「釜ヶ崎労働者の労働・生活実態調査」報告

(1983年8月/1984年1月)

調査概要

「釜ヶ崎労働者の労働・生活実態調査」(1983年8月)

 昨年2月に起きた少年たちによる「浮浪者」殺傷事件(横浜寿町事件)は世間で注目されることになったが,その中で被害者の「浮浪者」=底辺日雇労働者は一向に問題にされることはなかった。
 そこで、「釜ヶ崎差別と闘う連絡会(準)」では日雇労働者の生活実態を明らかにするために,労働・生活,意識など204項目にわたる調査を行った。
 この報告はこの調査の一部の集計で,パンフ「釜ヶ崎と人権」(同会発行)で発表したものの再録である。全部の集計は現在進行中である。

「アオカン労働者調査」(1984年1月)

 この調査は前調査の続きをなすもので,「アオカン労働者」を日雇労働者の底辺部分としてとらえ,その生活実態を明らかにしようとしたものである。
 世間でいう「浮浪者」もアブレ=失業の結果,アオカンを強いられていることが明らかになった。

8月実態調査からの報告

釜ヶ崎日雇労働者の「アブレ」と生活の実態

 釜ヶ崎をはじめとする寄せ場日雇労働者は様々の点で、社会的・経済的抑圧と差別に苦しんでいる。日雇労働者もまた建設・土木などの生産労働に従事し、社会的に貢献しているにもかかわらず、社会の正当な評価と待遇を受けていない。
 この実態を今夏8月に実施した「釜ヶ崎労働者の労働・生活実態調査」の集計結果を参考にして解明してみる。集計結果(一部未集計)の一部はすでに「第1回釜ヶ崎実態調査−中間報告No.1」で既報であるが、ここに再度、要点を整理して資料として供したい。

T労働

@寄せ場労働者の基本的性格
 日雇労働者は社会的生産労働者であるが相対的に一般労働市場の労働力からは区別される。
 すなわち、開放された自由な労働市場で、日々雇用主に雇われ、日当を支払われるのであって、常雇的労働者に対し、追加的・臨時的性格をもっている。
 更に寄せ場労働者は他の日雇労働者や臨時工・季節工と本質的には異るものではないが、就労の経路、存在の条件、労働の種類などによって相対的には区別されるのである。

 寄せ場日雇労働者は@単身性、A移動性、B低熟練性という社会的特性を持つ労働力として存在する。
@単身性−今回の調査でも103名中、家族と同居している者は3名にすぎず、他の資料のほとんどが単身者であるという指摘を裏付けている。(この項については補論の項で論じる。)
A移動性−寄せ場労働者は二つの意味で移動性をもっている。一つは日々、或いは短期的に個別資本に雇用され、就労し、移動するということであり、他はより多くの就労のチャンスを求めて、四大寄せ場を中心として全国に散在する寄せ場を地域的に移動するということである。今調査では103名中65名が釜ヶ崎以外の寄せ場に行ったこと、又はいたことがある、と答えている。
B低熟練性−寄せ場労働者を労働力の質の側面からみる時、従来の熟練−非熟練という区分すれば、非熟練・未熟練労働力に属する。勿論寄せ場労働者の中にはトビ・左官・鉄筋工などの熟練・半熟練を必要とする職人層から補助的・手元的労働の全く未熟練労働者まで熟練度において階層的広がりが存在している。
 しかしながら総体的にみて、未熟練の現場の肉体的労働に従事しているのが大半の寄せ場労働者であるとみて間違いなかろう。彼らの就労する具体的労働は建築・土木労働であり、港湾荷役であって、製造業での就労は最近ではごく少い。
 これらの労働は、肉体を酷使する「きつい労働」(強労働)であり、高所や地の底の「危険な労働」であり、かつ人の嫌う、汚れる「きたない労働」のいわゆる「三キ労働」である。寄せ場労働者はこれら労働の中で身をすり減らし、しばしば危険に晒らされる。仕事がえらい割には身入りが悪く、恵まれない仕事である。
A就労の経路と就労目数−「アブレの実態」
◎就労の経路−今調査での就労経路の実態は表@・Aである。ふつう寄せ場での就労・労働契約は「相対方式」と呼ばれるもので、雇主と労働者が寄せ場で直接、条件提示、契約が行われる方式であるとされるが、これは正確ではない。このように雇主が寄せ場に出向くケースもないではないが、多くの場合は、雇主と労働者の間に手配師・人夫出しが介在するのが通例であって、これこそが相対方式」の実体であるといってよい。就労・労働契約への手配師・人夫出しの介入はさまざまな労働問題を発生させる。まず賃金のビンハネである。その実態はヴェールにつつまれていて、明確ではないが、労働者の賃金は確実に中間搾取されて おり、ビンハネは賃金水準を確実に押し下げている。
表1 就労経路
(イ)直行 11
(ロ)センター経由 46
(ハ)街頭手配師 15
(ニ)新聞
(ホ)友人の紹介
(ヘ)その他
N.A.
82人
表2 飯場入の経路
(イ)手配師 43
(ロ)センター 33
(ハ)友人の紹介
(ハ)その他 12
N.A.
96人
 第2は契約の不明瞭さから生じる問題である。二重・三重の重層的な下請構造の中では誰れが直接の雇用者であるのか、又元請の責任の所在が明らかでなく、問題が生じた時、責任回避、なすり合いが行われるのが常である。このような状況下で賃金の未払、労災のもみ消しなど労働者を無視した、他の社会で全く考えられない事態が起っている。

 このことは釜日労争議団や労働福祉センターなどへの労働相談の件数の多さをみれば明らかである。(例えば1981年センター調べ新規相談3,369件再来9,502件)かくのごとき事態を放置しておくことは行政の怠慢といわざるを得ない。

 1961年(昭和36年)の「第一次釜ヶ崎暴動」以前、釜ヶ崎労働市場を専一的に支配していた悪質暴力手配師を排除するために労働福祉センターが設定され、いわゆる「登録業者制度」と「職業紹介」が開始された。これらによって多少の改善はみられたかも知れないが、根本的解決は何もなされておらず、前記したように間題は山積しており、街頭手配師(ヤミ手配師)の横行を許している。

 そもそも「職業安定法」によれば手数料を取っての職業斡旋は、本来許されることではないのに行政が手配師・人夫出しという形で有料職業斡旋を認めるということになっているのであって、これはまじめな行政姿勢とはいえない。さらに職業紹介しない「あいりん職業安定所」にいたっては何をか云わんやである。
◎就労目数ー「アブレ」の実態 釜ヶ崎の労働者にとって最大の関心事は日々の就労である。朝5時に起き出し、寄せ場に行って、仕事をみつけることができなければ、仕事にアブレ、その日の生活の糧は得られない。

 寄せ場の日雇労働者は常に就労の不安の中にあり、労働と生活の権利を奪われているといってよい。釜ヶ崎労働者の就労日数を決定する要因は多面的であるが、日雇労働に対する労働需要と労働者数によって決定される。また個々の労働者の就労日数は全体状況に加えて、体力、年令、就労意欲などの要因が考慮されねばならない。

 日雇労働に対する需要は景気変動および季節需要が連動して変化する(図l、2参照)。
 調査時点の、83年8月上旬の労働需要は、ここ数年の経済の落ち込みを反映して低水準に推移しており、全体としてアブレの状況が続いていた。季節的には需要がもっとも減るのは1〜2月の厳冬期と4〜7月の年度初めから梅雨にかけての時期である。
 今年も4〜6月は仕事が極端に減ったが、調査時点は7月下旬頃から多少、上向きに転じていた時期であった。

 他方労働供給者たる釜ヶ崎在住の労働者の実数は明確に把めていない。多くの労働者は住民登録をしていないし、労働の需要に応じて流動的であるからである。公称約2万人在住といわれるが、「手帳」の有効登録者数約1・5万人などの数字から推測する他に手はない。

 更に労働者が有利に就労するためには労働者のもつ技能・熟練度、年令・体力がものをいう。高熟練、若くて体力があれば、高賃金、安定就労が可能である。しかし高年令化し体力の衰えた労働者は手配師に見向きもされないし、高熟練者であっても、それに見合う労働需要が減れば、自己の技術・技能を生かせない、より低賃金・劣悪な条件の労働への就労を強いられる。

 この状況下にあって釜ヶ崎労働者の就労実態はいかなるものであったか。今調査では就労日数について2項目きいた。最近(調査時前)一週間(表3)と最近六ケ月の月当りの平均(表4)とである。
表3           ・表4
最近一週間の就労日数 一ヶ月平均就労日数
0日 21人 5日以下 5人
6〜10 15
13 11〜15 24
13 16〜20 21
13 21日以上 22
13    
12    
13    
N.A. N.A. 16
103 103
平均3.38日 平均15.5日
 表3で注目すべきは最近一週間で働いた日がゼロの者が103人中21人でもっとも多いことである。全平均で、3.38日(月換算14.53日)となる。

 とすると釜ヶ崎労働者は平均的に就労している者でも一週間に2〜3日、月に直せば10日前後はアブレていることになる。

 表4の月平均就労日数をみても平均15.5日で、さきの14.53日との差は0.07日すぎず差はほとんどない。

 そうであれば釜ヶ崎労働者は月14〜15日働き、10日はアブレの状態にあるというのが、その平均像といえる。

 仕事をしなかった理由の項(表5)でも103人の中「アブレ」のためと答えている者が31人でトップで、その実態を裏付けている。

  この就労日数月14〜15日という数字はいくつかの重要な意味を含んでいる。
まず一つは「白手帳」を持ち、認定(日雇雇用保険)を受けられる最低の線である。
 二つには個々の労働者からみた時、肉体的強労働に連続して就くということがむづかしいということである。そこに数日働いて、1日休日を取るといった就労の仕方が生まれる。病弱や高齢で体力に自信のない労働者ほどそうである。(表5)、
 三つには、後で考えるが、14〜15日働かなければ釜ヶ崎で人間一人が平均的生活を維持できないという線である。
表5
仕事をしなかった理由
(イ)アブレ 31人
(ロ)休息 30
(ハ)病気・ケガ
(ニ)雨
(ホ)私用
(へ)その他 16
N.A. 13
103人
 勿論一ケ月休みなく30日、目いっぱい就労している労働者もいるが、平均以下の半数近くの労働者は全くの「アブレ地獄」=失業状態にあるといえる。

 就労問題でもう一点注目したいのは飯場就労(期間雇用)である。近年、以前に比して直行・現金就労が減少の傾向にあるといわれ飯場就労が増加しており、事実今調査でも103人中96人が飯場就労の経験があると答えている。現金仕事のみというのはごく少数である。

 飯場に入るのは手持ちの現金がなく、当座をしのぎたいとか、まとまった金が欲しい時などであるが、飯場を嫌う労働者も多い。飯場就労では、労働の場が生活の場となり、そこでは、監督・ボーシンや古参の仲間などとの人間関係のむずかしさ、或いは暴力支配の暴力・半ダコ飯場も皆無ではない。

 また入飯中、就労を保障されるわけではないので、天候などの理由で働けなければ、食費や諸式(酒代や手袋・手拭い代など)が積む一方で手取りは減額され、飯場就労は現金・直行よりも収入・労働条件・労働環境において劣悪だからである。飯場への入飯期間(契約期間)と実働日数を示すと表6の通りである。平均で期間17.1日実働で14.8日で、実働日数は前記の月14〜15日就労にほぼ一致する。
表6飯場滞在日数と実働日数
  滞在日数 実働日数
7日以下 7人 14人
8〜10 24 20
11〜14 10
15〜21 22 18
22〜30 11
〜2ヶ月
2ヶ月以上 12
N.A. 15
96人 96人
平均 17.1日 14.8日
B賃金と収入
 釜ヶ崎労働者の収入源はいうまでもなく日雇いによる賃金収入である。その他、補助収入として認定(日雇雇用保険)による保険金、ダンボールなどの回収による収入、手帳金融などによる借入金が考えられる。

 各労働者の収入がそれらにどのように依存しているかは、労働力の質、就業する職種、就労日数によって異る。

 しかしなんといっても収入の大部分を占めるのは賃金収入である。勿論、賃金額は労働力の質、熟練度、職能によって異り、トビ・左官などの職能は高く、手元・雑役などの単純労働は低くなっている。今調査の賃金分布を示したのが表7-A・Bである。
表7
  (B)飯場賃金 (A)賃金
6,000円以下 6人 3人
6,500 20
7,000 43 41
7,500
8,000 10
8,500
9,000
9,500
10,000
11,000
12,000
13,000円以下
不明
96人 82人
 高い方は日当1万3千円台から6千円までとかなり巾があるが、最頻値は7千円である。これは職能でいえば建築・土木の単純労働の釜ヶ崎での賃金相場と考えてよい。この賃金水準は大阪労働基準局公示の最低賃金(3,458円)の約2倍強にあたる。この賃金で平均就労日数14日働いたとすれば9万8千円の月収となる。もう一つの大切な収入源は認定で、この制度は釜ヶ崎のような寄せ場労働者の場合、「白手帳」をもち受給月の前2ケ月に合せて28日以上就労すると17日を限度として、一日当り4千百円が支給されるものである。とすれば14日就労し、10日認定を受給するとすれば月収は139,000円ということになる。しかしこれはあくまで机上の計算である。

 今調査で先月(7月)の収入を聞いたが、その分布を示すのが表8で、その全平均収入は9万2百円となっている。この平均の数字は前記の13万9千円との間にかなりの差があるが、調査から出た収入額には認定分が含まれていないのかも知れないが、その時でも、認定を毎月毎月10日以上受給することはないので、収入の平均は13万9千円という額を越えることはなく、それ以下でアンケートの実数値に近い額となろう。
表8先月(83.7月)1ヶ月の収入 平均9万2百円
〜1万円 〜2 〜3 〜4 〜5 〜6 〜7 〜8 〜9 〜10 〜11
13人 15
〜12 〜13 〜14 〜15 〜16 〜17 〜18 〜19 〜20 〜21 〜22 〜23
1人
〜24 〜25 〜26 〜27 〜28 〜29 〜30 〜31 DK NA  
103  
 飯場就労の場合これとは少し異る。賃金は現金就労よりも少し低水準であり、食費、酒代、手袋などの諸式、衛生費、前借などを差し引かれるため、手取りは名目収入よりもかなり減る。今調査では14.8日平均就労し飯場を出る時、手にした現金は平均5万5千円となっている。(表9)
表9飯場をでるとき受け取った金額
8人
〜1万円 5人
〜2万円 8人
〜3万円 8人
〜4万円 12人
〜5万円 7人
〜10万円 22人
〜15万円 7人
〜15万円以上 4人
不明 15人
96人
平均5.5万円
 つぎに表8からも分るように収入の0の者から30万円を越える者まで、収入においてかなり階層分化がみられ、収入零の者13人という点にも注目にしなければならない。この人たちを含む下層の者はダンボールや空カンを回収して得るわずかばかりの収入か、炊出しで命をつなぐしかない。いずれにしても、さきの月収9万2百円それを少し上回る額が平均的就労の釜ヶ崎労働者の生活の基金となる。

U生活

 釜ヶ崎労働者は生産労働者であると同時に生活者である。日々の日常生活を営んで肉体を再生産し、明日の労働に備え、娯楽を楽しむ。しかし彼らの生活は一般的市民の生活とは異ったスタイルと内容をもっている。
 彼らの生活を規定する主な要因として第一に収入水準、第二に単身性、第三にドヤ住いであるという諸点が上げられよう。
 収入高は彼らの消費水準を直接決定するし、単身性は家族生活、特に子供の育成つまり「労働力再生産」を欠落させる。また、寝る機能だけのドヤ住いは生活の諸機能を外へ出し、分散して充足することになる。つまり食事はすべて外食、洗濯はコイン・ランドリーでといった具合である。
○生活費
 なんといっても人間生きて行くためには衣食住が充たされなければならない。釜ヶ崎というドヤ街で行きていくためには一体いくら生活費がかかるのであろうか。ま た実際労働者はいくらで生活しているのであろう。 表10は労働者Yさん(58才)の一日の生活費である。
表10一日生計費
chu 220円
焼き肉ライス 300円
紙代 90円
さけ 220円
うどん 260円
紅茶 280円
新聞 70円
さけ 220円
焼き肉 410円
夕飯 330円
ドヤ代 700円
3,100円
Yさん・58歳・83年10月5日
 このYさんは読書家で本や新聞をよく買われるが、この支出表をみると酒や紅茶などの嗜好品を含めた食費とドヤ代(住居費)が大部分を占めていることが特徴的である。勿論一日の支出総額はこの10月5日よりも上回る日もあれば、下回って2干円を切る日もあり、それはサイフとの相談である。
 つぎに今調査での調査からみよう。表11,12,13は、ドヤ代、食費、嗜好品代の分布とその全平均である。
表11ドヤ代 表12一日の食費 表13嗜好品代
360円 1人 2人 15人
380円 2人 〜500円 2人 〜300円 11人
450円 2人 〜1,000円 11人 〜600円 30人
480円 4人 〜1,500円 31人 〜900円 9人
500円 6人 〜2,000円 15人 〜1,200円 17人
550円 2人 〜2,500円 21人 〜1,200円以上 5人
600円 3人 〜3,000円 1人 (酒をのぞく)
650円 1人 〜3,500円 5人  
700円 3人 〜4,000円 0人
800円 3人 〜4,500円 1人
850円 1人 〜5,000円 0人
950円 1人 〜5,500円 4人
1,000円 2人  
1,100円 2人
1,200円 5人
1,300円 1人
1,500円 2人
1,900円 1人
2,000円 1人
2,200円 1人
2,500円 1人 D.K. 2人 D.K. 3人
N.A. 2人 N.A 8人 N.A. 13人
47人 103人 103人
平均886円 平均1,630円 平均563円
 ドヤ代総計47人と少ないのは調査時が非常に暑かったので通常よりすこしアオカン者が多かったためと思われる。これらの平均から一日食べて、寝るだけでかかる費用は計で3,079円となる。更に103人中86人が飲酒すると答えておりワン・カップー本飲めば220円が加わる。したがって、酒代(1〜2本)を含めると平均支出でも3,300円から3,500円近くになると考えられる。これはYさんの一日の支出と一致する。

 つまり、食って、寝るだけという人間にとって最低必要条件に、釜ヶ崎では一日3千円以上かかるということである。もしこれだけの手持ちがなければ、酒代を削るか、ドヤ代或いは食費を削らなければならない。

 で、仮りに低い方を取って一日3,300円かかるとすれば一月では9万9千円必要となる。ただ人間は食って、寝るだけでは生活できない。衣料費もかかるし、銭湯にも行くし、洗濯代も要るし、映画やギャンブルの娯楽費もかかる。

 とすれば一月の生活費は更に増え、9万9千円十αとなり、これが平均的釜ヶ崎労働者の一ケ月の生活費である。釜ヶ崎労働者は高級志向で賛沢をしているわけではない。むしろ質素でつつましい。それにしてはこの生活費は割高のように感じられる。釜ヶ崎でのドヤ住いの生活は高くつくのである。

 いずれにしてもこれだけの生活費を労働者の収入で賄なえるだろうか。収入の項で示しているように調査での平均収入は月9万2百円、平均就労14日、平均賃金7千円として月9万8千円であった。

 結論は自明である。生きていくだけの生活費9万9千円ギリギリで少しの余裕もない。

 ただし就労し、認定(日雇雇用保険)を受けられる労働者はその分だけ余裕ということになる。しかしこれはあくまで14日の平均就労をしている者に当てはまるのであって、それ以下の就労日数の労働者にとっては釜ヶ崎での最低の生活さえおぼつかないし、労働需要が下がってアブレ状況になれば、同じ状態はより多くの労働者に拡大する。

 こうみてくると釜ヶ崎労働者は比較的に運よく就労できている者でも「肉体再生産」ぎりぎりであって、家族を持ち養う余裕は全くない。もし不景気や病気などで就労できなければ「肉体縮小再生産」を強いられ、病弱の悪循環、果ては行旅病死の危機に追い込まれることになる。

 以上8月実態調査を参考にして釜ヶ崎労働者の労働と生活の一端を明らかにしてきた。
 
釜ヶ崎労働者は人間の基本権利たる働くことさえ奪われ、劣悪な生活状況に追い込まれている。更にこの釜ヶ崎状況からさえ、はじき出され、押し出される人々「アオカン」者(野宿者)、いわゆる「浮浪者」が存在する。
 このことは単に個人の資質や意識に帰せられるものではなく、現代の資本主義社会の矛盾としてあるのであって、今後そのメカニズムは解明されるべき課題である。

 彼らを含む釜ヶ崎寄せ場労働者に対する抑圧と差別の状況とそれを生み出す構造を抜きにして人権について語っても無内容である。釜ヶ崎問題は現代社会の矛盾の最深部にあり、したがって釜ヶ崎問題は人権の原点に据られるべきだからだ。