北区曽根崎新地三丁目三番地旅人宿藤本ひわの娘つや(十二年)は
去卅一日午後6時拉病を発せし旨同八時頃北検疫支部へ届出けたる
より警官と医師とが出張して見ると患者は已に死亡して居り其着せ
る衣服は更に汚れてなくスツパリとしてあるゆゑ吐瀉物并びに汚穢
の衣類等は如何せしやと問ふにハイ吐瀉は一度もせずに死ましたと
いふので警官も之を疑ひ種々言葉を尽くして之を説諭しながら何処
へか吐瀉物を隠しては居らぬかと家捜しをすると表の間の押入の中
より大蒲団一二帖と衣服其他汚穢物の染しものが沢山現はれしかば
死体と共に長柄へ送りて焼棄の手順になし猶一家内を〆切り薫蒸法
を施し懇々以後を戒しめて引取られたり又同区東堀川町十番地酒造
業末広幾之助方寄留大和国十市郡秦の庄村奥田又次郎は一昨々日午
前二時頃より拉病に罹たれば早速検疫支部より出張になり吐瀉物等
の始末を尋ぬれど又之なしといふに拠り是ほどの劇性に吐瀉物のな
き筈なしとて普く家内を捜査すると裏の土蔵二ヶ所の中に大蒲団二
帖衣類五点を隠しありければ是も同じく焼棄して薫蒸法を施し説諭
を加へて立去られたりと如何に無知蒙昧とはいへ銘々自分の性命の
惜しきことぐらゐは知つて居るべきに斯く恐る可き汚穢物を隠蔽し
て一家内に病毒を伝染せしむべき種を蒔き終に自分の身をも亡すに
至るを顧みざる如きの姿あるは果して何の心ぞや
著者:朝日新聞
表題:又しても隠蔽
時期:18860804/明治19年8月4日
初出:朝日新聞
種別:コレラ