2 労働者の実態

(1) 労働者人口

地区労働者の大部分は日雇で、地区推定人口、約4万1,000人のうち、約1万7.000人(41.5パーセント)を占めていると推定され、日雇労働では我が国最大の労働市場を形成している。

地区労働者の実数については、治安上はもとより行政機関が地区対策をすすめるうえからも、高い関心が持たれているが、日雇労働者の多くは単身で、生活が常に流動的であるため、的確な把握は困難な状況にある。なお、現象面においては、季節的な変動がみられ、年間を通じ最も増加するのは、いわゆる“里帰り現象”を呈する盆と正月で、この時期の労働者は約2万人にのぼると推定されている。

また、最も減少するのは、いわゆる“出かせぎ現象”を呈する1月下旬から2月までと、11月から12月中旬の間で、この時期には約1万4,000人に減少するものと推定される。

地区労働者の年齢及び出身地等についてもその把握は困難であるが、警察、関係行政機関等での取扱結果から推定すると、男子が、99パーセント以上を占め、年齢では、40代が最も多く、次いで50代、30代の順になつており、年々高齢化傾向を示している。

また、出身地は全国各地にまたがつているが、九州出身者が最も多く、次いで近畿、四国、中国、中部、関東、東北、北海道の順となるものとみられる。

(2) 生活態度等

地区労働者の生活態度は、労働者の意識変化や、関係機関等の啓発などによつて幾分自活化の傾向が強まつている。

しかし、将来の生活設計を立てて計画消費するまでには至らず、金を手にすると、飲酒、遊興、と博等によつてせつな的に浪費する傾向が依然として強く、これが飲酒に伴う野宿や疾病の原因ともなつている。

また、全然働かないで生活する不良者・浮浪者グループが依然として1,OOO人前後存在すると推定されている。

 なお、労働者の生活面では次のような傾向が見られる。 

ア 日雇労働求職者給付金制度の活用

 求職者給付金制度は、労働者の生活に切り離せないものとなつている。日雇労働被保険者手帳所持者は、次表のとおり、昭和56年末現在の交付数累計は4万6,607人となつたが、不更新数が新規交付数を上回ったため、前年に比べ有効手帳数は減少した。

日雇労働被保険者手帳所持者数
区分 新規交付数 交付数累計 有効手帳数
年次 (人) (人) (人)
52年 3,102 37,803 15,365
53年 2,467 40,270 15,235
54年 2,286 42,556 15,805
55年 2,230 44,786 16,154
56年 1,821 46,607 15,191

 日雇労働被保険者手帳所持者(被保険者)が就労できないときは、1日4,100円(昭和53年5月改正)の求職者給付金(いわゆる「アブレ手当」)が支給されており、昭和56年中の受給者数は、延べ110万8,018人で前年に比べ、約10万人減少した。(別表第6参照)

    別表第6            求職者給付金(アブレ手当)受給状況          
    1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
55年 受給者(人) 108,609 93,080 85,093 106,093 114,008 105,277 108,792 121,459 92,114 89,412 86,610 93,193 1,203,740
1日平均(人) 4,722 3,878 3,404 4,244 4,560 4,211 4,029 4,672 3,838 3,439 3,766 3,584 4,026
56年 受給者(人) 105,966 90,076 78,671 102,565 98,366 100,848 94,539 108,543 81,082 84,039 76,814 86,509 1,108,018
1日平均(人) 4,607 3,916 3,147 4,107 4,099 3,879 3,501 4,175 3,378 3,232 3,339 3,327 3,706

 この制度の実施前には、長雨や年末等の求人減が原因となつて過去3回にわたり騒動の発生を見たが、実施後は求人が減少する時期における労働者の生活の支えともなつて定着化している。 

イ 福利厚生資金(一時金)制度の定着化

 日雇労働被保険者手帳所持者に対し、西成労働福祉センターが窓口となって、昭和46年から毎年2回(夏期、冬期)福利厚生資金を支給しているが、労働者の盆・正月の生活資金の一部として効用を高めている。(別表第5参照)

別表第5    一時金支給状況   (単位:円)
    夏季 冬季
52年 支給人員 14,724 14,780
1人当り支給額 5,300 7,100
総支給額 78,037,200 104,938,000
53年 支給人員 14,750 15,165
1人当り支給額 5,800 7,600
総支給額 85,550,000 115,254,000
54年 支給人員 14,899 15,486
1人当り支給額 6,300 8,100
総支給額 93,863,700 125,436,600
55年 支給人員 15,568 15,510
1人当り支給額 6,800 8,600
総支給額 105,862,400 133,386,000
56年 支給人員 14,574 14,737
1人当り支給額 7,400 9,200
総支給額 107,847,600 135,580,400
 

ウ 傷病手当制度の活用

 日雇労働者健康保険(昭和39年9月開始)の加入者累計は次表のとおり、増加しているものの有効手帳数は昭和53年以降減少し続けている。昭和56年中には6,531件の傷病手当金が支給され、傷病労働者の生活を支えた。

日雇労働者健康保険加入者数
区分 新規加入者 加入者累計 有効手帳数
年次 (人) (人) (人)
52年 2,974 34,400 13,482
53年 2,227 37,627 15,638
54年 1,998 39,625 15,250
55年 1,877 41,502 15,009
56年 1,575 43,077 14,514
 

エ あいりん銀行の利用状況

昭和37年10月、愛隣会館(現、市立更生相談所)に開設された「愛隣貯蓄組合」(通称「あいりん銀行」)の預金高は年々増加し、昭和54年末には開設以来最高の4億9,279万円に達したが、昭和55年末は4億9,043万円(54年末対比−236万円)昭和56年末も、4億7,940万円(55年末対比−1,103万円)で、わずかではあるが2年連続して減少した。

(3)不良労働者等の現状

と博常習者、不法行為追随者、常習泥酔者及び恐かつ等ぐ犯者(ひよう盗・仮睡者ねらい等を含む)など不良労働者及び浮浪者は、次表のとおり約1,OOO人と推定されるが、これらの者によつてひき起こされる事件はかなりにのぼり、重要な視察警戒対象となつている。

不良労働者等の概数
(昭和56年末現在)
種  別   人 数
と博常習者   約 400人
不法行為追随者   約 250人
常習泥酔者   約 100人
路上恐かつ等ぐ犯者   約 150人
浮浪者   約 100人
  約 1,00人

(4) 就労形態と就労状況

あいりん地区は、全国一の労働市場を形成している。これら、労働者の多くは、近畿一円はもとより、関東、中部、中国地方で稼働し、土木、建設工事に従事している。 

ア 就労形態

地区労働者は、年齢、技能の有無によつて就労形態も異なつているが、大別すると次表のとおりである。

イ 就労状況

昭和56年中の就労状況は、年度変わり(4月1日)を契機に労働福祉センターにおける早朝現金求人が激減したため、防犯コーナーをはじめ関係機関等の相談窓口に窮状を訴える労働者や顔付け求人(求人者が労働者を選り好みすること)に不満をもらす労働者が増加した。

しかし、7月以降求人情勢は、前年に及ばぬものの好転し、労働者の生活態度にも落ちつきが戻つた。 

(ア)職業安定所の紹介による就労状況

あいりん労働公共職業安定所の紹介による労働者(失業対策事業、民間事業)の就労は、1日平均488人と一時に比べ大幅に減少した。これは、失対事業就労者の新規登録停止、民間事業の合理化、省力化によつて単純労働の求人が減少したためと思われる。 

(イ)西成労働福祉センターのあつせんによる就労状況

西成労働福祉センターでは、主として地区労働者を建設、製造、運輸部門の事業所へあつせんしているが、製造部門がやや回復したものの、運輸部門の就労は、依然低調である。

昭和56年中の早朝(現金)就労数は、次表のとおり60万6,540人で前年に比べ15万2,643人(−20.1パーセント)減少しているが、前年に比べ増加した部門は製造業(十8.6パーセント)のみで、近年増加を続けた建設業も、遂に22.6パーセント減少し、運輸業は前年に引続き19.5パーセントの減少となつている。

 

(ウ)直行労働者の就労状況

左官、大工、とび職等の有技能者は、公的機関のあつせんに頼らず、常雇的形態で事業所へ直行就労しているものが多い。警察では、毎月1回直行労働者の実態を調査しているが、昭和56年中の1日平均就労数は4,254人で前年に比較して、101人の減少となつている。

なお、直行労働者の就労状況は、次表のとおりである。

(エ)期間雇用労働者の就労状況

期間を定め宿舎入りして稼働する期間雇用労働者は公的機関を経由しない求人(就労)が、かなりあるところから実態を的確に把握することは困難である。

しかしながら昭和56年中の状況は、西成労働福祉センターのあつせんによる期間雇用の求人状況からみて好調に推移したものと推測され、就労数は通常4,000〜6,000人と推定される。 

(5) 労働賃金

労働賃金は、作業内容や技能の有無等によつて格差があるが建設業の雑役、土木の場合、1日7,000円位で、前年に比べ約500円アツプしている。

なお、主な職種別賃金は、次表のとおりである。

  建設関係  
有 技 能 者 職 種 賃金(円) 雑役・手元等 職 種 賃金(円)
大 工 9,000 手 元 7,000
〜15,000 〜10,000
鉄筋工 7,000 土 工 6,000
〜12,000 〜10,000
とび職 9,000 雑 役 6,000
〜13,000 〜10,000
左 官 7,500      
〜13,000      
    製造関係  
有技能者 職 種 賃金(円) 雑役・手元等 職 種 賃金(円)
荷造こん包 6,000 工員手元 5,000
〜7,000 雑 役 〜8,500
レンガ手元 6,400 職人手元 9,000
スタンプ押 〜8,000
    運輸関係  
有技能者 職 種 賃金(円) 雑役・手元等 職 種 賃金(円)
大型運転手 9,000 助 手 6,000
〜15,000 〜8,000
普通運転手 7,500 積卸し 5,090
〜9,000 〜11,800
    雑 役 4,650
      〜5,200
港湾関係
職 種 賃金(円)
船 内 9,840〜10,940
沿 岸 12,640〜17,740
沿岸雑役 9,840〜12,040
 

第2 治安状況 

あいりん地区では、昭和48年6月以降、暴動の発生を見ることもなく平穏に推移している、その背景には、地域住民及び関係機関、団体の地道な努力の積み重ねや、警察の警戒活動、労働者に対する相談活動の強化等が相乗的な抑止効果を及ぽしているものと思われる。

しかしながら、依然としてあいりん地区では各種犯罪が多発している。

特に凶悪犯、粗暴犯の発生率は極めて高く、酒のうえでのさ細なけんかから、短絡的に刃物使用犯罪に及ぶケースがまだまだ多い。

また、地区を活動拠点として、多くの暴力団が勢力を競つているため、これらによる抗争事案の発生や善良な住民の被害が常に憂慮される情勢にある。

更に「釜日労」など、あいりん地区を活動の基盤とする極左系の各セクトは、地区を「革命の拠点」として、一部労働者の力を盾に暴動の機会をねらつており、その動向には十分な警戒を要する。 

1 犯罪発生検挙状況

(1)刑法犯

昭和56年中の犯罪発生状況は、次表のとおり西成区全域で増加している中で、地区内は約10・1パーセントの減少をみた。

しかし、西成区全域との対比でみると836件の発生件数は全域(3,380件)の24.7パーセント、747件の検挙件数は全域(2,678件)の27.9パーセントと相変わらず高率を占め、

罪種別発生状況の全域対比ではで

○ 凶悪犯(44.3パーセント)

○ 粗暴犯(71.6パーセント)

○ 風俗犯(76・5パーセント)

で、これらの罪種が特に高い比率を示しており、地区労働者の飲酒癖や、ギヤンブル癖、更には、短絡的な性格を表象している。

(2)特別法犯

地区の特殊性から、覚せい剤取締法違反、売春防止法違反及び銃砲刀剣類所持等取締法違反は、次表のとおり、他の地区に比べ高い検挙状況となつている。

(3)地区特有の犯罪

ア 路上における恐かつ等

路上において泥酔者等から金品を奪取する事案(世話抜き、仮睡者ねらい等を含む)を地区労働者はシノギと俗称し、犯人をシノギ屋と呼んでいる。このシノギ屋があいりんには60グループ、百数十人いるものと推定されるが、被害者が泥酔していて被害事実、犯人の特定が難かしい場合や、また、被害者は届出をしぶる場合があつて実態把握が困難である。 

イ 刃物使用事犯

地区労働者の中には、護身用として刃物を携帯する者が多く、これがしばしば刃物使用犯罪を引き起こす原因となつている。

なお、昭和56年中は、重点的な取締りを行い、銃刀法違反として45件を検挙した。 

ウ と博事犯、公営競技法違反(ノミ行為)

この種事犯は暴力団の資金源となるばかりではなく労働者を食い物にしているため、警察では常時継続的な取締りを行い昭和56年中は、と博事犯75件、ノミ行為4件を検挙した。

なお、この種事犯は通称三角公園(萩之茶屋南公園)・銀座通り(旧住吉街道)、あいりん総合センター周辺など労働者が多数俳徊又は通行する場所で発生している。 

工 暴力団犯罪

あいりん地区は、府下でも著しい暴力団汚染地域といわれ地区内において暴力団25団体、677人(全域31団体780人)が把握されている。このため、暴力団に関達する犯罪が少なくない。

昭知56年中の検挙状況は、次表のとおりである。

 

2 極左暴力集団の動向と不法事犯の検挙状況

(1)動向

ア 釜ケ崎日雇労働組合(釜日労)

釜日労は、昭和51年結成以来、あいりん地区における労働者の解放を標榜して団結を訴えるとともに、労働者の各種相談活動にからめて、求人業者に対する攻撃及び対行政、対権力闘争等を執拗に続けている。

昭和56年中の主たる活動は次のとおりである。

(ア) 昭和55年12月25日から始めた第11回越冬闘争を1月31日まで継続し、連夜地区内を俳徊する浮浪者、野宿者を集めて収容し、あるいは、行政機関に医療保護を要求する闘争をくり返した。

(イ) 3月以降は「賃金引上げ闘争」を打ち出し、5月中旬から4月末にかけて、神明工業、中山工務店及び元請業者等を攻撃目標に挙げ「求人単価を8,000円以上にせよ」「暴力手配師、暴力飯場追放」等をスローガンに、

○ 多数の労働者が集合するセンター寄場内での求人業者糾弾集会

○ 扇動による同調労働者を参加させての事業所への押しかけ

等、労働者を巻き込んだ求人業者攻撃をくり返した。

求人者側の多くは、このような攻撃の対象となることや、更に4月から、求人数が激減したことに伴ういわゆる無理乗りをおそれ、求人車両は殆んど寄場に近よらず、数少ない求人もセンター周辺の道路で行われるなど、就労事情に微妙な影響を与えた。

こうした面から求人業者に対しては、今後とも労働条件、労働者の処遇等について、関係機関等による指導を一層強化し、悪質な者は早期に把握し、適切に対処する必要がある。

(ウ) 第12回釜ケ崎メーデーには、約40人が参加して地区内をデモ行進した。

(エ) 第10回釜ケ崎夏祭りを、8月12日から15日までの4日間にわたり三角公園で行つたが、この夏祭りを暴動20周年と位置づけ、労働者をあおるとともに、最終日の盆踊り終了後、公園内で花火、爆竹等をうちならして気勢をあげた。しかし、多くの労働者は、騒ぎたてることもなく、平穏に終了した。

イ Iグループ

昭和55年4月「釜日労」委員長を解任されたIは、その後

○ 「釜ケ崎結核患者の会」

○ 「100円訴訟を闘う会」

○ 「釜ケ崎炊出しの会」

を闘争母体として活動していたが、

“真に釜ケ崎労働者のためになる第3の組合を作り、労働行政に対する闘争を強めていく必要がある。”として、昭和56年5月15日「釜ケ崎地域合同労働組合」を結成し「生きる権利、働く権利獲得」をスローガンに労働者を巻き込んだ対行政闘争を行つた。

昭和56年中の主たる活動は次のとおりである。

(ア) 「100円訴訟を闘う会」は、福利厚生資金の支給をめぐり、全港湾西成分会の行う天引きカンパを不当として、窓口である西成労働福祉センターを相手取り、昭和54年10月訴訟を提起して以来、取り下げ、再提訴などの経過を経て執拗な法廷闘争を続けて来たが、12月24日原告側の全面敗訴で終結した。

(イ) 炊き出しの会としては、困窮労働者救済名下に、萩之茶屋中公園において、朝、夕2回集まつた労働者等に雑炊を配つて食べさせており、とくに越冬期間中(年末12月25日〜2月28日)及び6月、7月は1日3回支給し、この時期には支給後、集団で市立更生相談所へ生活保護適用を申請する闘争を執拗にくり返した。

また、昭和55年12月25日以降3月末まで、同公園にテントを張つて、不法に占拠することを企図し、大阪市公園局の警告を無視して、連夜テント張り行為をくり返したうえ、市公園局に対する抗議、けん制あるいは、みずからの違法をたなあげした情報宣伝活動等を続けた。

(ウ) 釜合労としては、8月22日、革自連の中山千夏(参議院議員)と矢崎泰久の両名をあいりん地区に招き、簡易宿泊所、あいりん職業安定所等を案内した。このあと、両名を出席させ、萩之茶屋小学校講堂で開いた「生きぬくための大集会」には労働者約350人が参加した。

ウ 日中西成支部釜ケ崎班(日中釜班)

昭和53年5月から、あいりん総合センター寄場での壁新聞の掲出、ビラ配布等を行い、関係行政機関、業者等を中傷した情宣活動を続けた。

エ その他の極左暴力集団

あいりん地区には以上のほかにも、極左暴力集団やその同調者とみられる者等が多数存在し、ときには団結を呼びかけて、ビラを配布するなどの動きも見られるほか、地区外の団体とも連携し、離合集散をくり返しながら、公然、非公然活動を展開した。

(2)不法事犯の発生検挙状況

極左暴力集団が敢行した不法事犯は、次表のとおり4件発生し4人を検挙した。

(3)検挙事案の概要

○ 車の運転手に傷害を与えた釜日労メンバーの検挙

3月29日大阪市阿倍野区内において、車の通行をめぐつて運転手と喧嘩口論となり、鉄棒等で殴打し傷害を負わせた。

○ 労働者に暴行を加えたIメンバーの検挙

4月2日地区内萩之茶屋中公園の炊き出し現場において、労働者と喧嘩口論し顔面を殴打するなどの暴行を加えた。

○ 軽犯罪法違反によるIメンバーの検挙

8月17日地区内のテレビカメラの支柱に“生きぬくための大集会”のポスターを貼りつけた。

○ 市立更生相談所職員に対する釜日労メンバーの傷害事案の発生

12月25日市更相内において、退去要求をうけて実力で排除されようとしたことに憤激し、所持していたバインダーで殴打し傷害を負わせた(昭和57年1月26日検挙)。 

3 い集事案の発生状況

い集事案の発生状況は、次表のとおり、前年の38件から24件と大幅に減少した。原因別では火災によるものが6件と最も多く、その他警察官の職務執行を原因とするものが、前年の1件から3件に増加した。月別では現金求人が極端に落ち込み、就労事情に不安のあつた1月、4月、7月に4〜5件と多発した。

こうした状況から、労働者が心理的不安をきたす時期、あるいは精神的に不安定な状態になつたときには、治安面でも問題が多く、事案の措置にあたつては十分な配意を必要とすることが痛感された。

なお、地区内では喧嘩、口論及び火災・交通事故等をきつかけとして飲酒俳徊する労働者等瞬時にい集し、加えてこれをあおる極左暴力集団の動きと相俟つて、群衆心理に影響されやすい労働者等によつて、騒動に発展する危険性が極めて高いところから、これらの事案の早期発見と適切な原因の除去に努めている。

4 保護活動の状況

昭和56年中に保護した者は、次表のとおり676人で前年に比べ151人増加した。あいりん地区においては、酒の上の喧嘩、口論、路上ゴロ寝による種々の被害、さらにはい集原因になるなど深酒が諸悪の根源となつている実情に鑑み、6月からあいりんクリーン作戦を展開し「深酒慎しみ運動」を一つの柱とした、広報活動を実施するとともに1日2回パトカー2台によつて「要保護者保護パトロール」を展開するなど、泥酔者保護を従来以上に積極化した結果、泥酔者の保護が前年よりも167人(44.7パーセント)増加し、これが要保護者数の増加につながつたものである。

5 集団不法事案の未然防止状況

あいりん地区においては、次表のとおり過去21回の集団不法事案の発生をみているが、昭和48年6月以降暴動にいたる事案の発生はない。しかしながら56年中においても、集団不法事案の発生要因を内蔵する諸事案の発生はしばしばみられ、これらはその都度、住民の理解と協力、関係行政機関による諸施策の推進、さらには警察の警戒取締り等が相乗的に働いて、集団不法事案への発展を抑止し得たことにより、あいりん地区の平穏が確保されたものである。