朝日新聞記事に見る釜ヶ崎の冬 |
1961年から1987年 |
全日自労釜ケ崎分会「応急宿泊所設置を要求、西成分室前で坐り込み。
東萩公園に「無料宿泊所用テント3張」開設。管理は総評大阪地評に(1月3日まで)
アブレ労働者50名を「梅田厚生館」収容。
「青カン(野宿)労働者」を梅田厚生館、なにわ寮、自彊館へ。延べ363名。
アブレ労働者を「なにわ寮、自彊館梅田厚生館」収容。延べ299名。
「年末年始医療対策」(以後毎年実施)
大阪府・市「愛隣地区年末特別対策」実施。
西成署調査「今冬22、329名が釜ケ崎で越年」。労働福祉センター「年末宿泊所斡旋324名」
「年末年始医療対策」(大阪市社会医療センターで」
「あいりん地区歳末の“暴発”・労務者大荒れ・求職センター襲う・約5百人・商店でも乱暴」(1面)
「どっと“あぶれ組”・あいりん地区騒動に生活のカゲ・不況ムード・行政への不信」(社会面)
全港湾労組西成建設支部は労働者のつのる不満に、この年末の越冬対策を大阪府、大阪市に早くから訴えてきた。しかし、府市ともなんの手も打たないまま年末を迎えた結果が今度の騒ぎになった。
きびしい幕あけ・職なくてなんの仕事始めか・あいりん地区・求人たった2人・就労あっせん初日」
去年11月から適用された日雇失業保険金が初めて支払われ、登録者5百4人のうち約50人が3日分計2千2百80円を受取った。
「大阪市役所に座り込み・あいりん地区の労働者」
民生局の話によると去年12月中旬、あいりん地区に釜ケ崎越冬対策実行委員会が生れ、5百万円の越冬資金、無宿者救護用の物資、宿泊所の整備、今宮中学校講堂の開放などを要求していた。
しかし、市側は「無宿者の収容対策は大阪府・市で行う」と援助をことわり続けてきた。
市では年末の29日から3日までに、自彊館、市立労働会館など4施設に計5百7人の無宿者を収容した。
一方実行委員会側は、あいりん地区内の公園にテントを張り無宿者のたき出しなどを続けてきた。
「職なし寒波やってきた・西成・山谷もろに直撃・あぶれ手当9千人・無料宿泊所も延長へ・西成」
西成労働福祉センターは4日から業務を再開した。が、求人は少なく、あっせんしたのは4日百50人、5日8百人とふだんの1、2割。
大阪市は毎年12月29日から1月3日までの6日間、仕事にあぶれ泊まるあてもない労働者の越年対策として大阪市立長柄共同宿泊所をはじめ、大阪府下の7宿泊施設へ労働者たちを収容、6日間の宿泊場所と3度の食事を提供している。
一昨年末から昨年初は延べ578人、昨年末からこの3が日までにはすでに700人。
日雇労働者たちの団体、全港湾建設支部西成分会が中心となって昨年末から大阪府庁前へすわり込んだり、大阪市と交渉を続け、4日以降も職につけない労働者たちのために宿泊所と3食の保障を続けるよう要求していた。
大阪市はたび重なる激しい突き上げに2日、労働者たちの要求を入れ、年末から施設に収容されていた労働者に限り、0日までの延長を認めることになった。食事の現物給付をやめ、1日千5百円の食費と求職のための交通費を支給することになる。4日約百人、5日は約50人がこの延長を受けた。
こがらし列島・6・不況その断層
「はさみ撃ち・あぶれ・物価にうめき」