新聞記事文庫 住居問題(1-006)
大阪朝日新聞 1912.7.1(明治45)
新式安宿の男女
食物を持たぬみじめな客
同宿人の親切
朝になって衆勢を一一呼起してては暇がかかるから紐の片方を打放すが最後、立寝の先生達はパタリと打倒れて眼を覚す、その下敷になった上等客も吃驚して起きる、一挙両得の木賃宿は西洋の事とのみ思って居るは迂闊な話、
大阪でも今宮飛田の木賃宿では之に負けぬ勢い、畳の上で寝るなどは白切符の方で押入れを二段にも三段にも仕切ってそれへゴロゴロと入って寝るのが普通である、
之では社会上の大問題だというので出来た萩の茶屋の自彊館は先月の二十五日から店開きをした
日が浅いのと広告してないのとで投宿人は少いが其代り入った以上は滅多に出ない、 その筈で普通の下宿屋よりは小奇麗な室に新調の夜具蚊帳で寝て風呂附の五銭、食事は一合の大盛りが二銭五厘で其の半分の「割り」が一銭五厘、大の男でも之を二杯喰えば満腹、菜は朝なれば味噌汁が一銭で漬物が五厘、夜は三銭以下で焼豆腐に塩鯖の煮たの位は喰える、其の上酒保もあって荒物類や種々の物が原価で売ってあるので近所で働いて居る宿泊人などは草鞋が切れると態々帰って買いに来る、
只禁物は酒で、其の代り貯金奨励のため十円の貯蓄をすれば二階の上等の室へ入れて貰える、更に五十円となれば膳附の飯が喰える、百円となれば先ず成功とあって優遇する仕組である
去月二十九日の泊り客は十四人で其の中女が三人、
何れも草引きで一日二十七銭儲ける、男は手伝いに荷車の先曳、五十銭が儲け頭で下は二十銭位、是れは電車の運転手見習である、夫から六十一歳になる辻占売の爺さんが居て近頃市中では辻占を値切る人があるので専ら田舎廻りをして居るが都合のよい日には五十銭からになるとホクホクし乍ら二銭五厘の大盛飯に菜を此処で買わずに自弁して居る、先ず自彊館切っての金持である、
左様かと思うと某官庁の雇い之でも官吏の端クレには違いないが日給二十三銭では迚も遣り切れぬからまげて泊めて呉れとの事に入れて遣ると、先生毎朝、萩の茶屋から梅田の通勤先きまでテクついて行く
然し是れ等は未だしも上の部、二十九日の晩遅く二十歳余りの男が遣って来るなり受附けでバッタリ倒れて物も言わない、何うした事かと聞くと朝から米粒一ツ口にしない、手に後生大切と銅貨を八銭握って居るが之を使っては明日から日乾しになるとホロホロ涙を流して泣く、
網主事は男が泣くという奴があるか明日は明日で何んとかなるから其の八銭で泊めて遣ろ、とあって五銭の宿泊料に三銭で大盛りと漬物、然し風呂に先へ入ったらよかろうと言っても飯を飯をと言い乍ら炊事場にノタクリ入ってヤッと命拾い、
それや気の毒だ明日は僕が土持ちに連れて行って遣ろうと先客が兄顔して慰める、
それが終ると今度は四歳計りの児を負うた三十近い女、何うぞ助けて下さい、子供は此の通り泣きますが昨日芋を二銭喰った切りで私だけでも何うすることも出来ませうんと土間へ坐り込んで動かない、
是は真個の無一文なので、規則として只で泊めることは出来ず去りとて突放しもならず主事もホトホト困って居ると先客連は此奴は又一層気の毒だと同病相憐れんで俺も俺もと五厘一銭宛出し合って漸っと助かった、翌日からは別荘の草引に入ることになった
斯んな風に悲惨な例は日に幾つとなく出て来るが大抵は入れて遣るので近所の安宿も大分考え出して来て之を手本に改良すると言っているそうな
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