1911(明治44)年7月29日 大阪朝日新聞

貧民1万6千人 ざっと百人に一人は食ふや食はずの貧乏人がある勘定なり


 陛下の御下賜金と富豪の醵金によって設けらるヽ済生会の事業に参考すべく 先般来市内各警察署及び区役所に於いて大阪市内(今宮、浦江、大仁等の接続町村を含む)在住の貧民状態取調中のところ 28日結了せり 其の結果によれば
 (1)同じ貧民といふ中にも 3銭 5銭の日家賃を払い1ヶ月に積りて2円未満のもの 及び 一家族の稼ぎ賃1日5〜60銭以下のものが一番多く 戸数2千6百16戸あり コレを人数にすれば 男 4千3百8人 女 千4百8人なり
 (2)其の次は 同家賃の月額2円以上を支払い居り 又 相当の稼ぎ賃も得て居れど 家族が多いとか 病人があるとかいふ 特別の事情にて 生計(くらし)に困って居る向にて 此の数 千32戸、男 千9百18人、女 千9百45人あり
 (3)は 露店(だしみせ)、呼売り、日雇などにて 天気が宜ければ稼ぎも出来れど 悪ければ忽ち困るといふが 7百66戸 男 千3百63人、女 千2百5人あり、 
 此の外 立坊(たちんぼう)、浮浪者(うろつきもの)、掃除(そうじ)濁溝浚(どぶさら)へ等の下等人夫、
 年が年中 今宮 長柄 辺の汚(むさ)くるしい木賃宿に 一畳二畳の間借生活をして居るもの、
 残飯、塵芥箱(ごみばこ)の中の廃棄物(すたりもの)等を貰ったり拾ったりして生命(いのち)を繋ぎ 自ら炊事をしたことがない者、
 祭日(まつりび)や縁日に玩弄(おもちゃ)の風車などを売り、又 燐寸、塵紙などを御慈悲に買うて貰うて生活せる者等
 4百97戸 千3百55人を合すれば〆て 4千9百61戸 1万6千4百91人といふ夥しき数となる、
 ざつと百人に一人は食ふや食はずの貧乏人がある勘定なり