116-参-法務委員会-2号 平成01年12月05日
平成元年十二月五日(火曜日)
午前十時六分開会
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参考人
上智大学法学部教授 花見 忠君
愛知県立大学教授 田中 宏君
南ドイツ新聞極東特派員 ゲプハルト・ヒールシャー君
法政大学法学部教授 江橋 崇君
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本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出、衆議院送付)
○検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出、衆議院送付)
○検察及び裁判の運営等に関する調査
○出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律案(第百十四回国会内閣提出、第百十六回国会衆議院送付)
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○清水澄子君 ありがとうございました。
では次に、江橋先生にちょっとお伺いしたいと思います。
先ほど入管法だけで突出するなというふうにおっしゃっておられましたけれども、単純労働者と言われているそういう労働者、それは今どこの国でもブルーカラーの職場では単純労働者はいろいろ相当数に上っている。日本でも経済が発展してきますとだんだんそういう、それはいいことではないですけれども、やはりなかなかやりたがらない仕事というものができてきて、どうしてもそこにはそういう労働力が必要になってくる。そういう中で、今度は単純労働者を受け入れないということになるわけです。そして、一方ではそういう人々を受け入れたときの企業を処罰する、事業主を処罰するという、そういう法になっているわけですけれども、この法のもとで処罰をしたことでどういう実効性が上がるとお考えになるでしょうか。
○参考人(江橋崇君) 先ほどはしょって御説明いたしましたけれども、日本におけるいわゆるブルーカラー的な単純労働に従事する人が不足しているということについて、外国人の受け入れはいろいろ社会問題等が発生するから、むしろ国内におけるもっと別の形の労働力を見出すか、あるいはロボット等機械化によって物事を解決すべきだという御意見があります。それで問題が解決するならば、私ももちろんそれがいいことだと思っております。
ただ、実際のところを見ますと、それは日本国内だけ考えればあるいはそういうことが可能だというふうにも考えられるかもしれませんが、どこの国をとってみてもそれがうまくいった国はないという現実の重みというものを私は感じるわけで
あります。
それはアメリカであるとかあるいはヨーロッパのような先進資本主義国がそうであるだけでなくして、私昨年とことしと中国に滞在しておりましたけれども、例えば中国の北京の町並みを掃除しているのは、あれは全部中国国内での非合法就労者でございます。中国の場合は戸籍の制度があって、当局の許可なしに大都市に移住することはいけないんですけれども、実際には北京の人は絶対にああいうことをしない。そこで、市当局が地方に出かけていって呼び寄せてくる。その人たちは、日本的に言えばホームレスの人たちであります。上海にしても同じでありまして、上海の建物は日本の企業も随分投資していますけれども、あそこで建築労働をしている人の半分以上は地方からの出稼ぎ、つくっている会社も広東、深センの会社が進出してきて、上海以外の土地の労働者を集めて上海で建物を建てているという不思議な構造になっています。
つまり、先ほどタイのことを申しましたけれども、アジアの国々も含めてどこの国でも、もちろんいわゆる三キ労働と言われます、日本でも大工仕事の前の建物を壊して建築現場を整理する仕事、あれを日本人でやってくれる人がいればいいんですけれども、ロボットでできればいいですし、女性でする人がいる、高齢者でする人がいればいいんですけれども、現実にはいない。その現実にはいないというところの重みから私は出発すべきだというふうに思っているのであります。そして、そういうところで外国人の労働力を募集する、使わなければいけないという現実の重みがそれだけ重いものだとするならば、いわゆる雇用者処罰の制度の導入というものは、一歩間違えるとその中での立場の弱い者あるいは比較的正直な者、比較的良心的な者をいわば弱い者いじめして、たくましい者あるいは巧妙な形を考え出せる者にとっては別に処罰の実効性が上がらないのではないかというふうに思っております。
つまり、入国における審査基準の厳格化とかあるいは不法就労者のチェックとか、それをしていくとそれは結局は弱い者いじめに終わって、新しい形の不正規就業をつくっていくのではないか、そのことが私は一番怖いと思っています。そういった意味において、雇用者処罰の問題というのは、迂遠なようですけれども外国人労働者に対する人権問題の啓発であるとかさまざまな形の施策とうまいぐあいに組み合わせていかないと、実効性が上がらないというふうに判断します。今回の入管法の改正は私、入管法突出型だと言いましたけれども、その突出型という中には結局それに終わるのではないかなという危惧の念があるということであります。