南区における人権侵害事件調査申立書 (1983年)
申立人 釜ケ崎日雇労働組合
大阪市西成区萩之茶屋2−5−23解放会館2階
人権擁護委員会御中
1、申立の趣旨
本申立にかかる事案については後述の如く重大なる人権侵害が存在すると思慮されるので貴委員会において調査の上、しかるべき処置をとられたい。
2、申立人権侵害事件概要
5月9日、釜ケ崎日雇労働組合事務所へ、仕事の減少により青カン(野宿)をよぎなくされている労働者が来所し、
5月8日午前1時頃、堺筋の道頓堀北側で野宿していたところ、5人の制服警官より職務質問を受け、本籍・生年月日。氏名を答えた上、人差指の指紋を採取されたが、今だにその処置について納得できない旨の訴えがあった。
訴えて来たのは黒●芳●(昭11年10月2日生)で、堺筋の道頓堀北側、ビルとビルの間の暗い所で野宿していた。暗がりであったので警官かガードマンかよくわからない5人連れが来て、住所・氏名などを聞くので職務質問だろうと思って答えたという。
それらを記入した用紙の一番下の欄に指印してくれといわれた。黒のスタンプに左手の人差指を付け、指印させられた。その後、ワラ半紙を細長く二つに切ったものに、氏名・生年月日記号及び番号を記入したものを、胸の前に持たされ、写真撮影された。
紙は、今日から一週間ぐらい続けるので持っているように言われた。この紙をもっていたら2回目はしないと言われた。とその時の状況を黒●さんは報告している。
当組合は5月13日夜、直接に面談して、黒●さん以外にも17名の人から話しを聞き、「人権侵害事例」としてまとめた。〈添付)
3、南警察署の見解
5月9日、釜日労・久保利明名で南署に事実確認を行ったところ、警ら課長より次のような回答があった。
『南区の管内には食べ物屋が多く、その残り物を食ベに来る人も多い。行路病死し、無縁仏となる人もあるので、無縁仏となることがないように、住居不定者の写真をとり、名簿をつくっている』
無縁仏にしたくないというのは判るが、今、生きている人間の人権の方が優先すると思う。任意の形でされているのか、と聞いたところ、
『任意というかたちでやっているが、軽犯罪法もあり、できるかぎりしたくないが、拒否されれば、署に来てもらわざるをえない』という回答であった。
4、人権侵害の事実は明白である
南署の見解は、任意であるが拒否すれば署に引っぱる、という任意を強制するものであり、事例の中には虚言をもって指印・写真撮影をなしたものまである。
日本国憲法には、何人も法律の定める手続きによらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない、旨の定めがある。
今回の南署の指紋採取・写真撮影が不法で人権を侵害したものであることは明白である。
貴委員会において充分に調査されたい。
5、申立人の立場
当組合は西成区萩之茶屋に事務所を設けている。釜ケ崎(行政のいうあいりん地区)に住み、働きに出る日雇労働者で組織されている労働組合である。
釜ケ崎の労働者のこうむる様々な不利益をはねのけ、地位向上のために、賃金不払・飯場での暴力事件・労災もみ消し、そして医療・生活相談を受け付け、その解決にあたっている。
今回、現行犯逮捕後でなく、令状にもよらずして身体捜索・指紋採取をされた、いわゆる”浮浪者”といわれる人達は、釜ケ崎に、飯場に仕事がなくなり、あるいは、高齢のため力仕事が出来なくなったため、また日々の過 酷な労働の結果としての病気、”障害”をこうむって、梅田、ナンバ、天王寺などに流失をよぎなくされた人々である。
当組合は本年2回にわたって梅田、ナンバ、天王寺などで青カン(野宿)をよぎなくされている人達について実態調査をおこなった。(添付『青カン者調査(3月9日午後9時〜11時)』『第2回青カン者実態調査』)その結果によっても裏付けられている。
「人権侵害事件事例」中の5番、”C−18”という記号と番号を付された人は典型といえる。
大淀生まれのこの人は16〜7才のころ、大阪砲兵工廠に勤めている。
敗戦後は、政府の傾斜生産方式の採用によって金と人が集中させられた炭坑へ。
”エネルギー革命”の声が出はじめ、朝鮮戦争によって港湾荷役が活発化しはじめた頃、神戸へ沖仲仕として移動。
日本経済の高度成長期、高速道路やビル建設の盛んになる昭和37年、釜ケ崎に来ている。
そして現在まで日雇労働者として多くの現場で働いてきた。
1970年まで釜ケ崎には製造・運輸・港湾・建設・土木など様々な仕事がきていたが合理化の進行にともない、65年から70年の万国博準備期に膨張した2万人日雇労働者は公共事業を中心とする建設・土木の仕事に頼らざるを得なくなった。
近年、軍事費のみを増大させ、福祉予算を切り捨て、生活基盤整備事業を軽視する政府・自民党の政策により公共事業は年々減少し続け、多くの労働者は仕事につけず、苦難の道を歩まされている。
また、一年の中でも仕事量の多い時期と少ない時期がはっきり分かれるようになり、半年は日雇労働者として働き、後の半年はバタヤなどして、梅田やナンバなどで命をつなぐ傾向が定着しつつある。
いわゆる”浮浪者”と呼ばれている人達の多くは我々の仲間である。
10年20年と日雇労働者として働いたあげく使い捨てられている人達の問題は全日雇労働者の問題である。
青カンをしいられている労働者に加えられた人権侵害は全日雇労働者に加えられたものであり、当組合が事例をまとめて、貴委員会に申し立てるゆえんである。以上