128-衆-政治改革に関する調査特…-16号 平成05年11月12日

 

平成五年十一月十二日(金曜日)

    午前十一時一分開議

 

 

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本日の会議に付した案件

 公職選挙法の一部を改正する法律案(内閣提出第一号)

 衆議院議員選挙区画定審議会設置法案(内閣提出第二号)

 政治資金規正法の一部を改正する法律案(内閣提出第三号)

 政党助成法案(内閣提出第四号)

 公職選挙法の一部を改正する法律案(河野洋平君外十七名提出、衆法第三号)

 衆議院議員小選挙区画定等委員会設置法案(河野洋平君外十七名提出、衆法第四号)

 政治資金規正法の一部を改正する法律案(河野洋平君外十七名提出、衆法第五号)

 政治腐敗を防止するための公職選挙法及び政治資金規正法の一部を改正する法律案(河野洋平君外十七名提出、衆法第六号)

 政党助成法案(河野洋平君外十七名提出、衆法第七号)

 派遣委員からの報告聴取

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○松本義廣君 松本でございます。機会をいただきましたから、私なりの意見を申し上げます。

 十一月六日の静岡新聞朝刊に「死に物狂いで成立に向け努力」の小見出しのもとに、政治改革に関した記事が掲載されておりました。その内容は「細川首相は五日夜、都内で開かれた日本新党と友好団体との懇親会で、政治改革法案について「何としても成立させなければならない。死に物狂いで成立に向け努力している。いろいろ曲折があると思うが、全力を尽くしたい」と決意表明した。」友好団体を代表して○○会議議長は「政治改革を乗り越えなければ連立政権は雲散霧消する。しっかり手を結んでいかなければならない」と述べ、連立与党間の結束を求めた、とありました。

 私はこの記事を読んで、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではありませんが、心底情けなくなりました。自民党の党内改革から発祥したように記憶しておりますけれども、およそ政治改革のうねりが起きて以来、その必要性についてはいろいろ説明されておりますけれども、その精神を一言で言えば、国家国民のために行うということであろうかと存じます。だからこそ国民の大半も、これを是として今日まで参ったと思います。

 しかるに、首相出席の場での、政治改革を乗り越えなければ連立政権は雲散霧消する、だから政治改革を仕上げろとの発言の趣旨は、いかなる思考から出たものなのでありましょうか。連立政権などは雲散霧消しても構わないから、国家国民のために政治改革をなし遂げなければならない、それ以外にあるのでしょうか。発言の誤りを祈るばかりでありますが、私はそこに、政治家と政党の命とも言える政策が違おうと連立し、あるいは何をしてでも数を頼りに政権の獲得をという、まさに権力志向をこの目で見た思いがいたしました。

 このような情けない事態を見るにつけ、当初から私が漠然と感じていた、政治改革が政争の具にされている不安が明確になってまいりました。およそ、我が国の憲法をも含め、人間のつくり上げた法律から規則、規約に至るまで、恒久の歴史に耐えるものはないと思います。まして、第二次大戦後半世紀になんなんとする現下の内外における情勢の変化を前にして、国家国民のよりよき姿を求め、なおかつ、宇宙船地球号の乗組員として国際社会に貢献せんとすれば、政治改革を含めたあらゆる改革は当然に必要でありましょう。

 では、改革を実行するとなれば、何からというプライオリティーの問題と、どのようにというハウツーの論議の前に、その改革を図り、議論し、決定権を有する人々に必要な要素は、国を思う純粋な精神であり、絶対に堅持していてほしいものは、公正無私の姿勢と公正不偏な見識であります。いやしくも、党利党略で争ったり、我田引水の思惑から改革の内容とその是非を論ずるようなことは、みじんもあってはならないと思います。翻って現状を眺めれば、我が身にとって有利だから改革、改革と叫ぶ、そんな風潮を感じ、大変に心配をいたしております。

 わずかばかり前から、中選挙区制は欠陥が多い、サービス合戦の結果金もかかる、政策による選挙ができない、それより小選挙区制がよい、それは将来的に政権交代可能な二大政党制への移行を促す、そのことが我が国の将来にとって有益である、このようなテーゼが大手を振って歩き始めました。そして、それに反対していた政党でさえ、そのテーゼに近いところの政権与党となっておるのが現状であります。

 では、二大政党制の国家とはどんなものかと思い浮かべますと、凡庸な私に限ったことかもしれませんが、アメリカ合衆国とイギリスが真っ先に思い浮かびます。その二つの国はすぐれた先進国であることには違いありませんけれども、文化と意識の違いもあり、将来における日本のあるべき姿の理想とも思えません。

 回復基調にあるとのことでほっといたしておりますけれども、アメリカはここ十年ほど、いわゆる三重赤字に悩んでおり、産業の空洞化、失業問題、ホームレス、治安の問題等々は周知の事実であります。長い間イギリス病で悩んだかの国は、皮肉にも事実上二大政党が消滅して、保守党の単独長期政権のもとで国力を回復してまいりました。二大政党制の国家についても、実例は厳しいものがあると思います。小選挙区制に関しましても、イタリア、韓国などでは、その弊害が大きくて、廃止の機運が高まっていると仄聞いたしております。

 そのような事実もありながら、国民みずからの将来につながる政治改革の是非と選択にかかわる重要な判断を、我々国民自身が投票という行為で下さねばならぬときに、二大政党制に関してはもとより、文字どおり国の行く末を左右する選挙制度の全体像についても、だれだれはお国がえになるとかの、私に言わせれば枝葉末節の情報は洪水のように流れても、国民が厳正な判断をするためになくてはならない情報は、果たして今日まで十分だったのでありましょうか。仮に、国会は十分なる調査研究の上で、我が国にとって得るところ大であるとして現在に至っているとすれば、私なりにいささかの疑問が生じます。

 およそ、いかなる制度改革においても、それ以前の制度に比較して、すべての面で全く、ことごとくすぐれていることはあり得ないと存じます。例えて申し上げれば、この点は国民の負担が増して、そういう大きな欠点があるけれども、全体としてはよくなるから、これは皆さんぜひ取り組むべきだ、そういうような次第であります。

 だとするならば、なぜ新たな制度の利害得失を国民に十分に知らせなくてもよしとするのでしょうか。それとも、既に十分に知らされたとお考えでしょうか。それこそ政治改革といえば、だれが推進派で、だれだれは守旧派、あるいは、ひどいのは、何党は何議席になってしまうというような過剰なほどの報道をしているマスコミに、先ほど申し上げた点はどうしてほとんど登場しないのでありましょうか。それとも私だけがそのことを知らないのでありましょうか。寡聞にして知りません。不思議なことであります。

 私は、変化とか改革に反対するものでは決してありません。むしろ、新たなる社会の実現、特に政治の変化というよりも進化には、その前向きさにおいて人後に落ちないつもりであります。もっとも私自身は、将来の日本を考えますときに、政治改革イコール選挙制度改革となってしまっている現在の現状を憂えておりますし、改革のプライオリティーにおいては行財政改革が、わけても小さな政府の実現と税制改革が、より重要度の高い事柄と考えてはおります。

 しかし、選挙制度改革も重要であることには違いありません。それゆえに国会は、小選挙区比例代表並立制が及ぼす将来の日本への正と負の影響について、質、量ともに充実した調査研究をされ、論議を尽くし、その経過と結果を広く国民に伝えたのか、つまり、くどいようですが、具体的なメニューを国民に既に提示されたとお考えなのか伺いたいと思います。そして、マクロ的視野でとらえた場合、現在よりもよりよき国家となり、よりよき生活を国民が享受できるのか、理論的証明を国民の前になす義務があるとも考えます。

 当然なこととして、政治は政治のために存在するのではございませんから、政治そのものの制度はすっきりしたけれども、その政権交代とか政治的な動きの過程で経済が疲弊し、よって国力の低下を招き、国民が困窮するような事態を招くようなことが絶対にあってはならないとも思います。この点は、特に大丈夫なのか伺いたいと存じます。

 また、将来におきまして、危機に対する管理能力と対応能力を持つ国家として云々も一連の政治改革の動きの中でよく耳目にいたしますけれども、その政治信条をお持ちになっていらっしゃる方々が現政府の枢要な勢力を占めていることを見ますと、現在の国政の大問題である経済不況をどう考えて、どうとらえているのか、お聞きしたいと思います。

 私は、現在の経済不況は、手をこまねいていたり、対策に政官民が全力を挙げて取り組むことにちゅうちょしていれば、恐慌にもなりかねない要素を持っているものと考えています。それこそ国家の危機的状況が生ずる危険を感じます。今まさにクライシスコントロールが我が国に必要とされているのではないかとも思います。

 仮に政治改革が六カ月程度おくれても、ロングレンジで眺めれば許容の範囲と考えますが、景気対策はそうはいきません。この際、与野党で政治休戦を申し合わせ、政治改革は期限を定めて棚上げし、景気対策一本やりで経済の回復を図るときなのではないでしょうか。そのような精神と現実に即した実行力こそ、国民が政治に求めているものではないかと愚考いたします。政治家はパフォーマーでも評論家でもありませんから、答えを出さねばなりません。政府は、その責任において、有効な対策を実施し、景気回復を図る義務を国民に対して負っているはずであります。

 次に、去る七月の総選挙は、まさに政治改革、特に有権者にとっては選挙制度改革を一大テーマとして争われた選挙だったと思います。その意味するところは、今日までの汚辱にまみれた政治の一部、特に腐敗の横行する選挙の根絶を目的としたものと、私はとらえています。

 実は私自身も県会議員の職にありまして、選挙に関することについて意見を申し上げることは内心じくじたるものもありますし、多少恥ずかしくもありますが、あえて意見を申し上げます。

 言うまでもなく、我が国は法治国家であり、あらゆる事象の究極の判断は法によっており、法を犯した結果としての罪の軽い、重いの違いはあっても、法を犯した場合、法を破ったという点では全くイコールであります。選挙に関して言えば、金銭、物品による買収と文書違反とは、法律上五十歩百歩の問題とも言えます。

 しかし、我々の人間社会にはいま一つの判断基準があります。いわゆる道義的責任であります。道義的には、買収と文書違反には越えがたい違いがあります。その道義的責任の所在を明確にできることが政治家の重要な資格であり、反面、この意識の欠如こそが現在の政治への不信をもたらしている原因とも考えます。

 数々の不祥事によって国民が政治に愛想を尽かし、特に道義的責任をとれない、あるいはとらせられない欠陥が、私も自民党員でありますけれども、我が自民党を含め存在しております。ほとんどの有権者がそれらを包括した政治構造に大なり小なり愛想を尽かした環境の中で行われたのが、さきの総選挙であります。

 しかも、あの選挙の当選人は、当然の帰結として、現在の国会で審議されている政治改革関連法案を審議する立場となる。当たり前の話ですが、それは選挙制度に加えて政治資金規制、つまりその精神において腐敗防止の法案を審議する立場になることは自明のことでありましたから、その法案の審議をする立法府の構成員たる議員になる経過の中で買収等を行っていたのでは、道義的責任上全くお話になりません。

 この際、みずからの陣営から金銭あるいは物品の買収によって逮捕者を出した政治家は、与野党を問わず、最大級の道義的責任をきちっととるべきであります。その行為こそが政治改革の根幹の精神であり、国民の政治に対する信頼を取り戻すまさに第一歩であると信じております。

 次に、小選挙区比例代表並立制に関しては、原点に立って考えてみますと、あえて参議院と類似の制度を持つ意味は何なのか。むしろ二院制度そのものを改革すべきかどうかの結論が先になされていなければ、現在の小選挙区比例並立制の論議はむなしいものではないかとも存じます。したがいまして、小選挙区と比例代表の定数と配分、そして比例の範囲にも普遍的な意義は、私自身見出せるか疑問に思っております。まして総数として五百人という定数案に関しては、ほとんどの地方議会が定数を削減している事実の前には、意味と意義を見出すことは困難であります。

 政治資金規正、政党助成法案に関しては、政治活動にかかわる金銭の透明性の確保とともに、政治家の政党に対するフリーハンドを担保することにも劣らないほど重要な要素であり、全体主義にも通じかねない手段はとるべきでないと存じますし、公費助成については、むしろ税制改革の中で取り扱い、個人、法人を問わず、その所得税の一定割合をその人格の自由裁量権にゆだね、選択肢の一つとして、支持する政党なり政治家に自由に献金できるシステムにすべきと考えます。

 大変雑駁でありましたが、以上でございます。ありがとうございました。