木津の墓
木津の墓は古来大阪の七ナ墓、即ち千日前、梅田、福島、天王寺、鵄田、東成郡榎並と同じく七墓の一に加へらわた場所で以前は塋域廣大であつたが、耕地整理の際縮小せられ現在の塋域となり、殆んど荒廃に傾きつつあつたのを、耕地整理組合幹部の有志が相集り、慈善家の寄附を募り、其醵金を以て地蔵堂の修繕其他道路に面した場所に煉瓦塀を廻し、入口には鐵門を設け、併せて墓守の居宅を建設し、以て今日の状態に整理したものである。(今宮町志)