第2章 大阪市のスラム対策
第1節 スラムとは
スラム(Slum)=都市社会における地域病理現象の一つで、一般的には貧困者の多い地区、住宅環境の悪い地区をさす。スラムの語源は、スラムバーslumber(まどろみ)であるとされている。そこが、めだたない路地裏などの眠っているような場所と考えられていたためである。スラムの特徴は、
物理的な面では、
1)住宅が地区全体として老朽化し、仮設的である
2)住宅が密集し、過密居住である
3)光熱、採光、通風など住宅環境が劣悪であり、非衛生的である
4)道路や上下水道、排水などの生活環境が劣悪である・・・・・・等
社会的な面では
1)離婚、家出、別居など家族関係に問題のあるものが多い
2)居所不定者が多く、移動性が高い
3)日雇労働者など低賃金かつ収入不安定なものが多い
・・・・・・等が注目され、
さらに人間関係の上では、人格的なゆがみ、せつな的、享楽的な生活態度、匿名性などが認められる。
最近の日本のスラムは、住居構造からみて、一般老朽住宅地区、簡易宿所街(通称ドヤ街)、その他(仮小屋密集地区、改良住宅荒廃地区、応急住宅荒廃地区)の三つに大別される。このうちドヤ街は、文字どおり簡易宿所(旅館)街ということで、居住関係においてはほかのスラムとは根本的に異なるが、社会的、人間的な面ではもっとも問題が深刻である。ほかにスラムの分類としては、地区の特性からして、バタヤ部落、未解放部落、外国人部落などの考え方もある。アメリカでは黒人スラムである「ハーレム」が知られている。
スラムが形成されるのは、社会的落後者や反社会的行為者が発生し、それが都市地域の一定地区に生態学的に分凝するからである。スラムは資本主義社会においては必要悪的存在で、そこは社会的落後者の退避所ないしは再起更生の場所、都市への新参者の訓練所であり、また労働力需給の安全弁としての機能をもつ。一方、反社会的行為者の隠れ家、あるいは犯罪の温床として反社会的機能をもっている。しかも社会病理多発地区であり、都市美観からしても好ましい存在ではない。
スラム対策については種々の提案があるが、根本は社会的落後者や反社会的行為者の発生を押さえることであり、現実には職業条件を安定させて再起更生をはかること、住居や生活施設などを改良して地区の物理的な生活環境を整備することが考えられる(ジャポニカより)
第2節 大阪市に於ける無宿者対策
<米騒動から大正期まで>=市営社会事業の充実期
大正7年の米騒動を転機として、近代的機構と内容を備えるにいたった。
§1 共同宿泊所(大正8.6.29)
住宅政策
1)本市直営の住居施設
@共同宿泊所(低所得労働者)
A共同宿所(職員用)
B住宅(一般市民の用に供する)・・・現在の市営住宅
2)低利の資金を融通
共同宿所は、まず大正8年今宮、西野田、鶴町の3ヵ所に設け、低賃金労働者のために安く清楚な宿所を与え、もって生活改善に資することとした。もっとも宿泊所では市吏員の指導で精神講和、慰安会等も開催、勤倹貯蓄につとめるなどのことも行っているから、単に住宅を与えるというだけが目的でなく、独立自主の精神涵養、思想善導などの意図があったことが十分うかがわれる。
宿泊は毎日午後4時から翌日の午前7時もしくは8時までとし、昼間は夜業その他やむを得ざらるものを除いては一切在留することを禁じた。これは専ら労働に親しむ習慣を養わしめるためである。6畳1室4人の割合で合宿。宿泊料は1人1泊、入浴料とも13銭とした。
宿泊者に自治の精神を養わしめるため、宿泊人から数名の世話人を選出して通知の伝達、所内秩序、火災防止の任に当たらした。また、月1回以上の講演会を催し、招聘した講師または所員から、精神修養、貯金奨励、衛生思想の涵養などに関する講話を行い、また娯楽会を開いて慰安する一方、簡易食堂、理髪所、職業紹介所を附設、郵便貯金、一時預金の世話もみることとした。
この宿泊者は家族を離れたその日暮らしの日雇労働者が主であったから、彼等をどん底生活から這い上がらせるために、いろいろの努力が払われていた。したがって宿泊人中生活態度の優れたものには、今宮、西野田に別館を特設して入所せしめ、ここで優遇する一種の表彰制度も設けた。この別館は1室1人乃至2人を定員とし、施設も一般宿所より優れていた。また別館に収容されたもので成績良く、本人が独立の一家を構えたいと希望するものへは、市営住宅を優先的に貸与する特典も設けた。
なお、大正15年長柄、九条の両宿泊所を増設5ヵ所となったが、今宮宿泊所は大正15年3月類火の厄にあった。
名称 | 今宮共同宿泊所 | 西野田共同宿泊所 | 鶴町共同宿泊所 |
位置 | 南区宮津町 | 北区西野田江成町 | 港区鶴町1丁目 |
開始年月日 | 大8.6.29 | 大8.7.1 | 大8.7.1 |
創設費 | 135,706円 | 124,500円 | 79,640円 |
敷地坪数 | 1,493坪 | 754坪 | 900坪 |
建物坪数 | 木造 2階建 189,875 平屋建 93,447 |
木造 2階建 313,562 平屋建 49,750 |
木造 2階建 263,250 平屋建 113,625 |
室数 | 8畳5、6畳54、4.5畳24、 4畳4、計87室 |
6畳71、4.5畳14、 3畳1、計86室 |
8畳5、6畳59、 4畳1、計65室 |
各室収容定員 | 8畳6人、6畳4人、4.5畳2人、 4畳2人 |
同左 | 同左 |
宿泊人定員 | 302人 | 312人 | 268人 |
その後、昭和2年九条、長柄と同様鉄筋コンクリート3階建に今宮宿泊所は改築された。
さらに昭和4年4月海上労務者にたいしても家庭的な安息所を与えるため、築港2条通り3丁目に海員ホームを建設、単身者の外に家族持ちの海員をも宿泊せしめることとした。その後、九条宿泊所は労働者の集団的宿泊施設所在地としては不適当となったので、12年度に予算137,500円をもって港区湊屋町に移築、14年4月完成して湊屋宿泊所とした。
また宿泊人には低廉で栄養豊富な食事を提供するための食堂を設け、理髪所、日用品の廉売も行い、さらに就労斡旋や賃金支払い、立替払いも行い、宿泊人の福利増進相互扶助促進のため、大阪市労働共済会をして宿泊共済を行わしめ、宿泊者に貯金を奨励する一方、掛金を徴収して病に倒れた際、薬品、治療費、生活費の給与等を行った。宿泊料は入浴付1泊12銭ないし15銭という低廉さであったから常に満員の盛況ぶりであった。
しかしながら昭和15年頃から軍需産業が異常な活況を呈し、労務者の収入も増加するとともに利用者も減ってきたので今宮、西野田の両宿泊所を廃止して長柄、鶴町、湊屋および海員宿泊所の4つとしたが、その後湊屋宿泊所は焼失し、鶴町宿泊所は疎開廃止、海員宿泊所は大阪港振興会社譲渡したので終戦の際には長柄宿泊所を残すのみとなった。
◎ 大阪市立長柄宿泊所 福祉事業法の「宿泊施設」
大正15年2月創設 定員164 経営主体 大阪市民援護事業団
1泊70円(s47.4.1改訂 前40円) 大淀区長柄中通2-10
更生相談所一時保護所に隣接
共同宿泊施設一覧 昭和14 | |||||
名称 | 創設年月日 | 創設費 | 設備概要 | 定員・使用料 | 所在地 |
今宮宿泊所 (浪速寮) |
大正8.6 昭2.6(改築) |
155,880円 (改築費) |
敷地 490坪 鉄筋コンクリート3階 建坪 243.91 延坪 522 |
定員 400人 1泊 15銭 | 浪速区 宮津町 |
鶴町宿泊所 (大正寮) |
大 8.7 | 79,640円 | 敷地 900坪 木造2階 建坪 372.55 延坪 635.62 |
定員 258人 1泊 12銭 | 大正区 鶴町 |
西野田宿泊所 (此花寮) |
大 8.6 昭11.2(改築) |
141,433円 (改築費) |
敷地 406坪 鉄筋コンクリート3階 建坪 222.60 延坪 539.50 |
定員 384人 1泊 15銭 | 此花区 江成町 |
長柄宿泊所 (淀川寮) |
大 15.2 | 207,000円 | 敷地 626.55坪 鉄筋コンクリート3階 建坪 202.15 延坪 592.27 |
定員 440人 1泊 15銭 | 東淀川区 長柄中通 |
湊屋宿泊所 (安治川寮) |
昭 14.4 | 137,500円 (移転費) |
敷地 443坪 木造3階 建坪 253.19 延坪 426.23 |
定員 200人 1泊 15銭 | 港区 湊屋浜通 |
海員宿泊所 (海員ホーム) |
昭 4.4 | 155,000円 | 敷地 307坪 鉄筋コンクリート4階 建坪 235.08 延坪 686.71 |
家族室 38 1泊 各程 単身室 14人 1泊30銭 |
港区 2城通 |
§2 “ルンペン”という流行語が生まれた頃=保護所(昭和4年2月)
昭和9年7月には、大阪救護会の経営した今宮簡易宿泊所が本市に寄附され、今宮保護所分館としたので総収容定員490名におよんだ。
保護所の宿泊は無料で、収容者には職業補導その他適当な教化方法を講じて生活の更生を促し、今宮保護所に互助会、鶴橋保護所に自治会を組織して1日2銭の会費を徴収、各種の福利施策をおこなった。主な事業としては食堂、浴場の共同経営、応急医療、薬品の供給、修養娯楽施設等であった。鶴橋保護所は時局の推移に伴い、利用者が減少したので16年限り廃止した。
名称 | 創設年月日 | 創設費 | 敷地 | 建物種類 | 建坪 | 収容定員 | 廃止 |
今宮保護所本館 | 昭 4.2 | 30,159円 | 180坪 | 木造平屋 | 114坪 | 120 | s 21 |
今宮保護所分館 | 昭 7.1 | 8,684円 | 147坪 | 木造平屋 | 111.77坪 | 300 | s 21 |
鶴橋保護所 | 昭 8.6 | 25,745円 | 205坪 | 木造平屋 | 95.27坪 | 70 | s 16 |
昭和21年11月、今宮保護所閉鎖、残存建物を改修して今宮市民館を開設。改修費468,000円。済生会今宮診療所及び保育施設を併設。昭和30.4 西成市民館に改称。昭和47年、建物をつぶし、保育所併設の市民館を新設して現在にいたっている。
§3 大阪市立梅田厚生館(昭和24.7.7)−戦後における浮浪者保護対策−
@ 昭和20年3月の第1回空襲直後より「大阪駅相談所」「天王寺駅相談所」を開設。
罹災証明書の発行、罹災帰郷者の給食その他、罹災者及び疎開者の相談に当たっていた。
A 終戦後(昭和20年8月)
・大阪駅相談所は「大阪駅市民相談所」として新発足。
・天王寺駅相談所も(一時閉鎖していた)昭和21年2月に「天王寺駅市民相談所」として復活。
イ)復員者、引揚者その他生活困窮者の案内、相談に当たる。
ロ)社会福祉機関、警察等との緊急な連絡のもとに浮浪者及び行旅病人の保護収容に傾倒した。収容先−弘済院外
B「一時保護所」設置(昭和21年12月)
大阪駅構内高架下に開設(昭和21年12月1日)
一時保護所は、住所もしくは居所なく、本市内において浮浪する者を一時収容保護するところで、概ね
(1)健康診断、知能及び適性検査、身上調査その他の保護を行うに必要な事項を調査鑑別し、登録すること
(2)就職斡旋
(3)生活指導
(4)保護施設への委託
(5)その他保護を行うに必要な事項
の事業を行い、保護期間は入所の日から5日以内を原則とした。
かくして、一時保護所を鑑別機関として、浮浪者をそれぞれ適当な保護施設、病院等へ送致し、保護の適正を期すことができるようになった。
その後、児童福祉法の施行により、昭和23年4月から浮浪児の収容は府の児童相談所がその衝に当たることになったが、なお、心中寸前の世帯や、夫に捨てられた母子世帯、家族の世話を受けない身体障害者等がぞくぞくと一時保護所につめかける状況であった。
また昭和31年11月1日より、地方自治法の一部改正にともない、従来府県の事務とされていた児童福祉事業が指定都市に委譲され、昭和31年11月1日に中央児童相談所が浮浪児の収容にあたることになった。
収容に際しては、今までの着衣は全部脱がせて消毒し、浴室で垢を洗い落とし、DDTを撒布、清潔な着物を着せて健康診断を行い、母子、家族同伴者、単身の婦人、男子に分けて収容した。また、都市が復興整備期に入るにつれて、不法占拠中のバラック生活者の保護収容も実施した。これらの被収容者はすべて鑑別により、健康で勤労に耐えうる者は職場へ、病人は病院へ送致し、児童は普通児、異常児、要救護少年に分類し、それぞれ適当な収容施設へ送った。
一時保護所は、昭和24年7月7日に「梅田厚生館」と改称された。
本市の無宿浮浪者の無料宿泊施設
@ 勤労宿泊所
1)塩草勤労宿泊所(s22年6月)→塩草寮(s24.7.17改称)→(s41年廃止)
2)豊崎勤労宿泊所(s22年9月)→豊崎寮(s24.7.17改称)→(s37年廃止)
3)今宮勤労宿泊所(s23年6月)→西成寮(s24.7.17改称)→(s42年廃止)
無宿者を収容し、3ヶ月を1期間として生活指導を行い、勤労感の確立、高度労働への補導を加え、健全な社会人の素養を啓培し、適切な職業を斡旋して、自立し得る労働者として再起せしむべく努力した
A 家族厚生寮
要保護者に住居を与え各種の相談指導に当たり自立更生に資するため、戦災校舎を改造して、昭和22年4月に創設
3家族厚生寮
上福島家族厚生寮 24年7月廃止
梅香家族厚生寮 27年6月廃止
広教家族厚生寮
浮浪者収容保護状況 (昭和25年度) | |||||
施設別 | 施設数 | 収容保護人員 | 男 | 女 | |
更生施設 | 10 | (内市営4) | 5,583 | 4,671 | 912 |
養老施設 | 6 | (内市営1) | 752 | 303 | 449 |
母子施設 | 7 | 964 | 329 | 635 | |
一般病院 | 14 | (内市営2) | 4,545 | 2,885 | 1,660 |
精神病院 | 6 | 517 | 222 | 295 | |
計 | 43 | (内市営7) | 12,361 | 8,410 | 3,951 |
C 大阪市立梅田厚生館
昭和24年7月7日、従来の「一時保護所」(昭和21年10月生活保護法の施行に伴って同年11月1日大阪駅東側高架下に設立したもの)を改称。昭和31年5月、高架基礎補強工事のため近くの北区小深町11に移転した。
無宿者受付件数(s20大阪駅相談所、大阪駅市民相談所、一時保護所、梅田厚生館)
年 | 人員 | 年 | 人員 | 年 | 人員 |
昭和20 | 804 | 昭和27 | 5,446 | 昭和34 | 6,825 |
21 | 8,661 | 28 | 8,951 | 35 | 6,770 |
22 | 10,111 | 29 | 12,768 | 36 | 6,574 |
23 | 7,073 | 30 | 6,627 | 37 | 7,027 |
24 | 7,270 | 31 | 6,735 | 38 | 6,531 |
25 | 9,107 | 32 | 8,698 | 39 | 5,851 |
26 | 6,118 | 33 | 10,014 | 40 | 5,950 |
計 153,911人 |
措置状況(梅田厚生館) | |||||||||||||||||
年度別 | 前月 | 当月 | 合計 | 措 置 | 月末現在数 | 福祉事務所移管 | |||||||||||
繰越 | 収容 | 帰郷 | 計 | 施設送致 | その他 | 合計 | |||||||||||
養老 | 救護 | 更生 | 宿提 | 医療 | 計 | 帰郷 | 退所 | 計 | |||||||||
36 | 751 | 3,462 | 1,789 | 5,251 | 6,002 | 17 | 5 | 1,917 | 715 | 501 | 3,155 | 1,819 | 288 | 2,107 | 5,262 | 740 | |
37 | 819 | 3,735 | 2,351 | 6,086 | 6,905 | 27 | 6 | 2,226 | 659 | 474 | 3,392 | 2,393 | 300 | 2,693 | 6,085 | 820 | |
38 | 700 | 3,696 | 1,920 | 5,616 | 6,316 | 26 | 8 | 1,985 | 916 | 445 | 3,380 | 1,938 | 306 | 2,244 | 5,624 | 692 | 81 |
39 | 541 | 3,456 | 1,339 | 4,795 | 5,336 | 19 | 6 | 1,826 | 867 | 376 | 3,094 | 1,378 | 320 | 1,698 | 4,792 | 544 | 164 |
40 | 524 | 3,369 | 1,383 | 4,752 | 5,276 | 11 | 5 | 2,065 | 794 | 279 | 3,154 | 1,405 | 229 | 1,634 | 4,788 | 488 | 224 |