5 防犯的にみた情勢
(1) 簡易宿所(ドヤ)の実態
ア 「ドヤ」の性格
この地区の「ドヤ」は、一時滞在の旅人を対象とした木賃宿が前身であるといわれているが、明治の末ごろから既に単身労働者が一時的滞在に利用する場所(居所)として、また世帯持ち、老齢者などが実質的にかれらの生活の本拠をおく場所(居所)として利用されていた。
さらに戦後は住宅難にあえぐ労働者(日雇、零細修繕業者)などの急増にともない、「ドヤ」は一層、居所、住所としての機能を強めるとともに、反面いわゆる流れ者の滞在も多くなり、前科者、ぐれん隊、街娼などの連絡所や隠れ家、たむろする場所としても利用されるようになった。
このように釜ケ崎のいわゆる「ドヤ」は、社会生活にやぶれた人たちがほそぼそと生きていくための生活の本拠であり、定職と定まった収入のない人たちの一時的滞在の場所であり、さらには売春、麻薬、暴力団、ぞう物犯等の犯罪関係者の隠れ家、あるいは活動の拠点である等、その性格はきわめて複雑多岐なものがある。
「ドヤ」のもつこのような性格が「釜ケ崎」の特殊性をかたちつくる「もと」になっており、この地域独特の反社会的風潮の恨本原因をなしていると考えられるのである。
イ 「ドヤ」の数
現在釜ケ崎地区には次表のとおり、18O軒(許可130軒、無許可50軒)の「ドヤ」があり、これに居住ないしは一時滞在する者の数はおおむね12,000〜13,000名ぐらいと推定される。
水崎地区には、48軒の「ドヤ」があるが、そのうち許可をえているのはわずかに3軒であり、無許可が45軒もあることは注目を要する問題である。なお、この地区の「ドヤ」はほとんど戦後新築されたもので、現在約2,000名ぐらいが居住ないしは滞在しているものと推定される。
ウ 「ドヤ」の形態
「ドヤ」の形態は、両地区とも1室3畳、定員2名の小間式(標準型)と、2段ベッドの蚕棚式、多人数雑居の大部屋式の三つであるが、標準型が大部分であり、蚕棚式のものはきわめて少ない。
無許可の「ドヤ」はおおむね許可をうけた「ドヤ」に類似したものが多い。「ドヤ」の宿賃は西成宿屋旅館相互組合に加入しているもの及び水崎地区の標準型「ドヤ」は、1人1泊80円〜100円のものが多く、両地区とも大部屋式のもの又は無許可のものの中には50円〜60円ぐらいのものもあるが、いずれも日払いが原則である。
「ドヤ」の客室数は次表のとおりである。
エ 「ドヤ」の居住者
「ドヤ」の利用者層全体の傾向を知るために、昭和34年8月大阪社会学研究会の調査、及び昭和35年6月30日現在で調査した大阪市衛生局の資料を引用すると次の通りである。
(ア)年齢別・・・・・(大阪市衛生局) 調査対象68軒(3,678名)
右の表によると、20年未満の者はわずかに2%であり……女の利用者は、男の約5分の1にすぎない。したがって「ドヤ」の住民はそのほとんどが20才以上の男性によって占められているということができる。
(イ)職業別・・・・・(大阪社会学研究会調) 調査対象39軒(1,864名)
左の表によって居住者を職業別にみると、行商人、露店商、くつみがき、かさ修繕業など零細ながら独立自営商人及び名目だけの会社員、工員、店員、運転手など、一応安定した職にあるとみられる者が約40%であり、職安及びいわゆるヤミ手配師を通じて就労している自由労務者が約34%をしめている。これら一応労働によって収入を得ている人たち以外に約26%の者が、売春、麻薬、暴力団、立ちん坊(ぞう品買い)、競輪、パチンコなどを“めし”のたねにしている無職者である。
もちろんこの表にあらわれた数字だけによって直ちに「ドヤ」居住者全体の職業別比率を推定することは危険であるが、約20〜30%ぐらいの犯罪関係者や反社会的な者が居住するとすれば、警察的にも大いに検討されるべき問題である。今回の事件にしてもこれらの者が中心になって扇動的役割を果たしたとみられ、「釜ケ崎」の悪が「ドヤ」からうまれ、「ドヤ」の悪がさらにこれらの者によってつくり出されているからである。
(ウ)滞在期間・・・・・(大阪社会学研究会調) 調査対象39軒(1,864名)
左の表によると、ひとり者で1年以上宿泊しているものが、26.5%もあり、1カ月以内の宿泊者が、43%で約半数に近く、1〜4泊の者は22.4%となっている。以上の点から、「ドヤ」は宿所にしては滞在期間が長く、居所というには短く、下宿やアパート的性格をもかねそなえた複雑なものであることがうかがわれる。
(エ)学歴・・・・・(大阪社会学研究会調) 調査対象 1,857名
旧制中学以上に学んだ学歴をもつ者が23%もあることは、やや意外におもえるが、これらの人は何らかのかたちで人生に敗北し、ここに流れつき、住みついたものと考えられる。
(2) 簡易アパートの実態
釜ケ崎地区の簡易アパートも、「ドヤ」同様この地域特有のものであり、実質的には「ドヤ」と何ら変らない状態である。分布状況は次表のとおりであるが、数的には「ドヤ」を上回っている。
この種のアパートは、権利金も不用であり、家賃も日払い(おおむね1日100円)のものが多く、利用者層も「ドヤ」と大差ないようである。
一方水崎地区のアパートは、同地区の無許可の簡易宿所と営業形態がよくにており、両者を区別することは困難である。
また、利用者の層も両者共通した点が多い。簡易アパートの家賃は1カ月にして大体3,000円〜3,500円というのが普通であるが、なかには700円台(2軒)のものもある。
(3) 仮設住宅の実態
釜ケ崎地区及び水崎地区内においては、南海電鉄ガード附近や都市計画道路並びに公園予定地、空地等にバラック建ての全くお粗末ないわゆる仮設住宅が多数ある。終戦直後はごくわずかのものに過ぎなかったが、いつのまにか増加して現在は釜ケ崎地区に160数戸、水崎地区に170戸ぐらいがい集し、極端な密集状態を呈している。この住宅のほとんどは直接地面に柱を建てて造ったものであり、100世帯に水道がわずかに2カ所、便所も数カ所しかない状態である。
家賃は、1カ月2,000円ぐらいが標準であり、3畳1間というのが普通であるが、なかにはさらに区切って間貸ししているものもある。居住者は家族持ちが多いため、居住年数は相当長く、2年未満のものは約20%ぐらいである。
居住者の職業は自由労務者を筆頭に工員、露店商などが多い。
(4) 旅館の実態
釜ケ崎地区に67軒、水崎地区に8軒の旅館があるが、その状況は左表のとおりである。
これらの旅館は、いわゆるつれ込み式のアベック専門のものが多く、設備も悪く低級なものが多い。したがって、一般客の宿泊は少なく、むしろぐれん隊や売春関係者に利用されている面が多いようである。宿泊料も次表のとおり、1人1泊300円というところが多く、客室も10室以下のものが多い。
(5) 浮浪者等の実態
ア 釜ケ崎地区の浮浪者は、次表のとおり、青空浮浪者162名(男148名、女14名)が8カ所に散在している。小屋掛け浮浪者は数年前までは5名ぐらいがはいかいしていたが、附近住民の苦情があって、小屋掛けは撤去され、現在は見当たらない。
イ 水崎地区の青空浮浪者は110名(男97名、女13名)と、小屋掛け浮浪者30名(いずれも男)が4カ所に散在している。
ウ 青空浮浪者の形態は、夏期は主として公園、空地等に集まっている。冬期が近ずくと、地下鉄、国鉄、私鉄の駅乗降□、待合所附近へと移動し、取締り収容が強化されると、阿倍野橋(阿倍野署)、天王寺公園(天王寺署)、通天閣附近(浪速署)へと移動している。
工 浮浪者の収容(厚生)施設は次のとおりである。
梅田厚生館 定員100名 現在員 65名 大阪市北区小深町
(ア)釜ケ崎地区
自彊館 定員427名 現在員400名 大阪市西成区西今船町
西成寮(単身男子) 定員400名 現在員250名 大阪市西成区松通7丁目
朝光寮(単身女子) 定員 70名 現在員70名 大阪市西成区松田町
四恩学園 定員50名 現在員46名 大阪市西成区東入船町
(イ) 水崎地区
塩草寮(単身男子〕 定員85名 現在員85名 大阪市浪速区塩草町
高野山寮(単身男子) 定員75名 現在員80名 大阪市浪速区塩草町
さかえ寮 定員100名 現在員64名 大阪市浪速区栄町6
現在(夏季)これらの施設には収容能力に余力があるが、冬期になると定員を超過する状況である。梅田厚生館の例によると収容しても病弱者、老衰者、幼児でない限り他の施設へ送ることができないので、半日ぐらい(1回分の食事給与)で放還することになっている。また帰郷旅費(切符を購入して与える)を支給して汽車に乗せても途中下車して舞い戻ってくるものなど悪循環をくり返しているのが現状である。
オ 以上のようなはっきりした浮浪者のほかに、西成署管内にある6軒の寄せ屋(再生資源回収業)に寄宿して、くず拾いをしているものが相当数あるが、これらは潜在浮浪者としての要素をもっており、生来の精神的障害、怠惰癖、逃避癖等から、ちょっとしたことで青空浮浪者に転落する危険な要素を多分に内蔵しているものもある。
カ 浮浪者ではないが、都市計画道路、公園予定地、他人所有の空地等を不法占拠して仮設のバラックを建て群居しているものが、釜ケ崎地区で4カ所、164戸、572名、水崎地区で2カ所、270戸、1,400名ある。
これら仮設バラックの居住者はほとんどが家族持ちであり、かつ一応安定した職業をもっているのであるが、底辺層にあえぐ一部のものは、青空浮浪者と同様、その放浪癖から、くず拾い、こじき等一定の職をもたず、漫然と浮浪者的生活を続けているものもある。
キ また、平素は簡易宿等に仮泊しているものでも、生来の怠惰癖や遊興癖から働く意欲をなくしたとき、あるいは家出人等で所持金を使いはたし、一時的に青空浮浪者に転落しているものも時おり見受けられる。
(6) 泥酔者、行路病人、自殺者(含未遂)の実態
ア 泥酔者
釜ケ崎地区および水崎地区における泥酔者で保護収容された者は、昭和35年7月1日から昭和36年6月末まで781名(釜ケ崎581名 水崎200名)であるが、飲酒のうえよっばらって派出所その他で取り扱った泥酔者は概数4,000名に達している。
保護室に収容された泥酔者の態様をみると、曜日別ではやはり土曜日、日曜日が最も多く、日別では1日、15日、16日、月末がさすがに多い。
時間別では午後7時ごろから増加し午後11時12時に頂点に達し、午前3時ごろまで保護措置を必要とするものがみられる。
この地域では職にありつけなかったもの、臨時収入の多かったものなどが、朝からバクダン焼酎(コップ一ぱい20円〜25円)を飲酒するものが多く、昼でも泥酔のうえ諸所をはいかいするなど、他の地域ではみられない状況を現出している。発見時の状況としては、けんか口論していたもの(20%)、因縁をつけからみついていたもの(20%)、無銭飲食、無賃乗車したもの(15%)、暴行、傷害などを行なっていたもの(10%)、など粗暴な行動により発見されているものが多い。
年令別では、20才台が30%、30才台が40%、40才台が20%、50才以上が10%となっている。
イ 行路病人
釜ケ崎地区および水崎地区における行路病人は、昭和35年7月1日から昭和36年6月末日までに446名(釜ケ崎395名、水崎51名)を取り扱っているが、老衰または病気により行き倒れるものはきわめて少なく、大半は生来の怠惰癖から飲酒のうえ諸所をはいかいし、身体的な欠陥から行き倒れとなり、収容されるものである。このようにこの地域に居住し再起する力のない者のみじめな姿、すなわちスラム街特有の様相がここに露呈されている。
そのほか負傷等をしても治療費がなく、やむなく行路病人として取り扱われるものも見受けられる。
ウ 自殺者(含未遂)
釜ケ崎地区および水崎地区における自殺者の数、昭和35年7月1日から昭和36年6月末までの1力年間に302名(釜ケ崎263名、水崎39名)で、服毒の手段による自殺者が全体の約70%をしめ、自殺の原因としてはえん世、病苦によるものがほとんどある。ここ数年来の特異な事例としては、昭和29年2月6日午前8時ごろ西成区東田町57番地
京屋旅館で
和歌山県新宮市の土工
下○ 敏 ○(23年)
妻 み○子(22年)
が、布団の中で抱き合い腹部にダイナマイトを挾んで点火し爆死したもの、および、昭和36年8月8日午後11時50分ごろ西成区東入船町13番地福助旅館で
奈良県大和下市の土工
伊 ○ 博(34年)
が、ダイナマイト自殺を図り、両眼失明、右手首ざ滅の重傷を負った自殺未遂事案などがあった。