1911(明治44)年6月4日 大阪朝日新聞
博士と警務長の富田(とんだ)部落視察
内務省の命を受けて貧民部落を視察中 大阪、神戸を終って京都に向かう途中 茨木富田村の貧民部落に向ふた小川(ママ)博士と共に 池上警務長は 3日午後零時半頃から出掛けて視察した
その談に「同所は 昔から随分と評判の悪いところで 180戸程の戸数があるが 前科者が180人許(ばか)りもあつた位で 中には5犯位のものも少なくのい(ママ)といふので 其の一斑が分かる、
ところが 茨木署の方から吉田巡査が駐在所詰めになつてから 随分と部内の改善に力を尽くし 毎月3回程はお寺に人を集め 色々講義して聞かせる 其の他色々の手段を講じたので 此の頃では 犯罪者は皆無の有様である、
何分 昔から排斥されていた処だから 貧民の窮状目も当てられず 市内難波木津辺の貧民部落と比べては ずつと上手で 草鞋が唯一の手仕事である、
全民の三分の一程は 月15銭位の家賃にて住ひ 小兒(こども)の如き大抵はトラホームに侵され居る始末、親達にしても営養(えいよう)不給のものが少くない、
処が彼等の従順なことは予想外で 小川博士の道徳の必要な旨説いた一時間余の講演に対しても熱心に聞き取り居たり
何分草鞋綯(わらじな)ひ位では到底(とて)も日々の生活も出来ぬので 今度 有志者が集まり 機織りをせしめる計画である」云々