51-参-石炭対策特別委員会-14号 昭和41年05月31日

 

昭和四十一年五月三十一日(火曜日)

   午前十時二十五分開会

  

   参考人

       夕張市議会議長  本間 良孝君

       常磐炭礦磐城礦業所長      木山 茂彦君

       株式会社九州廣栄堂代表取締役  稲田 善栄君

       福岡県教職員組合嘉穂支部長   古賀 藤久君

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  本日の会議に付した案件

○産炭地域振興事業団法の一部を改正する法律案

 (内閣提出、衆議院送付)

○産炭地域振興臨時措置法の一部を改正する法律

 案(内閣送付、予備審査)

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○小柳勇君 古賀参考人に対する最後の問題は、もう閉山が相次いでまいりました昭和三十七、八年ごろをピークにして、一応落ちついたのではないかという印象はわれわれ持っているわけです。ただいまの話を聞いておりますと、まだとめどもなく産炭地教育が低下しつつあるように思う。非常に危機が、もうこれからよくなるのではなく、なお続いておるような気がするのですが、現状での認識を、将来についてのお考えについて若干お考えをお聞かせ願いたいと思います。

 

○参考人(古賀藤久君) 産炭地の教育は、いまそのまま放置するならば、深刻さは加速度的に加わるだろうと思います。それはどういうことから類推しておるかと申しますと、昭和二十七、八年ごろ一時危機がございました。で、特に参議院においては非常に御心配いただき、現地調査もいただき、その結果が応急給食などの措置が行なわれて子供たちが救われた事件がございましたが、あのころの失業者がまだ部落として残っておる地方がございます。言いかえますと、廃山十年もたったところの父兄たち、その子供たちと、最近閉廃山になり、失業者になった子供たちとを比較するとわかってくるわけでございます。初め閉廃山が間近、閉廃山というときには、学校の廊下はばたばた激しく音がし、けんかが起こり、非常に子供たちに落ちつきがございません。ところが、閉廃山して七、八年たちますと学校は落ちついております。というのは、子供たちがよどんで暗くなっているわけでございます。この問題を、釜ヶ崎のキャラバンをやって私どもの嘉穂郡頴田町に入りました関西の学生の諸君と座談会をいたしましたときに指摘しておりましたが、西成の子供たちは、貧乏であっても生き生きしている、何とか金の使い方も計画的に使う。ところが、この筑豊の子供たちは一時に金を使ってしまって、なかったらじっとしている、朗らかに見えるけれども、心の底は実に暗い、これは親の影響ではないだろうか、こういうふうに話しております。それから、こういう報告も出ております。勉強のことを、あまり子供が勉強しない、素質はIQ一〇〇をこえておるという子供でございますので、何とかしたいと教師が話しておりますけれども、親のほうはあまり取り合わない。しまいにはおかあさんからこう言われたと頭をかかえておりました教師がおりましたけれども、それは勉強はできぬでもいい、学校はできぬでもいい、印鑑があったら暮らせますよと言っている。印鑑があったら役場に持っていけば生活保護で暮らせるじゃないかという。生活保護の親、働かないで暮らせたらそれでいいんだという家庭になってしまうと、子供たちは抜け出すことが非常に困難になってまいります。したがって、いまから先この大量の失業者に職を与えないならば、言いかえますと、委員会でも御検討いただいておりますような産炭地振興についての抜本的な施設が講じられて、この失業者たちに希望と力を与えるような職業がお世話いただけないならば、ますます教育は深刻な問題になってきて、いま何とかしようと歯をくいしばっている教師たちもお手あげになるような時期がくるのではないか、これが一番私たちがおそれている点でございます。