萩之茶屋

南北両店に分れ、本店は北の方で廣田神社の前にあつたと云ふことである。南北両店の園内に栽えられた胡枝花(こしか=ハギ)が秋になると乱れ咲くので、堺への往還や住吉詣の人々は此の茶屋に立寄つて休憩し、眺を恣(ほしいまま)にしたものである。

伝ふる所によれば、淡路西浦の八太夫と云ふ人が何時の頃にか大阪に来て此の茶屋を始めたもので、當時は藁屋であつたのを、寛政七年の頃鳩池家の未亡人が瓦屋を建てて之れを與へたと云ふことである、汽車の未だ通じない時までは、此の茶屋も相當に繁昌して名所の一であつたが一たび鉄道が敷かれてからは、旅客が悉くそれに依ることとなり、此の茶屋も寂しくなり遂に名のみを残して、茶屋の影を失つて了つた。(今宮町志)