浄安寺
橘通二丁目に在る。大正七年十二月南区鍛冶屋町より此の地に移転したのである。
本寺は天正三年和泉国大鳥郡堺大小路に於いて始めて建立せられ、文禄四年本山より免許あり、東峯山浄安寺と号す、慶長三年西成郡大阪船場安土町三丁目に移り、享保十一年火災に罹り、鍛冶屋町に移転、明治十三年島之内の大火に遇ひて建物一切を焼失した。その後四十年間を假建築で経過したが本堂新築に際し敷地狭隘のため現地に移転して来たのである。本尊は阿弥陀如来、宗旨は真宗大谷派に属し開基は豊後国臼杵城主稻葉能登守河野四郎通信薙髪して善意坊了誓と称し、一寺を建立したのである。