宗了庵

 茶人宗了旧居の遺跡は十萬堂の南隣にある。宗了一日雲州不昧侯住吉参詣の帰途を此の庵に待ち受けて茶を献じた。偶々床に寒菊がいけてあつたので、不昧侯は其の花の趣きを非常に愛でられ、之れを所望された、宗了は直ぐ其儘に献じた所が侯は大に喜び、何か望む所があらば遠慮なく取らせると曰はれたので、宗了は「茶室を建築しようと思ひますが、種々工夫しても良い思案が付きません、若し然るべき教へを給はらば非常の仕合に存じます」と答へた、侯は「承知いたした」と快諾され、江戸へ還られてのち、専門の工匠に命じ案を作らしめ、其れによりて茶室が建てられた、それが宗了庵だと云ふことである。不昧侯の筆になる蕪青の画がその水屋の上の引違ひの襖に今も残つている。目下其庵は安土町木原氏の所有に帰して居る。(今宮町志)

(参考:雲州不昧侯=松平 治郷(まつだいら はるさと)は、出雲松江藩の第7代藩主。江戸時代の代表的茶人の一人で、号は不昧(ふまい)。)