128-衆-規制緩和に関する特別委…-3号 平成05年10月27日

 

平成五年十月二十七日(水曜日)

    午前十時四分開議

        参  考  人

        (評 論 家) 屋山 太郎君

        (在宅介護研究会代表)    大川優美子君

        (筑波大学教授)宮尾 尊弘君

        (慶應義塾大学教授)     中条  潮君

        (旭リサーチセンター代表取締役社長)    鈴木 良男君

        (法政大学教授)角瀬 保雄君

        特別委員会第三

        調査室長    菅野 和美君

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本日の会議に付した案件

 規制緩和に関する件

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○角瀬参考人 法政大学の角瀬です。

 これまでの参考人の方々、それぞれの専門的な立場からかなり具体的な問題に突っ込まれて御意見を述べられたかと思います。

 私の専門とするところは会計規制論、つまりディスクロージャー論であります。この分野におきましては、国際的に見ましても、例えば国際会計基準であるとかBIS規制だとかそのような形で大変規制が強まってきております。一般の経済的規制論とは全く反対の方向に進んでおります。そして、その中で我が国は、国際的に見ますと大変規制がおくれているあるいは弱いと常々指摘されているところでありますが、本日は総論ということでありますので、そうした私の専門分野には立ち入らず、規制緩和問題についての私の基本的な見解を表明させていただきたいと思います。

 私は、市場経済を基調とする今日の経済体制のもとでは、企業の自立性が大前提となり、一般論としては政府の規制は極力避けるべきであると考えております。行き過ぎた政府規制は経済の活力をそぎ、経済の効率性に反するばかりでなく、資源の適正な配分、公平な分配、社会的公正などをゆがめるようになるからであります。

 と同時に、今日のように生産力が巨大に発展している状況のもとでは、自由放任な自由競争のままに任せることも、独占化を初めとするさまざまな社会的弊害を引き起こすことになることは明らかであり、公正で自由な競争の実現のために必要な規制は、直接的規制、間接的規制ともに行われなければならないと考えております。自由放任的な競争論を基礎とした、経済の効率性のみを一面的に強調する政府規制緩和論では、公正な取引と公正な社会の実現は不可能だろうと思います。

 したがって、私は、規制強化万能論あるいは規制緩和万能論のいずれにもくみするものではありません。経済理論でも、一般論としては、規制か市場による自由競争かの選択に普遍妥当性を持つ一義的な答えは存在しないとされています。したがって、現実的に考えるならば、競争も規制もともに必要なのであり、どのような競争かどのような規制がという、その内容が問題にされねばならないと考えます。

 歴史的に振り返ってみますと、十九世紀後半までのイギリスに典型的に見られましたように、企業活動に対する自由主義思想が支配していた時代がありましたが、二十世紀に入り、独占的な大企業、その支配が生まれてくるとともに、政府規制が社会から求められるようになりました。

 第二次大戦後、とりわけ八〇年代には先進国経済の低迷、財政赤字などから政府の失敗が問題とされ、アメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権は経済再生の切り札として規制緩和政策を進めてきましたが、いずれも失敗し、経済の再生は絵にかいたもちに終わったことは周知のところであります。規制緩和は決して景気回復、経済活性化の切り札となるものでないことは既に証明済みであります。そればかりではなく、アメリカ、イギリスでは、その結果、貧富の差が増大しホームレスが社会問題となっております。また、資本主義国から機械的に規制緩和政策を導入したポーランド、ロシアなどの旧社会主義国においても同様であります。

 日本においては、明治以来、政府による上からの保護育成によって経済の発展が図られ、政府規制が大きな役割を果たしてきました。しかし、今日では諸外国から日本株式会社と非難されるようになり、また国内では、ゼネコン汚職に見られますように、政官財の癒着、腐敗の構造が明らかとなっています。こうした中で、バブル崩壊後の長期経済不況の克服と対外経済摩擦の解消のため、規制緩和が万能薬のようにもてはやされているように思われます。

 不況については、規制があったから不況になったのでないことは余りにも明白です。目に余る企業の投機行為や過剰な設備投資そして円高、つまり市場の失敗が主な原因となって不況が引き起こされたのであります。むしろ、適切な規制が欠けていたことが問題とされなければならないと思います。したがって、規制緩和をすれば不況克服に役立つというのは、短絡的な考え方であろうと思います。対外経済摩擦については、日米構造協議などにおけるアメリカからの要求にこたえ、日本市場への参入規制を緩和することのみに目が向けられ、何ゆえに日本の貿易収支の大幅な黒字が生まれたのかという問題が見逃されております。

 ところで、我が国は、諸外国に比べ政府規制が網の目のように張りめぐらされ、経済活動の障害になっていると言われております。許認可などの政府規制はいずれもその制定当時にはそれなりのしかるべき理由があって設けられたはずでありますが、長い年月の経過する間に、社会の変化もあり、その必要性がなくなったにもかかわらずそのままにされ、官僚の権限、縄張り維持のためのものとなっていたり、あるいは業界の既得権益維持のためのものでしかなくなっているものも少なくないことは十分に推察できます。それらは市民生活の障害にはなっても、もはや国民の利益のためにはならないものです。したがって、そうしたいたずらな官僚的規制に対しては私も反対でありまして、そうした規制は廃止した方がいいと考えております。

 しかしながら、その一方、国民の利益になる、そのために必要な規制はとなりますと、現状では極めて不足していると言わなくてはなりません。例えば、これまでの独占禁止法は、企業集団、企業系列及び系列取引に対して有効に規制する力を持ちませんでした。そして、独占禁止法の番人とも言える公正取引委員会の活動も、最近でこそ活発になってきているように見えますが、これまでは極めて低調で、外からの圧力や問題の指摘があって初めて動くという実態にあったと言っても過言ではありません。したがって、独占禁止法の運用や公正取引委員会の監視体制をより強化することが必要となるのであります。こうした、国民生活を守る、国民のための民主的な規制は、諸外国と比べても極めて立ちおくれているように思います。その意味では、必要な企業規制を再び活性化することが必要であります。

 ゼネコン汚職で問題になりました使途不明金にしましても、以前から存在していたものであり、不正の温床として厳しく規制されなければならないものでありました。また、大企業の横暴から下請中小企業を守るための下請代金検査官、この数も大変小人数であります。さらには、長時間労働や過労死が国際的に問題になっている労働条件に関しましても、労働基準監督官は極めて少ない。労働者の生命と権利を守る上からも、規制をもっと強める必要があります。

 したがいまして、規制と競争は、あれかこれかという問題ではなく、経済的民主主義の立場からこれをどのように民主的に再編成すべきであるか、こういう問題だろうと思います。

 細川内閣の緊急経済対策に盛り込まれました規制緩和九十四項目の中身については、個々には賛成できるものもないわけではありません。しかし、基本的にはその重点は、製造、通信、運輸、金融など各分野の大企業の事業活動に焦点を合わせて、そこで大企業の自由の拡大を図るという、そうした規制緩和になっているように思います。それは、国民の景気回復の要求を規制緩和にすりかえ、国民の消費購買力を高めるというのではなく、逆の方向を示すものになっていると言わざるを得ません。

 今、具体的な例を一つ挙げてみますと、市場アクセスの改善、手続の簡素化ということがあります。日米構造協議でアメリカ側から強く主張された、食品の輸入に関する輸出国登録工場制度の導入であります。これは、一度工場を登録すれば、その工場で製造された食品は無検査で輸入できるという制度でございます。輸入検査手続の簡素化として打ち出されております。この国際化対応ということはアメリカの製品の輸入促進のためのものとしか思えません。食料品の輸入手続の時間の短縮によって海外から農薬づけの食料品がフリーパスで入ってくるようなことにでもなりますと、国民の食生活、健康を脅かしかねない事態となりかねません。

 そのほか、大店法の運用緩和、容積率の緩和等々、いずれも大企業の市場支配を強め競争を激化させている、中小企業の経営基盤を揺さぶることになると思われます。大企業に対する対抗力としての中小企業の存在は市場の機能を発揮させる活力になるもので、こうした点から公正な競争の確保のための政策が重要と言えます。

 細川首相の私的諮問機関、経済改革研究会は、さらに大企業寄りの抜本的な規制緩和要求を取りまとめようとしております。新聞で伝えられています。その内容については、経済分野では原則自由、経済的規制は全廃、社会的規制は、自己責任原則を確立する中で、必要最小限のものだけにとどめる、このように言われております。それから、金融、証券、保険関係の規制、また土地の開発利用、建築などの規制についても、市場原理を基本とした見直しが必要と言われております。

 つまり、規制はできるだけしない方向にしようということであると思います。いわゆる自己責任原則ということにつきましては、私はそれ自体については必ずしも反対ではありません。しかしながら、だからといって政府が無責任であっていいということにはなりません。

 経済的規制の二本の柱の一つ、参入規制につきましては、その廃止は経済を活性化するとよく言われますが、その意味するところは、過剰資本の移動のための規制解除にあると思われます。中小企業分野や地域的な小売市場圏に大企業が参入し、資本力によって中小企業を駆逐するようにならないか考える必要があります。不況型倒産が激増しているもとで、規制緩和によってさらに倒産がふえるようなことになりますと、景気が回復するどころかますます悪化することになります。ここに緊急経済対策の矛盾があります。

 もう一つの柱の価格規制については、その廃止により自由競争が起こり、低価格を実現することができると言われております。確かに、純粋な理論としてはそのように言えますが、それには独占規制という前提が必要です。さもない場合には、力の強いものが弱いものを倒し、その後に独占価格による支配を打ち立てることになるからであります。ヨーロッパ諸国において規制緩和が進められ、爆発的な大型小売店舗の新設が起こりました。価格競争が繰り広げられたわけでありますが、その結果は、大資本への支配集中が進み、逆に価格が硬直化したり上昇するという弊害が出ていると言われます。

 金融、証券、保険についても、信用秩序の維持に配慮しながら情報開示の徹底化などを求めると言われておりますが、これら公共性の高い分野については情報開示とともに直接規制も欠かすことができません。八〇年代における金融自由化の進展に伴う競争の激化は収益至上主義的経営への傾斜を強め、経営モラルの低下、金融機関の社会的役割からの逸脱をもたらしました。

 我が国より一足先に金融自由化を展開してきたアメリカでは、金融機関の経営の悪化と倒産の急増、小口利用者の締め出しといった問題が深刻化して、規制緩和に対する再検討が始まり、再規制ということが問題になっております。公正かつ健全な金融制度を確立するための規制が求められているのです。

 現在、不況の中で都市銀行の中小企業への貸し渋りが問題になっておりますが、アメリカでは地域で吸収した資金の一定割合を当該地域に投資することを義務づけた地域再投資法という法律がありますが、参考とされるべきものと思われます。

 次に、政府規制は一般に経済的規制と社会的規制とに分けられておりますが、経済的規制のみならず社会的規制によって環境の保全、安全性の確保、経済的弱者の経済的基本権の確保などを図ることが必要です。私は、バブル期に見られましたようなゴルフ場の乱開発によって国土が荒らされていくような現状を見ますと、規制が少な過ぎると思わざるを得ません。金もうけのためには環境の破壊や生活の安全も顧みないような行為に対しては厳しい規制を加えるべきであると思います。

 都市郊外のショッピングセンターの乱立については、自動車公害が激しくなっております。環境破壊という社会的費用の増大が問題になっております。土地一つとってみましても、日本と環境の全く異なるアメリカの流通業のあり方をそのまま日本に導入するような規制緩和論には賛成できないのであります。ヨーロッパでも車公害が最大の環境問題となっており、自動車から公共交通機関にいかに移しかえていくかが課題となっております。

 我が国の場合、小売業は伝統的な商店街と呼ばれる都市における商業集積が中心になっています。こうした小規模小売業の盛衰と都市の発展とは密接に結びついています。住民の日常生活と結びついた小規模小売業の駆逐は、都市部の衰退をもたらさずにはおきません。したがって、小規模小売業の近代化への行政の支援、誘導とともに、郊外型の大規模店をできるだけ抑制することが必要であると考えられます。

 ことしの六月に総理府が行った世論調査の結果を見ましても、十年後の生活環境について、現在よりも「悪くなる」「どちらかというと悪くなる」という意見が四四・一%、国や自治体に対して「環境悪化を防止するための規制の強化」を望む割合が四五・三%と最も高く、生活環境にかかわる分野では規制強化を望む人が多いということが明らかにされております。したがって、経済的規制緩和と社会的規制が矛盾を来す場合には、社会的規制が優先されなくてはならないように思われます

 今後本格的な規制緩和が進められてきますと、競争の激化を通じて消費者の被害あるいは失業問題、企業倒産、不公正取引などが増大する可能性のあることが心配されております。これらの問題に対する十分な制度的対応策もなしに規制緩和に突っ走るということになりますと、レーガン、サッチャーの二の舞、三の舞になることは避けられないと思います。

 結論といたしまして、時代おくれになった官僚的規制は廃止しなくてはなりませんが、日本の現実を見ますと、国民のために必要な規制は経済的規制、社会的規制とも極めて不十分で、もっと強化していかなければならないと思います。規制緩和一本やりの規制緩和論は極めて問題を含んでいると私には思われるわけであります。

 以上です。(拍手)