[1] 調査の意図と分析範囲の限定 /〔2]調査の経過/[3]関西国際空港の建設概要/[4]関空建設の雇用上の特徴と研究課題/[関連文献]
[1] 調査の意図と分析範囲の限定
近年の土木建設工事のひとつの顕著な特徴として、青函トンネル、瀬戸大橋、関西国際空港というふうに、海峡、内海、湾内といった日本列島近海において巨大工事が施工されてきていることを挙げることができる。
しかるに、これらの巨大建設の工事経過については、今までの鉄道や高速道路の建設などの工事記録と同様、建設技術に関わる内容に記述の主力が置かれ、その工事を遂行した労働力もしくは労働者についてはほとんど顧慮が払われてこなかった。いわば、土木建設工事に携わった人間の労働の記録は、その工事が終ると、惜しげもなく棄却されてしまい、結果として闇の中に消去されてきたことの繰り返しが続いてきた。
このことは、やや語気を強くしていえば、施主はもとより、施工管理業者であるゼネコンサイドにとっての最大の関心事は、当然のことながら建造物の期限内完成と引き渡しに置かれ、建設労働者については精々のところその工事に必要な労働力の確保および工事期間中の安全管理面への配慮義務に限定され、いわば工事サイクル毎の労働者の使い捨てが繰り返されてきたことを意味している。したがって、労働安全面以外の労働者の状況については、業務に無関係なこととして全く関心の外に置かれてきたのである。
一方、建設事業や労働に関する専門研究者の側でも、建設業界自体による内部調査を除けば(八木正、1991)、多くの場合、建設現場の実態を必ずしも正確に反映していない一般的な統計資料に頼って考察することだけに留まっており、建設施工に際して一旦は記録され、やがて消滅してゆく生のデータには全く関心を示すことがなかった。いわば、抜けがらの抽象的な官庁統計数字に依拠して考察してきたにすぎないという厳しい反省も、甚だ僭越ながら必要となってきているように思われる。
ところで、こうして従来誰からも注目されてこなかった建設現場労働者のテンポラリーな現場記録にアタックすることによって、巨大工事の建設労働者の雇用構成について何がしかの知見を得ることができないかというのが、実は、日雇いや出稼ぎを中心とする建設労働者の動向に関心をもち続けてきた、われわれ研究グループのそもそもの関心事であった。したがって当初は、かなり雄大な構想のもとに、建築学、社会政策学、社会福祉学、労働経済学、地理学、労働社会学、地域社会学、教育社会学の各研究者たちに広く呼びかけて、「関西国際空港建設労働調査研究会」の結成を構想していたものである。ちなみに、当初の研究課題の構想は、「関西国際空港の建設事業に関わる労働者の雇用形態、就労実態、および意識の調査研究」であった。
しかしながら、実際に可能な研究内容を検討するうちに、主要には「新規入場者教育アンケート」なる膨大な労働者個人データを自力で人力する実務作業の必要から、元来の研究チームのままで出発せざるをえなくなった。改めて言うまでもなく、安全確保の必要上から、被雇用労働者が建設現場に入る際に記入しなくてはならない、この個人票は秘匿を要する個人情報報が記載されているから、いかに統計的に処理するとはいえ、プライバシーに関わるデータ入力の外部発注は厳に避けなくてはならない守秘義務を負う。それゆえ、少ない作業人数で膨大な数の個人データを入力しなくてはならないという基本的ジレンマに悩まされながら、結局入力作業だけで相当の長年月を要してしまった。
その結果、実働研究グループとして最終的に残ったのは、下記のメンバーである。
八木 正 大阪市立大学文学部教授(社会学) 代表執筆・1
島 和博 大阪市立大学文学部助教授(社会学) 総務執筆・2
平川 茂 四天王寺国際仏教大学助教授(社会学) データ入力
竹村一夫 島根大学法文学部専任講師(社会学) 執筆・4、データ入力
松繁逸夫 釜ヶ崎資料センター 執筆・5、データ入力
本間啓一郎 釜ヶ崎資料センター 執筆・3、データ入力
牛草英晴 釜ヶ崎資料センター(社会学) データ入力
野崎 健 全港湾建設支部西成分会 データ入力
以上のような研究関心と経緯とから、われわれの研究の範囲はいきおいきわめて限定されたものとならざるをえなかった。研究企画の当初から、その焦点は冒頭に記した、巨大工事に従事した建設労働者に関する第一次的な個人記録を検討することによって、この建設事業の雇用構成ならびに工事作業の実際状況の解明に迫ることに定められていた。それは次のような「研究題目」の設定および「研究の目的」の記述に、端的に表現されている〔1993年度日本経済研究奨励財団奨励金交付申請書]。
研究題目…「関西国際空港の建設事業に携わった労働者の職種階層別雇用編成と就労実態の調査研究」
研究計画の大要〔研究目的〕 : 「関西国際空港は、その建設の社会経済的意義、最先端の建設技術、地域社会再編成への影響などに照らして、今最も注目を集めている巨大建設プロジェクトである。しかるに、このプロジェクト自体が国、自治体、民間企業が事業主体として参画している複合的巨大事業であることに加えて、巨大プロジェクトの割には工期が驚異的に短いことから、その建設事業の労働実情について調査研究に当たっている機関は皆無という状況である。このまま事態が推移すると、この巨大建設事業に関わる建設労働の実態が明らかにされないまま、実際面の原資料諸記録が処分・散逸されてしまうことが深く憂慮される。このようなことは、学術研究上の重大な損失と言わねばならない。本調査研究会は、関西国際空港の建設に関わる労働調査を、限定された範囲内であっても、今の時点で緊急に実施しておかなければならないという焦眉の必要性と課題に照らして急遽企画立案し、すでに調査実施に入っているものである。」
ただその際に提示した「調査項目」と「研究計画」は、今にして思えば調査主体の力量を顧みない非常に欲張った研究内容であったことは否むことができない。それゆえ大変な恥をさらすことになるが、建設労働問題の調査研究の今後のさらなる発展を願う意味から、あえて原形のまま再録しておきたい。
〔調査項目〕 :
(1)本建設事業のために雇用された全従業員の工事別・職種別等構成の概要
(2)主要特定工事(ターミナル工事北工区一大林組JV)に関わる系列企業の構成
(3)主要特定工事における労働者の職種別等構成・雇用関係・労働条件など
(4)同上労働者の就労実態
(5)労働者の作業宿舎の状況と労働者の意識
〔研究計画〕 :
(1)関連文献・資料の系統的収集
(2)関係者からの実情聴取りと資料の裏付け
(3)ターミナル工事現場における「新規入場者教育アンケート」、「作業日報」の収集と分析
(4)宿舎における労働者との懇談会とアンケート調査の実施
以上の研究計画のうち、われわれ「関空建設労働研究会」(略称)が実際に実現しえたのは、研究能力の限界から結局のところ、関空の主要工事であるターミナル建設工事現場における「新規入場者教育アンケート」資料の提供を、基幹ゼネコンである大林組(北工区)および竹中工務店(南工区)のご理解とご厚意によって受けることができて、それら12,000票を越える膨大な個人データを研究会の自力で入力し、その集計結果について若干の考察を巡らすことだけに留まってしまった。
〔2]調査の経過
以上のような趣旨にもとづいて企画された調査研究は、およそ次のような経過をたどって行った。
1993年
5月・大阪建設業協会訪問、調査実施の可能性を打診
6月・大阪府労働部労働政策課訪問、状況を聞く
・大阪建設業協会・今村専務理事に調査実施方法について相談
・大建協通じ、大阪府建団連・中井専務理事に調査仲介を依頼
・関西国際空港建設協力会訪問、北村会長(大林組所長代理)に調査実施の意向を伝え、
理解と協力を要請
・関空建設協力会に空港島工事現場の見学と調査協議の希望を申入れ
7月・西成労働福祉センター訪問、概況聞く
・空港島工事現場の見学(大阪市大文学研究科社会学専攻大学院生をふくむ)実施、
ターミナル工事施工JV会社(大林組、竹中工務店、銭高組)の担当責任者との調査協議を行う
8月・阪南6区作業員宿舎アンケート調査内容を検討
9月・作業員宿舎アンケート調査挫折。関生協力会事務所で全体の調査内容について改めて協議、
調査事項を絞ることを決断する
10月・空港島ターミナル北工区事務所で、「新規入場者教育アンケート」の職種別サンプルをコピー
・データ入力方法検討、テンプレート作成へ
・日本経済研究奨励財団奨励金を申請
11月・新規入場者アンケート調査票サンプルの内容を検討
12月・北工区事務所で「関係請負人状況」受け取る。ファイル番号と企業名を筆写する
・個票入力項目シートを一応確定する
1994年
2月・日本経済研究奨励財団奨励金に採択さる
4月・データ入力方法と体制検討
5月・北工区で大量の「新規入場者アンケート」票のコピー作業開始
6月・南工区JVの竹中工務店より、「新規導入者アンケート」ファイル貸出しの意向示され、送付を受ける
・北工区と南工区のアンケート票様式を比較検討
7月・入力項目の選定とコーディングカラムを確定
8月・北工区分よりデータ入力作業を開始
11月・データ入力メンバーを補強12月
・北工区のデータ既入力分の集約を試みる
1995年
3月・北工区入力データを統合し、欠陥票の点検修正をする
5月・プリントアウト・データをもとに今後の研究方針を協議
6月・建設現場監督責任者を招き、建設労働工程や職種について学習
8月・「大阪市野宿者調査」が入り、島、松繁が掛け持ちとなる
9月・八木も「阪神大震災ライフライン復旧調査」に入る
10月・南工区のデータ入力の分担を決める。入力作業開始12月・職種名を具体的に検討、統一化を図る
1996年
4月・北工区分と南工区分の既入力データを整序した上で、一応統合する
5〜11月・南工区のデータ入力続けられるも、研究会は各自の諸事情で中断を余儀なくされる
9月・八木「ベイエリア開発一港湾から空港へ」出る
12月・研究会再開、本間のまとめたデータと解析結果をもとに検討、中間報告の手筈を決める。
北工区と南工区のデータを統合
1997年
2月・本間、松繁「関西国際空港(第1期)工事における建設労働者調査の中間報告」出る
4月・本間によるデータ分析報告
6月・『人文研究』への共同報告執筆の分担決める。竹村中心に、南工区のファイルを再検討
8月・南工区個票の未入力分判明、応急入力作業。原稿執筆の調整
[3]関西国際空港の建設概要
海上空港・関西国際空港の建設事業は、桁外れに巨大なスケールの工事プロジェクトであり、その全貌を的確にとらえることは困難をきわめる。関西国際空港株式会社建設事務所発行のパンフレット『関西国際空港』に従って、ごく大まかに見ても、空港島の建設(海底の地盤改良工事、護岸築造工事、埋立造成工事、埋立土の地盤改良工事)、空港アクセス関連施設建設(連絡橋築造工事、島内幹線道路敷設工事、鉄道敷設工事)、旅客ターミナルビル建設、滑走路・誘導路・エプロン舗装工事、空港駅・立体駐車場建設、管制塔建設、航空機給油施設建造、地下埋設施設敷設、環境観測施設の建設、仮設備の整備と広範な範囲にわたっている。
われわれが研究対象にしたのは旅客ターミナルビルの新築工事であるが、その請負企業は、北工区の担当が大林・清水・FD(フルーアダニエル)・戸田・奥村・鴻池・西松・間・佐藤・不動JV、南工区が竹中・鹿島・大成・OV・藤田・銭高・浅沼・松村・東急・飛鳥JVとなっている。
この建設は、空港島内仮設備配置工事から始まって、基礎工事(掘削工事、下都鉄骨工事、止水壁・排水工事、不同沈下対策工事)、本館躯体工事(足場組立工事、鉄筋工事、型枠工事、コンクリート工事)、仕上工事、設備工事、本館大屋根〔ウイング〕工事(屋根鉄骨工事、躯体工事)、仕上工事にまで及ぷ。
北工区共同企業体の「北工区建築工事」パンフレットによれば、建物概要(表1)、全体工程表(図1)、および主要工事概要(表2)は次のようである。
表1 建物概要 PTB(北工区) 空港管理棟 航空会社事務棟(北棟) 建築面積 約 56,000u[112,000u] 約 56,000u 約 3,600u 延べ床面積 本 館 約 97,000u[194,000u] 約 15,400u 約 19,900u ウイング 約 51,000u[102,000u] 合 計 約 148,000u[296,000u] 構造規模 本 館 S造、一部SRC造 地上4階 地下1階 S造、 地上7階 地下1階
基 礎 RC造 直接基礎S造、 地上7階 地下1階 ウイング S造、一部SRC造 地上3階 PH1階 基 礎 RC造 直接基礎 基 礎 RC造 直接基礎 最高高さ 本 館 CDL+43.2m CDL+33.1m CDL+28.5m ウイング CDL+32.6m 仕上概要 屋 根 金属パネル(SU447) 外 装 成形セメント板 外 装 成形セメント板 外 装 成形セメント板 外装サッシ 2辺SSGサッシ 外装サッシ 2辺SSGサッシ 外装サッシ ガラスカーテンウォール 熱線反射ガラス 熱線反射ガラス
表2 主要工事概要 本館 ウィング 全体 備考 掘 削 工 事 348,000立方m 348,000立方m 348,000立方m オープンカット工法 止水壁工事 840m ── 840m SG工法 鉄鉱石置換 181,000t ── 181,000t 塊鉱・粉鉱混合 鉄 筋 工 事 5,400t 4,000t 9,400t エポキシ鉄筋約3,330t 型 枠 工 事 60,000u 64,000u 124,000u 床デッキプレート コンクリート 60,500立方m 35,500立方m 96,000立方m ── 下 部 鉄 骨 12,500t 4,800t 17,300t 原位置建方 屋 根 鉄 骨 3,000t 2,300t 5,300t 原位置建方
さて、1993年5月現在の関空建設協力会の「計画調査集計表」によると、関空工事全体の作業員や機械などの動員・利用予定と実績は、表3に示されるような状況であった。
表3 作業員の動員の予定と実績 年 月 1992年 1993年 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 作業員(人) 予定 2,717 3,249 4,040 4,639 5,200 5,925 6,352 6,390 6,184 6,492 6,971 7,557 8,094 8,635 8,977 9,175 8,826 8,683 8,181 7,495 実績 4,221 4,379 5,180 5,511 5,325 5,675 5,733 5,675 5,733 5,756 6,512 6,660 7,562 職 員(人) 予定 527 633 674 807 898 978 985 1,024 975 1,028 1,100 1,223 1,194 1,169 1,239 1,206 1,166 1,134 1,096 1,036 実績 阪南6区宿舎(人) 予定 912 1,100 1,401 1,595 1,666 1,817 1,969 2,234 2,032 2,280 2,055 2,091 2,094 2,258 2,322 2,403 2,325 2,140 2,054 1,927 実績 710 1,000 1,057 1,154 1,339 1,450 1,643 1,669 1,622 2,062 1,999 1,982 1,996 1,985 材木宿舎(人) 予定 459 489 461 753 846 740 572 610 592 539 567 578 583 624 682 607 551 513 413 311 実績 472 474 604 653 656 670 665 692 744 780 665 665 658 622 島内宿舎(人) 予定 70 105 152 164 281 361 495 695 822 803 835 833 785 708 650 実績 0 41 111 182 385 417 447 459 662 宿舎実績計(人) 1,182 1,474 1,661 1,807 1,995 2,120 2,349 2,472 2,548 3,227 3,081 3,094 3,113 3,269
ちなみに、ターミナル工事の作業人員計画調査集計は、表4のようになっている。
表4 ターミナル工事人員計画調査集計表(1993年) (単位:人) 工区 JVスポンサー 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 作業員(人) 北工区 大林組 1,150 1,200 1,200 1,100 1,050 1,000 900 南工区 竹中工務店 1,250 1,300 1,400 1,500 1,600 1,700 1,700 計 2,400 2,500 2,600 2,600 2,650 2,700 2,600 JV職員(人) 北工区 大林組 85 84 84 84 84 80 南工区 竹中工務店 68 69 70 70 70 70 計 153 153 154 154 154 150
表3と表4とを見ると、関空工事のピーク予定期が、1993年4月から10月にかけてであったことがわかる。われわれが調査を企画し、それにアプローチしたのは、前記の研究経過に見るように、まさにこの時期に当たっていたわけである。
「新規入場者教育用パンフレット」は、冒頭で「当現場は人工島で、一般の現場とは違い、通船またはフェリーを利用しないと入場できない特殊性があります」と断り、安全ルールを細かく指示している。そして「安全施工サイクル」を、図2のように図示している。
[4]関空建設の雇用上の特徴と研究課題
われわれの研究会メンバーは、下記の文献リストにあるように、これまで主として日雇い労働や出稼ぎ労働の問題に研究関心を集中してきた。したがって、主要フィールドである建設労働分野においても、建設業特有の重層下請構造の下層サイドからその就労実態を解明しようとする、研究視角を共有しあっている。その立場はあるいは研究の「偏向」と見なされるかもしれないが、別の見方をすれば、他には数少ない独自の分析視角へのこだわりともいえ、本調査研究においてはあえてこの特質を生かし切ることに重点を置いてきた。
ところで関空は、日本で初めて湾岸からかなり離れた湾内の中に人工島を造成して、建設した海上空港である。海底からの人工島造成の技術には当然関心がもたれる(NHKテクノパワー・プロジェクト、1993)が、ここではやはりその建設プロジェクト総体のスケールの大きさに伴う、巨大な工事量と大量の作業員需要とに注目せざるをえない。
またそれに関連して、人工島造成の技術上の困難および財政負担の圧迫にもかかわらず、なぜ海上空港が構想されたのかという点は、建設労働の面からしても、実は検討を要する大きな問題であるように思われる(八木正、1996)。本稿ではその詳細を論証する余裕はないが、人工島造成による海上空港の建設理由には、およそ次の3点を指摘しうると考えることができよう。
@騒音公害の回避 当時は、伊丹周辺住民による大阪国際空港の騒音公害が裁判で争われた直後の時期であり、この問題には行政サイドが神経を使わざるをえない状況であった。巨大な新空港の建設に周辺住民の同意をとりつけるには、海上の飛行ルートを設定することによって、騒音公害の回避を表面に掲げる必要性があった。
A24時間開港の国際ハブ空港戦略 当時からすでに東アジア諸国における国際ハブ空港化への熾烈な競争があり、それに沈滞を余儀なくされてきた関西経済の復権を賭ける動きが複合して、将来的に24時間開港を目指すために、陸上ではなく、海上に空港を建設する方向へと踏み切らざるをえなかった。
B用地造成・建設工事における過激派対策 これは成田国際空港の建設をめぐるトラブルを教訓にしたことは明らかであるが、過激派運動の介入による用地買収の困難および工事妨害を避けるために、陸上から隔離した海上人工島における密閉空間の工事現場が選ばれたであろうことは、十分に想定しうる根拠がある。この発想は当然、労働現場の徹底した管理方式にも通じている。
さていよいよ、ここで関空建設の雇用上の特徴について言及しなくてはならない。本調査研究の究極目標は実にこの問題の解明にあったわけであるが、現在の段階では、残念ながらその確実な実証にまでは至っていない。現状ではあくまでも推測の域を越えてはいないものの、今後の研究課題の所在に見当をつけるためにも、以下簡略ながらかなり大胆にその特徴の可能性に踏み込んで、問題の提示をしておきたい。
(1)地方建設業界からの技能労働力の広範な調達
現地工事現場の管理責任者からの聞き取りにおいて最初に判明したのは、大量の建設労働力の確保方法に関するこの顕著な基本的特徴であった。これほど大規模な建設工事ともなると、当然のことながらまず第一に、高度の技能資格をもった専門工事労働者の確保が急務となる。いわばその労務募集基本戦略として今回編み出されたのが、関西圏を越えて、北陸、中国、四国、九州など地方ブロックの系列建設企業から優秀な技能建設労働者を「出向」という形で調達確保したものと推定される。
本工事現場に入場した労働者属性の記録データからその検証がどの程度可能かということが、本調査研究の重要なひとつの課題であることは、改めて強調するまでもない。また、この専門労働力の調達基本方式が、以下の形で相当深刻な社会労働的な影響を引き起こしている事実に注目していかなくてはならない。
(2)企業ぐるみにおよぶ出稼ぎ労働力の組織的動員
近年、地方への復帰定着により出稼ぎ労働者の激減が取り沙汰されているが、関空建設という本ビッグ・プロジェクトが、各地方の建設労働者を一時的な出稼ぎに呼び戻したのではないか、と想定することが可能である。しかもそれは個々の地方出稼ぎグループを吸引したに留まらず、地方建設企業ぐるみの地域移動を惹起したかに見えるケースが、労働者記録データから散見された。この検証も当然、われわれの重要な研究課題のひとつにほかならない。(八木正、1992参照、)
(3)若年・中堅層の技能労働者の大量確保
空港島の建設現場へ足を運ぶなかで大きく目についたのは、働いている大勢の労働者たちの年令層の相対的な若さであった。前記(1)の労務基本戦略の狙いがここにあったことが強く実感されたものであったが、これが労働者記録データの集計からどのように実証されるかが、研究上のひとつの関心事である。さらに、労務調達基本戦略に照らして、それらの若年・中竪層の技能労働者たちがどういう方面から供給されてきたのかということが、今後とも究明され続けなくてはならない、重要な研究課題である。
(4)日雇い労働者の選別排除と管理の強化
前記(3)と密接に関連することであるが、関空建設工事のひとつの目途として、寄せ場・釜ヶ崎(あいりん地区)の日雇い高齢労働者の排除があったのではないかという見当をつけることが可能であるように思われる(八木正、1994)。それまでにも手配師による「顔づけ」という形で、高齢労働者の締め出し=日雇い労働者の選別が進行していたわけであるが、それが今回、労働者管理の徹底という要請もあって、日雇い労働者を末端の地元建設事業所に名目的に編入して就労させていたのではないかと推定される事例も、記録データの中に見出された。しかしこの実証はかなり困難であることが予想され、他の方法によっても今後解明を続けてゆく必要があろう。
(5)対岸宿舎への作業員の統合と管理
労働力の安定供給という要請からも、労働者の集結場所として対岸作業員宿舎が用意されたことは明らかである。それは当然、徹底した労務菅理の一環でもあった。ここから結果する、湾岸から遠く離れた空港島への往復を繰り返す労働生活のありように、われわれは大きな研究関心を抱いたわけであるが、前記の研究経過にあるような事情により断念を余儀なくされた。
なお、前記(4)と相まって、労働需要の「関空ブーム」を当て込んだ、寄せ場・釜ヶ崎(あいりん地区)の簡易宿泊所業者は見事に空振りを強いられたわけで、その影響実態についても今後究明する必要があるだろう。
以下の論稿は、このような問題関心に支えられて分析を試みてはいるが、何度もくりかえすように、現段階ではそこに行き着くための準備作業の域に留まっていることを断わっておかなくてはならない。いわば、本共同論文は、調査研究の中間報告であると同時に、今後の研究課題を確認する上での整理作業の一段階をなすものにほかならない。以下の構成内容は、次のようである。
2(島)は、本工事における雁用労働力の全体的な構成の特徴に触れた上で、地方労働力の動員・調達の状況をうかがう試みをしている。
3(本間)は、調達労働力の職種構成の面から、労働力の傾向性なり特徴なりについてアプローチしようとしている。
4(竹村)は、建設業者の重層的な下請構造に迫るための準備作業として、限定した事例に即して分析を試みている。
5(松繁)は、巨大工事における日雇労働者の位置、存在状況、およびその変化に関心を寄せ、独自の立場から一定の試論を展開している。
[関連文献](時系列順)
八木正、1981、「出かせぎ者の労働生活類型とその問題状況・社会学的事例調査のための基本枠組・」、『労働問題研究』2、五月社。
八木正、1987、「沖縄からの出稼ぎの動向と特徴」、渡辺栄・羽田新編著『出稼ぎの総合的研究』、東京大学出版会。
八木正、1988、「国内出稼ぎ労働者と寄せ場労働者」、日本寄せ易学会『寄せ場」1、現代書館。
牛草英晴、1988、「釜ヶ崎=労働者増加の実態とその構造」、日本寄せ易学会『寄せ場』1、現代書館。
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松繁逸夫、1992、「釜ヶ崎の労働現場から<出稼ぎ>をかんがえる−<出稼ぎ労働者>とのであい」、『1991年度出稼組合パンフレット』、全国出稼組合連合金。
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平川茂、1996、「非正規雇用の広がりと都市最下層」、八木正編『被差別世界と社会学』、明石書店。
本間啓一郎、1997、「関西国際空港(第1期)工事における建設労働者調査の中間報告」、『1996年度出稼組合パンフレット』、全国出稼組合連合金。
松繁逸夫、1997、「本間論文解説」、『1996年度出稼組合パンフレット』、全国出稼組合連合金。