1911(明治44)年6月23日 大阪毎日新聞
大阪市の貧兒
米価騰貴のため全国各地小学校児童の欠席又は退学するもの続出せるに対し 文部省にては 市町村費又は寄付金を以て 相応の救済法を執るべき旨 地方長官に通牒を発したるが 右に関し 大阪市及び接近郡村における状況を聞くに
▲東区 にては 目下調査中のこととて 未だ明瞭なる数字を知る能はざるも 清堀、玉造、東平野の各学校に於いて 著しく欠席生の増加する模様あり 南大江、中大江両小学校も亦漸次欠席生の多きを加ふる傾向あり
▲西区 は三軒家、九条方面の如き工場地にして 児童を工業に従事せしむれば直に幾許かの工賃を得べき地方の学校にありては 米価騰貴の影響として盛に児童を欠席せしむるの傾向あり 九条第二小学校の如きは 一千余人の在学生徒数中百人内外の欠席生を出すに至れり、九条第一、第三、第四及び木津川、市岡等の各小学校も亦欠席生徒増加の兆候ありと
▲南区 も一般に欠席生増加の兆候あるは争ふべからざるのみならず 中にも天王寺部内の如き第一、第二、第四小学校の如き 下寺町方面の貧民窟を有せる学校にては 総数の二割強、即ち一千余名に対し二百余名の欠席生あり 例月に比して百数十名の増加を見たるは 慥かに米価騰貴の結果に外ならず 第一、第二恵美小学校の如き 亦著しき増加を示したるが 第二恵美小学校は 夕日橋筋の六道の辻と称する貧民部落を有せることとて 特に増加する模様あり 難波方面も亦漸く多からんとするものの如し
▲北区 は未だ調査上に数字の影響を現さず 5月末日における出席歩合は 百に対し九十八にして例月に異ならざるも 6月に入りて 稍出席数の減少し来れる傾向あり
▲市接近郡 即ち西成、東成両郡について見るに 毫も例月と異ならず 唯市部と最密接せる村落において稍注意すべき傾向あるのみ
以上の外 府下七郡の状況も恐らくは大差なかるべしと観測せられ居りて 実際の貧兒は 市部に存在せる有様なるが 之に関し 府当局者は至急に調査を開始して 一日も早く何等かの救済をなすべく 市理事者も亦左の事項につき直ちに調査を開始する筈なりと
(1)欠席児童の事実調査 (2)米価の高低と欠席児童増減に関する既往の事実 (3)欠席児に対する救済方法