事は姑く措て論ぜざるも彼の名護町の如き殊に

   陋巷矮屋にして且不潔汚穢れを以て埋立たる処は成べく速に取崩

   《く

   づ》して行人の観に触ざらしむるにあらざれば大坂市区の体面を汚

   穢する実に甚しと謂ふべきなり已に大坂の全市すら尚ほ且日本国第

   二の都会《くわい

   》と云ふを耻づ況んや名護町の如きを以て日本国第二の都会の一部

   分とするに於をや千八百六十六年英国倫敦大火後市区申合

   規則を設け其中に市内に木造の家屋を建築するを許さず違ふ者は若

   干の科料に処し且其建《

   けん》築したる家屋を取払ふべし云々とあり又仏蘭西帝国那破翁第

   三世が巴里市街を改造するに当り右と同質なる条例を発《はつ

   》したり聞けり倫敦の如き一は木造家屋の火災に害あるに由と雖も

   又一は都会の体面上疎悪の矮屋あるを厭ひたるものにて然して巴里

   《

   リ》の如き純然たる市区の装飾上より木造の家屋あるを禁じたるな

   り是れ名護町人

   家移転の事に就ては大なる関係なしと雖も都会を装飾するため疎悪

   不潔

   の矮屋を市内に存せしむるの不可なることは之に由ても亦明に知る

   べきなり大坂の如き市内処ゝに不潔の矮屋あれば之

   を取払ふの必要なるは勿論なれども先づ手始に名護町の住民を他に

   移し以て大坂区内にある不潔汚《を

   》醜の観を去らしむるは大坂府のために賀すべき事とす是れ余輩が

   名護町人家の移転を以て大坂市内の体面

   を善すると云所以の大畧なり(未完)

   

   著者:朝日新聞
   表題:論説 旧名護町人家の移転(承前)
   時期:18860905/明治19年9月5日
   初出:朝日新聞
   種別:論説/長町取払/