猫 塚

 猫塚は町の東北部今池にある(阪堺線今池停留所東北約一丁、天下茶屋天王寺線の側)以前は天王寺村の北部(今の公園の処)にあつたのを第五回博覧会開設準備のために、現今の処に移したものであると言はれている。(後文参照)碑石は青石で高約六尺横約四尺で、形体は三味線の胴を模擬したものである。碑面には行書にて「猫塚」と刻し尚「浪華易堂書年七十五」と署してある、又稗の裏面には「残さはやちりし櫻のその匂ひ」「明治34年7月建室上小三郎」と刻してある。

近松巣林子の碑が明治34年6月天王寺塚原より此に移転されたること、並に猫塚が同34年7月即ち巣林子石碑の移転と略々時を同うして建てられたこと等を綜合するときは、此の猫塚は巣林子の石碑の移転を機として建てられたものと見るのが至當である。

尚此の猫塚が何のために建てられたかといふ疑問に対しては本邦戯曲界の第一人者近松の石碑により想起した義太夫三味線の胴皮の製作に対し犠牲となつた猫を憐み之れを憑弔する意味であらうと云ふことは石碑そのものの形体が三味線胴形なる点から推察されるのである。(今宮町志)