1912(明治45)年6月15日 大阪朝日新聞・大阪毎日新聞
古賀警保局長談
▲大阪朝日新聞 1912年6月15日
内務省警保局長古賀廉造氏は14日午前来阪し 直ちに犬塚知事と同道して 府立修徳館及び私立職業紹介所、特殊部落、貧民学校等を視察し終って 午後7時より堺卯楼に於ける官民有志の請待会(しょうたいくわい)に臨み 同夜 帰京したり
其の談に曰く 自分は 今度休暇を利用して 大阪の感化及び救貧事業に視察に来たれり
先ず 修徳館を見たるが 元来此の事業の設立に就いては 自分は一種の理想を以て計画し 其の設置に際しては専ら自分が設計したり
この事業の困難なるは 第一に 悪児童の感化に従事する立派な指導者を得る事なり、最初36年頃より 再三設立を企て居たるが 遂に41年新刑法の実施は 是非とも此の事業の設立を必要とする折柄 幸い大阪にて適当なる感化者を得たるを以て 遂に一年二万五千円の経費にて建設したり
昨年視察したる時には 尚 館生中逃亡者多数ありき 此の事業の成功と否とは逃亡者の多少により判断さるるが 今日視察したる処に依れば 目下は全く逃亡者なく 又 自分が一々館生に質問したる処を以て見れば 余程感化せられ 何とかして此の恩を報ひざるべからずなと 真心から云ひ居たり 併し 之を聞き居たる他の館生の中には 私(ひそか)に嘲弄的態度を取り居たるものもありたるなと 尚 十分とは云ひ難し 又 此種の悪少年は 所有権と云う観念なく 他人の所有物を盗む事は悪事にあらずと考え居れり 故に 今日も保母を集め 先づ是等の少年には 自分のもの以外には決して手を付くべからずと教ふる必要ありと 述べ置きたり
次に今宮の職業紹介所を見たり
まだ不完全なるも誠によき事業なり 従来人夫は親方なるものが其の労銀中より必ず頭を刎ね 親方自身は坐しながらにして利益を得居れるが この職業紹介所にては 従来親方の刎ねたる金額は依然之を控除し 其の一部は積立金とし一部は貯金して労働者慰安の途を講ずる資となすの必要ありと自分は云い置きたり
最後に特殊部落及び貧民学校を観たり 此の学校の生徒は宛然野犬の如し、しかし悪少年にもやはり教育を授け なるべく悪事を未然に防ぐ方針を以て養育せざるべからず 一度悪事を為して後 感化院とか修徳館などに監置して懲治するよりも 未だ悪事を為さざる前に於いて悪事を為さざるよう導くことは 其の方法に於いても亦其の結果に於いても非常に優れり、尚同学校付近の貧民窟には久島、大田両医師が 殆ど競争的に貧民のために無料施療を為し居れり 是れ全く救貧の目的に適ひ居れり
自分は済生会などを設立する事には反対なり 而して反対するには理由は他なし右述べたる様の事業を為す方が 遙に優れるを以てなり
今や大阪市に於て 右の如き事業の追々設置さるるは 確に大阪の悪児童を感化し 犯罪人を減少する事に 偉大なる力を与ふるものなり 今後も一層此の事業の発達せん事を希(こひねが)ふ
▲今度 文芸協会にては 東京帝国座に於いて故郷劇(ハイマートげき)を演じたるが 自分は親しく見物したるが
主人公マグダが父の家を久しく出奔し 其の内に情夫を拵へ 女優となり 生活し居る後 或時 父の家の帰り 尚 父に反抗したれば 厳格なる武士の父は 憤慨の余り ピストルを擬して マグダを撃たんとし 卒然 発病して死すると云う筋道にて
之に因ると マグダは親不孝者なるのみならず 忠孝の教へによつて立てる我が国体に違背し居れるを以て中止を命じたるが 夫れでは困るとの事にて 遂に 最後の場において マグダが牧師より訓戒を受け 自己の非を悔い改める様に修正する事となりて落着せり
事実あれ以上修正すれば あの劇も立たぬ事となるべく、自分は右の修正にて十分なりと信じ居れり 従って 誰にも あれ以上修正せよなど命じたることなく 無論 大阪の保安課にも然る事を命じたる事無し
▲米価調整策として 全国の取引所を 一時に検挙する様な事は 企て居らず 併し 法律を犯し 又 悪手段を弄する者あれば 苟も仮借する所無く 直ちに検挙するは当然なり 云々
▲大阪毎日新聞 1912年6月15日
古賀警保局長は14日午前8時6分梅田駅着汽車にて東京より来阪 直ちに犬塚知事、池上警察部長等と共に十三の修徳館を視察し 午後今宮の浮浪人収容所自彊館および難波の有隣、徳風の両貧民学校を巡視し 午後6時30分堺卯楼における犬塚知事、古荘控訴院長、裁判官、法政大学出身者等主催の歓迎会に臨み 同夜 京都に向かって出発せり
氏は語って曰く 修徳館は創立以前よりの関係者として 毎年一回は必ず視察のため来阪せしが 最初は 家長たる保母の間に 互いに相排斥せし面白からざる事実あり 直に児童等に影響を及ぼし 悪現象を呈するに至りしが 田中館長は隠忍して功を急がず 不撓不屈の精神を以て薫育に努めし結果 昨年までは 逃亡者相踵(あいつ)ぐの有様なりしに 本年に至りては 殆んどその跡を絶つに至れり
之れ即ち児童等が 同館を措ては他に立身の方法なきを自覚し 信頼心を生じたるためにして 慥(たしか)に感化の緒に就きしものなるが 児童等にして中学校 工業高校に通学するもの漸く増加し来り 学業成績大いに見るべきものあり 我国感化院多しと雖も 稍理想に近きものとしては 修徳館を推さざるべからず 予は同館を以て感化院の模範となし 他も亦之に倣(なら)はしめんと欲す
予は嘗て欧州の感化院を巡視し その実績の挙がると否とは 偏に院長その人の人格に依るものなるを発見したるが 田中館長の如き実にその人を得たるものなりと信ず
唯 遺憾に堪へざるは修道館において 予が四五人の児童に対し質問し居りしに 他の児童等はいづれも嘲笑の眼を以て眺め居れり 之れ全く団体的の考えなき結果にして 又 自他の区別を無視し 他人の物は我物にて 窃盗を以て毫も悪事とは心得居らざるものの如く 感化事業に従事する者は 切に此点に注意し 自他の区別を明(あきらか)ならしむること急務なりと感じたり
▲現今生活難の声高く 今や社会の大問題となり居れるが 予等当局者も之について大いに研究し居れるが 慈善事業は姑息の方法を以ては到底救済する能はずと信ず 東京においては目下5万の労働人あるが 彼等が職業に就くにあたりては請負人なるものありて 賃金の幾割は請負人の腹を肥やす事となり 労働者の実収は大いに減少せらるるを以て 予は政府の手にて職業紹介所を設け 賃金全部を彼等の収入たらしめ 而して一半を以て彼等の衣食費にあて 一半を貯蓄して 病気その他養老等の資にあてんと計画し居りたるも 経費なきため実行するに至らず 今回大阪市の自彊館を見て 大いに得るところありたり 今後は浮浪人の寄宿舎たるに止まらしめず 貯蓄方法をも講じ 労働者永久救済の実を挙げんと切望に堪へざるなり
▲本日又 特殊部落の貧民学校を視たるが 嘗ては此附近の部落民中には 女子の如きも 生まれて以来髪を梳りたることなく 又一回だに入浴したることなきものあり 全く野犬の如き有様にて 警官に対し嘲笑悪罵を浴びせ掛けしものありし位なるが 学校の開けて未だ幾日も経ざるに 彼等は警官に向っても敬礼をなすに至り 効果大に見るべきものあり
殊(こと)に同校にては 児童を教育する傍ら施療をも行ひ居れるが 患者の多くは十数年来の(?=こ)疾にも拘わらず 診療を受くる方法をも知らざるの有様にて 太田久嶋の両医師は 競争的に医薬を調するのみならず 自ら患家を往診する等 儀表(ぎへう)とするに足るべき人物なり
▲近来 米価益々騰貴し 貧民の苦痛一方ならざれば 内務省も・・・・以下略