十三間川
十三間川も久しい間名所の一つであつた、此川は今より226年以前即ち元禄11年の開鑿に係るもので、當時の設計によれば、長四十四町、幅十三間、木津村の西に起り、木津川の水を引き、堺の北に於て海に注がしめる目的を以て工事を始めたのである。
此の川の設計は有名なる治水家河村瑞軒であると伝えられて居る。瑞軒が安治川を開鑿して、北大阪の氾濫の害を排除したのは、貞享元年二月であるから、此の十三間川の開鑿は其それから十四年の後に當つてゐる。しかし瑞軒は、元禄十三年に八十三歳の高齢で世を去つて居るから、自ら工事を督する如き事は恐らく爲し得なかつたであらうが、大阪と瑞軒との深い關係を考へるときは、此の開鑿設計の相談に関与したと云ふことも勿論否定し去られないのである。
本川は曾て新堀とも云はれたことがあり、毎年3月3日住吉濱の大汐干狩りには大阪の遊客が多数の楼船を浮かべて一日の興を尽くしたと云ふから、川幅も勿論廣かつたらうが、今は僅かに其跡を止むるに過ぎない泥溝と言つた有様であるのは惜しいことだ。唯南大阪の郊外に於ける唯一の運河として、従来利用されていたことは設計者努力の賜として永く記憶するに足るものであることを深く信ずると同時に、若し改修によりて更に多く活用することが出来れば、南大阪の発展には定めて良い効果をもたらすであろう。少くとも歴史的の運河としての俤(おもかげ)を完全に保存する価値のあるものだと思はれる。
(西成区史所収)