釜ヶ崎労働者へ集中的弾圧(関西救援連絡センター 第28号 72.7)
<5月28日>契約違反など業務上のルーズさを労働者に追求された鈴木組が、26・27日に逆に労働者を不法監禁する事件が起った。
28日朝6時20分、労働者約30名が抗議ビラをまきはじめた。マイクを中心に集る労働者に、まず鈴木正九郎の木刀が舞った。身を挺して防衛する労働者は鈴木を取りおさえた。圧倒的な数の労働者に囲まれた鈴木は土下座してあやまり難をのがれた。やっと到着した警官に保護されたのだ。しかし残った労働者の怒りはまだ静まっていなかった。組員たちが襲撃用に乗り込んできた乗用車はひっくり返えされ焼かれたのだった。
逮捕者労働者2名(起訴1名)
鈴木組1名
朝、鈴木組が引き起した問題を労働者はそのまま見過しはしなかった。釜ヶ崎暴力支配の総元締めである西成署に対して、自然発生的に抗議行動が起った。労働者の労働における支配が暴力団によって為されているのなら、その全生活は西成署に包括される。2千名の労働者の反乱は釜ヶ崎中でくりひろげられた。
逮捕者6名(起訴2名)
泥酔保護29名
<5月29日>反乱が2日目に入ると、定石通り警察権力は、マスコミ総動員で煽動者説を打ち出してきた。
逮捕者10名
泥酔保護22名
<5月30日>前日の反乱を指揮したのは4、50名の新左翼系活動家だと報道した読売新聞は、この日の反乱の指揮を舌の根もかわかぬうちに90人と書く。例によって例のごとくこの日も事前検束=泥酔保護を西成署は活用した。中でどんな目にあったのだろうか。
逮捕者5名(起訴1名)
泥酔保護15名
反乱は3日で終った。府警刑事・警備部と西成署は、30日過激派取り締りのため合同デスクを設置した。
「恵質手配師への早急な対策をとるか、新左翼系活動家と労働者を切り離さないかぎり騒ぎは長期化し“力”で押えても再発するという同部の判断から“合同デスク”の設置となった」(毎日新聞)
<6月9日>5月26日に鈴木組の事務所に連行され、3時間にわたる木刀等によるリンチを受けたHさんは、鈴木正九郎はじめ組員3名を大阪地検に告訴した。
罪名=不法監禁・暴行致傷
<6月16日>6時すぎセンターに於いて釜共闘旗上げの意味をかねて、集会がもたれた。この集会の最入の意味は、暴力手配師に青腕章(就労正常化指導員)をまかせている府勤労者福祉協会への抗議であった。
<6月26日>鈴木組一斉手入れ。各紙はこのことを「愛隣騒動の火元手入れ」「暴力手配師を摘発」と書きたて府警の勇断をほめた。組員3名逮捕、正九郎他2名手配。
<6月28日>当然予測できた事だった。野鳥の会への手入れ。この日をさかいにブル新の書き方は一変。いつのまにか釜共闘が、何もしていない鈴木組を襲い、労働者を煽動したことになっている。
令状逮捕6名
家宅捜索11カ所
夜、抗議集会。令状逮捕1名
<7月8日>再び4名の労働者が逮捕12名が手配された。驚かざるを得なかったのは、逮捕された者の中に鈴木組を告訴したHさんがいることだった。さらに兇器準備集合容疑までデッチ上げられている。