〈補論〉

単身性ー家族とのかかわりー

<はじめに>

 寄せ場労働者の基本的な規定性としてまず指摘されるのが、就労形態及びその内容である。寄せ場労働者は不安定・無権利・無保障・低賃金等の劣悪で差別的な条件の下で、資本の専制支配に隷属させられている。
 このような就労からの規定性とともに看過できないのが寄せ場労働者の基本的な生活構造を特徴づけている単身性である。家族生活から疎外された単身生活によって生じる生活構造の問題は低賃金等の劣悪な労働条件と相俟って多岐に渡っている。
 すなわち単身であることによって資本との関係のみならず、生活の場としての寄せ場においても差別・収奪の対象とされており、就労における問題と単身性とは相補的に寄せ場労働者が背負いこまざるを得ない差別的な状況を再生産している。

 低賃金であることによって家族生活を営むことがほとんど不可能となり、それ故生活の内実が分極化し有機的な構成を欠くことになって、労働力の再生産にも支障をきたすことになり、それが低賃金をさらに引き寄せるといった構造が、重層的下請構造とともに必然化することになる。
 極限化された形でではあるが、その日稼いできた金をすべてその日のうちに費消しつくす、あるいは費消しつくさざるを得ないというような悪無限的な循環構造が、就労構造と単身性とによってきわめて強固に支えられていると言える。
 もちろん、以下に明らかにするように釜ヶ崎労働者について市民社会に流布されている通念は市民社会にとって都合のいいように形成されていることは言うまでもない。
 天涯孤独である。
 あらゆる世間的なしがらみを放擲した無責任な存在である。 等々

 このような通念は釜ヶ崎労働者の実態を無視したものであるだけでなく、通俗的な家族観と結びついて釜ヶ崎労働者に対する「低格視」・差別を産みだすのである。
 また、家族との関係の中で注目されるべきは、たんに家族をとりまく、さまざまな社会的・経済的状況だけではなく、その中で現れざるを得ない、自分自身をどう把握するのか、すなわち、寄せ場労働者としての自分自身をいかに受けとめているのかという問題ででもある。

 強いられた、自由な選択の結果としてではない単身生活が再生産され、それが経済的・社会的な構造として定着している以上、それはたんに寄せ場の問題・個々人の問題という以上に社会全体の問題ででもある。
 なぜなら、強いられた、自由な選択の結果としてではない単身生活の対極にあるとされている、戦後家族−市民社会を形成している、いわば多数派ーが、今さまざまな変容に逢着しているからであり、また社会における人間の存在様式をもっとも直接的に表現するものとして家族・男女関係があるからである。

 ここでは、単身性の内実ときわめて密接な関係にある、結婚歴・家族との関わりを、83年(昭和58年)8月の実態調査を軸にして明らかにしていく。

<量的な問題>

 流入と流出を不断にくりかえす寄せ場の人口の量的・質的な把渥は困難である。特に単身者化の推移を厳密に追跡することは、寄せ場の流動性に加えて、釜ヶ崎にあっては町名変更等の技術的な問題もあって、その困難性は増加せざるを得ないが、おおまかな目安として、以下の点が指摘できる。
@1961年(昭和36年)第一次暴動当時の単身世帯は36.7%程度であったが、

A65年(同40年)頃から目立って単身労働者が増加しだした。

Bこれは60年代後半から70年代のはじめにかけてその最盛期を迎えた高度経済成長・70年(同45年)の万国博覧会が単身労働者を大量に必要としたことの帰結であり女性人口の絶対的な減少・流出−家族生活を営めない住宅環境の進展ーがこの傾向を助長したことは言うまでもない。

C今回の調査においても103名の釜ヶ崎労働者のうち3名のみが家族と同居(2.9%)しているという結果が出ている。

D61年当時の数字は労働者以外の商店主等の世帯も含めたものであるから、釜ヶ崎全体から見れば調査結果より単身世帯の占める割合は、いくぶん上昇するものの女性人口の絶対的な減少を考慮するならば労働者の単身者化は否定できないように思われる。
 約2万人の成人男子の9割以上が、きわめて狭い地域で単身生活を余儀なくされていることは、それ自体重要な問題であり、社会的にそれを必然化する強力な機構−就労構造、寄せ場自体が孕んでいる収奪構造・社会的な蔑視ーの存在を示すものであると言える。

<結婚経験について>

 現在、単身生活を送っている労働者が過去においていかなる家庭生活を送ってきたのかは、現在の単身生活を理解する上できわめて重要である。

 103名の労働者のうち、結婚・内縁関係の経験のある者は62名(60.2%)で非経験者は29名(28.2%)である。12名は無回答であった。
 いわゆる未婚者が3割近くもいるということは、調査対象の最年少者が21才であり20才台が3名、30代前半が10人(全体では12.6%)であることを考慮に入れてもきわめて低いと言わざるを得ない。
 50才までに全体の98%までが結婚するという70年の国勢調査の数字と比較しても、また内縁関係経験者を結婚経験者とみなした上での結婚率58.9%という数字を算出してみても、異常に低いと言える。釜ヶ崎労働者の平均年令は47.5才である。
 たんなる偶然を越えた社会的・経済的なメカニズムが働いていると言わざるを得ない。

 また結婚経験者57人のうち30人が離婚(52.6%)しており、14人が別居(24.6%)し、8が死別(14.0%)している。残り5人は分類不能である。
 離婚は、かなりのケースにおいて、釜ヶ崎へ来ることの原因ででもあり、結果ででもあろうと思われる。因みに離婚時期と釜ヶ崎へ来た時期とが明確である22人のうち8人までにおいては、そのズレは3年以内である。
 また釜ヶ崎へ来てから離婚した人が11人でちょうど半数である。10年で釜ヶ崎へやってきた9人について結婚経験ありとされる者は4人いるものの、その内実は故郷で結婚(その後長期の別居を継続中)したり、他の土地へ出入りした間に結婚していたりで、基本的に釜ヶ崎労働者は釜ヶ崎に来る前に事実上の単身者化していたと言えるだろう。

<離別の理由>

 一般に離婚・別居の理由は当事者以外にはうかがい知れぬ部分を含んでおり、当事者の一方から、それも、長い場合は10年以上も過去のことを聞きとるわけであるから、かなり限定されたものとして取り扱う必要があると思われる。それに加えて62人中、回答があったのは32人(51.6%)でありその意味でも過剰な意味付けは有害であろうが、それなりの傾向はとらえることができよう。また理由の分類も困難であるが、おおまかな特徴として次のことが指摘できる。

 自分自身の責任であると答えている人が16人で、その内容は飲酒3、ギャンブル2、犯罪2、浮気2、ヒロポン1、その他6となっており、とりたてて明瞭な傾向は見られない。

 その他では、
「自分の放浪性のため、ひと所でガッチリとなるのはきらい、束ばくされるのがきらい、別居、自分の勝手」
「蒸発、若かった、責任感なし」といったものがある。
相手の責任としては次の2ケースがある。
「嫁さんを水商売にゆかせたら、それが楽しくなって溝ができた。」
「ヨメはんが男みつけた、ヨメはんが金をつかいこんだ、毎月一〇万おくっている。」
その他に病気2、子供がない1があるが、特に目を引くのは、
「生活が不安定、収入がないので。」(釜ヶ崎に来る以前は行商をしていたケース)
「財産も身よりもないので、相手がはなれていった。」(19〜20才頃、内縁関係にあったケース)
 一般的には、夫の申したてる離婚理由として、@性格相違A同居拒否B異性関係、妻のそれは、@暴力A性格相違B異性関係が主要なものとなっており、今回の調査には、いくぶん異った面も見られる。

 なお「離別の理由」はそれ自体として検討されるべきものではなく、個々のケースの総体を、社会状況とかかわらせながら論じられるべきであろう。

<家庭とのつながり>

 連絡関係が全くない者、不明の者は103名中57名(ないとはっきり答えた者は48名)で残りの46名はなにがしかの関係を家族との間にもっている。すなわち46名中3名は家族と同居しており、11名は送金関係がある。

 この46名の釜ヶ崎在住年数は多岐にわたっている。最長の人が36年、最短の人は3ヶ月であり、20年代の人でも7名もおり10年以上になると20名で、43.5%(連絡関係ありの者の中での百分比)にものぼる。このように家庭との結びつきが皆無であるとは言いがたい。

 送金している11名の中でも20年以上の在住者が2人、10年以上では5名もおり、在住年数の長期化がただちに家庭との結びつきの消失につながるとは必ずしも言えない。

 しかしながら送金状態は個々バラバラであって毎月の定期的な送金は11名中3名であり、それぞれ10万円2名、15万円1名である。それ以外は年数回あるいは「満期にもってかえる」「仕事がある時」といった場合が多く就労構造との関連が色濃く現われている。

 各グループ別の平均年令は、それぞれ連絡関係なしが45.0才、連絡関係(送金者を除く)ありが43.6才、送金者が41.1才、同居者が35.0才で、同居者が極端に若く、送金者が同居者グループについで若くおおむね、若年者ほど家庭との結びつきは強いと言えるだろう。

<家庭と連絡しない理由>

 これについても、離別の理由同様、回答率はきわめて低くわずか52.6%(結婚・内縁経験者の中での百分比)、30ケースである。
 大まかな傾向として、11ケースが<引け目>をその理由としており、トップになっている。
「自分で一回迷惑をかけたことがあるので会ったらめいわくの話しが出そうやから連絡しない。」
「連絡すれば、連絡つくかもしれないが生き恥をさらすようで連絡したくない」等である。
他、連絡自体を無意味とする回答が4ケースある。
「むこうはむこう、こっちはこっちの道がある」
「気にしない」「めんどう、してもしょうがない」
「どうでもいい」
注目すべきものとして、次のような回答がある。
「兄弟でも差別されている。地下タビ姿でいくと、近所を気にして会ってくれない。」
 寄せ場労働者として、現実の中でこうむらざるを得ない(差別・蔑視)、それから生じてくる<引け目>が、これらの中に集中的にあらわれていると言える。